第四話
自殺
『
今では子供も寄り付かないそのひとけのない広場には、朝から鮮やかな青が張り巡らされている。ブルーシートだ。
「
現場を担当する若い刑事は、警部の隣でメモ帳を読み上げる。鑑識と
警部は渋い顔をして肩をすくめる。
「ガイシャは
「藤ヶ咲北高校……思いっきり近くじゃないですか」
ああ、と低く言って警部は続ける。
「他殺の線も臭うが、まずは自殺と決めつけて捜査に当たれ。身内、学校への聴取だ」
* * *
急遽開かれた全校集会で教頭が告げたのは、生物学教師――笠部淳一の死だった。
「今朝、変わり果てた姿で発見されたようです。理由はまだ、明らかにされておりません」
わかりやすさを第一に教頭は簡潔に告げる。誰にでも通じて、誰からも非難されない口ぶりだった。ざわつく体育館に「静かに」と、教師たちの叱責が飛ぶ。
「まだ捜査は続いています。生徒のみなさんにも、警察のかたから聴取がされるかもしれませんが、落ち着いて素直に応じてください」
続いて校長の話が短く続き、集会は最後に笠部先生に向けた黙祷をして幕を閉じた。
内容は衝撃的なものであった。だが『犯人』という言葉が出てこなかったことから、生徒の間では――
「笠部、自殺ってマジ?」
あっという間に、自殺の噂が広まっていた。
「えーっ、あいつが自殺するような奴だと思う?」
「でもさっきオマタが呟いてたんだけど……笠部、懲戒処分食らってたらしいよ。しかも昨日」
「呟いてたって、SNS?」
「ちっがう、保健室での独り言」
「処分ってなんで? あいつ何したの?」
「いやいや、あの笠部だよ? 処分食らって当然のこと今まで散々してきてるじゃん。それが爆発したんじゃない?」
また一部の男子の間でも、
「あんま大きな声じゃ言えないけど、死んでくれてよかった」
「正直ウザかったし」
「俺も。大嫌いだったし、ざまあって感じ?」
みな他人事のように口にした。陰湿な男子たちも、噂好きの女子たちも。
笠部の死を嘆く者は、一人だっていなかった。
もし自殺だとすれば、その原因を作ったのは昨日の一件ではないのか。
笠部に対する気持ちは、ほかの生徒となんら変わらない。もともと好感度も低い、人望のない教師だ。昨日の一件がなければ他人事だっただろう。
だが今は違う。『悪いのは笠部だ』と思う気持ちと、『一人の大人を追いこんで自殺させてしまった』という自罰心がないまぜだ。決して自分たちのせいではないはず……なのに拭いきれない。
「やっと話ができるぜ、昼休み最高、愛してるー!」
「今日はやけに早いんだな」
購買に行ってから来る響弥は合流する時間もまちまちである。今日は遥かにスムーズだ。
「トーク送っただろ? 学校中で持ち切りのアレ。ちなみに購買は前払いで、おばちゃんに取っといてもらった。集会が終わったあとすぐにな」
焼きそばパンと牛乳を渉の机に置いて、響弥は誇らしげに胸を張る。両手には先日に続き、包帯が巻かれている。本気で一生外さないつもりなのか。
響弥に昨日のことは話していない。個人トークに『笠部、自殺らしいな』と送ってきた親友は、何も知らない。いつもどおりの、明るい噂好きだ。
渉は、凛の手作り弁当を机に広げながら苦言する。
「口にしていい話じゃないな。少なくとも、軽いノリで言っていいことじゃない」
「なんだよ、渉ならこういう事件性ありそうなこと、ノリノリで推理するかと思ったのに」
「ノリノリは余計だ」
「んー、でもなんで自殺したんだろうな」
剥き出した焼きそばパンにかぶりつく親友は、すっかり自殺と決めつけているようだった。渉は「さあな」としか答えられない。
響弥は教室を見渡し、「
「あの子ならたぶん保健室」
「体調悪いの?」
「さあ……」
ただ、意外だと思った。あの子も人間なんだなと。渉の目には、集会後も気にしている素振りはゼロに見えたから。
笠部の件とは関係なしに、渉は芽亜凛の強みを知っている。高い身体能力はもちろんのこと、精神面で揺らぐことも、おそらくないと思っている。
だがもし今回のことで気を悪くしたのなら、それはとても……人間らしい反応だ。
「もしかしてそれで凛ちゃんもいないの?」
「たぶん」
「お前ら最近、別行動多くね?」
大きなお世話だ、と渉は胸中で呟く。
凛は何度か芽亜凛と話していたようだが、酷く顔色が悪かった。重みを感じていなければいいが……今も芽亜凛と一緒にいるだろう。彼女を心配して、寄り添っているはずだ。
――前まではこんなんじゃなかった。
凛は委員長の仕事で忙しく、その手伝いを、いつもなら渉や
響弥の言うとおり、凛といる時間は格段に減っている。千里が行方不明になってしまってから。
そしてその枠を埋めるかのように、今は転校生がそばにいる。
「――
陰鬱な気分を散らす爽やかな声が、突如として降ってくる。
顔を上げると、そこには背の高い男子が一人。にこやかな笑みを浮かべて立っていた。長い睫毛に縁取られた真っ黒な瞳が渉を見つめる。誰だろう。名前はわからない。しかしどこか見覚えのある、端正な顔立ちだ。
「望月くん。
彼は悪意なき眼差しでそう言った。
(俺に用じゃないのかよ……)
渉は渋い顔を作り、「たぶん、保健室」と答える。幼馴染と知っての質問か、他クラスにまで把握されているのは気恥ずかしい。
男子生徒は「そう……」と言って、物悲しそうに肩を落とした。急用なのか。落ちこんでいる様子は、男でも庇護欲を駆り立てられる子犬のようである。
そんな彼を横目に、響弥は焼きそばパンをごくりと飲み込んで大きく反応した。
「お、お前は、『一位の男』!」
パンの袋を握り潰し、響弥は彼に人差し指を突きつける。渉は「一位の男?」と聞き返した。
「二年A組の委員長――
「いやなんでそんなこと知ってるんだ」
「あはは……大げさだな」
朝霧は照れくさそうに笑う。彼の顔に見覚えがあったのは、生徒総会や学年集会でステージ前に立っているからだった。そんなにすごい奴だとは。噂や流行に敏感な響弥は知っていたようである。
「ぜひ俺に、勉強方法を教えてください!」
「毎日ちゃんと予習復習をしてるだけだよ」
「うがっ! 爽やかな笑顔でいきなり痛いところを突いてきた!」
響弥の華麗なオーバーアクトに朝霧はくすくす笑う。笑うとイケメンがさらに引き立つ、毒気のない笑みだった。
「えっと、凛に用って……俺でよければ伝えておくよ」
渉は咳払いして話を戻す。委員長同士の用件なら、仲介役が入っても問題ないだろう。そう思って提案したが、
「気持ちはありがたいんだけど、こればっかりは直接本人に言わなきゃいけないって思うからさ……ごめんね」
朝霧は、含みのある返しをして苦笑した。
直接本人に言いたいこと……それはいったい何だろう。とてつもなく興味が湧いたが、無理にがっつくのも気が引けて踏みこめない。
だがしかし、
「あ! もしかして告白? それともデートの誘いかぁ?」
親友、
「んなわけないだろ……なぁ?」
同意を求めて朝霧を見た。朝霧は顔色を曇らせて、渉と目が合うと夕日のように頬を染めてはにかむ。
「参ったな……」
「え?」
「秘密にしておいてほしいな……。ね?」
朝霧は人差し指を唇に当てて小首を傾げる。渉はぽかんと口を開けた。
冗談で言ったつもりの響弥も「……マ、マジ?」としどろもどろに聞き返す。
朝霧は明確な答えはくれず、「また来るよ、邪魔してごめんね」と、呼び止める間もなく教室を出ていった。
「ど、どうすんだよ渉! 凛ちゃん取られちゃうよ!」
響弥は渉以上に慌てふためき荒ぶる。その声は渉の耳には届いておらず。
(凛が、告白される……? 凛が、あいつに……?)
親友が「おーい、しっかりしろー」と顔の前で手を振る間。渉の頭のなかには、告白という二文字がぐるぐる渦を巻いていた。
* * *
休み時間が終わる前に教室へ戻ろうと、凛と芽亜凛は階段の手前まで来ていた。
「芽亜凛ちゃん、本当に大丈夫?」
不安げに問う凛に、芽亜凛は「うん、平気よ」と頷き返す。
「じゃあ私、職員室に寄ってから行くね」
「わかった」
彼女は一人、教室へ向かう。その途中、E組の廊下から男子生徒が歩いてきた。朝霧修だった。
芽亜凛は彼から視線を逸らし、すれ違いざま忌々しげに目を細めた。
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