第1話-3

 男がいなくなった駅のホームには、美紀だけが残された。

 知らぬ間に口元の親指をかじるのは、美紀の癖みたいなもんだった。


 ほぼすべての出来事に解決がつかないまま、トカゲのしっぽでも舐めている気分にイライラさせられていた。


 自身の自殺未遂や忘れられない過去が、なぜあの男に露呈ろていしていたのか―――脳裏で自問自答を繰り返した。が、放心状態の脳は、ひとつの可能性を壊れたキーボードのように弾き出す。


「どこかでバレたのかしら………。もしかしてアイツ、ストーカー?」


 根も葉もなさそうだが、現実的に他人たにんのプライバシーを知り得ている理由としてはそれが一番合点がいく。だがしかし、だ。もしストーカーだとしても、そこには説明不能な矛盾がある。


 男が、突如として現れた美紀本人の『希死念慮』を知る由はないのだ。


 当の美紀でさえ、この時までそのつもりはなかった―――心に突如として芽生えたつるが、いつの間にかに美紀自身を乗っ取ろうとしていたのだから、


 だが、そんな偶発的感情に『あの男』は気づいた。

 まるで、吊り下がった広告でも見掛けたかのように、男は美紀の行動を見抜いたのだ。それは、荒手ののようにもみえる。


 ただ、そうだと解釈ができたとしても、美紀の心はしばらく穏やかに戻ることが不可能なまでにズタボロに傷ついていた。封に封を重ねた自身の腫物はれものを何度も荒く叩かれて、そこには言訳いいわけを重ねる弱味だけが残された。


「なんで……、どうしてよ………」

 妬み口が漏れていると気づくこともなければ、本日の未遂事件が学園中に広まることを恐れていた。


 その喉元から、春先だというのに汗がしたたる。


〈どうにか、あのサングラスを黙らせねぇと………〉



 偏差値はていからこうと学部により様々だが、近くに駅が存在しないという交通の不便さが有名である川越東城高校。


 魅力といえば、そのような不便さとは別にスポーツ界ではプロ野球選手や有数のオリンピック選手、都内ではないにもかかわらず芸能人を幾人も輩出している。


 それとは別に、最近建て替え工事が完了した世界有数であるデザイナー考案の一面ガラス張りに設計された東棟、西棟と呼ばれる新校舎が多くの生徒から支持を集めていた。


 しかし―――美紀にはどうでもいいことだった。


 中学時代、仲のよかった親友との約束が同じ高校で有限である時間を一緒に過ごそうということだった。

 しかし、約束は守られることなく終焉を迎える。


 この高校に通うことを夢に見ていた少女。彼―――いや、彼女は今年三月、美紀の自宅からの最寄り駅のホームから鉄の塊へと飛び込み自殺を図ったのだ。そして、見事にこの世から去ることに成功した。


 永遠に続くそらのように、変わらないことは不可能だと知っていたのに


 授業終了間際、校庭から体育の授業のざわめきが校内にも僅かに聞くことができる。その声が届くたびに、普通の生活、体育の授業が受けられることが如何に幸せかを―――美紀は考えさせられていた。


「なに授業中に外ばっかり見ているの?」

 授業が終わり、ボンヤリとしていた美紀に話し掛けてきたのは前席の天木だった。


「あ―――そうね。」


 そこで、例のことを思い出す。

 自身の正体が暴露される前に、あのサングラス男のメッセージでもある『学年一の人気者』に出会う必要があったのだ。


「御剣くんって男の子、隣のクラスにいたわよね」


 あくまで平然に美紀は尋ねる。正直、御剣という名前を口に出すのにはかなりの勇気がいる。その理由は、彼があまりにモテるからで、ヘンな誤解を招きたくはなかったからで………


「なにこのワザとらしい聞き方? まさか、美紀も幸助くんを狙っているの?」


「――ヘ? 違う違う⁉」

 思わず、理性とは逆のことを言ってしまう。


「じゃあ、いきなり色気ついちゃってどうしたのよ?」


 ん―――、美紀にはその理由を話すことができない。

 幸助への好意も、サングラスの高校占い師のことも………いくつも脳裏には雄たけびのように明確な事訳ことわけが浮かぶのに、それを発散できないというのは一種の拷問に近い。


 ふ~ん? と天木は疑うようなジト目を美紀へと向けていた。

 が、『その言えない理由』をどう察したかは不明であるが、天木はそれ以上は事情を尋ねることはなかった。


「分かったわ。それなら今日、一緒に私たちと来なさいよ?」


 両肘を付いた天木は、なだめるように美紀をみながら応えた。


「へ、ドコに?」


「どこって、いつも誘うのに美紀は来ないじゃない?」


 あぁ―――美紀は記憶を辿たどる。

 気になった人間以外は、0か1の法則ぐらいに興味を持てなかったため、そういう男女の不純異性交遊は興味がなかった。でも、


「――え⁉ まさか、御剣くんも来てるの?」

 それは初耳だ。


 おそらくもなにも、天木が毎週のように開催している合コンパーティーは学園内で一種のブームメントとなっている。それに、思春期の男女がそういった不特定の出会いを求めたがるというのは、名も知らぬ相手に名前を尋ねる某ヒット映画からも実証されていることだ。


 正直、そんな出会いを求めているのは間違っていると、美紀本人は考えている。

 だが、なぜ幸助のような高身長で学力も学年トップの男が、このような交友会に参加しているのかは今世紀最大の謎としか言いようがない。


「あ―――、そうね」


 疑問に応えようとする天木の声に、美紀は我に返った。


「だって、美紀………。他の男の子からもたくさんモテるし、断るし。あまり興味がないのかなって。(彼のことを言わなかったのは事実だけど)」


「私も行く‼」


 そのあまりに素早い寝返りに、一度は天木は一瞬気押されしたが、なにかを諦めるように眉を八の字に変えた。


「わかったわよ。ちょうど今回、女子がひとり足りなかったから………でも約束よ?―――」


 突如、天木は美紀を懇願するように抱き掛かる。


「私たち、なにがあっても友達だからぁぁぁ‼」


 この友情に応えるように美紀も天木の背をなぞる。だが、実際は―――しめたぜ、という愚行が頭に過ぎっていたのだ。


 そのオオカミの手は、ぎゅっぎゅと程よい脂肪のついた女性の身体を確かめていた。下心が見え隠れする触覚と化した掌を―――少女の外見から誰もが気づくはずもない。

 

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