第三話

傘探し

 わたるたちがカラオケ店にいる間、りん松葉まつば千里ちさとの家に足を運んでいた。

 千里とは中学からの仲であり、渉にとっての響弥きょうやに等しく、まさに親友関係にあたる。家を訪ねるのもはじめてではない。

 庭には両親のものと見られる車がある。凛はインターホンを鳴らした。

 待つまもなく、女性の声が返ってくる。


『はい』

「あっ、百井ももい凛です」


 名乗って待機していると、家のなかからぱたぱたと足音がして、千里の母親が玄関ドアを開けた。


「凛ちゃん、ごめんねぇわざわざ」

「いえいえ! あの……ちーちゃんは、まだ……?」


 千里の母は、重々しく頷いた。あれからすぐに帰ってきたのよ、なんて。待ち望んだ答えは返ってこなかった。


「まだ帰ってきてないの。警察にも届けは出したのだけれど、まだ……」

「そう、ですか……それは、すごく……心配ですよね」


 受け入れ難い現実を突きつけられる。

 娘の行方がわからない。親友と連絡がつかない。これが現実だった。涙が出そうになって、ぐっとこらえる。


「お父さんは仕事を休んで、今も探しに行ってるわ……。凛ちゃん、何か心当たりはある?」

「いいえ、特には……」

「そう……」

「あの、ちーちゃんはどんな様子で家を出たんですか?」

「そう、それがね」


 千里の母は少し声を荒げて続けた。


「傘……『傘』って言って、急に家を飛び出したの」

「傘?」

「ええ。ちょうど夕飯の支度をしてるときだったかしら」


 傘……傘……。

 記憶をたぐらせる。探偵じみた推理と思考が、頭中をぐるぐると回った。

 ――昨日、確かちーちゃんは……。


「ち、ちーちゃん昨日っ……傘を、学校に忘れたって言ってたんです。もしかしてそれを取りに行って……」

「じゃあ、千里は……」

「か、傘置き場! 私、確認してみます! 何かわかったらご連絡しますので!」


 凛は言いながら回れ右をして駆け出した。考えるよりも先に身体が動いていた。「凛ちゃん、気をつけてね……!」と、去り際にかけられた言葉を背中で受け止める。

 胸の奥が痛くて苦しい。だけど自分以上に心配しているのは千里の両親だ。あの人たちのことを思うと、どうしようもなく、いたたまれない気持ちになる。


(私には私のできることをするんだ。ちーちゃん、必ず見つけるから……!)


 風を切りながら、凛は親友の行方を強く思った。


    * * *


 校門前で出くわした渉は、凛からここに来た経緯を聞かされた。隣の親友はまだ情けなく息を切らしている。


「じゃあちーちゃんは、傘を探しに出てったってことか」


 渉が言うと、凛はうんと首肯する。それで傘置き場を見に、わざわざ戻ってきたと。

 何もしないよりは正しい判断だ。自分の親友が事件に巻き込まれたのである。居ても立っても居られなくなるのは渉も同感だ。

 事情を交換して、三人は生徒玄関へ向かった。傘置き場は学年ごとに分けられている。正しく利用されていれば、探す手間はそうかからないはずだ。

 あとは千里の傘を知る凛の記憶が頼りになる。


「持つところに、猫の手が付いてるんだよ」

「ストラップ?」

「ううん、カバーがしてあるの。すぐに自分のがわかれば取りやすいでしょ?」


 なるほど、と渉は頷いた。最近はいろんな取っ手カバーがある。おしゃれや自己アピールにも繋がり、言われてみれば女子の間で流行っていた気がした。判別もしやすくて良策だろう。


「傘は何色?」


 本調子になった響弥が尋ねる。


「白色だよ。って響弥くん、その手どうしたの?」


 包帯の巻かれた響弥の手を見て、凛は眉をひそめた。


「ああ、マットを運んだときにちょいと痛めて……でへへ」

「でへへ、じゃないよ! な、情けなっ! お姫様抱っこで見直したと思ったのに……」

「そんなのいいから早く探すぞ」


 渉が制した。

 二年C組の傘置き場には、何本か傘が残っていた。あらかた部活中の生徒のものだろう。白い傘も見られるが、猫の手の取っ手は見当たらない。


「もしかして職員室にあるんじゃねえ? 忘れ物ってことでさ」


 響弥が言うと、凛は顎に手を当てて考える素振りをする。


「うーん、そうだね……ここにはないみたい」

「見てくるよ。響弥、行くぞ」


 響弥は「あーい」と返事をして玄関で靴を脱いだ。

 渉は律儀に上履きに履き替え、職員室に向かう。昔、靴下のまま校舎に戻って画鋲を踏んだことがあるため、どんなに短い時間でも上履きを履くようにしている。

 響弥を連れて行くのは、単に渉が人見知りだからである。彼は口が回るので、教師との話題作りにもなるだろう。


「失礼します」


 職員室に入ると、ほとんどの教師が部活やパトロールで留守のなか、東崎とうざき先生の姿が何とはなしに飛び込んできた。

 東崎邦夫くにお。二年C組の担任教師であり、響弥や千里が毎日お世話になっている先生である。

 東崎先生はデスク整理の真っ最中であった。ファイルや資料を鞄に押し込んでいるのが見える。帰り支度だろうか。


「東崎せんせー、忘れ物置き場ってどこっすかー?」


 響弥の声かけに先生は顔を上げた。そして声の主である生徒に目を留めて、職員室の奥に指をさす。


「あの角の棚の横にある。なんだ、神永かみなが……また忘れ物か?」

「やだなー、友達の忘れ物っすよーん」


 響弥は軽口を叩きながら、東崎が指さしたほうに向かった。さすが、彼がいると話が早い。渉は親友のありがたみを感じながら、東崎先生を伺った。


「今から帰るんですか?」

「ああ、ちょっと家庭訪問にな……」


 家庭訪問。その言葉に、渉は大きく反応する。


「それって、松葉千里さんのところですか?」

「……お前らも、聞いたのか」


 聞いたのか、とはどういう意味だろうと思いつつ、渉は頷いた。


「家出ですかね……?」

「どうだろうなあ……不安定になる年頃だからなあ……」


 東崎先生は、隠しきれない不安を滲ませて苦笑する。

 千里の行方不明は、学校にも間違いなく届いている。おそらくC組生の前では、体調不良で通しているのだろう。しかし東崎の言葉から読み取れるのは、『行方不明』または『家に帰っていない』事実が、噂となって漏れつつあることだった。


「まあ心配するな。お前らも妙な気は起こさないように」

「はい……」


 渉は目礼し、東崎が職員室を出るのをその場で見送った。……さて、と響弥に視線を流すと、親友は首を横に振って両手で大きく罰点を作る。

 忘れ物置き場に、傘はなかった。

 学校に忘れたはずの千里の傘は、校舎のどこにもなかったのだ。

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