第1話-6

 朦朧もうろうとする意識の中、美紀は夢を見た。

 それは、失った過去を繰り返すような幻だった。罵声や誹謗中傷、その中で華やかに咲く一輪の白い花。


 美紀は、外気に触れることさえ許さない覚悟で必死で守っていた。

 だけど、その手の内で―――花はポタポタとに散っていく。


 失望感が蒼ざめた意識となって、脳裏へカビのようにこびりつく。

 この世に覚醒した美紀は、そのまま目を閉じたままだった。


 時間を忘れさせる褐色の光源が瞼を貫通する。そして、カビれた古いエアコンの匂い。おそらく、何処ドコかのカラオケボックスで間違えなさそうだ。だが、カラオケボックスはどこもかしこも似たり寄ったり。残香ざんこうだけで見分けをつけるのは至難の業だ。


 だが、ここが最初に訪れたあの合コンが開催されている部屋とは違うカラオケボックスだと気づいたのは、聞き覚えのある耳障りの声がしたからだ。


 宗助は、弟にイイワケともいえる問答もんどうを繰り返していた。


「―――な、なんでや。ホンマ、女性だとは思わんかったんや!」


 だがそのセリフ、美紀は感心に近い驚きを隠せずにいた。ある意味、正解ともいえる宗助の回答に、つい隠しきれない心が、言葉になった。


「そうよ………。今は女性だから」


 すっと立ち上がると、美紀は言い争うふたりをみやる。ブラウスは見るも無残に引き千切られたまま、その隙間からは白の生身がみえる。そして、どちらかの配慮だろう。肩の上から制服ブレザーの上着が羽織はおられていた。


 だが、美紀は男たちがいると知りつつも―――上着を一度外して、千切れたブラウスを脱ぎ始めた。


 成長過程の未完熟の白い素肌は両生類の湿った艶らかな皮膚に似ている。なんの羞恥心しゅうちしんも感じないかのように美紀は制服ブレザーに腕を通した。


 明らかに目を外した宗助。逆に、驚きのあまり目が外せないでいたのは幸助だった。ふたりの行動、あまりに自然なことに視える。だが―――美紀にとっては、彼らが同性だと思っている相手だというのは、本当は変わらない感情だった。


 身なりを正しながら、美紀はもう一度ふたりを確認した。

 男が言っていることに、裸をみられたことでスッキリしてしまった。そこまで、自身を演じることができなかた。


 なぜなら、男たちに裸を見られたのに、全くもって羞恥心が湧くことがないというのが『不自然』だという自覚はあった。そうはなれない自身が、悔しいぐらいに美紀は嫌いだった。


「そうだね。女、だけど――――」

 幸助は、唖然した視線を正す。

 ニコッと口角を上げて、あたかも優しいお兄さんのように微笑んでいた。

「心が男のままだから、宗助に勘違いされたのかな?」


 その平坦な声に―――真実であるが、美紀はうなずくことはできない。もうひとりの美紀は、自身の学校生活を諦めていないかのようだ。


 とにかく、美紀は思い人である幸助の前では冷静を保とうと息を詰めた。


 そして、我に返ると、そこには数えきれないほどの謎が存在していた。

 駅のホームでの自殺願望の露呈を筆頭に、美紀自身の所在、更には幸助に自身の隠してきたアイデンティティを見抜かれたのだ。そのうち、ふたつは同じ事象の暴露ばくろであったが、


 超能力者………と言えば簡単かもしれない。

 だが、現在社会に侵された美紀の思考では、その実在について懐疑かいぎする以上に信じることは、まず不可能だ。


 困り果てた憶測のまま、美紀は訪ねていた。


「幸助くん………、あなたはいったい?」 


 そんな当たり前の質問だった。

 幸助は、耽るように天井を見てから、何か言葉を選別し始めた。

 それからすぐ、


「美紀さんは、言霊ことだまという言葉を信じるか?」


「コトダマ……?」

 その言葉、美紀には聞き覚えがない。

 初めて、耳にしたワードに戸惑いの念を幸助へと返していた。


「そうだね。たとえば『自殺』という言葉が存在するから、この世には自らを殺める行為が実在してしまう。という理論のことだ」


「それは結局………」


 美紀は、ふと頭から似たような言葉を見つける。

 どこかの哲学者が仰った『我思うゆえに我あり』という哲学。要するに、そこに自分がいると思うことで、初めて自身の存在を認めることができるソレだ。


 だが、

 その哲学をつくがえすくらいの『結論』を、幸助は説明しはじめた。

 

「言葉という『不可視の力』があるように―――この世界は、視えない力で支配されているんだ。俺たちは、それを視ることができる『能力者』だよ」


 それは、なにかよい冗談だと考える。

 そんな言葉でも、非常な美紀を励ますための言葉であるなら、嘘でも笑うべきと考えた―――矢先だ。


「ただ、視えない力というのは『言霊』だけじゃネェがな!」

 ふたりの合間を区切る荒い声―――


「言葉が強くなれば『呪い』になる。自殺者が『この世に未練』を残せば、それは怨念となり穢れにもなるんや」


 美紀へと指をした宗助。彼女はその正面ではない指の微妙なズレに違和感を覚えた。まるで、自身以外の誰かが後ろにいるかのよう………その憶測は的を射抜いていた。


 サングラス越しの視線は明らかに、美紀のその先ずっと深い深淵にあるなにか得体のしれない魔物モンスターを感づいていた。


「オメェの背中にも穢れがとりついている。コレを背後霊はいごれいって言うんだよ」

 

 突如、美紀は身を竦めた。

 言葉が、思いがオカルト的事象を信じていないにしても、恐怖がこの身にまとわりつく。


 思考に付着したきょである自身が、『死』をどことなく望んでいる―――それが、自らの本能以外の意思から発生した可能性が、美紀には明確に理解できた。あの駅のホームで突如と湧きだした『希死念慮』のように、


 だが―――それはつまり………

 

「美紀さん、その件で聞きたいことがあるんだ。」

 渦中かちゅうを彷徨う少女に、幸助は心配そうに尋ねた。

「男でいなければならない理由………それが本当に過去にあるのか?」


「………ッ、ないよ」

 言えるはずがない。


うそつけ!」

 率直なうそは、既に見透かダウトされていた。


「俺には判るんだよ。オメェが女に戻ろうとするほどに………なぜか背中の穢れが膨大している。それには、オメェとあそこにいた穢れを繋ぐくさりが存在している以外考えられネェよ」


 その理由を脳裏を探求する過程もなく、単純解明な事象が美紀を乗っ取りかかろうとしていた。


 忘れても忘れきれない。記憶に形があるとすれば、この図形は既に美紀本人、ソノモノをあらわしているといっても過言ではないくらい―――捨てられた日々は、少女を彩っていたのだから、


 それらスベテ、自身が女になれない理由も含めて、その亡霊の正体を美紀は理解していた。


 だが、応えない少女に、痺れを切らした宗助は占い師の助言のように言葉を繋ぐ。


「自殺は連鎖する。負の呪縛が消えない限り、オメェみたいな関係者、同じ苦しみ抱えるモノの穢れとなり膨張していく。きっと誰かが死んでからも、そのまま放置され続けるだろうな」


「………じゃあ、どうすれば」


 思わず言い返していた。いさかいさえ理解できないほど、美紀の脳裏に空白が生まれた。意固地に過去を捨て切ろうとしていた。


「私が死んで、済むんだったらそうするわよ‼ 私を殺せば満足まんぞく―――」


「バカか、テメェは?」

 この荒げた声は、カラオケボックスで拡散して腐乱な少女まで響いていた。


「誰かが亡くなれば誰かが悲しむ。そんなオメェでも、俺は助けてやるから」


 サングラスの奥、美紀には男の表情は分からない。

 だけど、その偽善とも思える言葉には、彼なりの正義がある。 


「分化して美紀に憑りついた背後霊、その大本であるホームの呪縛霊。それら同時に除霊するしかないでしょ。そのためには、『祓い俺ら』が必要だ。幸助、ふたりは文華先輩のとこで待機してろ⁉」


 そう、またしても疑問を残して、宗助はカラオケボックスを立ち去っていく。


 幸助がしばらく思案顔をした。

 だが………のちに何かに気づいたように美紀を確認する。


「ヤラれたよ」

 幸助が分かりやすくも口を歪ませた。

 ただ、今回残していったのは、疑問だけではなかったと、飽きれながらもそうフザけたことを考えさせられていた。


「あいつ、カラオケ代払ってねぇ」



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