運命



「ぎゃーー!やめろ、やめろーっ!離せ!話せ!話せばわかる!」


 猛獣、とまではいかなくても市街地に迷い込んだ猿程度には暴れる綾香を、両サイドから改と英也が押さえつける。薄暗い、というか暗い部屋の中で男二人が女を押さえ付けるという絵面はかなり犯罪的だが、足元は女二人が押さえているから堪忍願いたい。

 …その理論はおかしいか。

 しかしこれでもれっきとした理由があるのだ。人生ゲームで負けた罰ゲームとして事前に約束したいた話なのだから。

 そもそも罰ゲームを提案したのは綾香だし、敗けを認めないあいつに何度も付き合った結果、である。

 しかし暴れていたのも束の間、俺がそれをつけると同時に塩をかけられたナメクジのようにしおらしくなる。

 それとは、映画。

 ホラー映画。

 俺が入会している月額制のビデオ・オン・デマンドに丁度、古き良きホラー映画があったためそれを選んだ。

 最初は海外のゾンビ物にでもしようと思ったのだが、あの手の映像作品はえてして銃での殺し合いに転じる。

 あんなんホラー映画じゃなくてバトル映画だっつの。

 今求めるはホラー映画。んで、これだ。


「………₢……∀ゥ…」


 映画が始まると、綾香はおおよそ日本語とは思えない何かを発したきり、完全に画面に意識を取られていた。

 それはまさかホラー映画を忌み嫌う者とは思えない程の食いつきっぷり。例えるならば目の前で一枚ずつ衣を捨て、やがて産まれたままの姿に還ろうとする美少女のその一挙一動を見逃すまいと己の全身全霊をかけて目を凝らす男のような。

 …うまい例えでもなければ良い例えでも無かった。

 兎に角、綾香は『嫌だけどなんか見ちゃう精神』なのか、はたまた『目をそらせばその隙に何かがよってきてしまう』的な考えなのか、画面から目を反らせずに、どころか瞬きさえ出来ずにいた。

 こいつ、実はホラー系好きだったりして。




「…ね、ねぇ。」


 思ったよりも大人しく、というよりかは言葉を発する事が出来ない、という様子だった綾香は、映画が半分ほどに差し掛かった辺りでやっとまともな言葉を出した。

 まとまな、と言ったのは、今までも「えっ、あっ…ぉ…」や「やだ…やっ…やだっ…」のような本能のまま出てきた声はあったからだ。

 その間、声を掛けても全く反応しなかった。隣で俺らがべらべらと喋っているのにここまで恐怖に集中できるのは、むしろすごいと思う。

 そんな綾香が、『えっ、まだ日本語を覚えていたんですか!?』と思わせるほど久しぶりに声を発した理由はただ一つ。


「ちょっと…トイレ…。」


 年甲斐もなく一人でトイレに行くのが怖い、なんて事を恥ずかしがる余裕すらない。綾香のか細い声は我々の耳に救いを求めてすがりつくように潜り込み、そして反対の耳から抜けていく。


「いってら」

「わぁぁぁぁ!お願い!一生のお願い!」

「んー」


 綾香をこの状況に追い込んでおいて言うことではないが、対応するのが面倒になってきた。

 そもそもトイレはリビングのドアを開けた目の前にあるし、こいつの一生のお願いは既に何回か叶えてきた。お前は何生生きる気だよ。百万回生きた猫かっつーの。

 周囲をキョロキョロ見回しながら助けを求める綾香は、やがて俺と目が合って。


「ねぇ、お願い、お願い、晋也ぁ…お願ぁい……」

「………」


 綾香は消え入りそうな程弱々しい声で囁きながら、まるで俺が人類最後の希望とでも言いたげなほど、すがるように俺を見る。そんな目で見ても無駄だ。

 しかし俺がシカトしても綾香はその眼差しを緩めることは無い。見たことはないが、段ボールに入れられた捨て猫の目とは、こんなものなのだろうか。

 やめろ、そんな目で見るな…。


「わかったよ…。」


 負けた。

 まぁ実際すぐそこだし、それにいつまでも粘られるならさっさと済ませた方がいい。

 何よりもここで漏らされるのが一番の問題だ。

 ありがとう…ありがとう…と繰り返しながらお手洗いまで綾香をエスコート(距離にして五メートルも無いか)し、ドアの外で待っていると。


「あの…恥ずかしいんですけど…」

「は?そりゃ高校生にもなってこの体たらくは恥ずかしいけど今更何言ってんの?」


 ホラー映画見たくらいでトイレに行けないとか、まぁそれはわかるんだけど。高校生でもあるだろうけど。でも今ここには六人いるんだぜ?家に帰って一人で、とかじゃないんだぜ?しかもトイレすぐそこだし。


「いや、違くて…」

「?」

「音とか…。」


 ん、あー。

 音。

 ほー、へえ。そりゃいっちょまえに女の子の恥じらいですね。

 ……だったら連れてくんなっつーのっ!

 と言ってもその恥じらいは同性なら、とか気の知れた友達だから、とかそう言ってわりきれるようなものでもないよな。


「耳塞いでてください」

「ほいほい」


 別に俺は女の子のおしっこの音聞いて興奮するような趣味も性癖も持ち合わせてはいない。大丈夫、その程度の問題、ちょちょいのちょいだぜ。


「……もう塞いだ?」

「塞いだよー」

「聞こえてるじゃん!」


 バレた。

 仕方ない。ここはあんまり虐めても可哀想だから綾香の尊厳のために、ここを離れよう。

 中から微かに「ねぇ、もう大丈夫?」といった声が聞こえるが、無視する。いつまでも我慢させるのは体にも悪い。

 綾香を置いてリビングに戻ると、映画は停止され、そこには誰の姿も無かった。


「およ?」

「ぉ-ぃ」


 すると、リビングに隣接する和室、その襖から顔を覗かせた亜美が手招きをしていた。


「期待通りだね、綾香を置いて帰ってくると信じてたよ、晋也!」


 俺は一体、なんて期待を抱かれていたのだ。

 全くもって心外である。

 そしてその期待通りに動いてしまった事が悔やまれる。今からでも戻ろうかな。

 と、戻ろうと踵を返す俺に今度は亜美の上から顔を出した改が背後から俺を呼び止める。


「おい!待てって!お前も来いよ。ちょっと驚かすだけだから!」

「あのさぁ、あいつ本当怖がりだから、ちょっとのつもりでもめっちゃ驚くよ、きっと。」


 俺はそう言いつつ和室に入ると、顔が見えなかった二人も中にいた。全会一致かよ。

 お互い特に言葉を交わすも無く、少しするとトイレの水が流れる音、続いて「晋也ー?もういいよー?」の声。その声は返事がないことでだんだんと不安の色を帯びる。


「し、晋也?ねぇ、聞こえてないの?耳塞ぎすぎだよ、ねぇ、ねぇってば!」


 今更だが、可哀想になってきた。

 というか、最初から可哀想だった。

 やがて、恐る恐るトイレの扉が開かれる。といっても本当にゆっくり開かれたようで、その音はこちらまでは聞こえない。

 きっと俺がいなくなっている事で激怒するだろう。


「い、いない…し、晋也っ…まま、まさか、幽霊がっ…!?そ、そんな、晋也っ…晋也ーっ!?」


 想像以上だった。

 というより、想定外だった。

 綾香はそのまま俺の名前を叫びながらリビングに飛び込む。勿論そこには誰もいない。


「そ、そんな…晋也だけじゃない…みんな…」


 綾香の声音は不安どころかそれを通り越して絶望に染まり始める。

 どうしよう。あれ、冗談抜きで首かっきって自殺とかしないだろうか。

 と、心配する俺を余所に更なる刺客が綾香を襲う。

 停止されていた映画が、独りでに再生を再開したのだ。しかも先より少し場面が飛ばされ、山場のシーンで。

 当然これだって奴らの仕掛けたこと、というか襖の隙間から亜美がリモコンを出して事前に進めておいた映画を再生しただけだ。種や仕掛けと言うにも拙いもの。

 しかし錯乱に混乱に動転している綾香に止めを刺すには十分すぎた。


「ぴゅっ!?」


 突然の事に目や耳を塞ぐことも儘ならない綾香は画面に釘付けになる。隙間から除いている俺らからは綾香の前半分しか見えない、つまり背中すら見えないギリギリのラインだが、恐怖とも驚愕とも言えない、この世の終わりを見たような彼女の横顔を拝むには十分であった。

 山場のシーンが終わると、プツンとテレビが電源を落とす。

 そう、テレビが電源を落とした時。


「ヒンッ…!」


 綾香は一瞬振り返り、そしてその場にばたりと倒れた。


「うわっやりすぎた!」

「綾香っ綾香ーっ!」


 英也と同時、今度は俺が綾香の名を叫びながら飛び出した。

 英也は倒れた綾香の首筋にそっと指を押し当てて。


「…気絶してるだけだ。」

「知っとるわ」


 死んでたら困るよ。俺ら何罪になるんだよ。殺人罪、凶器はホラー映画ですってか?

 取り敢えず綾香をソファーの上に寝かせてふと振り返ってみると、亜美だけがリモコンを握ったまま、未だ和室で立ち尽くしていた。


「どったの?反省した?しろ?大いに反省しろ?」


 まあ、この話に乗った俺も俺なのだが、そこは棚に上げる。

 しかし亜美は俺のそんな行為を全く気にもとめず、口を開いたアホ面(本人は神妙な面持ちのつもりだろう)で。


「私、テレビ消してない…」


 ………。


「そういえば綾香、なんか振り返ってから倒れたよね。」


 最後の一瞬。

 テレビが消え、後ろを振り返ってから、倒れた。

 ………………。


「よぉし、今夜は夜通しスマブラやろう!」


 唐突な誰かの提案に、反対する者はいなかった。







 回想終わり。

 とまぁ、こんな風に綾香は主に我々のせいで生じた(というか悪意をもって仕組まれた)修羅場の数々を乗り越えてきた。あいつよく俺らと縁切らなかったな。

 きっと綾香は、それによって強靭に鍛えられた精神を俺に見せつけてやろう、という魂胆だったのだろう。……が。


「ひ、ひょえ、ひょえーーーっ!?!?」


 はい、こうなりますよねー。

 綾香は開始十秒、最初のゾンビすら出る前に銃を放り出して俺にしがみついてきた。

 敵前逃亡も甚だしい、全くもって度し難い自殺行為だが、腕に当たる柔らかな感触を味わう事で一先ずそこは許容することにした。

 が、その感触にも飽きてさえきた今現在。


「ぴ、ぴゅぎっ!?ぴゅほょふぅんっほ!」


 最初は腕に回されていただけの腕はやがて反対側、俺の頭にまで及び、半ば頬擦りされるような形になっている。

 それだけ聞けば役得かもしれないが、その反対側に回った手の指が若干目に食い込んで、い、痛い、痛い痛い痛い、


「いてえっつーの!」

「むばぁぁぁ!」


 話が通じなかった。

 というか、言葉が通じない生き物だった。

 ここは綾香の事は忘れて、忘れて…さすがにそれは無理っぽいから、極力気にせずゲームに集中しようと思う。

 クオリティはさすが期待のDoM。裏切らない。

 本編ではちょい役でしかでてこないキャラクターにピントを合わせた作品だ。

 ちょい役といってもストーリーの所々で出てくるのだが、その間間が『あ、こうなってたのかぁ!』と感心させられる。

 こんなに面白くてはプレイ必須ではないか。それをアーケード限定にするとは、やらしい商売をする。


「しぃしんぁ、しぃぅぁぁ!!」


 とまぁ、思いの外面白くて。隣にいる『自我を失って尚、唯一大切な仲間の名前は覚えている暴走して死ぬ系キャラ』みたくなっている綾香に気を遣ってゲームを途中でやめてやる気は全くなかった。

 実を言うと、お前全く克服出来てねぇじゃねえか!みたいな当てつけというか、八つ当たり的な気持ちも三割くらいは含んでいるが、そこは自業自得だろう。

 綾香がいない分、二人用難易度を一人でこなさなければならないのだが、問題ない。ゾンビ共には丁度良いハンデだろう。

 よっしゃ、俄然やる気がでてきた──!

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