聖なる勇者の残党狩り
阿南ミシェル
第1章:新宿区北新宿弥栄ビル
君も知っている昨日か今日。
場所は西新宿にあるIT企業のオフィスと言えば、
だいたいイメージがつくだろうか。
東口の猥雑さや、南口に集うおのぼりさんの匂いとは無縁な、
最先端の横文字が飛び交う小奇麗なビジネスマンの世界。
地上35階の窓から往来を見下ろしながら、
エスプレッソマシンで一杯ずつ抽出された香り高いコーヒーを片手に、
今夜のプレゼン資料の読み合わせをする。
ソーシャルメディアのインフルエンサー支援事業、
クラウドファンディングのコンサルタント、
スマートフォン時代に最適化したアドソリューションの提供。
時代の最先端を走り一攫千金を狙う野性的な功名心を、
小奇麗なスーツに隠した経済の担い手が集うモダンなオフィスの午後三時。
そう、ここが。
――カシュッ。
アルミ缶のプルタブを引くと、小気味いい音を立てて窒素ガスが逃げ出し、
後を追って泡が噴いて、割れ、金色の雫に姿を変える。
冷蔵庫を後ろ足で閉め、デスクの島に戻りながら、ドリンクをすする。
その味は人生の苦味というが、俺の人生のほうがよっぽど苦い。
本日の3本目。
デスク脇に並んだノンアルコールビール空き缶、
その隣に今開けたばかりの1缶を並べる。
膝の高さまで座面を低くしたオフィスチェアーに腰を落とすと、
デスクに這い上がるゾンビのような姿勢で両手をキーボードに乗せて、
PCに向かった。
「イベント仕様、KPI資料、中期計画、イラスト外注のディレクション、フレーバーテキストのライティング。キャラ画像のトリミングと、カードイラストへの加工。……無理やね。人がいなさすぎる」
この半年、何度となく口にしたことだろう。
愚痴ったところで、誰が聞くわけでもなく改善されるわけでもないので、
愚痴ることにする。
ここは、まさに自分以外誰もいない午前三時のオフィスなのだから、
愚痴り放題なのだ。
西新宿の築40年はくだらない4階建てビルの2階、オフィスの電灯を一列だけ点けて
PCのファンとキータッチの音が黄ばんだ壁に虚しく響く、ソーシャルゲームプロバイダーのテナントに俺はいた。
意識高いグローバルエリートの集う、スゴクタカイビルのITオフィス?
おいおい寝言言っちゃいけない。そんなものあるわけないだろ。
メルヘンじゃあるまいし。目を覚ましてくれよ。まだ夜は始まったばかりだぜ。
「100階の塔のボスを倒すイベント。到達した先のくり返し要素としては、
100階~110階はループ構造になっていて、ボス討伐後は亡霊であるレイドボスを狩りまくって貰えればOK。イベント限定攻撃力2倍/5倍/10倍のキャラクターはガチャで入手可能」
旧来のイベントシステムを江戸時代から続く鰻屋の秘伝のタレのように、
継ぎ足し継ぎ足し使っている。
サーバーサイドプログラマーが引き抜かれたこのタイトルで、
新システムもあったものではないが、やらないことには売上が立たぬ。
立った売上でせめて月々のサーバー費用くらいは賄えるようになりたかったが、
今となってはそれも贅沢な望みだ。
無いものを工夫でどうにかできる時期はとうに過ぎたので、
考えるのをやめて久しい。
コンビニの割り箸でWのり塩味のポテトチップス2枚を摘んで、
重ねて噛み砕く触感くらいが楽しみなものだ。
いるだけで電気を使って赤字を膨らませている。
オフィス内の空調は切っているから節約に意識が無いわけではない。
人件費は裁量労働制だから心配無用。残業はやりたい放題。
数字的な根拠をでっち上げるべく、ウェブベースのアプリ管理ツールから集計データ(KPI)メニューを開いた。
ほどなくして、主な指標4つの折れ線グラフ「同時接続者数」「DAU(一日のアクティブ数)」「アクティブユーザーの課金率」「ARPPU(課金者一人あたりの平均課金額)」が表示される。
どうにもイメージが付きにくければ、「ミリオンレジスターズ」でググって、
サンプルサイトを覗いてみてくれればいい。そう、続きはウェブで。
ファーストビューで折れ線グラフを表示するくらいは利便性をあげているのを、
褒めてあげてください。
そのうちの2つが昨日の時点で大きく跳ね上がっていた。
課金率、ARPPUが飛躍的に上がっている。
これはつまりイベント実施に伴う新規キャラクターの導入が功を奏し、
ユーザーの課金意欲を掻き立てることに成功したということが読み取れる。
このタイトルは潜在的に課金欲求を引き立てる要素があり、
現状苦戦しているもののタイトル自体の魅力もまたアピールできる可能性がある。
プロモーション次第で、潜在ユーザーを掘り起こすことができれば、基本設計としてユーザー間の協力要素が多い
本タイトルは高い水準でDAUを確保しつつ、定期的なイベントで高課金率・高ARPPUを維持することができる。
つまり、これは巻き返しのチャンスがあると見るべきではないか。
はい、嘘。信じてしまった人はごめんなさい。
確かにイベントが契機で、課金率とARPPUが上がったのは数字の通り事実。
だが、DAU100前後の超過疎状態では、たった1人課金すれば課金率1%上昇する。
新キャラ1体確定の3000円のガチャが1回回ればARPPUにそのまま反映されるわけだ。
要するにDAUが取り返しのつかない悲惨な状況で課金状況を調べたところで、
なんの参考にもならないわけ。
とりあえずキャラクターのイラストが好きでいてくれるお客様数人と俺がサクラしてガチャった数字は、
プラットフォーム企業のコンサルに言わせりゃKPIのノイズに過ぎないのさ。
プロモーションしたらチャンスあるかも?
みんなやってるよ?
よそはよそ、ウチはウチ。
そんなお金はウチにはありません。
SNSで頑張って告知すればいいじゃない?
スミスPはインプレッションを稼げるようなカリスマ性を持ち合わせておりません。
スミスPというのはこのプロジェクトでの、俺の芸名みたいなものだ。
実名を出すと、クレーマーから名指しでご意見のお電話を頂戴することがあるので、
その後ろ向きな対策と言っていい。
ご連絡はあくまでテキストベースでお送りいただきたく存じます。
と、多彩な活躍を見せる俺は30オーバーのプロデューサー兼ディレクター兼プランナー兼お客様窓口。
前世紀90年代半ば、J-RPGの最盛期の余韻を今に引きずったまま、
ゲーム業界に入ったまではまあ良しとしよう。
本当は文学で食って行きたかったが、そうもいかなかったので第二の選択肢。
業界での修行期間を衰退期のコンシューマゲームで過ごし、下積みを終えて転職。
コンシューマゲームと入れ替わりに勃興したソーシャルゲームのディレクターになった。
当時、若さもあって最前線のコンテンツにうまく乗ったキャリアに見えるが、
なんのことはない居場所がなくなって流れただけだ。
何社か流れ流れた末、大ヒットソーシャルゲームのシステムを参考にコピーして、
剣と魔法の絵柄だけ載っけて王道本格ファンタジーを自称しているタイトルの開発運営を、ってまったく何をやっているんだろうね。
挙句、パクって外すという、業界トップクラスの生き恥を晒しながらお給料を頂いているところ。はい。
――バーリバーリ。
死んだ魚のような目ででディスプレイを見つめながら、
俺はくるみ割り人形ならぬポテトチップスを噛み砕く機械になった。
「敗戦処理がんばろうがんばります。はい、次のタイトルは……」
管理ツールのURL「netgame/social/finalRPG/honban」に直打ちして、
「netgame/social/doragonRPG/honban」に直してエンターキーを押下した。
ブックマークをマウスでクリックするのも面倒だったりする。
画面が切り替わり、もう一つの担当タイトルのKPIが表示される。
レイアウトは前のページと変わりなし。せめて背景色くらいは変えてもらうべきだった、と悔やんでも仕方ないのでいつもURLに注意してタイトルを間違えないようにしている。
俺は「同時接続者数」のグラフの横軸、5分おきの時間軸に沿って、その推移に目を見張る。
横軸が表している3時間を何度も見直したが、俺が探している接続者数の点は横軸より上方に見つからなかった。
つまり、この3時間の同時接続者数がゼロ。誰一人としてゲームにアクセスしている人間がいない。
「まさか、この時間で。やめてくれよ……」
と、PC脇に転がったスマホを立ち上げると、萌えガイドキャラのアプリアイコンをタッチし、担当アプリ『争乱のドラコニア』を立ち上げる。
センスのへったくれもない企業ロゴがじっくり表示されて、
プレイヤーのヘイトを高めきったところで立ち絵を並べたタイトル画像に切り替わる。
そっとSTARTをタップすると、7秒、8秒と重さで定評のあるロードが続き、
無情なダイアログが現れた。
<<ネットワーク接続エラー>>
サーバー落ちてました。
しかも3時間以上。アラートメールも飛んでないまま。
プレイヤーゼロ、もちろんその間課金もゼロ。
俺はまた管理ツール画面からサーバー管理ページに移動すると、再起動ボタンをクリックした。
静音マウスの押し殺されたクリック音ですらよく聞こえる、静かなオフィスだった。
コンソールウィンドウを流れる作業経過ログを見送りながら、
マウスから箸に持ち替え、またポテトチップスを摘んだが、
そのまま天井を仰いで雨漏りの痕の染みを眺めては目を閉じた。
「もうダメだな。こりゃ、死んだな」
ゲームなのか俺の心なのか、その両方でもいいから、終わってほしいところだった。
「キミ、面白い食べ方をしているね」
右隣すぐからハスキーがかった声が不意に聞こえ、俺はハッとして目を開いた。
右手には箸とその先に2枚のポテトチップス。
ここまでは良い。
俺が腕を置いているのはまったく見覚えのない、
使い込まれ滑らかになった厚い板で出来た長いテーブル。
PCやノンアルコールビールの缶やポテトチップスの袋など、
もうどこかに取っ払われたように姿形もなかった。
誰もいなかったはずのオフィスが、ろうそくの光の照らす、木と石で出来た食堂に変わっていた。
仕事で見た欧州のイベント「ルネッサンスフェア」のコスプレ参加者のような連中、
職人やら狩人やら僧侶やらが木のジョッキを片手に肩を並べて、飲み食いおしゃべりに興じている。
汗とニンニクと酒臭さの混ざった匂いが立ち込める、粗野な生命力に溢れた空間が目の前に広がっていた。
高熱で寝込んだ時に見る夢のように、昔に聞いた汚い発音の中世フランス民謡のような節回しの歌が人々の騒々しさとかき混ぜられ、俺はついに絶望の向こう側にトリップしたのだろうと思った。
このリアリティはトリップでもしないと作りだせるようなものじゃあないと判断できる程度には冷静だった。
とうとうイカれてしまったのだろうと、冷静沈着に自分に診断を下した。
「ねぇキミ。その食器、面白いね。どこから来たんだい?
ここは初めて? 言葉はわかる?」
ハスキーな声の持ち主が箸を指差した。
革の指ぬきグローブから伸びた指はまっすぐで細く、美しかった。
「ああ、ポテトチップスを指で掴むとマウスとかキーボードとか油っぽくなるだろ?
だから、こうやってお箸で食べるんだ」
空間のどこに焦点を合わせればいいのかわからないまま、うわ言のように口走る。
「んー……。ちょっと何言ってるかわからないね」
これ以上無い簡潔さで、箸を使ってポテトチップスをデスクで食べる際の美学を説明したのだが。
「店主の新メニューかな? どれどれ、一口もらうね」
指先で俺のポテトチップスを一口分割り、薄暗いシルエットの口元へ運んだ。
「油が新しいと、こんなに揚げ物って美味しいんだね。店主、普段ケチってるなぁ。古くて鏡みたいになってるもん」
「いや、これは俺の夜食で」
呆然としたまま、俺はポテトチップスを口に運んで、箸を咥えて呆然とし続けた。
「その、お箸? それ面白いよね。どうやって使うの?」
声の主が俺の隣から真正面の席に腰を下ろすと、興味津々という目で俺見つめて言った。
「キミのこと、教えてもらってもいいかい?」
細かいことは後で話すので、端的に言おう。
とんでもない美少女が俺の前にいた。
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