第4話-3


 闇が月夜を奪うように、世界が一変としていく。

 物体の動作だけが捉えることができる黒と白の世界。


 あの世とこの世の狭間―――まるで色のない異世界は、宗派やオカルト的立場により、黄昏地帯トライライトゾーン黄泉平坂よもつひらさか中陰ちゅういんと呼ばれるこのが多い。だが、それらスベテの精神世界を、除霊師を含む霊感体質を所持した人間は、『理の世界』と呼称している。


 理―――という文字には、この世をつかさどる『道理』としての意味が存在する。その言葉が指し示すように、現代人が視ることのできなくなった世界の真実が、この異世界には存在するということを戒めるように、


 視える世界だけがスベテでないと、霊感体質者だけでも思い出せるように、そう呼ばれるようになった………のだとか。


「今日も、ちゃんといるな」

 宗助は、昨日と同じく少女の世界を視つけることができた。


 誰にも知られることなく痛み、そして苦しみ、穢れという怨念に満ち溢れている記憶となった存在。この世の裏世界で―――ぽつんとスポットライトがあてられたかのように、鮮やかに彩られた少女が、駅のホームに佇んでいた。


 その容姿は、妖精のような華やかさと、妖艶な美しさが合いみる。

 それは―――ほとんどが生きているかのように、だ。


 だが、誰も少女の痛みを知ることがないように、概念と化した穢れが認知されることは、もうない。ここにあるのは、既に現実の摂理せつりと化した『無』としての存在。世の中は、そこに少女がいたとしても、誰も信じることはもうない。


 穢れから自己を守る殻のように、にせで覆われた『祝福』に、少女は身を隠すように閉じこもっていた。それが色となり、黒白の世界に得体の知れない鮮やかな花は咲く。


 まだ、間に合うかもしれない………宗助が思った瞬間だった。


 純粋な穢れは、色はない。ただ蠢く闇と同じく、人々の感情を支配していく呪いとして、働くだけ―――しかし、少女はその偽で作られた殻に守られていただけあり、穢れて尚、自己修復の余地が見込まれる。


 完全な闇から灯を探すのは難しい。だが少女には、この灯が宿っている。

 昨日の除霊が、多少なりとも役に立っていた。


「オメェ、成仏する気ねぇか?」

 宗助は、穢れた少女に訪ねていた。


 彩られた少女の表情は、溌剌とした爛漫なユキの笑顔と重なる。だが、あの写真のような本当の感情を出すことは、もうできないだろう。


 そこにいた負としてのユキは、長い月日に耐えるように震えていた。それも無理はない。死ぬほどの衝撃はこの世を去って尚、悪夢のように繰り返す。昨日の深夜の除霊の際、美紀を通して視ることができた少女の記憶のように、


 それが続くと悪夢に無意識になる。それが残留思惟が穢れになる瞬間だと言われている。


「私、怖い………ィャ」


 人形のように、少女の口角が動いた。

 その彩られた輝きや無理に模られた笑顔が相まって、もはやそれは人間が作る表情としては形容し難い。


 もう、大丈夫だからな―――そんな少女に宗助は、らしくもない優しい言葉を少女に掛けた。


「もう苦しむ必要はないんだ。あの世に行けば、違う人生が待っている」


 宗助は優しい、嘘をついた。

 そうして、もうひとりの少女が声を掛ける。


「大丈夫、私も一緒だから―――」


 穢れた少女は、自身と瓜ふたつの少女に、一度は戸惑う様子を見せる。

 その片方、宗助が連れてきた残留思惟である少女は、双子の片方に寄り添うようなまなざしを向けていた。


「私は、もうひとりのアナタだよ。宗助くんに連れてきてもらったんだ。私が大変だからって………」


「―――どういうこと?」


 なにが起こっているのか? おそらく、強い穢れによって自我を失いかけているというのは、宗助は経験から知っていた。だが―――自我が保てているだけマシというのが、彼の本音だった。


「ユキちゃん、君はこの駅のホームで亡くなって、ずっとこの場所に留められている。そうだ、無意識的であれ、死の直前に感じた苦痛は怨みとなり、誰かを苦しめているかもしれない。だから、元あるべき場所に戻る必要があるんだ」


「私は………そうなんだ」


 思ったより素直に、穢れの少女は事実を受け止めるように、竦んだ肩を解いていった。ユキは自身の死に気づいた時、暗闇が静かに明けていくように、世界は花びらで包まれていく。―――そこまで除霊はうまくいくと思っていた。


 

 宗助自身、穢れの少女のことだけを見て、あたりに包まれた暗黙の触手に気づきはしなかった。

 まるで、その時を狙っていたかのような漆黒の鎖が、少女を貫いた。


「―――ッア‼」


『悪魔の鎖』―――呪縛霊となった残留思惟などの霊体に憑りつく鎖。宗助は驚きのあまり、ホームのあたりを見渡した。


「い、いつのまに、彼女の周りに………これは、『絶望の館』か?」


 鎖の柵は、まるで駅全体を鳥籠のように包み込む。それは、今までに宗助が一度も見たことのない固有結界だと気がつく。


 穢れの元である霊が呪縛霊に堕ちるとき、その場には固有結界とも呼ばれる心の壁が導かされる。それは、霊によってそれぞれの形に変貌するのだが、その大きさや仕組み、概念によって呼び名が存在する。


 ランクの低い呪縛霊は、だいたいは悪魔の鎖は一本のケースがほとんどだ。だが今回の場合、漆黒の鎖が隙間なく無数に連なる。それは、訪れた者を地獄の底に陥れるいばらの檻『絶望の館』と呼称される上位ランクの固有結界だ。


 だが、それと気づくと同時に、宗助は脳裏に違和感を覚える。


「なぜ………呪縛霊でもない彼女に『悪魔の鎖』が―――しかも、この量は………」


 まるで、穢れが浄化するのを見張っていたかのように―――その鎖は、消えていくはずだった少女を、再び穢れへと堕とそうとする。しかも、あたかも始めから備わっていたかのように、宗助たちの前へと出現した。


 なにか裏を感じざる負えない事態に、もうひとりのユキが手を伸ばし、叫んだ。


「バカ―――、心を失っちゃダメよ! そしたら、ハルちゃんが―――彼が私たちの呪いで苦しんでるの!」


 が交じり合うと同時に、穢れは自身の負を誇張するかのように黒い渦が溢れ始める。

 だが、漆黒の鎖に貫かれた少女に、心の奥深くに眠らされていた穢れが増幅を繰り返しながら、あたりに散漫していく。


「………どうして、どうして私を、私だってハルとこれから先もずっといたいのよ。いないとダメなの。じゃないと彼は、生きていけない―――」


「それは間違っているぞ‼」

 宗助は、苦味口を曲げるように言葉を選ぶ。それ以上、興奮させてれば、自身やもうひとりのユキにも危険が及ぶと知りながら、彼は信じたかった。


「オメェの気持ちは分かるつもりだ。急に殺されて苦しかったノも、まだやり残したことが沢山あるノもな。ただ、それはできないんだ。自分の死を受け入れろ。そして、生まれ変わって、違う人生を送るんだ」


 宗助はそう告げると、サングラスを外した。―――その眼が、血の気を帯びた赤い眼光が穢れの少女を貫いた。

 それは、彼なりの最終警告のつもりだった。


「ユキちゃん、ハルちゃんは今は普通の女子高生として頑張って生きようとしている。それはオメェの為でもあんのよ?」


「………私のため?」


 そうだ、宗助の背筋には汗が垂れ始める。


「ハルは、偽名を使って、今は女として生きるとしている。それらスベテ、ユキちゃんがいてくれたからだろ? オメェがいなくなった世の中で、ふたりが過ごせる世界を探しているんだ。そうやって、生きる理由を、ハルは見つけたんだよ? だがな、オメェがそのままじゃ………」


 だが、宗助は既に気がついていた………のかも知れない。


 鎖を貫かれた霊は、『強制除霊』の道しか残されていない。怒りに任せた人間が物事を判断できないように、穢れの大本でもある漆黒の鎖に繋がれて呪縛霊となってしまった残留思惟は、もう自らの意思で成仏することはできない。


 だが、信じてみたかったのだ。

 誰かを思う気持ちが、あんな鎖などを打ち砕くことができるということを、未だに宗助は疑うことなく盲信していた。


 だから最後の最後まで、少女には道理の道を歩かせたかった。


「ごめんな、ユキちゃん。俺もできることは尽くしたつもりなんだ。だけど、俺の考えが甘かった。非力な俺を許してくれよ」


 その謝罪はどちらに言ったのか―――おそらくお互いにであろうが、その理由をひとりのユキは知っている。前もって宗助は、第二の除霊プランを説明していた。


 だがそれは、宗助が忌み嫌う除霊法でしかない。

 宗助の赤い眼光が、血の気を帯びて漂い始める。


「いや―――でも私は、宗助くんみたいな彼氏が美紀にできたって知れただけでもね。本当に嬉しいんだ。だって、彼女………ひとりじゃ生きれないから」


 宗助は思わず微笑んだ。

 穢れも残留思惟も、お互いに同じ人間を心配している。それがあまりにオカシク思えたのだ。ふたりとも元は同じ意思を持つ人間から生み出されたのだから、それは当たり前なのだが、


「そうか。じゃあ、最後にいい夢みてくれよ」  


 宗助は右手の印を手刀へと変えた。

 言霊を用いて、自身に掛けられた悪霊の封を解くために言葉を繋げようとして、最後に訂正だけはしておきたかった。


「だけど、大いに間違っている。俺は、美紀ちゃんと付き合っていなければ、美紀はもう、ひとりで歩いていける。信じてやれよ」


「ああ、そうだ………ぇ?」


 ユキの言葉の吊っかかりに、宗助は思わず振り向いていた。

 

 だからといって、幸か不幸か――――制服学ランに身に包んだ少女に度肝を抜かれる。


 そう、宗助がマッタク想像をしてこなかった力の根源―――運動会の応援団長のような風貌をした美紀が、三人だけの理の世界へと侵入してきていた。


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