第二話

次の日

「わったるー! おっはよーっす!」


 翌朝。ホームルーム前にE組に訪れた響弥きょうやは、一直線にわたるのもとへ元気な挨拶を振りまいた。

 渉は、はあ、とため息をつき、「お前ほかに行くところないの?」と思わず突っ込む。今日も今日とて空は灰色だが、雨はまだ降っておらず、渉の機嫌も通常モードである。


「うん? 俺は女の子大好きだけど、それ以上に渉を優先するぞ?」

「そんなんだからホモだのデキてるだの言われるんだろーが」


 響弥はニヤニヤといたずらな笑みを浮かべているが、実際は転校生の芽亜凛めあり目当てで来たのだろう。


「まあ渉の正妻はりんちゃんだもんなー。って、凛ちゃんは?」

「C組に向かったみたいだけど、見てないの?」

「あー、すれ違っちゃった?」


 凛を見たのは渉が登校したときだった。C組の廊下で一瞥しただけだったが、親友のちーちゃんこと松葉まつば千里ちさとのもとに行っているのだろう。日頃から委員長として校内を駆け回っているため、凛は教室外にいることが多い。

 ――少し顔色が、悪そうに見えたけれど。


「そういえば転校生の芽亜凛ちゃんは?」


 たちばな芽亜凛――六月の転校生。

 彼女の席には鞄が掛かっている。が、本人の姿は見当たらない。いればこうして見渡すまでもなく、目を引くだろうに。

 渉は「さあ、職員室じゃねーの」と適当に返した。「興味ないな?」と響弥に訊かれて、「ない」と即答する。響弥たち男子は夢中のようだが、正直渉は気にも留めていなかった。


「そういや転校初日で告った奴が五人いるって話、渉聞いた?」

「多いな」

「A組の安風やすかぜとB組の宮部みやべ、D組の田口たぐちと、E組からは村瀬むらせだってな」

「あと一人は?」

「俺」

「お前かよ!」


 信じられない勇者が目の前にいた。各クラス一人ずつ排出されてるのも恥ずかしい。いったいいつの間にそんな恋愛イベントが行われていたのか。

「ちなみに一番に告白したぜ」と、親友は得意げに鼻を鳴らす。


「結果は?」

「全滅!」

「転校生がまともな奴で安心した」


 さすがに初日で告白されて、はいオーケーですとはならないだろう。芽亜凛のような賢い子なら見抜けるだろうし手強そうだ。


「ほらほら今日の一限体育じゃん? 芽亜凛ちゃんの体操着姿を拝めるぞ!」

「ああ、今日はC組と合同か」

「今から楽しみで仕方ないね!」

「振られたのに懲りてない奴……」


 二年生は五クラスあるため、E組の合同相手はC組とD組が交互に来る。本日は響弥や千里のいるC組が相手らしい。女子の体操着姿に興味はないが、C組には響弥のほかにも仲のいいメンバーがいる。いつもよりは楽しくなるだろう。

 渉は教室の時計をちらりと見て、「テストはじまるぞ」と響弥を促す。

 藤北ではホームルーム開始前に小テストが行われる。成績には響かないが、それまでに席に着く必要があるのだ。


「やっべ! またあとでな!」


 響弥はそう言い捨てると、慌てて教室を出ていった。体育で合流しようという意味だろう。まったく、朝から忙しい奴だ。

 そうして彼が出ていった扉をぼうっと見つめていると、入れ替わるようにして芽亜凛が入ってきた。……やはりどこかに行っていたようだ。


 ――まさか凛と同じくC組に?

 渉は一瞬そう思ったが、凛は芽亜凛よりも早く席に着いていた。響弥と話している間に戻ってきていたのか。彼女の小さな背中は、なんとなく、落ち込んでいるように見えた。

 芽亜凛は凛の隣に着き、彼女に声をかける。


「凛、顔色があまりよくないみたいだけど、何かあった?」

「……うん、ちょっとね……。あとで話してもいいかな?」


 むろん、彼女らの会話は渉には聞こえない。ただ二人の様子を窺い、注視するだけ――

 しかし視線を感じたのか、芽亜凛の目だけがこちらにぎょろりと移動した。よく切れるナイフのような目つきに、渉はビクリと動揺する。


(……見てたの気づかれたかな)


 すぐに顔を逸らしたが、目線はばちりと交差していた。だが再び、恐る恐る見たときには、芽亜凛は背を向けて筆記用具の準備をしていた。

 何事もなかったかのように予鈴が鳴り、渉はほっと胸を撫で下ろす。息が詰まりそうな緊張感は過ぎ去り、日常の空気が帰ってくる。


 小テストの内容は完全にランダムだ。数式問題のときもあれば、漢字の読み書きのときもある。テストが終わると、担任の石橋いしばしが手短な話をして、ホームルームは終了する。

 外を見ると、雨が降りはじめていた。今日の体育は、男女共に室内で行われるだろう。凛と話をしたかったが、着替えと移動とでそんな時間はない。

 きっと何かあったのだろう。渉は凛の後ろ姿を見て、そんなふうに思った。幼馴染の勘が、不安の警告音を奏でていた。

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