夢のような美少女と話ができたなら
いや正確には、とんでもなく俺のタイプな女の子がそこにいた。
人の好みはそれぞれだから。
サラサラした栗色のショートヘアに、蝋燭の光がキューティクルとなって細かく揺れ、好奇心をありありと表す、髪と同じ色の大きな瞳。
口角の上がったツヤツヤの唇から覗く、象牙色の整った歯並び。
すっと通った鼻筋から視線を落としていけば、細い首筋から鎖骨と双丘に挟まれたラインを通って、襟の開いた革のジャケットに収められていく。
タイトなジャケットはアスリートのように引き締まったウエストに合わせられていて、それと比べるとバストは、少しばかり苦しそうにしていた。
とまぁ、この100ルクスもあるのかないのかな空間でチェックできたのは、
女切れして数年の時が蓄積させた俺のいやらしさのせいなのだろうが。
彼女の注意は幸い、俺の伸びた鼻の下よりもよっぽど長い食器、
すなわち箸に興味が向けられている。
箸の持ち方には、なお理解に困難を極めているように眉根を寄せていた。
俺は咳払いを一つして、気を取り直すことにした。
「お箸です」
「?」
「チョップスティックス、ユーノー?」
英語まで追加して、小馬鹿にしたようで我ながら申し訳無さを覚えた。
彼女は「お箸? お、は、し?」とオウム返しにするだけで、後半は何を言ったのかわからなかったようだ。
渋谷か新宿のドイツ酒場に紛れ込んだ帰国子女のコスプレファンを相手にしているのだ俺はきっと。
大丈夫大丈夫。
どちらかというと、俺自身のほうが浮いている。
中世に現れた未来人のコスプレイヤーが俺だ。
俺が愛用しているセカンドハンドのワーキングジャケットですら、
周りから見れば時代錯誤も甚だしい超最新のデザインなのだ。
ゴムとかジッパーの無い時代の服装をした人たちが、俺を取り巻いている。
辺りに漂う濃い体臭をはじめとした、匂いが改めて自分の置かれている状況を思い知らせてくれるようだった。
「フーン。これで食べ物を挟むんだ。手は汚れないね」
彼女はポテトチップスの油とのり塩がついた指先を、もう一方の手に持ったパンで拭くようにして、一口分ちぎっては口に運んだ。
パンと言っても食パンのような真白でない、皮の厚い、黒ずんだ、現代人にとっては通好みの田舎パン。
唾液で柔らかくしてようやく食べられるような代物だった。
「挟むだけでなく、柔らかい食材なら切ることもできるし、行儀は悪いが刺すこともできる」
ポテトチップス二枚の残り半分を咥えて、くちばしの壊れたアヒルの真似をしながら、上下合わせてカチカチと鳴らした。もちろん、これもマナー違反。
「へぇうまいものだね! そうしたら、スープはどうやって飲むの?」
「スープは無理だね。汁物は掬えないから」
口に挟んだポテトチップスは、さっさと飲み込んで答えながら、周囲の席を見回した。
木皿に盛られているのは、きっと肉と野菜を煮詰めただろう液体で、
俺が持っている箸は、その場には不適な食器だった。
木のヘラにくぼみを彫った粗野なスプーンが確かに適していた。
「だから、どうしてコレを使っていたのか気になっていたんだ。キミのこと、教えてもらってもいいかい?」
彼女の笑顔は、このやり取りが質問なのだろうか、何かの尋問なのだろうか俺に判然とさせないでいた。
「俺がオフィスのデスクで、サービス残業の傍らポテチをつまみにノンアルコールビールを飲みながら、担当ソシャゲのKPI分析をしていたら、キミの前にいたって告白したら信じるかい?」
俺は魔術のような単語になんの注釈も加えることなく、スラスラと答えて彼女が困惑した顔をするのを待ってみた。
事態の説明に何も嘘を交えていないのだから、真実でなければ幻想、もしくは俺の狂気にすぎない。
真実だったとしたら、俺の人生これまでこそが幻想なのかもしれない。
「信じるも何も、はじめから疑ってなんていないよ? 何にもね」
彼女は目を細めて笑い、俺の左手を掴むと、とても慣れた手つきで親愛の意を表した。
「えーと、細かいことは省くけど、ボクの前に来てくれたんだね。ようこそ、パノプティコンへ。キミにはとても興味があるな。一緒にお話しよう?」
彼女の指の柔らかさが俺の手の甲に伝わり、その温かさに現実感が高まっていく。
「あ、それともキミの口説き文句だった? それだったら気づかなくてゴメン」
「そんなつもりは」
「だろうね。よかったよかった」
彼女は振り返り、通りがかりのメイドからジョッキを二杯受け取ると、俺と彼女の前に一つずつ置いて俺に勧めた。
「キミさっきビールって言っていたよね。ビールは好き? それなら、ココのビールを試してみて欲しいな。
組合が厳しい規制を利かせているから、品質はお墨付き。鮮度は開封後の時間次第」
俺はジョッキを覗き込み、泡をフッと吹き寄せて濁った琥珀の液体を認めると、恐る恐る口を付けた。
パンを食べる感覚を思わせる濃い小麦の味わいと、口の中でゆっくり立ち上るほのかなハーブの香り、
そして常温によって早々と引き起こされる軽い酩酊。
低く唸った俺を満足気に見て、彼女も一口……ではなく、何度か白い喉を動かして嚥下した。
「ぷはっ♪ キミは運がいいね。今日は当たり。なんでも新しいものはいいね。それはおごりだから構わず飲んで。キミが面白い話を聞かせてくれるって、ボクは知っているから」
「えーい、ままよ」
と、古臭く切り替えると、俺はもう一口ジョッキに口をつけた。
酔いが回れば口も回ることだろう。
「俺の国では、酔わないビールが発明されていてね」
俺はこう話を切り出した。
「その気になれば朝から晩まで、ところ構わず飲んでいられるんだ」
「へぇ! それはいいね。じゃあずっとお祭りできるね。酔いつぶれる人もないなら、飲み屋の芸人は持ちネタを出尽くして、さぞかし困るんじゃないかな。それとも芸人の数がスゴイことになってるとか」
「いやいや、そんなことはなくて年中お祭りの逆。ずっと飲みながらお仕事ができるってことなのさ。酔いつぶれたほうがよっぽど幸せというヤツ」
「飲み始めたらお祭り、酔いつぶれるまでがお祭りじゃないかぁ。それじゃ何を楽しみに働いているのさ」
「さあね。酒のマズイ国だよ、まったく。事実、祭りは減る一方、気詰まりする人が増える一方で、お先真っ暗だね。ここに来て良かったかもしれない」
「そうだね。ちょうど、ここは今から良くなっていくところだから、キミにとっては良かったんじゃないかな」
「今から良くなっていく?」
「そうだね。まだ細かい心配事はあるけれども、これからきっと良くなっていくさ」
彼女は自分に言い聞かせるように繰り返すと、もう一度勢い良くジョッキを呷るのだった。
店の奥からはクラシックで慣れた耳にはクセのある民謡的な音階の歌が聞こえはじめ、スプーンをリズムに使う独特の合奏に俺はしばし耳を傾けた。
一度、下北沢のパブでアイリッシュの即興ライブを聞いたことがあるが、確かこんな感じだった気がする。
「君は音楽がわかるのかい? ボクもこんな歌を知っているよ。キミの名前はなんてぇの♪」
彼女が突然歌い出し、俺は耳を傾ける方向を変えて、続きを待つ。
彼女と見つめ合うこと、しばらくして恥ずかしそうに口を尖らせた。
「んー、違うよぉ。コレじゃボクが滑ったみたいじゃないか。ちゃんと歌い返してこなきゃダメだよ」
と、人差し指でおいでおいでしながら、彼女は同じフレーズを歌い出した。
「キミの名前はなんてぇの♪ はいっ」
俺に手を差し伸べると、耳に片手を当てて返事を待つ仕草をした。
「す、スミスPともうします……」
「アリん子の囁きのほうがまだ大きい♪」
再び耳に片手を当てるのを見て、このやり取りでの声のサイズが充分でないことを知った。
「スミスPと、もうします」
「スミスPはどこから来たの♪」
「東京都新宿区北新宿弥栄ビル2F」
正直に俺がつい先程までいた場所の名前を答えるが、ここはもしかして出身地、
神奈川の湘南と答えるべきだったか。
「スミスPは何が好き♪」
「カフェモカ」
「スミスPは何が好き♪」
容赦なくループしたのは、解答としては不十分だったということだろう。
どうやら、北新宿はOKでカフェモカはダメという基準に、独特な厳しさを感じつつも、無理やり頭を巡らせて思い至るものをひねり出す。
「詩が好き。多分」
「それじゃ一編よろしくね♪」
節が終わり、パスを渡された俺が取り残されると、しばしの沈黙の後、苦し紛れに崇徳院の和歌を読み上げた。
瀬をはやみ
岩にせかるる 滝川の
われてもすえに あわんとぞ思う
百人一首で「せ」から始まる唯一の歌ということで、漫画にあったのを思い出した。
いわゆるマジレスになっているのだとひとりごちつつ、そもそも合コンノリ慣れしていない俺の限界などこんなものだ。
場馴れしていなくて申し訳ないが「たけのこたけのこニョッキッキ♪」をほのかに知っている程度に過ぎないのだ。
なお、知っているだけでやったことがない。
合コンノリというと俗なようだが、彼女の歌はまさに俗なもののオールドタイプなのだろうと思う。
そして、今風だろうが古風だろうがノリきれない無粋な真似をするつまらない男はお呼びでないわけで。
彼女もわからない歌を返されてさぞかし困惑しているだろう。
見開かれた目が失望の色に変わるのを見るのは避けたかったが、向かい合っている限りそれは避けられそうになかった。
しかし、そうはならなかった。
彼女は虚を突かれたように留まると、口を丸くして感想を述べた。
「それはキミの国の詩かい? 不思議な韻律。意味はわからないけど、素敵だ」
美しい宝石を見ているようにキラキラと輝いた瞳を、あろうことか俺に向け、
俺は俺で恥ずかしくなって目を反らした。
「流れが速いので岩に分けられてしまう水の流れが、またいつか一つの流れになるように、愛しい人と分かれてしまうことがあっても、また会おうと願っているという意味で」
照れ隠しの俺の解説を熱心に聞き入る彼女に、あたかも国語教師のような気持ちになり、教師もこのような生徒に向けて授業ができたら、楽しいに違いないだろう。
「その後、この詩の作者はどうなったんだい?」
両手で俺の手を取って、生徒というよりはもう絵本の続きをせがむ子供のような
顔つきで聞かれるものだから、次の答えに俺は言い淀んだ。
「歌は必ずしもその人の現実の生活を描写したものとは限らないから、このような出来事があったかはわからないね。
ただ、この人自身は元々王だったのだけれども権力闘争の末に流刑となって、そこで亡くなって、俺の国最強の怨霊、魔王になったと聞く」
「魔王か。こんな美しい詩を作れる人に悲しすぎる結末だね」
素晴らしい愛の歌を詠み上げた歌人でありながら、非業の死を遂げた元権力者という
思えばあまりに悲劇的な人生だった。
彼女は自分の目から一筋流れる涙にも気づかないくらいに感じ入っている様子で、
感受性が豊かというレベルではもはやないのではないか。
もはや特定の誰かしらを思いうかべているのではないだろうか、と思えるくらいだった。
ものの本によると、中世の人間は説教師の演説に語られる主人公の不遇に悲しみ、
不条理に義憤を覚え、美しき理想にときめかせて、朝から晩まで聞き続けていたとあった。
それとも我々の方こそ感受性を鈍らせることで、現代に最適化をはかったということなのかもしれない。
まさに昔の人のメンタリティを持った人を目の前にしてるのかもしれないな、とぼんやりとそんなことを考えつつ、俺は涙を拭う彼女を眺めていた。
そんな感傷を打ち破るように、怒鳴り声ともつかない合唱が我に返させた。
酔いが回るに連れて大きくなってきているのだろう。
せっかくの感動を邪魔され、苛立ったように彼女が立ち上がる。
「うーん、ココはうるさくて話しにくいや。場所を変えようか。ついてきて」
俺は彼女に促されるままに、ジョッキを手にしたまま席を立った。
先に進む彼女がドアを開いて廊下を突き当たりを曲がると、彼女の革のスキニーレギンスの外側に入るスリットがレースアップになっていて、太ももが締め上げているのに目が行った。
この垢抜けたデザインが、俺の知っているいわゆる中世とは異なっていて、また困惑を駆り立てる。
廊下の蝋燭を頼りに、最奥の部屋を開くと彼女は手招きして、俺は誘われるがままに入って見回した。
戸の隙間から弱い月の光が漏れ入って斜めに差す窓と、
俺たちが入る前から既に灯されていた蝋燭の光が影を作る壁の凹凸。
厚手の織物のかけられたベッドに、丸テーブルと椅子が一脚。
端には荷物がひとりで担ぐには多めに寄せられていて、これは旅の荷物だろうか。
いや、彼女が旅の荷物をこの部屋に置いているようだとしたら、
俺は今、旅の女の子の部屋にいることになるわけで。
「この部屋には椅子が一つしか無いから、キミはベッドに座ってもらっていいかい?」
ドギマギする俺の事など、まるで構わずに席を勧めると彼女は椅子に足を組んで座った。
ホイホイついてきて良からぬ妄想に襲われる俺は、異世界美人局にかかろうとしているのだろうか。
目鼻口の他、珍しいもの等あるわけもないのだが彼女は俺の顔を見つめていた。
変わりがあるとしたら、彼女がリンゴをかじっていることくらいだろう。
「ああ、閉めなきゃ。向こう、うるさいからね」
お尻でドアを閉め、頑丈な鍵を挿し込むと留め金のかかる音が重く響いた。
さて、ここはどこでしょうか。なんで連れてこられたんですかね。
どうして扉に鍵をかけられたのでしょう。
シャクっと、彼女のかじったリンゴが妙にクリアに聞こえた。
彼女が手慣れた様子でナックルガード付きの短刀をリンゴ切りに使っているのを見ると、単なるコスプレファンとはやはり違う気がしてくる。
「お金なら無いのだが」
そう、財布ならデスクに置きっぱなしにしたままだった。
「えー、ボクは身体で商売してる子じゃあないんだけどなぁ」
俺は強盗や美人局に対し、あらかじめ断りを入れるつもりだったが、
彼女にとっては売春の疑いと捉えられたようだった。
「フツーにお話をしたいだけだよ。フツーに。キミの詩は、とても興味深かったよ」
また一切れ、青々としたリンゴにかじっては、正面の椅子に腰をかけた。
一方、俺は腰掛けているベッドの座り心地を確かめ確かめしていた。
掛け布とキレイめなシーツの下に、しっかりとしたマットレス。
と、この確認動作自体、何か下心があるように思えないこともない。
俺は、慌てて歌について語ることにした。
「三十一文字で作る形式の詩で、俺の国では古く神話時代から歌われている。
そう、八重垣の……」
八雲立つ
出雲八重垣 妻籠みに
八重垣作る その八重垣を
振り絞って思い出しては、須佐之男が妻に贈った宮造りの歌を口に出し、俺は彼女を見た。
「繰り返しの不思議なリズムだね。意味は?」
「雲の湧き出る出雲の国は、幾重にも垣を巡らせるように雲が立ち上る。
私の愛する人のための宮殿に、そのように垣を巡らせたように」
「美しいところと美しい人々の心が目に見えるようだ。
だから、キミの国の詩は素晴らしいものばかりなんだろうね」
「ああ、詩は素晴らしいのかもしれない。いつだって詩は」
「美しい詩があれば、人々は美しい世界を忘れないさ。今だって。
そうださっきボクが歌った歌を今度はキミがやってみせてよ。
アレは順番こで歌うものなんだ」
さっきの歌、というと『花いちもんめ』のような、あの合コンソングみたいなアレか。
順番で歌うって、本物の合コンソングなんだな。
「キミの名前はなんですか?」
俺は恐る恐る口ずさんで見る。
「レナともうします」
ちゃんとあわせながら彼女、レナは答える。
「ええと、レナはどこから来たの?」
「遠く【英雄の国】と呼ばれる国から」
「レナは何が好き?」
「キミ」
レナは俺を押し倒すと、有無を言わさず花びらのような唇で俺の口を塞いだのだった。
数年ぶりのキスは驚きと、苦いリンゴの味がした。
まじか。
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