お騒がせな寂しがり屋


「ここは現在形なんだけどぉ──」


 学校の授業とは、ここまで退屈なものだったろうか。

 もとより楽しいとは思ってはいない。思ったことがない、とまでは言わないが滅多に思うことはない。

 だが、ここまで退屈に思ったことはない気がする。


「現在形ってのは必ずしも現在の事をいってるんじゃなくてだなあ──」


 教科書のあまりかわいくないイラストに落書きをする。

 日本の高等学校の英語授業では英語を話せるようにならない。そんな授業を受けて意味があるのか、とよく学生がつきそうな文句を思う。


「はいここ、教科書に一生懸命落書きしてる中山。」


 こんな授業を受けるくらいなら、ミカと遊びに行きたい。授業なんて毎回受けなくてもある程度なら理解できるし。

 …ん、遊びに行くといってもどうしようか。そうだ、家の楽器部屋で遊ぶのもいいか。

 我が家の二階には部屋が三つある。俺の寝室、漫画部屋、そして楽器部屋だ。何となく興味本位でギターを始め、そこからだんだんと派生してベース、ドラム、ヴァイオリンなんかもある程度弾けるようになった。家にあるのは全部安物だけどね。


「おーい、中山ー。」


 そうだ、おうちでミカとセッションするのもいいな。あいつ歌うまいし、もしかしたらなにかしら楽器の演奏スキルを持っているかもしれない。よし!そうし──


「おいごるぁ!」

「へぶぁっ」


 英語教師の佐藤に教科書でぶっ叩かれて我に返った。






「晋也あ、呆けすぎだってばよ」

「うん。我ながら。」


 退屈な授業もようやく四時間終わり、俺は英也、綾香、夏鈴と昼飯を広げていた。例によってカップルは学食だ。

 うちに泊まったはずの俺らがなぜ弁当を持っているのか。何を隠そう、すべて綾香が今朝用意したものだ。冷食も入っているにしてもここまでするとは、こいつ何者だよこいつ。綾香と結婚する男はきっと幸せ者だ。


「顔にやけてるんですけど。むかつく」

「なんか腹立ちますね」

「理不尽」


 英也に続いて二人も俺に軽く罵声を浴びせる。んだよ。別にいいじゃん。お前らに迷惑かかんねえだろ。俺が教科書でぶっ叩かれただけだっつの。

 うるせぃぞこらてめえこのやろう、と文句を垂れてると隣の綾香にげしげしと足を踏まれる。なんだよ、と不機嫌モード全開で横目に睨むと綾香は暫し黙ったのち。


「……そい」

「あ!この野郎!」


 我がウインナーを一つかっさらった!


「なんだよ!作ったの私だかんな!食えるだけありがたいと思え!」

「あぁ!?食費は俺持ちだろうが!」

「見るに堪えない夫婦喧嘩ね」


 うちにある食材を使ったのだ、作ってくれることは感謝するがテイクばかりではない。

 夏鈴のからかいに綾香は少し頬を赤らめながらも俺の首を絞めてくる。恥ずかしいならやめればいいのに。


「あんたらいっつもそうやっていうけど!あんたらどうなんだよ!」


 俺がウインナーをあきらめたのを確認し、綾香は話を逸らすように二人にふる。すると英也と夏鈴は顔を見合わせ、そして同時にむすっと唇をひんまげて。


「ねえな。」

「願い下げ。」


 お前らこそ息ぴったりじゃねえか。


「こいつ不良の癖に真面目ぶっててイラっとする。」

「そこはかとなく下品だから無理です。」

「ガキの癖に酒飲みとか生意気なんだよ」

「こちらこそ丁重に…いえ、全力でお断りします。」

「「あ?」」


 なんだか剣呑な雰囲気になってしまった。息ぴったりだと思うのだが、それを言っても矛先が俺に向かうだけだろう。

 元凶の綾香にアイコンタクトで止めるように促すが…おいこら、目逸らすな。逃げんなこら。





 それは昼休みが終わり、本日最後の授業中の事だった。


「な、中井君?聞いてる?」


 担任の石澤先生が担当する数学。授業中にもかかわらず外をガン見する不真面目な中井を注意するが、柔道部72キロ級の中井はそこそこの体格。性格は非常に温厚なのだがなぜか一方的に石澤先生は彼を恐れている。そしてそれがにじみ出ていた。

 中井はその声に全く気付かず、隣に座る生徒が肩をつついてようやく意識が教室に帰ってくる。そして彼は一言。


「ああ、すんません。なんか外に銀髪の女の子がいて。」


 先生、と言いつつ明らかに俺の方を見て言った。このクラスでミカはすでに有名人。つまりわかってて言っているのだ。そう、奴はわかってて…て、ん?


 …はぁぁ!?


 俺は授業中だという事も忘れて慌てて窓に張り付き、外を見下ろす。そこには校内に入らんとするミカの姿が。


「な、中山君!?」


 後ろから俺を追うような担任の声を振り払って俺は猛ダッシュで外へ向かった。







「晋也。よかった。」

「はあ…はあ…お、お前…急に…うん!」


 突然の来訪でかなり驚いたが、相変わらずかわいいミカを見てついついサムズアップする。

 と、違う違う。何故突然やってきた?何か不都合があったのだろうか。てか、起きたんか。


「まじで、突然どした?家でなんかまずい事あった?」


 遂に追手かなんか来てしまったから逃げてきた、なんてことはないだろうか。特に誰かが聞き耳を立てている、という事は無いが、ついつい耳元に顔を近づけるようにして声を潜めて聞くと。


「別に。起きたら晋也がいなかったから探しにきた。」

「お、お前…うん。」


 親鳥に引っ付く雛かよ!

 …とも思ったが、俺がいなくて不安でついてきた、というのは聊か嬉しくもあった。

 嬉しくもあったが、今はちょいとばかし人目につきすぎる。教室の窓からみんな見てるよ。他のクラスまで見てるよ。


「ミカ、家の鍵あけっぱだろ…。まあいいや。もうすぐ学校終わるから待ってろよ。」

「わかった。」


 ミカを外に放置するのは少々辛いが仕方ない。俺は自分の自転車までミカを連れて行くと速足で教室に戻った。






「中山君、あの子は」

「すいません、ちょっとトイレ行ってました。」


 困惑しながら問うてくる石澤先生にかぶせ気味で返事をする。これ以上ごたごたするのはごめんだ。悪いが先生に話す気はない。


「いやあの」

「すいません、切羽詰まってて。」

「あの」

「気にせず授業続けてください。」


  やがて先生も観念して不満そうな顔をしながらも授業を再開するが、残り五分の授業時間が終わりを告げるのは間もなくであった。

 授業が終わった瞬間に集まってくる有象無象は全力寝たふりで回避、ホームルームが終わるまで何とか突き通す。かなり強引だけど。


「今日はお前らくんの?」


 ホームルームが終わり、教室がざわめき始めた頃なんとなく集まっていた英也たちに問う。正直呼びたくはないがもう諦めた。無駄に逃走劇をするのは疲れるからくるのならいっそさっさと決めてほしいと思ったのだ。


「…な、なぜ…!?」

「来るか来ないかはっきりしろって。走るの疲れるから。」

「いや、今日はいいよ。」


 目を見開いて言葉を失う英也を気にもせずに綾香がさらりと言う。さらにその後「ちょっと疲れたから」と物憂げに言いやがる。疲れてるのはこっちだっつの!っざけんな!





「ミカさあ、スリープから起きる条件て何なの?時間?」

「いや。特にない。」


 行きと変わって今度はミカを後ろに乗せての帰り道。そういえばこいつの体重は知らないが後ろに乗せている感じあまり重たいという感覚はない。

 それより、スリープから起きるためのこれといった条件が無いって、つまり一度寝たらなかなか起きない奴、ってだけということか?相変わらず痒い所に手が届かないというか変に人間的というか。

 話すことも無くなって少しの沈黙が流れる。

 暫く黙っていると、俺の腹に回されたミカの手の力が少し強まり、ぎゅっと抱かれる。と同時に俺の背中にもたれるようにくっついてきた。


「えっと何ですかそれまたデータに基づいたサービスですか。」

「…そうかも。」


 そうかも?また随分と曖昧な答えですこと。こいつでも意味のないようなことをしたりするのだろうか。

 意味のない事、ねえ。


「ミカさ、やりたいこととかないの?俺に無理して合わせなくていいんだよ。」

「別に。やりたいことなんて無いし、やるべきこともわからない。」


 本当に、こいつは誰が何のために創り出したのか。

 こんな大層な代物、俺がどうこうしていいものなのか、と思う気持ちがなくなる事はない。だが、ミカも嫌がる様子は無いし、こういってるし。具体的に事態が動くまではこうしていてもいいのではないか。

 思考停止、だというのはわかっている。だが、今は考えずに楽しみたい。


「だったらさ、今だけでも俺に付き合ってよ。」

「うん。」


 俺の我儘に躊躇いもなく返事をしたミカは、また腕の力を少しだけ強めた。





「うん。うんうんうん!やっぱミカは最高だよ!」

「晋也もなかなかやる。」


 家につき、ちゃんと鍵を閉める。留守の間に空き巣が入る、なんてことはなかったようでとりあえず良かった。と言ってもミカが出てきたのはキッチン横の勝手口からだったらしい。鍵を持たない彼女なりに考えた結果だろう。出歩いて危険な目にあったりしたら…なんて父親みたいなことも考えたが、これからはスペアキーを持たせることにした。

 そして俺はさっさと制服を着替え、現在俺はミカとセッションをしていた。俺のレパートリーのタブ譜からミカの歌える曲を試したのだが、やはりミカの歌声は最高だ。


「俺と…世界、狙わねえか」

「悪くない…」


 変に気取った声でミカにふると、彼女も同じ調子でノってくれる。

 正直、ミカの歌声は世界はともかくとしてプロに十分通用するレベル。だが俺は一般人だ。万が一億が一俺ら二人でデビューなんてしたらきっと「ギター下手すぎで草」「足手まとい」「ミカたん今日も介護乙」と誹謗の嵐に揉まれるだろう。中傷ではないのがミソだ。

 よし、じゃあ次は!と俺が張り切ったところでインターホンが鳴る。

 あいつら来ないって言ってたから、宅配便か何かか?

 演奏を中断して下に降りる。ミカもなんかついてきた。そしてリビングのモニターを見ると。


「「おーい!」」


………。


「晋也!出迎えがおせえぞ!」

「来ないんじゃなかったのかよ…」


 ご丁寧に皆さんお揃いでやってきた。

 まあまあと宥められ、釈然としないが一先ず皆をリビングに上げると、綾香が注目を集めるようにわざとらしく咳払いをする。そして、


「ミカちゃん!私たちと勝負だっ!!」


 ミカを指さし、言い放った。

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