無用の心配
「おはよう、晋也。」
「ああ、おはよ。」
朝起きて、挨拶をする相手がいる。それはなんだか不思議な感覚だった。
一人にはすっかり慣れていたが、やはり心の奥底というか、深層心理では『家族』なんてものを欲していたのだろうか。
正体不明のロボっ娘を拾った日。服を買いにそれなりの遠出をし、ちょうど帰った頃クラスメイトに目撃されるというアクシデントは発生したものの、奴らは無理やり押し退けて家に入り、無事ミカちゃんファッションショーを開催できた。
いやあ、実に充実していた。こいつはもう、本当に何着せても似合うんだから。出来る事なら今日も学校をサボってミカちゃんで…いやいやミカちゃんと遊びたいところだが、そうもいかない。
「晋也。いってらっしゃい。」
「おう!留守番任せたよ!」
玄関のドアから顔を出して周囲を確認するが、怪しい黒服集団や黒塗りの高級車が止まっていることもない。いたって普通、いつも通りの静かな朝だ。
それを確認して外に出、自転車に乗りながら手を振ると、彼女も「任された」と振り返してくれた。
今日はサボる訳にはいかない。昨日の目撃者共の口封じが必要だからだ。
昨日。ファッションショーが終わった後も色々とミカと話してみた。
まず、彼女にはやはり『ミカ』の名以外の自分に関する記憶、記録が無い。だが一方、日本で暮らすには問題ないレベルの常識や基礎知識は十分に備えていた。
人間でいうところの『エピソード記憶のみの欠落』といったものか。まあ彼女が人間でない上に、彼女曰く『開発者による意図的な削除』らしいが。
まずい事に首を突っ込んでいる自覚はある。分不相応、到底俺の身の丈に合う問題ではない。…が、今更手放せない。
もし俺が本来の『持ち主』に彼女を返したら、一体何をされるのか。
もしかしたらミカは、施設かなにかから逃げ出してきたのではないか。
突拍子もない妄想が止まらなくなる。大体その何れにしても、アンドロイドなのだから製作者の勝手と言われれば反論できない。
だが、どうしても彼女に辛い思いはさせたくない。
…辛い思いはさせたくない?
今、俺の家にいることは、彼女にとって本意なのだろうか。
否、そもそも人工物である彼女に、『意』なんてあるのだろうか。
ミカの事を考えながらペダルを漕いでいたら、俺はいつの間にか学校へ到着していた。
「ぺっ」
「ひんっ!」
教室に到着し。
いつもは馬鹿みたいに明るく声をかけてくる片岡に、息が止まりそうな程強く背中を叩いてくる柔道部の中井。こいつは何しに来てんだ、と思うほどいつ見ても寝ている橋野に、普段は本に夢中で声をかけてもなかなか気づかない田島。
俺は通りすがる男子生徒、そのすべてに唾を吐きかけられていた。
緘口令を敷くまでも無い。俺が学校に着いたころ、すでにミカの情報はクラス中に流されていたのだ。ご丁寧に昨日撮られた写真付きで。
お陰で男子からは席に着けばけしカスやシャー芯がどこからともなく飛んでくるこの仕打ち。だが一方女子からはというと…
「ねえねえ!例のカノジョ!写真見せなさいよ!」
「でぇへぇぇへぇ~?いぃよぉ~」
「「はやくはやく!」」
この人気であった。
圧倒的な美貌。美貌、というには少々かわいらしい顔立ちだから少し違うかもしれないが、兎も角もはや同じ生物ではないのではないかとすら思えるその容姿は、羨望や嫉妬を通り越したのか、マスコット的な意味ですっかり人気を博していた。
「一家に一台ほしい~」と言われたときは「何故こいつ、正体をっ…!?」と身構えてしまったが、只の言い回しだった。
ここまで褒められてはなんだか俺も嬉しくなる。昨晩のファッションショーで撮りまくった写真を見せびらかしていた。
そのせいで俺の周りには人だかりができていたのだが、がらがらっと教室のドアが開かれると同時にそれらは少しづつ散らばっていった。
「はーいホームルーム始まりますよ~。あ、中山君!もう調子は大丈夫?」
「はい、大丈夫です。」
清楚系美人の担任、石澤先生だ。
どうやら彼女はミカの事を知らないようだった。俺は、このクラスのこういうところが好きだ。
今、男子も女子も少しベクトルは違うが皆が俺に羨望や嫉妬の強い感情を持っている。が、それでからかい持て囃したりはしても、担任にチクって貶めようだとか、そういう考えにはなら
「せんせーい。晋也の奴昨日家に女連れ込んでハッスルしてたから元気っすよー」
「ははは、冗談もほどほどにしろって。」
クソッタレ。
片岡英也にはきつくお灸を据え、事なきをえた。
石澤先生の中で『若くに両親を失うもつらい過去を乗り越えて今は明るく、たくさんの友人と今を生きる健気な少年』という評価を受けている俺だ。そもそも英也の戯言も冗談としか思ってないご様子。まあ、英也だってそうなるのをわかっていてやったようだった。
その後は毎休み時間や昼休み俺という電灯に群がる子虫のようにクラスメイトがやれ写真見せろやれ話聞かせろ紹介しろ爆発しろ滅せよとたかってくるだけで、あとはごく普通の一日であった。そして。
「はい、じゃあ号令係さんお願いします。」
きおっけー、れー。
「「「あーーしたーー」」」
皆の息があったやる気のない挨拶。「さようなら」というべきなのか「ありがとうございました」というべきなのか、未だにわからないままそれなりの月日が経ってしまった結果生まれた曖昧な挨拶。俺はその「あー」の時点で教室を飛び出していた。
「えっ中山君!?」
「ンのやろぅっ!」
「追うぞっ!!」
先に紹介した英也と橋野改、昨日の目撃者のうちの二人。俺と同じく自転車通学の二人が俺を追う。特に改は危険だ。奴はすべての授業を十分で一コマ分理解する化け物。そしてあいた時間のほとんどを睡眠に費やす。つまりフルチャージ状態だ。
が、この事態は勿論予測していた。
「これでも食らえ!」
俺は走りながらシャンプーを取り出し、廊下にぶちまけた。改は対応しきれずド派手にコケるが、それより少し後ろにいた英也は飛び越えて回避する。甘いなっ!とでも言いたげな表情でこちらを見るが、甘いのは其方だ。
「…ま、まさかお前っ…!?」
「おうよ!掃除よろしくなーっ!!」
あの二人、根は結構真面目君なのだ。俺が構わず走り去ることを知れば…そう、掃除とかしちゃうのである。
こうして俺は無事、二人を撒いて帰路についた。
正直、扉を開けるのが怖い。
まず一つにはミカがいなくなっている事。俺に愛想を尽かしてでていくか、遂にミカを制作した裏組織Xが回収に入ったか。
第二に、家の中が恐ろしい惨状になっている事。ある提度好きにしていいとは言ったものの、ミカはアンドロイド。何が起きるかわからない。昨日も食事をとらなかった彼女の動力源が実は原子力、力が暴走して…とか、「料理を作ったつもりなんだけど…。」とか言っておおよそ栄養にはならなさそうな炭の塊を持ってきたり。…それはかわいいからアリか。
しかしうかうかしてはいられない。やがて掃除を終えた二人がここへ襲来するはずだ。
俺は意を決して扉に手を掛けると…!
「ただい…まぁ…」
「おかえり。晋也。」
家に着くやいなや、つい呆気にとられてしまった。「まぁ」の部分は感嘆符である。
家じゅう、至る所。隅々まで塵一つ見当たらない程に清掃されていた。元々それなりに綺麗にしていたのだが、桁が違う。嫌味で面倒な姑すら埃をもとめて探し回り、挙句に泣いて帰るレベルだろう。
「俺がお前を養う。一生、家で俺を迎えてはくれないか」
「晋也。養うと言っても私は食費もかからない。」
なにより。なにより!
ミカは、エプロン姿だった。
「つけてみたかった」とのこと。いやいや、ついプロポーズしちゃったじゃん。…と、こんな場合ではない。
「ミカ!出かけたいんだけど…いい?」
「晋也が言うなら、従う。」
うーん…。あんまし命令みたいになるのは嫌なんだけど。やっぱり意思や感情は持たないのかな。でもエプロンをつけてみたかった、てのは好奇心、か?
何はともあれ、今はうかうかしていられない。片岡と橋野、否。他にも来るに違いない。あいつら昨日うちの前で気が狂ったように奇声上げててほんと迷惑だったんだよ。
奴らはきっと手始めにインターホン連打、ドアノック、呼びかけと次第にエスカレートし、最終的には金属か何かを叩いてどんちゃん騒ぎするだろう。少なくともそれくらいは絶対やる。教育に悪い。
「おまたせ」
「おうおう待ちにま……うん!」
俺は速攻で着替え終わり、それから五分ほど待って着替え終えたミカがやってきたのだが。
上はグレーのシャツにトレンチコート、下はデニム。脇にはトートバッグを挟んでいるが…なんか入れるものあったっけ?高度な組み合わせでは無いが完璧に着こなしている。否、寧ろ服の方から着こなされにきている。何言ってんだろ俺。
とにかく、俺は言おうとしていたことも忘れて取り敢えず親指を立てていた。
「いたぞ!奴だ!」
「逃がすな!」
おっとまずいまずい。掃除を終えた獣共がやってきた。が、仔細ない。
俺はフルフェイス、ミカは昨日行きがけに購入したゴーグル付きのハーフタイプのメット…んー、かわい。
じゃなくて。それを装備し、俺の愛馬、深紅の某ヤマハに跨る。
「あ!汚ねえぞ!」
「追いつけるなら追いついてみらぁ!」
捨て台詞を吐き、二輪をとばす。
腹に回されたミカの腕が、俺に多幸感をもたらした。
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