第6話 デート
それから三日。文化祭は大盛況で幕を閉じた。売り上げ一位はもちろん薫たちのクラス。売り上げ金額は他のクラスと桁が違っていた。クラスでの打ち上げも終了し、学校の文化祭ムードも落ち着いた一週間後。薫にはまだ問題が残っていた。
土曜日。美奈は美人とともにショッピングモールのチェーン喫茶店である人物を待っていた。人々の視線はそのテーブルへと集まるが、美奈は気にしない。もう一人の美人は俯いたまま周りなんて見えていない。頭の中はこれからのことでいっぱいだ。
「あっ、やっと来た。五十嵐。こっち」
美奈が店に忙しなく入ってきた目的の人物に気づき、声をかける。その人物もその声に気づいて美奈の姿を見て顔を歪めて近付いてきた。
「なんでアイツのツレのテメェが」
五十嵐はいかにも気に入らないという風に吐き捨てる。その視界には美奈しか映っていない。
「その言い方は気に入らないけどまぁいいわ。用事の入ったアイツに代わって連れてきたんだからちょっとは感謝したらどうなの」
美奈が美人の方を向く。その視線を追い、ようやく五十嵐は美人に気がついた。
「……あ、あなたは……」
美人がびくりと肩を跳ねさせたあと、ゆっくりと顔を上げ、五十嵐の顔を数秒見つめた後、控えめに微笑んだ。
「は、はじめまして。笹原かお……香織、です……」
恐る恐る発された声は一度聞いただけでも忘れることのなかった艶のある美しい声だ。彼女によく似合う。
「香織……さん……お、俺は五十嵐圭吾っていいます! 今日はお会いできて嬉しいっす!」
五十嵐の顔は真っ赤である。その反応に笹原香織こと薫はほっと息をついた。バレているのではとヒヤヒヤしていたが、今のところその心配はなさそうだ。
「じゃ、アタシの役目は終わりね。帰るわ」
「えっ! 美奈ちゃん帰っちゃうの?」
その呼び名に美奈は笑いそうになるの必死で堪えた。ここまでしてバレたくないのか、と思い、茶番に付き合うことにした。ただし、大きなイタズラとともに。
「えぇ。ぜひ彼と楽しい時間を過ごしてください、香織さん。モデルをやっていたアナタならこのくらいどうってことないですよね?」
薫が固まった。その表情に満足したのか、美奈は二人にもう一度一言別れを告げてその場を立ち去った。会計は五十嵐にこっそり押し付けて。
五十嵐は美奈の意図に全く気づかず、これ幸いと話題として提示した。
「モデル、やられてたんですか? いや、それほど美しいのに当然ですよね」
「い、いえ! そんな、モデルなんて大層なものじゃないんです! 母の手伝いで少しだけ……」
「お母様は何を?」
「洋服ブランドを……そ、そんなことより、今日はどうして私と? 弟からあなたと会ってほしいと頼まれたのですが……」
薫は慌てて話題を変える。薫にとってこのまま続けていたい話題では決してないのだ。
「あ、あの、それは…………お、覚えてらっしゃらないかもしれませんが、一度落し物を拾っていただいたことがありまして……その……お礼と……あの……」
「落し物、ですか? ……あぁ! もしかして、先日ブレスレットを落とされた……」
「そう! そうです! 覚えててくださったんですね。あのときは本当にありがとうございました」
「いえ。あれ、お高いものでしょう? 傷などは大丈夫でした?」
「全然! 全然大丈夫です!」
フライング気味に答えた五十嵐に薫は小さく笑う。五十嵐がこんな人物だとは薫にとって衝撃的だった。だが、五十嵐にとっても初めてのことであった。いつも女をモノのように扱ってきた自分がたった一人の女性の前でこんなに慌てることとなるとは。実際は女性ですらないのだが。
「あの、笹原さんは……」
「五十嵐さん。私のことは香織でいいですよ。それに、敬語もいりません」
「いや、でも……」
「お願いします。そんなにかしこまられちゃ私も疲れるもの」
「じゃ、じゃあ、笹は……か、香織さんも……」
「分かったわ。お互いに敬語はなしね。圭吾くん」
最初こそ固かった二人であるが、いつの間にか溶け合い、楽しい一日だった。薫は自分を女性扱いする五十嵐に罪悪感があったりもしたが、それ以上に二人で過ごすのが楽しかった。
文化祭以降、学校でも距離が縮まりつつあった二人は休日にも何度か共に過ごした。あの日も、二人でデートをしていたのだ。
「ひったくり! ひったくりよ! 誰か捕まえてちょうだい!」
街中に響き渡る女性の悲痛な叫び。声の方を振り向いた二人の方へ向かって人を押しのけながら走ってくる男が一人。その手には女性物のバックが握られていた。五十嵐は周りを見渡す。自分たちがそれなりにガタイのいい男に適うはずないと。だが、薫は違う。ゆっくりと息を吐き、構えを取る。男は薫を女だと思い、そのまま突っ込んできた。だが、相手が悪い。一瞬だった。気がつくと、男は倒れていた。薫は傷一つないどころか一歩たりとも動いていない。
「女だと思って舐めてたんでしょうけど……残念。僕、男なんです」
立ち上がろうとした男を抑え込む薫はニッコリと笑みを浮かべるが、その目は笑っていない。男に湧き上がるのは恐怖と後悔。
「誰か、警察に通報をお願いします」
その指示に止まっていた時間が動き出した。スーツの男性が警察に電話する間、薫を賞賛する拍手と喝采が巻き起こる。追いついた女性は何度も何度も頭を下げた。だが、一人、その場の空気にそぐわない者がいた。
「…………笹原……だったのかよ……」
低く呟くように吐き出されたその言葉に、ハッと薫は声の主を見上げる。
「あの、五十嵐くん、これは……」
「俺を騙して楽しかったか!? ああ、そうだよな! 楽しかったよな! お前のこと散々バカにしてきた俺が無様に騙される様はさぞかし楽しかっただろうよ!!」
「違っ、そんなこと一度も」
「もう二度と俺の前に現れんじゃねぇ。キモチわりぃ」
五十嵐から溢れるのは嫌悪と怒り。氷点下の視線を向けられた薫は固まり、背を向けて立ち去る五十嵐を追いかけることが出来なかった。
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