第2話-3

 狭い四畳半ほどの一室、壊れかけた電灯がチラチラとするボロアパート。


「………美紀ちゃん」

 子供のように伸びた文華の小さな手が、美紀の懐へとあたる。


「あなた、本当にわね」


 やはり、幸助たちの先輩だけあって、彼女も只者ではないのだろう。その手に触れる行為、人の過去や思考を奪う行為なのだと美紀は既に知り得ている。今朝、宗助が駅のホームでやってみせたように。

 

 だが、ニコっと笑顔を見せた文華には悪いが、いたと言われて嬉しい人はいない。


「こんなこと言われて喜べる女の子はいませんよ?」

 さすがに苦笑い、美紀。


「あらそう? 『運がついている』と『霊が憑いている』をかけたつもりだったんだけど、まぁいいわ………それに、宗助に逢ったことを感謝しなさい?」

 それでも、無邪気の喋りたてる文華。


 それは逆に、悍ましささえ含んでいるようにもみえるだろう。

 また言葉の意味に、美紀のひたいにぶく揺れる。


「………そ、それは」


 美紀は認めたくなかった。あの宗助という男に救われたという事実を―――だが、あの場で宗助がいなければ、ユキと同じようにホームにちてかれていた可能性も確かなワケで、


 だが、それでもよかった………

 とは、美紀自身は全くもって考えてはいない。


 ユキと同じ場所に行きたい半分、ユキの分も生きていかなければならないという使命感。―――彼女が生きれなかった一刻を、美紀は生きていく正解が知りたかった。


 そこに正解があるかは分からない。

 だけど、彼女が見れなかった世界を見つけてあげたかった。

 お互いがしがらみなく生きていける世界を、


 そう強い意志に反比例するように、その場にいた『能力者』の目の色が変わる。

 幼女先輩の、キレナガの目がより長くなる。


「あなた、ホントにね」


 ふと気がつくと、身体を起こした文華の掌が、頬へと伸びていたことに美紀は声を上げて驚く。

 それでも冷たくも暖かい声音が、文華は彼女の本心を知っても驚くことはなく淡々と話を続ける。

 

「どの動物もそうだけどね。自分たちの遺伝子を残すため、異性を判別する不可視のオーラがあるのよ。………でも、それと同時に背後の穢れが薄れているのは―――驚いた。初めて視たわ」


 そこで、聞き役に徹していた幸助が口を割る。


「俺も、今のは穢れの減少は感じ取れた。兄貴がいう通り、オーラが男に戻ることで穢れが離れていく………原因は、女性になることによって起きているでは」


「―――違う。いや、あってるけど、そうじゃない」

 そう、直観のように文華は言葉を切る。


「穢れが標的ターゲットを選んだあとに、性別が理由で素直に離れていくかしら? コレはどちらかというと、女性になるにつれて………」

 

 あくまで憶測でしかないと思わせるだけの空白。

 文華の口調からは、一切の喜は消え失せていた。


「おそらく、美紀さんが本来の性(女性)に戻るにつれて、霊感体質だった本来の力が戻ろうとしているんじゃない?」


「それって………美紀さんに『力』があるというのか?」


 説明するよう尋ねる幸助には、明らかに美紀の動揺をまぬがれるためのうそが存在する。

 だが、その気遣いとは別に当の本人は、その理由を理解できずに、解釈を求めるように文華へと目配りした。


 その具体的な説明はそのあとすぐ幼女先輩は、人差し指を立て始めた。

 それは、命令や選択肢を与えるときの人間の行動―――その少女の使命に、ふたりは引き込まれていく。


「あなたにはみっつの選択肢を与えます。ひとつは、アナタの力を完全に消滅させてもらう。でも、『力』と言っても自覚はあるかしら?」


「………力ですか?」


「まぁ、一言でいえば、まわりにわざわいを呼ぶかもしれない性質―――とでもいっておこうかしら?」


 それだけでも、充分に美紀は理解した。

 が、本当の説明はそれからだった。


「判りやすく言えば、怨念おんねんけがれを受け入れやすい体質のこと。駅のホームで宗助に見つかったのだって、このせいなんだから」


 軽く考えていた。美紀の拳に爪が突き刺さる。

 そんな力なんて―――ただでさえ生きにくい世の中で、それ以上に何かを抱えて生きることなんて美紀には到底想像することができるワケがない。


「こんな力なんて要らない」


「そうね。なら、仮でもいいから男として生きていきなさい」


「………はは」

 冗談じゃねぇ‼ ぎしりで封じ込めた、美紀の本音が吐き出された。


「それだけは絶対に嫌よ‼ 普通になりたいの。ただ、それだけなのに………」


 それは幼女先輩にも、あらゆる点で敏感に貫いた。

 が―――その言葉を、抑え込むように、この世界の、規定になってしまったルールの解説を始める。


「その言葉、絶対に宗助には言わないでね」

  美紀へとつたうその手を離してから、文華は言葉を整え始めた。


「そもそも、人間というのは他人の痛みを知るべきなの。だけど、穢れが増大した世の中では、誰もが鈍感にならなきゃ生きられない。それは仕方がないことなのよ。それに、今の弱いアナタじゃ受け入れられない。穢れに打ち勝つことなんて………」


「―――いや、待ってよ‼」

 その言葉に美紀は断じて聞き伝ならない。


「それじゃ、まるで私が、ユキが私のことを―――」


 だが、言いかけた言葉を美紀は阻止した。

 いや、それがきべんだとしても、それが事実として自発したように―――人が他人を理解できないように、いくら親友同士だとしても、いくら判り合えた錯覚しても、そこには越えられない壁があること、嫌というほど理解していた。


 判っていた。

 今朝に舞い降りてきた自殺観念のりかや、何者かの穢れが自身に憑りついていると知ったそのときから―――勝手に感傷に浸り、消えていった親友の本当の痛みを知らなかったのは美紀本人だった。


「あの少女、ユキって言うのね?」


「判んないよ‼ ただ、ここで最近自殺した親友が、そういう名のだけ………」

 自らを殺そうとした擬態が親友だとしても、美紀は未だに胸の内にある偽善を捨て去ることはできない。


 それでも美紀の言い分を、違う意味で文華は納得したようだ。


「だから、余計に………同情させられた美紀さんは穢れがきやすかったのね」


 それから、しばらく文華は耽っていた。

 だが、それは嵐の前の静けさによく似た、言葉の選別に過ぎない。

 しばらくして、優しくも宣告者の使命は降された。


「ごめんなさい。だとしたら、あなたにとって嫌な気にさせることを今から言うかもしれない。一応、ふたつ目の選択肢はもう電車には乗っちゃダメ。そして最後の選択肢………」


 文華は微かの迷いが、震えとして放たれた。


「あの駅にいるユキという少女を除霊する必要があるわ」


「―――――ッ‼」

 思わず、理性を翻した拳―――勢いに任せた武力となり、文華に襲い掛かろうとしていた。


 それが形だけの行いだとしても、『親友を消す』という方言には相違ない。

 けがれを未だに信じない美紀にとっては、親友の二度目の消滅の宣告はあまりに悍ましく、遺憾で、怨みという言葉でも言い換えることはできるはずがない。


 ―――大きな破裂が部屋中に響き渡る。


 しかし、文華は目を閉じたまま………少女の前で、美紀は泣き崩れていた。


 叩けなかった。

 そこで怒りを発散したからといって、穢れとなってしまったユキはもう返ってこない。

 そしてなにより、親友を救いたかった。


「オネガイ、ユキを助けてェ………」


 悪にもすがるような彼女の鼻声―――プライドや自身の命よりも親友のことが、なによりも大事だった。

 

 その目の前で、白装束に身を任せた男が手を差し伸べた。―――それはまるで、心に土足で上がり込むような、悪徳な行為だった、かもしれない。


 今朝のようにあの似非占い師のような男は、挨拶もなしであらわれた。


「ユキって子を、ちゃんと成仏させような」

 白装束には似合わないサングラス越しに、ふたりは目を合わせる。


 宗助はいったい、美紀にとって『神』か『鬼』なのか―――?


 だが、そんなことはどうでもいい。

 誠意から自身と向き合ってくれている男。それは、あの駅にいたときから変わらないはずなのに、心から溢れんばかりの感情が、美紀に芽生え始めていた。


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