分散する思惑

 放課後になり、渉と響弥を含むいつメンは、学校近くのカラオケ店を訪れた。お馴染みのソファールームを選び、男子五人組で押し入る。

 ドリンクを持って席に揃うと、ゴウが慣れた手付きでタブレットを操作した。大画面にアイドルのライブ映像が流れはじめる。まずはライブ気分で観賞会をするのが、男子流の遊び方だった。

 渉は、もう見飽きているそれを眺めながら、ソファーに身体を沈める。


「なんで俺まで……」


 今日は凛のことが気になって、カラオケという気分にはなれなかったのに。四人に流されて連れてこられてしまった。


「なんだよ渉。凛ちゃんが来れなくて残念か?」


 隣に座る響弥にまんまと言われて、「そうじゃねえけど……」と渉は言葉を濁す。凛は今頃、千里の家だろう。一人で行くと言っていたけれど、できることならそばにいてやりたかった。


「橘さんも誘ったんだけどさぁ。見事に断られました」と、柿沼はこちらを向いて苦笑する。

 怪我人を誘うなと言いたいところだが、響弥を喜ばせたくて声をかけたのだろう。その結果がいつもどおりの、冴えない男の集まりになったと……。


「なあ響弥、それどうしたんだよ」


 渉は響弥の手を指さした。

 響弥は「いやぁ……」と笑いながら頭を掻く。その両手には、包帯がぐるぐると巻かれていた。


「実は体育のマット運び? したときに痛めちゃって……」

「はあ?」

「情けなっ!」


 渉に続いて清水が仰天する。どんだけひ弱なんだよ。お姫様抱っこで見直したと思ったのに。


「って思うじゃん? でもこれがきっかけで、芽亜凛ちゃんに手当してもらったもんねー! もう一生外せないな!」


 そう言って嬉々として、響弥は巻かれた包帯にキスをする。渉は保健室のことを思い出してギクリとした。

 ――手当? 本当に、手当してもらったのか……?


「ぬううううっ! このこのー!」


 柿沼が歯噛みしながら響弥に掴みかかる。ゴウと清水も一緒になってソファーに雪崩れ込んだ。


「重えよ。歌えよ」


 渉は彼らに潰されながらも呆れ顔で言う。

 清水たち三人は「はーい」と元気な返事をして、別の曲を流しはじめた。清水とゴウがマイクを握り、柿沼は合いの手を入れる。

 楽しい雰囲気を壊したくなくて、渉はため息を我慢した。それが疲れているように見えたのか、響弥は唐揚げをフォークに刺して「はい、ダーリン」と渉に向ける。渉はフォークを受け取って自分で口に運んだ。


「なあ響弥」


 鼻歌を歌いながらポテトをつまむ親友に、渉は問うた。


「転校生と、何かあった?」


 響弥はもぐもぐと口元を動かしながら、ゆっくりとこちらに顔を向ける。その表情に変化は見られない。

 んむ? と呑気な声を上げてポテトを飲み込むと、響弥は「何かって?」と首を傾げた。


「いや、だから……保健室で」

「んん? 告白の返事を再度言われたのと、この手当をしてくれたくらいで……え、なんで?」

「別に……、何となく気になったんだよ」


 渉はテーブルに前のめりになり、フォークに唐揚げを刺すことで誤魔化した。響き渡る歌声が、どこか遠くのものに感じる。

 響弥は何事もすぐに顔に出るタイプだ。だがこの反応を見る限り、本当に何もなかったのだろう。

 納得して、ちょっとだけ安堵する。


「まさか、渉も芽亜凛ちゃんのこと狙ってるの?」

「ゲホッ!」


 親友の斜め上を行く発想に、渉は唐揚げを喉に詰まらせた。コーラで流し込んで否定する。


「はあ? ありえねえだろ」

「本当か? 動揺してなかった?」

「んなわけないだろ。てか、渉『も』ってなんだ、もって。お前まだ諦めてないの?」

「そんな文字、俺の辞書には存在しない」


 典型的な一目惚れかと、渉はため息をついた。


「じゃあ本気なんだ?」

「ふふん。今回は、本気マジ


 今回、ね……。何度同じ台詞を聞いたことか。

 当たって砕け切らない男、神永響弥。その自信はどこから来るのか。親友の恋の行方を、渉は呆れるばかりであった。


    * * *


「歌い足りねえよー!」


 店をあとにして、清水が空に向けて吠える。釣られて見上げた柿沼は、「ラッキー、雨降ってねえな」と手のひらをかざした。気まぐれな梅雨の空は、灰色にオレンジ色を混ぜたように濁っている。


「響弥、門限大丈夫か?」


 厳しくなかったっけ、と渉は思い出したように尋ねた。

 あくびをしていた響弥は「ん、まあ……最近はそんなことねえよ」と鼻を掻く。響弥は中学の頃、午後五時までには帰るよう親に厳しく言われていたのだ。高校に入ってからはそんな縛りも解けてきたのだろう。


「じゃあバスすぐそこだし、また明日な」

「お先ぃ」


 バス通学の清水とゴウと別れて、渉たちは駐輪場に向かう。渉はスマホを取り出して、凛とのトーク画面を表示させた。

『ちーちゃんどうだった?』と送ったのが今から一時間前。――既読は付いていない。


「悪い、俺寄るとこあるから、ここで」


 そう言って鍵を外す渉に、響弥がすかさず反応する。


「なになに? 付き合うぜ」

「いいよ別に」

「なんで? 買い物だろ?」

「買い物じゃないけど……」

「何なら夜まで付き合うぜ」

「アホか」


 さっさと帰れ、とあしらう渉とのやり取りに、柿沼は「見せつけちゃってまあ!」となぜか鼻息を荒くする。そして、「邪魔しちゃ悪いし、俺は先帰るぜー」と、柿沼はペダルに足をかけて風のように去っていった。


「おう、またなー」


 渉はその背中に手を振る。

 ……五人からふたりに。

 こうして人が去っていく様子は、いつまで経っても慣れない。別れに苦手意識はないけれど、楽しい時間が過ぎ去り、こうやって静寂が増すのは寂しかった。


「で、どこ行く? 買い物? ホテル? デート?」


 無邪気に訊いてくる何も知らない親友を無視して、渉は凛に電話をかけた。

 千里の家に行きたいところだが、残念ながら渉はその場所を知らない。まずは凛に聞くのが先決だろうと思った。響弥は飼い主に甘えたい子犬のごとく大人しく待っている。


「……出るかな」


 不安をこぼしつつ、呼び出し音が鼓膜に響きはじめたそのとき、「えっ、」と渉は思わず声を漏らした。

 目の前の通りを突っ切る一人の女子生徒。短い髪を揺らして学校側へと走っていくのは、紛れもなく凛だった。

 渉は自転車のスタンドを蹴る。身体は勝手に動いていた。


「え? ちょ、渉! 俺、徒歩なんだけどーっ!?」


 背中で響弥の叫び声が聞こえるが、渉は構うことなく自転車を走らせる。

 ――なんで凛が学校に? 忘れ物だろうか? そんなふうには見えなかったけれど……。

 今日の予定を考えると、凛は下校後、千里の家を訪ねたはず。つまり、千里の家から学校にやってきたことになる。何か手がかりを掴んで……?

 考えているうちに校門前に差し掛かった。走ってきた凛は渉を見て目を丸くする。


「渉くん!?」

「凛、何やってんだよ?」


 全力疾走していたように見えたが、凛はまったくと言っていいほど疲れていなかった。さすが体力のある幼馴染である。

 しかし凛の顔には、別の焦りが浮かんでいた。


「渉くん! 傘……傘を探して!」

「傘?」


 幼馴染は叫んだ。いきなりどういうことだと、渉はわけがわからず当惑した。


「傘ってなんの……」

「ちーちゃんの傘だよ!」


 まもなくして、後ろから響弥が追いついてくる。疑問を浮かべる渉に、焦る凛、息を切らせる響弥。

 そんな三人を――少女が見ていた。歩道橋の上から見下ろしていた。

 少女。橘芽亜凛の長い髪が、風に吹かれてふわりと揺れる。

 夕闇に溶ける学校前を、一羽のカラスが見ていた。

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