観覧車
それからも、ジャンケンによる男女ペア制はたびたび行われた。コーヒーカップ、お化け屋敷、空中ブランコ、ゴーカート――
いずれも渉は負け続け、芽亜凛も同じく負け続け、途中でコイントスなども行われたが、その時でさえ奇しくも同じペアになる始末。
芽亜凛は絶叫系でもお化け屋敷でも悲鳴ひとつ漏らさなかった。帽子で見えないその表情がいったいどんなものなのかも、渉には知るすべがない。
一方、凛と朝霧は楽しそうであった。組み合わせ次第でこうも温度差が生まれるものなのか、ペアを楽しませられない自分が悪いのか。そう思うほどに、渉の目に映る芽亜凛の様子は、酷くつまらなそうだった。
「はあ……」
渉は広場の柵に肘を付きながら嘆息した。
目線の先には凛と芽亜凛が乗っているであろうメリーゴーランドが回っている。男女ペア制に強制感が出てしまっていることは朝霧も重々承知のようで、今回は渉と共に見送りにすることにしたのだ。
「どうしたの? ため息なんてついて。僕と二人きりなのがそんなに不満なのかな?」
渉の隣で飲み物を片手にしている朝霧が、にこやかに訊いてくる。また冗談を言っているが、渉は突っ込む気さえ起きなかった。
「お前、ジャンケン強いのな……」
渉の目的はあくまで、凛と朝霧の接触を防ぐこと。なのに自分の運のなさと来たら――
再びため息をついていると、朝霧は目を丸くして瞬きを数回した。
「もしかして、それで落ち込んでるの?」
「落ち込むよ! 自分の弱さにびっくりだよ!」
「きみはわかりやすいからね」
(と言われてもな……)
ジャンケンなんて運次第と考えていたが、朝霧は相手の反応や確率を計算してやっているようだ。この末恐ろしい『一位の男』には、ジャンケンですら敵わないのか。
「――橘さん……」
「……ん?」
ボソリと呟いた朝霧の顔を見ると、彼はもう一度「橘さん」とはっきり言った。
「彼女はわざと負けてるんじゃないかな。証拠はないけど、何だかそんな気がしてね」
「…………」
――それは、
(俺も……思っていたことだ)
――わざと負けているのではないか、と。
けれど、彼女のジャンケンを横目で見ていても、怪しい点はないのだ。一発で決着がつくこともあれば、あいこが続いているときもあった。相手をしている凛の様子だって、幼馴染の渉から見てもいつもどおりだ。
不自然さはないし、証拠もない。だけど朝霧の言うとおり、意図的に凛を勝たせているのだとすれば――
「百井さんと一緒になりたいなら、きみは僕に勝つしかないよ」
そのとおり、『勝ち』を取るしかない。
「……言われなくても勝ってやるよ」
渉が口を尖らせて言うと、朝霧はニヤリと口角を上げた。
「僕は観覧車で告白しようと思ってるよ」
この際の『告白』とは、一般的なそれなのだろう。冗談下手な奴だが、これがふざけて言っているのではないことくらい、渉にも理解できた。
朝霧は渉と真正面から対峙すると、「きみが僕を遠ざけようとしているのは見え見えだったし」と付け足した。
「邪魔はさせないよ」
「……望むところだ」
男子二人が火花を散らし合う遠くで、双眼鏡の光が反射していた。
* * *
凛と芽亜凛がメリーゴーランドから降りてきた。
「楽しかったねぇ。撮ったやつ、あとでアルバムに送っとくね」
二人で写真でも撮っていたのだろう。今風に言うなら『映え』というやつか。
「おかえり、楽しそうだったね」
話しながら戻ってきた二人に、朝霧がすかさず声をかけた。
「ごめんねー、遅くなって。二人で何か乗ってくればよかったのに」
「離れるのもなんだか申し訳なくてね、望月くんとお喋りしてたんだ。ね、望月くん」
「……ああ」
無愛想に答える渉を見て、凛はきょとんとしてみせる。思惑の中心がまさか自分だとは、想像もしていないだろう。
四人揃ったところで、朝霧が腕時計を確認する素振りをした。凛も渉もスマホの画面を確認する。空はまだ明るいが、帰りの時間を含めると次で最後のアトラクションになるだろう。特に、朝霧は電車通いの都合もあるし、芽亜凛は明日テストが控えている。
「やっぱりラストは観覧車?」と、凛が最後の提案をした。遊園地のラストを観覧車で締めるというのは、定番なことかもしれない。
「そうだね、僕もそう思う。橘さんはどう?」
「それなら、私も観覧車で大丈夫です」
渉も同じように頷く。
全員賛成を見届けて、凛はぱんっと両手を合わせた。
「んーじゃ、最後は四人で――」
「男女ペアだ」
そう言ったのは渉だった。
「――だろ? 朝霧」
そちらを一瞥して挑戦的な態度で示す。朝霧は「ふうん……」と相槌を打つと、
「いいね、ぜひ僕も男女ペアで乗りたいな」
にっこりと笑顔を作ると、二人で彼女たちのほうを見る。渉と朝霧による怪しげな意思疎通に対して、凛と芽亜凛は不思議そうに顔を見合わせた。「そういうことなら……」と凛が口にすると、芽亜凛も快く頷いた。
「その前に……飲み物、買ってきてもいいですか?」
芽亜凛が遠慮がちに訊いてきたので、朝霧がどうぞと促す。観覧車は今すぐにでも乗れるくらい空いているため、飲み物を買う余裕は十分にある。
彼女は踵を返すと――渉の顔を見て――自販機のほうへと歩いていった。上目遣いのその視線は、意思のこもった鋭いものだった。
渉はすぐに察する。
彼女は意味のないことはしない。
男子に視線を送るというその行為自体、理由がなければ彼女は絶対にしない。
「……、俺も行ってくる」
そう告げて、渉は芽亜凛の元へと急いで向かった。
彼女は自販機に小銭を入れて、ドリンクの選択をしているところだった。
(アイコンタクト……絶対送ったよな? 気のせいじゃないよな……?)
自信があるのかないのか、渉は半信半疑で、腕組みをしながら見据える。
芽亜凛は指を立てて飲み物を選んでいる素振りをしていたが、結局はただの水を購入した。自販機の前には自分たちしかいないものの、かなりマイペースである。
渉はそれを焦れったそうに見ていた。
芽亜凛は緩慢な動きでペットボトルを取り出し、身体の向きをくるりと変えて振り向く。――今日一日を共にしても、彼女からまっすぐに見られることには慣れず、渉はドキリとする。
「パーです」
「……!」
芽亜凛の言葉に、渉は目を見開く。
(……やっぱり……)
思ったとおり、伝えたいことがあったのだ。
渉は安堵し、しかしそれを悟られないようにして、自分も自販機に小銭を入れる。芽亜凛はペットボトルの蓋を開けながら、渉の動きを舐めるように見ていたが、水を一口飲むとなおも教えてくれた。
「ジャンケン。パーを出すといいと思いますよ」
「ぱ、パー……?」
顔を見て訊き返すと、芽亜凛は瞬きを一回――まるで、目で頷いたようだった。
そうして、スタスタと二人の元へ戻っていく。
「なんなんだ……?」
彼女の後ろ姿を見ながら、渉は一人呟いた。
助言、ヒント。武道場でもそうだったが、彼女はなぜかはっきりとは口にしない。してほしいことも、やめてほしいことも言わない、ただ目だけで訴えかける。なぜ? その答えはすでに浮かんでいる。
――彼女は試している。こちらが選択することを、押し付けることも強要することもなく、ただ試している。
だからふと、渉は考えてしまうのだった。
――選択を間違えれば、彼女はどんな反応をするのだろうか。
三人と合流し、いざ観覧車をかけて最後の勝負。
渉と朝霧は睨み合い、凛たちも少し離れたところでジャンケンをする。何としてでも勝ちたい渉は、芽亜凛の言ったとおり、でパーを出した。
(え……)
朝霧もパーだった。一瞬思考が止まりかけたが、渉は焦る気持ちを顔に出さないようにして、「あいこで、しょ――っ!」
結果は、朝霧がグー、渉がパー。凛と芽亜凛のほうは、凛がグー、芽亜凛はチョキだった。
(っ……!)
渉の顔に、笑みが広がった。
思わずガッツポーズしたくなったが、なんとか抑える。嬉しくて、この感情を伝えようと芽亜凛のほうを見るけれど、彼女と目が合うことはなかったし、合わせてはくれなかった。それでも渉は嬉しかった。
「負けちゃった……」
朝霧は苦々しげに肩をすくめて、芽亜凛のほうへと向かう。すれ違って、凛が渉のほうへとやってくる。
「渉くんと一緒かぁ。あれ、もしかして初じゃない?」
首を傾げてくる凛。
渉は「行くぞ」と言って顔を綻ばせる。行く先には朝霧と芽亜凛が先に前のゴンドラに乗り込む姿があり、続いて渉は凛と乗り込む。
こうして、朝霧の告白を防ぐことができたのだが、それよりも、何よりも――凛と一緒に乗れたことが嬉しくて、少年は頬を緩ませてしまうのだった。
* * *
「楽しかったね、遊園地。レプスディアランド、だっけ? ちょっと覚えづらい名前」
「略すとLDL?」
「えー? 略してる人いるのかなあ」
二人きりのゴンドラのなか、凛は天真爛漫に笑う。
(凛と話すの、こんなに楽しかったっけ)
そう思いながら渉は「あ、そうだ」と口にする。
「訊きたいんだけど、凛と橘さん……何か打ち合わせしてる?」
「打ち合わせって?」
外を見ていた凛は顔をこちらに向ける。
「いや、俺が言えたことじゃないけど、橘さんずっとジャンケン負けてただろ? もしかしたら……わざと負けてるのかと思って」
「確かに芽亜凛ちゃんって、ジャンケン強そうではあるけど、それはないと思うよ……? 考えすぎじゃない? 第一渉くん、私がズル嫌いなの知ってるでしょ、打ち合わせなんてすると思う?」
真っ当すぎる凛の反応からして『二人で勝ち負けを固定していた』なんてことは見当違いのようだ。
つい気になって訊いてしまったけれど、渉は正直に謝る。
「そうだね……悪い」
「でしょ? 私が勝ててたのも偶然なんじゃないかな……。渉くんのほうこそ、芽亜凛ちゃんと一緒になりたいからってわざと負けてたんじゃなーい?」
「はあ!? んなわけあるか!」
反射的に反論していた。あ、と気づいたときにはもう遅かった。
凛はジト目を作っていたが、渉の反応を聞いて不意に柔らかい笑みを浮かべた。
「ほら――ね。こんなふうに言われると嫌でしょ?」
ぐうの音も出ない。
――おっしゃるとおりでございます。
凛のした意地悪な返しは芽亜凛を庇ってのことだ。けれど渉が反論したのは、それに対してではなく……誤解されたくないという思いからだった。
「……あのさ、凛」
渉は改まった調子で言う。
「ずっと、言えなかったんだけどさ」
「ん……、なに……?」
凛もまっすぐに、彼を見つめ返した。
二人の乗っているゴンドラは、観覧車の四分の一を過ぎたあたり。間もなく頂上に差し掛かるだろう――
渉は、視点の定まらない瞳を落ち着かせるように一度目を閉じて、ゆっくりと開いた。
「……笠部のこと、凛なら気にしてるんじゃないかって、心配でさ」
「…………………………」
少年は――真剣に言ったつもりだった。
しかし凛は、呆気にとられている。まるで「は?」とでも言いたげな……。
「ごめん、思い出させるつもりじゃなかったんだけど、その……」
「いやごめん、言いたいことって――ソレ?」
「え、うん」
渉が頷くと、凛は眉間にしわを寄せて、徐々に表情を険しくする。二人の間にぬるい沈黙が訪れて、ゴンドラは頂上を迎えた。
凛はすうっ――と大きく息を吸って、
「はあーっ……もう! 渉くんの、馬鹿! おたんこなす!」
「おっ……!?」
怒られた。
おたんこなす――について突っ込みを入れたくなったが飲み込む。
「お……俺は、凛は一人じゃないってことを言いたくて」
「――わかってるっ……、わかってるよ……でも」
凛の声は次第に小さくなり、口元をわずかに緩めたままうつむいてしまった。
まさか泣いてるのかと思い、渉は呼びかけようとする。その瞬間、凛はバッと顔を上げた。
「でもこのタイミングで言うことじゃない。渉くん、全然わかってない」
凛の顔に涙などは一切なく、むーっと口をへの字に曲げている。彼女は拗ねていた。しかし渉はその理由がわからず、何度も瞬きをする。
(……な、なんでそんな怒ってんだよ)
「つーん、わかんないならいいですー。……今度また、どっか行こうよ」
「どこがいいんだよ」
「警視庁」
凛は即答して『えへへーっ』と無邪気に笑う。
ほかの人が聞けば驚くだろう、色気のない、冗談のような本気の答え。だが渉は、その後に続いた笑顔も含めて、愛おしいと思ってしまうのだった。
「なーんてね、覚えてる? 中学二年生のとき、一緒に警視庁行ったの」
「覚えてるよ、本物の手錠とか拳銃とか、見せてもらったっけ」
「そうそう。パトカーに乗せてもらったり、渉くんは白バイに跨ったよね」
「通信指令センターの緊迫した空気、一一〇番の多さ、あれには驚いたなあ……」
うんうんと頷き合い、思い出話に花を咲かせる。
二人が話すのは中学の頃の思い出――職場体験でのこと。学生ながら貴重な体験をしたのを記憶している。鑑識体験やクイズ問題を解いたり――実際に目にしたことで警察官の責任の重さや、今こうしている間にも多くの人が、いろんなものを抱えて働いているのだと痛感した。
「そのあとの質問タイム、……凛の熱がすごくて笑ったんだよな」
「ちょ! またその話!?」
「あと、敬礼が滅茶苦茶綺麗って褒められてた」
「うぅ……あの日は気合が入りすぎちゃってて……今思い出しても恥ずかしいんだから」
くくくと笑う渉と、顔を赤くする凛。いつしか二人を包み込む空気は、穏やかなものとなっていた。
渉はどこか遠くを見つめながら口にする。
「大人になっても忘れないだろうな」
「……そうだね」
言って、凛はぐいーっと伸びをしながら、
「いつかは私もあそこで勤務するのかなー!」
「…………」
同調を求めて言った凛の言葉に、渉は黙りこくる。一点を見る渉の表情は真剣そのもので、瞳には決して失うことのない光が宿っていた。顔を覗き込んだ凛に、渉は言う。
「――――俺も行く」
「へ……?」
間の抜けた声を漏らした凛のほうを向き直って、渉は強く口にする。
「凛を支える警察官になるよ」
「――――」
オレンジ色に変わりつつある夕日が、二人の間に差し込んだ。照らされた互いの双眸は、同じ煌めきを映していた。
――二人だけの時間。二人だけの世界。
そう思えた次の瞬間、ガシャン。ゴンドラの入り口が開けられた。
「あ」
二人は揃って声を上げ、地上へと降り立つ。
「も、もう一周、してたんだね」
「だな……」
地面に付く足は、まだ揺れているような感覚がある。二人が顔を向ける先には、芽亜凛と、こちらを見て手を振っている朝霧がいる。
(もう一周したい……)
正直なわがままを思いながら二人のほうへ踏み出したとき、ぎゅ、と腕を掴まれた。
「いつから、思ってたの?」
凛は渉を見上げて、震える声で訊いた。渉は頬を掻きながら答える。
「小学校……入ったときくらい、から。目標は……二人で同じ犯人を追ったり、凛が困ったときは俺がサポートできるような……そういう警察官。凛の――警察官への強い憧れがうつったっていうのかな。気づけば俺も――目指してた。言ったら怒るかと思って、今まで言えなかった」
「怒らないよ!」
そして「……嬉しい」と、
「そんなふうに思っててくれて、私は嬉しい……!」
凛の、腕を掴む手に力が加わる。
渉は彼女の潤んだ瞳に圧倒されて、視線が逸らせない。
「凛……」
――自分の夢を、凛に話したのははじめてだった。
凛はいつでもまっすぐで、ひたむきで……、ただ警察官という夢に向かって歩んでいる。
渉は、そんなふうにはなれないと、どこか自分で自分自身を諦めていた。だけど、彼女を見ているうちに思うようになった。おんなじように、警察官になって、おんなじように、人の役に立ちたい。そして、前を見つめ続ける凛のことを、隣で支えていけるような警察官になりたいと。
最初は小さな思いつきでしかなかった。けれどその気持ちは次第に強くなり、渉の夢へとなっていたのだ。
……おーい――
こちらを呼ぶ声がして、渉は我に返る。声の主は朝霧であり、芽亜凛と二人で距離を縮めてきていた。
渉と、凛は顔を見合わせて――同時にはにかんだ。
沈みゆく夕日の色が、帰り際の四人の顔を染めていた。
観覧車を終えてからは土産店を見て回り、渉が「それいる……?」と疑問を抱くなか、凛はレプスディアランドの兎のキャラクターがモチーフの、限定キーホルダーを買っていた。
ゲートを抜けて、四人は最初に集まった入り口付近にいた。
「そろそろ帰る時間だね。芽亜凛ちゃん、朝霧くん、今日はありがとう。渉くんも、楽しかったでしょ?」
「……ああ、そうだな」
観覧車を降りてからというもの、渉と凛を取り巻く空気は、周りのものとは違う熱を発していた。何があったか知らない朝霧と芽亜凛からすれば、目を見張るものがあるだろう。
渉は凛と帰り道が同じなので、四人で別れるというよりは朝霧と芽亜凛と別れることになる。
「また明日ね。凛」
「うんっ――」
いざ別れようとしたとき、
「百井さん!」
朝霧が声を大にして呼び止めた。
背を向けていた渉も凛も、何事だと言わんばかりに振り返る。朝霧は早足でこちらへと来た。
「帰る前に、ひとつだけ伝えたい」
(……まさか――)
と思っても遅かった。
朝霧は瞳を閉じ、呼吸を整えて――次に目を開いたときには、それを口にしていた。
「僕と、付き合ってほしい」
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