第4話-4

「んな、まさか……‼」

 宗助は、思わぬ事態に驚愕した。


 理の世界に侵入するには、霊感体質を保有するだけでなく、年月を掛けた山伏の修行が必要不可欠となる。だが、目の前にコスプレじみた風貌の美紀は―――昨日、こちらの世界を知ったばかりだというのに、意図も容易く侵入することに成功した。


 同じ理の世界に侵入するための条件―――それは、依坐となる術者の意識と自らの意識を完全に合わせること。そのためには、疑似ぎじ的な思考回路を、依座となる人物の脳裏に合わせて組み替える技術が必要なのだ。


 どんな霊媒師でも、理の世界に侵入する労力は、針に糸を通すような簡単な作業ではない。いくつもの鍵をスベテ、一致する色や形に組み替える精密な作業を要することになる。


 そのはずなのに………彼女はなぜ侵入できたのか?

 ふと、思うことがある。


 宗助自身の中には、ホームの少女のカタワレである残留思惟が存在する。

 美紀が、ユキに依存していたのであれば、その意識と共鳴し、こちらの世界へ訪れたとしてもありえない話ではない。


 だが、この可能性―――双子の兄弟だとしても、生き方、個性によってズレが生じる周波数の違いが完全に一致する可能性は、極稀だという噂を聞いたことがある。


 宗助はただ茫然と美紀を見やる。

 そのくたびれたような瞼の下には、くろずんだくまが少女の疲労を露呈させていた。


 だが、その口角が不気味にも はにかんだ。疲労のせいか感情のコントロールができていないのだろう。

 そして、なにか探していたモノをやっと見つけたように、美紀は宗助に歩み寄る。


「………宗助」

 美紀は揶揄からかうようなしゃくれた声だった。だが―――それは、けっして宗助のことを小バカにしていたワケではない。


 それは、人形どころではない。壊れた脳は、もはや少女に単純な思考回路しか残していない。

 ただ、親友に会いたい………それだけ率直の鍵穴しか持ち合わせていなかった。


「あんたがしようとしていること―――もうヤメにしないか?」


 その手には、短いカッターナイフ。――それを見てしまった宗助は、その予感に思わず口を歪ませた。「おいおい、メンヘラかよ………」


 そして宗助は、改めて美紀がココへ来られた理由を考察することができた。


 もし、美紀の鍵がその『ユキと一緒にいたい』という単純な経路しかなかったとすれば、共鳴が他の意識にはじかれることなく侵入できるのではないか?


 それは、子供がよく『神隠し』に逢うという逸話からも予測ができる。

 意識が散漫とした未熟な子供たちは、そういった脳の回路は少ないため、よくこの『理の世界』へと迷い込むことが多い。


 今の衰弱しきった美紀が、こんな感じではあった。


「―――うるさい、うるさい、うるさぁぁぁぁい‼」


 その手は、チワワのように震え出した。

 美紀のまぶたから単純な涙が溢れる。


 彼女の心―――自身が行ってしまった過ちが輪廻のように繰り返されていた。


 それは、過去への懺悔。

 ユキとの永遠を願ってしまったから、彼女はそれを守れない苦しみに耐えながら、それでも最後まで無理に笑顔を作っていた。


 そんなユキのやさしさが―――悔しくも美紀自身の腫物となる。


 自身の首元に刃を向けて………

 原因はスベテ自分にあるんだと―――そう、昨日の幻がこの事実を誇張するように、視えない白蛇が体中を締め付けていたのだ。


「彼女にとって―――あの冷たいレールへ突き落として、殺したのは私なんだ。そのせいで、ユキが呪縛霊になっちゃったんでしょ? そして、彼女は私のことを殺したいほど恨んでる」

 美紀は、下唇を噛む。そして、自らを身を投じようと考えた―――


「私が死ぬこと。それは私に対する罰なんだ」


 美紀は、感情に任せるまま、ナイフに勢いをつけたまま、喉元をかすめようとした。僅かに残された恐怖心が、その瞳を閉じさせて………


 だが―――白刃に朱く鮮明な色が施されると、

 目の前には俯せる男がいた。


「チゲェよ! バァァァカ‼」

 宗助は、遮る。


 白刃をじかに握りしめたまま、その傷口から滲み出す痛みが、宗助を苦しめる。

 ニヤける男の表情には、蒼ざめていく焦りが見え隠れする。

 その行動が―――美紀には信じることができない。


「なにぃヤッてんだよ、宗助‼ アンタは、私がしてしまったことを理解してないのか?」


「だまれ………オオカミ少女。オメェはな」

 宗助は、もう一度ニヤけた表情を美紀へと向けた。


「オメェは、自分の幸せだけ願っていればいいンだよ? それが、ユキの願いなんだからな」


「ユキの………願い?」


 その言葉に、美紀は違和感に気がつく。

 視えない向こう側に、確かに少女の幻を感じていた。


 男の隣には、ふんわりとした妖精が漂うように―――ユキの面影を視ることができた。ただ―――概念でしか少女を、修行を積んでいない美紀がスベテを捉えることはできない。

 

 だが、そこから霊体としての魂の感触に、突如となく救いが訪れた。


 ユキは、後ろから美紀に包容していた。

 ずっと会いたかった最愛の相手に、やっとで出会うことのできた妖精の少女は、その目から溢れんばかりの感情が流れ始める。


 それは穢れた少女も同じだと言える。

 捉えきれない漆黒の牢獄が―――溢れ出す花びらに滲んでいく。それは、穢れた少女が救われていく足音と共に、呪縛霊としての効力が弱まっていっているからだ。

 

 その中で―――宗助は、彼女の力を見逃さなかった。

 美紀のオーラは、女性らしい慈しみと重なった瞬間、穢れとなった固有結界が砕けるように消え去っていく。その力を………宗助は、知っていた。


「穢れ祓いの、歩き巫女―――」 


 言葉が言霊になるように、思いが呪いになるように―――強い祈願は、祝福のように誰かを救済する力を秘めている。


 巫女というのは古来、神に祈願し、その言葉を受け取る者を示す者の呼称。しかし、中には神の神託を受けず、自らの力で人々を救い、穢れと化した鬼を祓い、日本各地を絶望から救う巫女が存在した。


 美紀が霊媒師としての力を秘めているのことは、彼女の憑依体質から判っていた。だが、宗助はこの力の膨大さに戸惑う。その中で、いつのまにか訪れた最終章に、負のユキに存在するスベテの穢れは、取り除かれて―――水と油の関係だったふたつの意識が交じり合う。


『ハルちゃん?』

 

 ふたつの残留思惟が重なり合ったとき、そこにはかすかに美紀が視ることができるほどの少女が形を彩っていた。


「ユキ、ホントごめん。苦しかっただろ? 辛かっただろ?」


『そんなことない。ずっと傍にはハルちゃんがいたんだ。私の我儘として―――心の中には、色が変わることがなかった。幸せが、確かにあったんだよ?』


「それは………どういう意味?」


『ははは………、秘密です。でもね、ハルちゃん。ひとつだけ渡したかったモノがあるんだ』

 それが、最後だと美紀自身も覚悟をしていた。

 涙は、もう流すことは、止めていた。


『私は、女としての自分を捨てきれなかった。ソレは、結局は両方の自分が好きだったから。性というのは、両方とも私だったんだ。だからお願い―――女としての私が、ハルの中に少しでも生きてくれたら、私はそれ以上、嬉しいことはありません』


 ソレに美紀が頷くと、もうユキはこの世界から消えていた。

 

 真っ暗な世界―――朝日は、夕日と変わらない朱色をつれてくる。

 その色はハルとユキ、ふたりが歩いた夕焼けにとても似ている。その色に、思わず歯を喰いしばった。名残惜しさは、悔しさとも似ている。だとしても―――美紀にはこの先もずっと、耐えなければならない腫物が、やけに愛しかったんだ。


 それに、ユキの前では男としていなければならない、美紀は身勝手にそう決めていた………それでも、何度でもその感情の渦が、美紀から途絶えることはない。


「オメェな………」

 宗助は、そんな美紀の肩を叩いた。


「女になりたかったら、そういう時は男の胸で泣くもんだぜ?」


「殺す」


「………ごめん、軽い冗談だ」


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