昼休み
委員長がそばにいればわからないことでもすぐに訊ける。そんな配慮が働いたのか、芽亜凛の席は凛の隣になった。教壇から見たとき意外と目の付かない席は、最前列と両端である。廊下側から二列目、前から三番目のその場所は、つまるところよく目立っていた。
芽亜凛は毎時間、一度は指名されるほど、教師たちから持て囃されていた。国語、数学、英語、日本史。指名されるたびに黒板前に立ち、しなやかな指先でチョークを手にする。迷いのない解答。筋の通った説明。黒板に刻まれる文字は美しく読みやすく、クラスメートを感嘆させた。
(へえー……頭いいんだ)
あんなふうに順序立てて難なく問題を解く生徒は、少なくともこのクラスにはいない。興味なしといった態度で見ていた渉も、ある意味では関心を示した。各教科を担当する教師たちも、さぞご満悦なことだろう。転校生という珍しいものに、みんな気を緩ませていた。
そして、現在。昼休みを迎えた二年E組の教室と、その前の廊下は、他クラスの野次馬でごった返している。
目当てはただひとつ。容姿端麗、頭脳明晰な噂の転校生だ。
「よろしくね橘さん!」
「ねえねえ、彼氏っている?」
「すっごい美人だよねー! 親が芸能人とか?」
「髪のケアって何かしてる? すっごいサラッサラ!」
席に着く芽亜凛の周りはまさに今、バーゲンセールよろしく人で溢れ返っているところ。クラスの女子はもちろん、他クラスの生徒を含めた質問コーナーのようなものが開かれている。転校生を一目見るため、絡むため、仲良くするため。欲望渦巻く教室は、凄まじい熱気に包まれていた。
当の本人は、女子の質問攻めに困った顔をして笑っている。
「彼氏なんていないわ。両親とは離れで、今は一人暮らしなの。髪は一般的なことしかしてないわ」
「うっそー!」
「一人暮らし!? すごーい!」
「えー! じゃあじゃあ――」
次から次へと湧く黄色い声に、渉は頭が痛くなってきた。それ以外の男子たちも、廊下で指を咥えて見守っている。
それもそのはず。現在教室には女子しかいない。その椅子借りたいんだけど、男子は出てってくれる? と理不尽にもほどがある言い草で、E組男子の席は奪われてしまったのだ。
よって男子はみなお預けを食らった犬のごとく、教室前の廊下に群れていた。前後の扉や窓から覗いている者も多く、渉もそのうちの一人だった。
「なんて横暴だ……」
「なんて可憐さ!」
渉の呟きに被せるようにして、隣で親友――
「お前もよく嗅いでくるな」
「そりゃあ当然! こんだけ話題になってりゃ見に来ますともー!」
たとえこれほどの話題性がなくても響弥は現れていただろう。彼はどんなに些細な噂話にも敏感に乗る。そのほとんどが渉とこうして談笑するためではあるが、しかし相変わらず鼻は利くらしい。
響弥のクラスは二年C組。E組から隣の隣のクラスに当たるが、この様子だと転校生の噂は一番先のA組にまで届いているだろう。
「ううーん、こんな時期に転校生とは……まさに梅雨の女神! 俺に微笑んでくれぇ!」
「気持ち悪い」
「俺のセンサーはいつだって正常だぜ? ビンビンだぜ?」
「だったらその粗末なセンサー使って彼女の一人でも捕まえてこい」
「それが残念。電波が強すぎて女の子は逃げちゃうんだよねえ」
「使い物になんねえな……」
「ちなみに三分間しか機能しない」
「消耗が激しい」
「ラーメンタイマーには使えるぜ?」
「ラーメンと女の子を比べるな」
いつもの調子で会話が弾む。響弥とは中学からの付き合いで、唯一の親友と言える仲だった。ボケてばかりの響弥に渉が突っこむ、慣れ親しんだ光景。いい加減な奴だが、かけがえのないムードメーカーでもあった。
渉は、やれやれと眉間を押さえるついでに、響弥の持つビニール袋に目をやった。中身は売店で買ってきた昼食のパンだろう。
「食べないのか?」
「ん? いやぁ、立ちっぱで食うってのもお行儀がよくないだろ? もう少しここにいたいけどさぁ……」
そう言いつつ響弥は焼きそばパンを取り出し、別クラスのほうに親指を向けた。
高校に入ってからおしゃれをはじめて、見た目も多少チャラついているのに、マナーに律儀なところは彼の人柄が見えている。――肌着の代わりに体操服をいつも着ている点は、おしゃれとはほど遠いが。
どんなに席が恋しくても座れないのなら仕方ない。渉は響弥の意図を読んでC組に向かうことにした。
「あの子なんて名前?」
「転校生? 橘芽亜凛、だったかな」
「ほうほう、芽亜凛ちゃんかあ」
人混みを掻き分けながら響弥は尋ねる。ナンパでもする気か……と渉は響弥を睨んだ。
廊下はまるでアイドルの出待ち状態。流れに逆らう物好きは渉と響弥くらいで、先へ行くのもひと苦労だ。響弥はパンが潰れないよう袋を上げて、渉はその後ろを付いて進んだ。
「あれ? 渉、弁当は?」
「追い出される前にもう食べた」
「いいよなあ。凛ちゃんからの愛妻弁当」
「愛妻って……」
ただの幼馴染だっつーの。そう心で呟いても、渉はつい満更でもない顔になってしまう。
渉の昼食は、いつも凛が用意してくれる手作り弁当だ。最初は作りすぎたからという理由で受け取っていたけれど、今じゃもう「私が作るから!」と言って聞かない。しかし響弥のように嫁だの愛妻だのと、たびたびクラスメートからもいじられるので、昼休みになったらすぐに食べはじめている。
まあ凛の弁当作りは、料理が得意な渉への対抗心みたいなものだろう。渉は別に自分で作ってもいいのだが、凛が作りたいと言うので、そのご厚意に甘えている。都合よく解釈するならば、花嫁修業か……。
「おや? 噂をすれば」
やっとの思いで人混みを抜け出すと、廊下の向こうから凛がパタパタと駆けてきた。おそらく委員長の仕事で職員室から帰ってきたのだろう。
響弥は手をメガホンのようにして、「委員長さーん、廊下は走っちゃダメですよー」と間延びする。凛はふたりの目の前でキキーッと停止した。
「ん、渉くんっと響弥くん。ちょっと慌てててね、教室すごいことになってない?」
「なってるなってる。超なってる」
親友と揃って頷くと、凛は「あっちゃぁ……」と肩を落とした。
「校内案内するって言ったんだよねぇ。そっちは?」
「C組」と、渉は目的地を指差す。
「ああそっか、おっけ。んじゃ私急ぐから! 響弥くんもまたね!」
「ほいほーい。凛委員長は大変だねえ、いってらっしゃーい」
手を振って見送ると、凛はその小さな体躯を人混み地獄へとねじこんでいった。職員室で予定を聞いたり提出物をチェックしたり、クラス委員は昼休みでも忙しい。転校生一人でこんな騒ぎになってしまっているし、今日はいつも以上に大変だろう。
(校内案内ねえ。いつの間にそんな約束したんだか……)
隣の席同士、すでにいろんな話をしているのか。単に女子クラス委員として、先生から任されている可能性もある。面倒見のいい凛なら、言われなくても動きそうだけれど。
二年C組の教室は人一人いなかった。閑散とした光景に、思わず「誰もいねえ……」と声が漏れる。席の間には鞄が乱雑に放られているし、みんな弁当や財布だけ引っ張り出して、E組方面へと消えていったのだろう。
先導していた響弥はこちらを振り向いて、にっこりと妖しげな笑みを浮かべた。
「ふたりっきりだね渉っ」
抱き着こうとする親友を軽く避けて、渉は奥の席へと腰掛けた。
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