第1話-5

「そりゃ、おめぇに話があんから」


「へぇ……ごあいにく、私には話がないわ」


「まぁ、待てって―――おぉぐほぉっ‼」

 肩に手を添えようとした男の溝に、美紀は見事な肘打ちをした。


「……せっかく、御剣くんと仲良くなるチャンスなのに、あなたがいたら―――」


 もはや、当の宗助を黙らせるという目的は忘れていた。


 それよりも、一世一代の大勝負である幸助との逢引きを失敗するワケにはいかなかった。………いっそ、手足を縛って外に放り出したいと美紀は考えるほどに、


「おい、ちょっと待てオオカミ娘! 幸助、アイツだけはヤメておけ?」


「――ッ‼ なんでよ?」

 言われることはなんとなく美紀には想像できた。だが―――


「花の雄蕊おしべ雄蕊おしべじゃ受粉はしな―――ゴォッホォォ!」


 言い方があるだろ‼


 反射を超越した廻し蹴り―――スレンダーの太ももからコンパスのように伸びる足が、スカートをひるがえしながら男の腹筋へ突き刺さる。


 強烈な嗚咽を吐きながら転がる男を美紀は見やる。吐く息を整いながら、男の所在をどうするべきか考えた。


 おそらく、この男は縄で縛って放り出すだけじゃ足りない。二度と話せないぐらいに喉を割き切る必要があるかもしれない―――美紀はそんな予感がした。


「………おい、いいのかよ?」


「はっ? なにが?」

 犯罪はいとわないという理性を逸脱した表情で、美紀は男を見下みくだした。


「さっきから後ろに幸助くんが見てるぜ?」


「―――え?」 

 振り向く。―――ッチ‼

「いねぇじゃねぇかよ⁉」


 いない。逃げやがった。


 あまりに早い出来事に、美紀のまぶた痙攣けいれんを始める。


 そして、いつの間にかに誘導された本性のまま、男をきにしようと歩き始めた。その足取りは、獲物を求める野良犬のごとく、凶暴かつ抑えられないほどに神経が腐乱していた。


 懸念けねんしていたのだ。

 あの占い師によって、自身の正体が幸助に知られてしまうのではないかと。悔しさを隠すように、美紀は唇を噛みながら―――簡易迷路と化した通路をしらみつぶしに歩いていた。


 どうしても、それだけは止めなければ………

 単細胞の脳みそは、ただ頭にインプットされたあの占い師を探し求めていた。


「どうしたんだ? こんな息を吐いて―――」


「―――ルッサ……、いえなんでも。おほほ………」

 美紀は男性の声に振り向くと、そこにいたのは―――ちょっと不思議そうに頭を掻いている御剣幸助だった。


 どうも、驚きを隠せない。

 美紀は、あたかも一般女性を装うために、興奮した息を整える。


「………どうしたの? 幸助くんもトイレ?」


 トイレとはなんて下品な………と美紀は言っておきながら恥ずかしくなった。 

 それとは関係なしに、幸助は不思議そうに周りを見渡していた。


「どうしたもこうしたも、さっきものスゴい鈍器ドンキで壁でも叩くような音がしたから、つい美紀さんが心配になってきたんだ」


 美紀、心配してくれていたことに思わぬ紅潮。

 あ、でもこの音の正体は………さっきの廻し蹴りの音だ。


「え? あぁ……コッチじゃないよ? 誰かがカラオケボックスの中ではしゃいでいるからじゃない?」

 高校生になってから嘘が格段にうまくなっている………美紀はそう思った。


「そうじゃねーだろ⁉ バイの美紀ちゃん」


 ―――は? 突如と崩壊していく理想と現実に、驚愕した脳みそは動くことができない。それに、美紀には唖然とするところか、理解不能な不祥事ふしょうじが存在した。


 男は、消えたと思えば、ふたりの目の前に現れた。それは、まるで透明人間のようにも―――何か不思議な力があるのではと、美紀は考えるほどにだ。


 それとは関係なく、美紀の隣にいた幸助の眼差しは、男の言葉の意味を確かめるように、当の本人へと向けられる。


「美紀さんが、バイね」

 


 ―――ヤ、ヤバい。


 美紀はその疑いの目に突如として世界は停止。この一秒至らず、脳裏には宇宙が芽生え始めていた。―――結果、嘘つくしかねぇ‼


「あの男に、お手洗いで侵されそうになったんです‼ そんで私、個室の中を覗かれて………ウゥッ……」

 卑猥にもわざとらしくブラウスを捻る。されちゃった感を美紀はアピールする。


 そう、目には涙を浮かばせて、可憐の乙女に―――きっと、幸助も理性が崩れるに違いない‼ が、甘かった。


「―――はぁ⁉ だぁれが………ゲホォッ‼」

 美紀は躊躇ちゅうちょない白い針金のような目潰しが炸裂する。

 サングラスに隠れた目元を抱えながら、男は地面に転がり始めた。


「ん………宗助が、のぞきだって?」

 幸助は、やはり引きずった表情のまま、宗助と呼んだ男に指をした。


 まあ、ホームで幸助の名を指名しただけあって、その幸助が彼の名前を知っていることに関して、なんのオカしいポイントではない、ハズだった。


 にしても、『宗助』という名前。

 もし美紀が冷静にモノゴトを考えることができれば、サングラス男の本名に違和感を覚えることもあったのだろう。だが、怒りに任せた脳では、それを推論する余裕は既に保有していなかった。


「そうなんです。それで、私……の秘密ぅっ……ウゥッ……」


 幸助の襟もとにしがみついた美紀。愛しの相手とのくちびると唇の距離が急接近するが―――妄想が夢で終わるように、美紀は悪寒を感じたのだ。


「おぃ、おめぇ……もう許さんぞ?」

 宗助は、そんな泣き真似をする美紀の両肩を掴んだ。


 さすがに目潰しは、占い師の心に眠る般若の心を蘇らせたのは言うまでもなく―――いや、それだけでない。『実の弟』の前で無実な名誉棄損を訴えられては、それなりの仕返しをされても仕方がないことではあるかもしれない。


 宗助の握力が、美紀のワイシャツを引っ張る―――急激に締まりくる感覚に、美紀は驚愕するも………もう遅い。


「――グゥオオオアァァァァァァァァァァ‼」


 ―――ェッ⁉


 鷲掴みした腕が大きなXマークに代わるととに―――美紀のブラウスのボタンがピストル弾のように飛び散った。その下に隠されたブラジャーはワイヤーごと引き裂かれた衣類はチリの藻屑になり………美紀の白く透き通った裸体があらわになる。


 ―――ぁ、私の青春が終わった。


 その時に、美紀はあることを諦めた。

 それと同時に、なぜか―――宗助の表情も、自ら犯した罪に表情がだんだん曇り始めた。


「あれ………、アレレ?」


さて、これはどういうことでしょうか? 宗助が表冷めした表情で幸助に確認を求めるが―――そこには哀れな兄を睨む幸助がいた。


「―――このゲス兄貴あにき


 兄貴………? 上半身が露出させられた元凶を、美紀はもう一度確かめたかった。

 『宗助』『幸助』―――ふたりの名になぜ違和感を感じた理由、そのとき始めて理解することができた。


 そう思った瞬間―――銃弾に撃たれたかのように美紀の意識が遠退とおのいていく音がした。

 

 暴露されていく『性』、憧れの相手との間にある隠しきれない本当の美紀。それらすべての葛藤の末、美紀はそれ以上自身が保てなくなり、その場に無残にも倒れこんでいた。 


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