きみと最後の帰り道

 初夏の空はまだ明るく、ただまっすぐ帰るには早すぎる。

 そんなわけで三人は、学校近くで経営されている屋台に寄ることにした。そのすぐ脇にショッピングモールがあることから学生に人気で、藤北の生徒もよく訪れるたこ焼き屋だ。

 同じ味を三つ頼み、凛は空を見上げた。


「雨降ってなくてよかったね」

「そうだねぇ、日中酷かったもんね。あ、おじさんありがとー」


 千里はたこ焼きのパックを受け取って、凛と芽亜凛に順に渡した。作り置きされたたこ焼きはちょうどいい温度で、すぐにでも食べられそうである。

 前方のベンチに並んで腰を下ろし、千里は「ああ!」と言って立ち上がった。凛と芽亜凛は、何事かと彼女を見る。


「傘、学校に忘れちゃった……」


 あうう……と千里は残念そうに肩を落とす。帰りが晴れになるとつい傘を置き忘れてしまうのは、どこの施設でもあるあるだろう。凛は再度空を見上げて、「降りそうにないけど、どうする?」と訊いた。


「いいや。誰も盗まないでしょ」

「だといいねぇ……うまあ!」


 凛はたこ焼きを口に入れておいしそうに頬張った。芽亜凛もひとつ口に運ぶ。


「おいしい……」

「でしょー!」


 千里は自分のことのように嬉しがって、「おじさーん! おいしいって!」と、たこ焼き屋に向かって手を振った。店主のおじさんは照れくさそうに手を振り返す。

 三人はぺろりとたこ焼きをたいらげると、芽亜凛に家の方角を確認しながら帰路を進んだ。

 凛と千里は学校の話を伝授した。月の行事やテスト、教師のよしあしなど。この先どんなイベントがあって、どんな楽しみがあるのか。

 少女らの時間は、あっという間に過ぎ去った。


「じゃあ、私こっちだから」


 分かれ道に差しかかって、凛は自分の通学路を指さす。「芽亜凛さんは?」と千里が訊くので、芽亜凛は「私はこっち」と、もうひとつの道を指さした。

 指したのは、千里と同じ方向だった。


「えーっ! 私だけ一人ぃ……」


 凛はわかりやすく落ちこんだが、親友は快活に笑い飛ばす。寂しがってくれるのが嬉しいのだ。芽亜凛も柔和な笑みを浮かべた。


「じゃあ凛ちゃん、またね」

「うん、また明日!」


 別れの挨拶を告げて、別々の道を歩いていく。千里と芽亜凛の帰路は人通りが少なく、車もあまり見ない地域だった。

 陽の沈みと共に徐々に暗くなる道を、二人は並んで歩いていく。


「芽亜凛さん、越してきたのはいつだっけ?」


 千里は好奇心のおもむくまま尋ねた。芽亜凛は「今年の、二月頃」と静かに答える。


「前の学校は親が決めちゃって……なんだか合わなくってね。一人暮らしをはじめたの」

「わあ、すごいなあ……うちなんて親が許してくれないよ」

「大事にされてる証拠じゃない」


 千里は「そうかな……」と苦笑して、落ち着きなさそうに芽亜凛の顔を窺う。


「珍しいなあ。この辺の生徒、あんまり見ないんだよね」


 昔から住んでいる千里は、ここがどんなにひと気のない場所かを知っている。今だってすれ違う人は極まれで。家が建ったり、誰かが越してきたりすれば、すぐにわかりそうな過疎地域なのだ。

 しかし芽亜凛も知っていた。ここの防犯カメラが、非常に少ないことを。

 妙な沈黙が続いているうちに、一軒家が見えてくる。千里は、ここが家ですと言わんばかりに立ち止まった。


「芽亜凛さん、もしかしてうちと家近かったり?」

「どうかな……」

「うーん、この辺で引っ越してきた話聞かなかったんだけどな……。逆にもっと遠くとか? 一人で大丈夫?」


 闇が深まる梅雨の空を、千里は心底不安そうに見上げた。ここよりも遠くとなれば、自転車通学でも十分許可が下りる距離となる。

 芽亜凛はぱちりと瞬きをして、「平気」と短く告げた。


「そっか、ならいいんだけど……。うち、ここだから」


 一軒家を指さす千里に、芽亜凛はやはり瞬きで応じる。

 電信柱の上に、一羽のカラスが降り立った。

 千里は、心配と疑念を伴った顔で、「じゃあ、また」と小さく手を振る。


「ええ、また」


 芽亜凛は、千里の姿が完全に見えなくなるまで見つめていた。

 彼女のくぐった玄関の扉が閉まり切るまで、ずっと。


「…………」


 梅雨の転校生は終始、扉を見つめた状態で立ち尽くしていた。その大きな瞳は瞬きひとつせず松葉家を捉えていた。

 やがてくるりと踵を返し、芽亜凛は逆方向に向かって進みはじめる。今通ってきたばかりの道を、静かに一人で戻っていく。

 誰もいなくなったその場所に、カラスの鳴き声だけが響いていた。




 後日、松葉千里は学校を休んだ。

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