第四話

自殺

坂折さかおり公園』は、遊具のほとんどが錆びついて茶色く濁った中身を晒している古い公園だった。

 今では子供も寄り付かないそのひとけのない広場には、朝から鮮やかな青が張り巡らされている。ブルーシートだ。


被害者ガイシャ笠部かさべ淳一じゅんいち、五十二歳。第一発見者は今朝方、犬の散歩で公園付近を通りがかったところ、倒れていたガイシャの遺体を発見。遺体に目立った外傷はなく、死因は絞首による窒息死……。首に巻き付いたままのロープは、結んだ先端が千切れており、自殺だとすれば死後数時間経って重みで切れた――ってとこですか」


 現場を担当する若い刑事は、警部の隣でメモ帳を読み上げる。鑑識と機動捜査隊キソウから引き継いだ報告内容であった。

 警部は渋い顔をして肩をすくめる。


「ガイシャは藤ヶ咲ふじがさき北高校の教師だそうだ」

「藤ヶ咲北高校……思いっきり近くじゃないですか」


 ああ、と低く言って警部は続ける。


「他殺の線も臭うが、まずは自殺と決めつけて捜査に当たれ。身内、学校への聴取だ」


    * * *


 急遽開かれた全校集会で教頭が告げたのは、生物学教師――笠部淳一の死だった。


「今朝、変わり果てた姿で発見されたようです。理由はまだ、明らかにされておりません」


 わかりやすさを第一に教頭は簡潔に告げる。誰にでも通じて、誰からも非難されない口ぶりだった。ざわつく体育館に「静かに」と、教師たちの叱責が飛ぶ。


「まだ捜査は続いています。生徒のみなさんにも、警察のかたから聴取がされるかもしれませんが、落ち着いて素直に応じてください」


 続いて校長の話が短く続き、集会は最後に笠部先生に向けた黙祷をして幕を閉じた。

 内容は衝撃的なものであった。だが『犯人』という言葉が出てこなかったことから、生徒の間では――


「笠部、自殺ってマジ?」


 あっという間に、自殺の噂が広まっていた。


「えーっ、あいつが自殺するような奴だと思う?」

「でもさっきオマタが呟いてたんだけど……笠部、懲戒処分食らってたらしいよ。しかも昨日」

「呟いてたって、SNS?」

「ちっがう、保健室での独り言」

「処分ってなんで? あいつ何したの?」

「いやいや、あの笠部だよ? 処分食らって当然のこと今まで散々してきてるじゃん。それが爆発したんじゃない?」


 また一部の男子の間でも、


「あんま大きな声じゃ言えないけど、死んでくれてよかった」

「正直ウザかったし」

「俺も。大嫌いだったし、ざまあって感じ?」


 みな他人事のように口にした。陰湿な男子たちも、噂好きの女子たちも。

 笠部の死を嘆く者は、一人だっていなかった。


 もし自殺だとすれば、その原因を作ったのは昨日の一件ではないのか。わたるは当事者ながら、複雑な心境に駆られていた。

 笠部に対する気持ちは、ほかの生徒となんら変わらない。もともと好感度も低い、人望のない教師だ。昨日の一件がなければ他人事だっただろう。

 だが今は違う。『悪いのは笠部だ』と思う気持ちと、『一人の大人を追いこんで自殺させてしまった』という自罰心がないまぜだ。決して自分たちのせいではないはず……なのに拭いきれない。りんもきっと、同じ気持ちのはずだ。


 響弥きょうやは昼休みになってすぐにE組へやってきた。彼が座るのは渉の前方、本来であれば杉野すぎのの席である。優しい杉野は気を遣って、いつも空けてくれるのだ。


「やっと話ができるぜ、昼休み最高、愛してるー!」

「今日はやけに早いんだな」


 購買に行ってから来る響弥は合流する時間もまちまちである。今日は遥かにスムーズだ。


「トーク送っただろ? 学校中で持ち切りのアレ。ちなみに購買は前払いで、おばちゃんに取っといてもらった。集会が終わったあとすぐにな」


 焼きそばパンと牛乳を渉の机に置いて、響弥は誇らしげに胸を張る。両手には先日に続き、包帯が巻かれている。本気で一生外さないつもりなのか。

 響弥に昨日のことは話していない。個人トークに『笠部、自殺らしいな』と送ってきた親友は、何も知らない。いつもどおりの、明るい噂好きだ。

 渉は、凛の手作り弁当を机に広げながら苦言する。


「口にしていい話じゃないな。少なくとも、軽いノリで言っていいことじゃない」

「なんだよ、渉ならこういう事件性ありそうなこと、ノリノリで推理するかと思ったのに」

「ノリノリは余計だ」

「んー、でもなんで自殺したんだろうな」


 剥き出した焼きそばパンにかぶりつく親友は、すっかり自殺と決めつけているようだった。渉は「さあな」としか答えられない。

 響弥は教室を見渡し、「芽亜凛めありちゃんは?」と訊いた。


「あの子ならたぶん保健室」

「体調悪いの?」

「さあ……」


 たちばな芽亜凛は、四限目の前に保健室に向かった。具合が悪いらしいが、詳細はわからない。

 ただ、意外だと思った。あの子も人間なんだなと。渉の目には、集会後も気にしている素振りはゼロに見えたから。

 笠部の件とは関係なしに、渉は芽亜凛の強みを知っている。高い身体能力はもちろんのこと、精神面で揺らぐことも、おそらくないと思っている。

 だがもし今回のことで気を悪くしたのなら、それはとても……人間らしい反応だ。


「もしかしてそれで凛ちゃんもいないの?」

「たぶん」

「お前ら最近、別行動多くね?」


 大きなお世話だ、と渉は胸中で呟く。

 凛は何度か芽亜凛と話していたようだが、酷く顔色が悪かった。重みを感じていなければいいが……今も芽亜凛と一緒にいるだろう。彼女を心配して、寄り添っているはずだ。


 ――前まではこんなんじゃなかった。

 凛は委員長の仕事で忙しく、その手伝いを、いつもなら渉や千里ちさとがしていた。昼休みや放課後に合流し、千里を含めて三人で過ごすことも多かった。

 響弥の言うとおり、凛といる時間は格段に減っている。千里が行方不明になってしまってから。

 そしてその枠を埋めるかのように、今は転校生がそばにいる。


「――望月もちづきくん」


 陰鬱な気分を散らす爽やかな声が、突如として降ってくる。

 顔を上げると、そこには背の高い男子が一人。にこやかな笑みを浮かべて立っていた。長い睫毛に縁取られた真っ黒な瞳が渉を見つめる。誰だろう。名前はわからない。しかしどこか見覚えのある、端正な顔立ちだ。


「望月くん。百井ももいさんがどこにいるか知らない?」


 彼は悪意なき眼差しでそう言った。


(俺に用じゃないのかよ……)


 渉は渋い顔を作り、「たぶん、保健室」と答える。幼馴染と知っての質問か、他クラスにまで把握されているのは気恥ずかしい。

 男子生徒は「そう……」と言って、物悲しそうに肩を落とした。急用なのか。落ちこんでいる様子は、男でも庇護欲を駆り立てられる子犬のようである。

 そんな彼を横目に、響弥は焼きそばパンをごくりと飲み込んで大きく反応した。


「お、お前は、『一位の男』!」


 パンの袋を握り潰し、響弥は彼に人差し指を突きつける。渉は「一位の男?」と聞き返した。


「二年A組の委員長――朝霧あさぎりしゅう! 一年の頃の中間テストと期末テスト、ずっと学年一位だった奴だよ! でもって生徒会推薦枠トップ通過の逸材! なんで知らないんだ渉!?」

「いやなんでそんなこと知ってるんだ」

「あはは……大げさだな」


 朝霧は照れくさそうに笑う。彼の顔に見覚えがあったのは、生徒総会や学年集会でステージ前に立っているからだった。そんなにすごい奴だとは。噂や流行に敏感な響弥は知っていたようである。


「ぜひ俺に、勉強方法を教えてください!」

「毎日ちゃんと予習復習をしてるだけだよ」

「うがっ! 爽やかな笑顔でいきなり痛いところを突いてきた!」


 響弥の華麗なオーバーアクトに朝霧はくすくす笑う。笑うとイケメンがさらに引き立つ、毒気のない笑みだった。


「えっと、凛に用って……俺でよければ伝えておくよ」


 渉は咳払いして話を戻す。委員長同士の用件なら、仲介役が入っても問題ないだろう。そう思って提案したが、


「気持ちはありがたいんだけど、こればっかりは直接本人に言わなきゃいけないって思うからさ……ごめんね」


 朝霧は、含みのある返しをして苦笑した。

 直接本人に言いたいこと……それはいったい何だろう。とてつもなく興味が湧いたが、無理にがっつくのも気が引けて踏みこめない。

 だがしかし、


「あ! もしかして告白? それともデートの誘いかぁ?」


 親友、神永かみなが響弥の辞書に、空気を読むという文字はないようだった。


「んなわけないだろ……なぁ?」


 同意を求めて朝霧を見た。朝霧は顔色を曇らせて、渉と目が合うと夕日のように頬を染めてはにかむ。


「参ったな……」

「え?」

「秘密にしておいてほしいな……。ね?」


 朝霧は人差し指を唇に当てて小首を傾げる。渉はぽかんと口を開けた。

 冗談で言ったつもりの響弥も「……マ、マジ?」としどろもどろに聞き返す。

 朝霧は明確な答えはくれず、「また来るよ、邪魔してごめんね」と、呼び止める間もなく教室を出ていった。


「ど、どうすんだよ渉! 凛ちゃん取られちゃうよ!」


 響弥は渉以上に慌てふためき荒ぶる。その声は渉の耳には届いておらず。


(凛が、告白される……? 凛が、あいつに……?)


 親友が「おーい、しっかりしろー」と顔の前で手を振る間。渉の頭のなかには、告白という二文字がぐるぐる渦を巻いていた。


    * * *


 休み時間が終わる前に教室へ戻ろうと、凛と芽亜凛は階段の手前まで来ていた。


「芽亜凛ちゃん、本当に大丈夫?」


 不安げに問う凛に、芽亜凛は「うん、平気よ」と頷き返す。


「じゃあ私、職員室に寄ってから行くね」

「わかった」


 彼女は一人、教室へ向かう。その途中、E組の廊下から男子生徒が歩いてきた。朝霧修だった。

 芽亜凛は彼から視線を逸らし、すれ違いざま忌々しげに目を細めた。

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