壁を破って


 全然かわいくない、上下無地の白いTシャツとハーフパンツ。

 ベッドに横たわるミカは、死んだようにピクリとも動かない。


「スリープ…?」

「そう。ここに連れ帰った頃からずっとこの様子でね。」


 横山が「二人にしてくれるか」と言うと、他のメンバーが席を外す。


「細かい事はどうでもいいだろう。兎に角研究は続行になったんだよ。まあ、それはなくとも充電残量が十パーセントになったら帰るようにプログラムしておいた筈らしいんだけどね。」


 しかしミカは少なくともその時点ではここに帰らず、俺の目の前で充電を切らした。

 夢の国に行った、その帰りに。


「アレが自分の意思でそれを拒んだんだよ。全く、相変わらず驚きだらけだよ!」


 そもそも、ミカは一日八時間活動として一か月、つまり二四〇時間活動できるらしい。しかし、実際のミカはスリープの分を無しとしても一四〇時間も経たずに充電を切らせた。


「感情というのはね、随分電池を食うらしい!」


 はあ、そうですか。

 しらんわ。


「それより、なんで俺呼んだの。」


 こんな研究機関に一高校生を連れてきてなんのつもりか。改造でバッタ人間にあれたりしないだろうな。

 つってもなんとなく、察しはついているけれど。


「言ったよね。ずっとあのまま、って。もうお手上げでね。といっても何も故障は無いらしい。となるともう君が直接会う、くらいしか対応策がないんだよ。」


 エンジニアも心理学者もお手上げ、俺が直接会えば起きるかも!なんて、随分幼稚というか、夢見がちというか。

 だが事実、俺自身もそれで起きてくれるのでは、と期待している。

 それに断る理由だってない。

 ガラス張りの面、その端がそのままドアになっている。

 そこを開けてミカの部屋に這入ると──


「晋也、久しぶり。」

「復活、早くない?」


 ミカはいつの間にか目を開き、いつの間にか起き上がり、いつの間にか俺に抱きついていた。

 ガラス張りはもしかしたらマジックミラーなのか、とも思ったがそうではないらしく、其方に目をやると横山がにっこにこしながらこちらを見ている。ムカつく。

 そんな事は露程も気にせずにミカは俺から離れないまま。


「勝手にいなくなってごめん。…あの、」

「いいからいいから」


 強制的な命令権でもあったのか、はたまた俺への迷惑でも考えたか。

 いずれにしてもミカはここに戻らなければならない身だったのだ。ミカはここの、所有物なのだから。


「晋也といられて、良かった。」

「うん。」


 俺も。

 お前を拾って良かった。

 帰る家に誰かがいる喜びを、思いだせた。


「晋也と色々して、あれはきっと、楽しかった。」

「きっとて。」


 まあ、『楽しい』がどういうものかはっきりとわかっていないんだろうけど。

 でも感情を知らない生まれたてでありながら、最初に感じた情が『怒』や『哀』や、はたまた『恐怖』や『嫌悪』でなく『楽』ならば、良かった。


「私、もっと晋也と一緒に居たかった。」

「うん。」


 俺だって。

 もっと、じゃなくて、ずっと。

 家に早く帰りたい生活がしたかった。

 もっとミカの手料理を食べたかったし、もっといろんな場所へ行きたかった。


「私──」


 ミカはようやく俺を擁していた腕をほどき、両手で俺の頬をそっと包む。


「晋也の事が、好き。」

「…うん。」


 それは、暖かい口づけだった。

 機械であるその口は物質的な温度としてはひんやりと冷たく、唇の熱を奪われる。しかしその口づけは、どうした事か柔らかく、暖かかった。まるでミカに芽生えた感情、『愛情』を纏ったように。

 もしかしたら感情というのは、唇に宿るのかもしれない。

 ああ、もう。

 機械がどうの、作り手がこうの。そんな事知るか。知ったことか。

 今、この瞬間はっきりしてしまった。

 俺は。

 俺は、ミカの事が──


「俺も─」

「─多分。」

「…は?」


 好きだ。と、言おうとして、首を傾げるミカと声が被る。


「お、前、このタイミングでよくも…」

「ごめん。気持ちっていうのが、やっぱりまだわかっていないから。でも晋也は私の事好きなの?」

「…あー…あーそうだよ!」


 ミカは少し申し訳なさそうに俯くが、俺の答えを聞いてにこっと笑う。それはまあ、核爆弾級にかわいいんだけども。

 うーん…。

 うーん…!

 なんだか不完全燃焼というか、気が抜けるというか。

 が、ここで気が抜けたおかげで冷静になって思い出す。

 これ、全部横山に見られてるんだった…!

 慌てて振り返ると、そこには。


「うっ…良かったね…良かったね…」

「でも…こんなの、こんなのって…」


 一応言っておくと、横山の表情は全く変わっていない。しかしいつの間にか部屋に戻ってきていた開発メンバーたちが、どいう事か号泣していた。

 そして誰よりも声を上げていたのは。


「うちの子をたぶらかしおってぇえぇ!!」


 これまたどういう事か、先の運転手だった。






「三十億円。」

「……。」

「一介の高校生でもわかるだろう?これでもかなり色を付けているんだよ。君のおかげでかなりデータが取れたからね。」


 ミカとの面会はあれだけで終わり。しかし文句も言えない。俺は高級品を拾って勝手に持って帰っていただけだし、寧ろこうして会わせてもらっただけ感謝すべき、なんだろう。それに無理に引き延ばしたところで、その分離れるのが辛くなるだけだ。

 帰りの車に向かいながら歩いているとき、不意に横山が言った。ミカを買い取りたいのなら、の金額だろう。

 確かに、あれで三十億はきっと安すぎる。

 だが勿論、三十億の貯金なんて持ち合わせは無い。


「さ、乗りたまえ。今日は助かったよ。」

「ん、お前は乗んないの?」

「私はこの後やらねばならぬ事が山ほどあるからね!」


 二人称がお前になっている事には何も触れられなかった。

 やらねばならない事って、きっとミカの実験か何かなのだろう。こいつ心理学者なんだろ。もう少し俺への配慮ってのはないのだろうか。

 文句を言ってもきっとうざったい反応しか返ってこないから、それは諦めて車に乗る。すると隣に、先の部屋にいた一人の女性が乗り込んできた。


「えっと…?」

「何、目隠しをされるのに隣に座るのが知らない男では怖いだろう。」


 確かに、俺自身男とは言え目隠し状態の空間内が男だけだと少し身の危険を感じる。ここは適切な配慮だ。

 扉を閉めると、開けた窓から横山が顔を突っ込む。


「君には本当に世話になったからね。これからもできればアレと会えるように、私からも掛け合ってみるよ。アレの精神状態としても、きっとそれがいい。」

「え、ああ、どうも…」


 最後に横山からでたその言葉は、彼女らしくないものだった。

 しかし善意ではないだろう。

 もしミカがふさぎ込んでしまえば、また何もできなくなってしまう。精々それを防止する程度だ。


「あの、すみません、失礼します…」


 横山よりも控えめな性格らしい女性にアイマスクを付けられ、車は研究所を後にする。






「あの、中山さん。今回はその、本当にありがとうございました。」


 沈黙が重いなあ、と頭の中で昔見た映画なんかを思い出していると、隣の女性が急に礼を言ってくる。


「あの子を見つけたのが中山さんで良かったです。変な人のところに行かなくて、本当に良かった。」

「僕からもお礼を言わせてください。まさかあそこまで変わるとは思ってませんでしたけど。」


 同時に運転手も礼を言ってくる。

 どうやら話を聞くと彼は別に専属運転手とかいう事ではなく、開発メンバーの一員らしい。『先ほどはつい、少し興奮してしまいまして』だそうだ。

 …つい?…少し??

 それはおいておくとして、話してみると開発メンバー、つまりエンジニアはどうやらミカへの思い入れが横山と随分違うようだった。

 それもそのはず、横山が途中参加の学者であるのに対して彼らは一からミカを作った技術者。それはつまり我が子のようなものだ。思い入れの差があって当然だ。

 そのこともあって、ミカと暮らした時の事を話すとめたくそ盛り上がった。

 盛り上がると同時に、もうその生活はかえってこないことを思い出して泣きそうになる。


「それでは、私たちもなるべく手を尽くしてみます!」

「ミカの悲しむ顔なんて見たくないですからね。」

「あー、あんまし期待しないで待ってます。」


 二人とは少し仲良くなった。とはいっても連絡先を交換、とかいうほどではないが。


「ただいまー」


 家に呼びかけても、やっぱり返事は来ない。

 ただふらっとどこかへ行ったのではない。ミカは確かに、家に帰ってしまったんだ。


「ああ、クソ、クソー…」


 俺はその夜。

 久しぶりにあくび以外で、涙がでた。



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