第4話 文化祭ー朝ー

 バタバタと準備に奔走した日々はあっという間に過ぎ去り、遂に当日を迎えた。男子のメイクを担当するのは女子であったが、薫は自分でやることになっていた。元々は美奈がやるはずだったのだが、教室での練習中に色々と口出ししてくる薫に耐えかねて美奈が盛大にキレたのだ。クラスメイトたちがいる前で。そんなに言うならアンタが自分でやればいいでしょ。その言葉に他の女子たちが食いついた。理由は姉のメイクを手伝わされることがあると適当な嘘で誤魔化したが、あっという間に薫がメイクを出来ることが広まった。そして、薫のメイクは自分で担当することとなったのだ。だが、当日になって新たに問題が起こった。五十嵐を担当するはずだった生徒が登校中に事故に遭い、遅刻するとの連絡が入ったのだ。ギリギリで準備の予定を立てていたこともあり、メイクを出来る子は全員時間が無かった。

「僕が引き受けるよ。だから、みんなは自分たちのことに集中して」

 名乗りあげたのは、薫である。女子の間に不安が広がる。メイクを出来るということで薫は自分を担当することになったが、まだその手腕が披露されたことは無かった。出来るとはいえ慣れてはない薫がどれほど出来るのか、どれほど時間がかかるのか分からない。だが、美奈が何も言わないのに、薫に何か言える人物はそこにはいなかった。そして、五十嵐のメイクも薫が担当することとなった。


「五十嵐くん。メイクする前に着替えてほしいんだけど……」

 教室の隅で不機嫌そうに座っていた五十嵐に薫が声をかけた。その言葉に五十嵐の表情はさらに曇る。そして、薫を睨みつけた。

「ハァ? テメェが先にやれよ」

「えっ? いいけど……じゃあ、先に僕が準備終わらせるよ。一緒に来て。みんなを驚かせたいからさ」

 そういうと薫は二人分の女子制服と美奈のメイク道具を抱えて五十嵐の腕を引っ張って教室を出た。もちろんこのメイク道具は薫本人のものであるが、そのことを知っているのは美奈だけだ。最初は抵抗した五十嵐であったが、薫の腕を振り払うのが容易ではないと分かると、次第に力が抜けていった。

 されるがままの五十嵐を薫が連れていった場所は男子更衣室であった。

「今日、ここを使う予定はないから大丈夫。鍵はこっそり借りてきちゃった」

 五十嵐の眼前で鍵をふらふらと揺らしたかと思うと、その鍵を使って中へとはいり、そして、内側から鍵を閉めた。

「ちょっとそこのベンチで待っててくれるかな。すぐに終らせるから」

 そう言って扉と同じ列にあるベンチに五十嵐を座らせ、自分はロッカーを挟んだ裏側に回った。この更衣室にはロッカーが四列配置されている。両壁に一列、その中心に背中合わせで二列だ。そして、壁のロッカーと真ん中のロッカーの間にベンチが並べてある。

 二人の間には沈黙が流れる。音という音は時折薫の鳴らす衣擦れの音やカチャカチャとプラスチックがぶつかるような音だけである。校舎の騒然とした感じが嘘のように静かな空間に五十嵐は気が狂いそうであった。なぜ自分が最も嫌いな生徒会長とここにいるのか。やりたくもないことを無理やりやらされなければならないのか。勝ち組である自信が、なぜ。

 その間の時間は実際には十数分。けれど、五十嵐には途方もなく長い時間のように感じていた。

「五十嵐くん?」

 その言葉にハッとした。そして、自分の顔を覗き込む人物にひどく衝撃を受けた。なぜこの人がここに――

「待たせてごめん。僕の準備はもう終わったから今から君の準備をするけど……いいかな?」

 頭がようやく追いついた。いや、声を、言葉を聞いてようやく理解はしたのだ。しかし、たったそれだけだ。目の前にいるのは自分の大嫌いな生徒会長。だが、確かにこれはあの人であり、けれどあの人であるはずが無く、五十嵐の脳内はショート寸前であった。

「……お……まえ…………あの……ときの……」

「どうしたの? なんか変かな。僕結構姉さんと似てるって言われるからそれなりに見れるものになると思ってたんだけど」

 姉さん。あぁ、あれはコイツの姉だったんだ。

 五十嵐の胸は安心感で埋め尽くされていく。自分は正常、決して道を踏み外してなどいないのだという安心感。

「先に着替えて貰っていいかな。着替えてる時にメイク崩れちゃったらもったいないから」

「お、おう」

 自分が惚れていたのは大嫌いなヤツの姉だということは複雑だが、そんなことより勝っていた感情により、五十嵐の正常な判断は奪われ、薫に言われるがまま従う従順な人形へと成り下がった。

「出来た。うん。五十嵐くん元がカッコいいからすごく映えるね」

 あっという間に制服を着替えさせられ、メイクを施された五十嵐であったが、あの人とそっくりの容姿で褒められて悪い気はしなかった。むしろ気分がいい。だが、そんな幸せなひとときも目の前の人物によりすぐに壊されることとなる。

「ほら、君も見てよ。すっごく素敵だよ」

 五十嵐はキラキラとした笑みを浮かべる薫に立たされ背中を押されて、更衣室の隅に設置された男子にはあまり使われない小さな水道と鏡の前へと連れていかれた。そして、そこに映った自らの姿に全てが吹き飛んだ。

 出来は薫の言う通り上々。元々ルックスのいい五十嵐に腕のいいメイクが合わさって周囲の女子よりもずっと可愛い。そう。可愛いのだ。練習時は男らしさを残した雰囲気で、五十嵐であることが判明する程度であった。それもそれで恥ずかしいのだが、鏡に映るのはまさしく別人であった。身長こそ高めであるが、それを生かすクール系やボーイッシュ系ではなく、紛れもないキュート路線。後ろから肩越しに覗き込む自分より背の低い薫は美人系であるのに、自分がこうなるとは全くの想定外である。

「これが……俺……?」

「うん。とっても素敵だよ」

「……これで……人前に出るのか……?」

「そうだね」

「いや、無理無理無理無理絶対に無理だ!!」

「そんなことないよ。すっごく素敵だし、そう簡単に五十嵐くんってバレないから大丈夫だって!」

「絶対無理だ!!」

「往生際が悪いよ。ほら、みんながまってるから行こうよ」

「無理だっつってんだろうこのクソ会長!」

 息を切らして声を荒らげる五十嵐に薫一つため息をついた。

「分かった。とっておきの秘訣を教えてあげます」

「ハァ?」

「なりきるんだ。君は今から男の圭吾ではなく、女の圭。大丈夫。堂々としていればきっとバレないから」

 ね、簡単でしょう?

 そう言って笑う薫に五十嵐は怒りを覚えたが、ふと思い直した。そして、薫に条件を提示する。

「わかった……文化祭の間俺が乗り切ったら、テメェの姉貴に会わせろ」


「それで、会わせる約束したわけ。居もしない姉と」

 薫は常に美奈の悩みの種となるのだ。彼女は彼に真面目に付き合うことが無駄だと早々にわかっており、幼い頃にすでに諦めるという術を習得している。自分に被害が来そうなことには関わらないという術も。

「だって、あんな真剣な顔の五十嵐くんに応えないわけにはいかないよ」

「はいはい」

「それにあんな傑作を表に出さないなんてもったいないじゃないか」

 傑作。確かにクラスメイトから囲まれている五十嵐は薫に負けず劣らずの美しさ。間違いなく傑作だろう。薫は自分の化粧の腕を再確認した。

「はいはい。自分も他人も飾れてよかったわね」

「美奈もカッコイイよ。よく似合ってる。サイズがあってよかったね」

 その言葉に美奈から拳が落とされる。薫は拳が落された頭を抱えて蹲った。

「一言多いのよアンタは」

 美奈は不機嫌そうに薫の側から離れる。恐らく、まだ準備をしている厨房担当を手伝いに行ったのだろう。その途端、薫もクラスメイトに囲まれたため、それ以降開店までに二人が話すことはなかった。

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