第一章:オオカミ少女は巫女少女⁉

序章

 東武東上線とうぶとうじょうせんにある とある駅だった。早朝のざわめくホームに美紀という女子高生はいつも独りぼっちで、風景のひとつとして息をしていた。


 だが、この日は違う。

 人は死を望んだ瞬間、とても静かになれる。


 成長過程の痩せ扱けたコンパスのような腕と脚、まな板の胸――――最後にこの身を、両肘をかかえるように包んだにも関わらず、美紀は自身の存在を見失ったのだ。


 そして――――

 この先の運命や期待という束縛からスベテ解き放たれて、それ以上はなにも考える必要がなくなると、この上ない祝福が舞い降りた。


 その近くの椅子にくくりつけられた枯れかけた花束を、失いつつある感情で眺めてから心で小さく呟いた。


〈もう、いくよ…………〉

 美紀の心がからになった時、周りの音がより一層大きく聞こえる。人生最後のカウントダウンにそれ以上何も考えないように努めたのだ。


 五、駅のアナウンスが鳴り響く。

 四、風の音が無になる。

 三、人の騒めき。

 二、命を奪う鉄の塊が近づいてきた。

 一、有希ゆきちゃん……


 この世を去った親友の名前が頭から離れないうちに、この身体ごと自身の存在を無きモノにしたかった――――あの世の狭間へ、美紀はゆらゆらと身体を踏みはずそうとした 。


 その時だった。

 あの声は、あまりにハキハキと土足で現れたのだ。



「ちょっと、アンタやめときや」


 ゼロ……心でも見通されたかのような発言に思わず、美紀の肩が竦んでいた。

 そして、浮ついた声の方向に自然と顔を向けていた。


「なに? なに? ここへ飛び込めば転生するとでも思っている? 最近のラノベ読みすぎなんじゃねぇ?」


 男は、制服ブレザーに似合わない古風なサングラス。そこから透かして美紀を睨み、怪訝そうに言葉通りの妬みを吐く。


 我に返った美紀がまず目に付けたのは、男の制服の襟元えりもと―――同じ高校を示す紋章にこんネクタイ。その色は、美紀たち一年生より一学年上の二学年を示すカラーだと気づく。

 

 ふたりが膠着こうちゃくしている合間にも、川越駅へと向かう電車は今日も一分の狂いもなく停車。サラリーマンや学生たち乗客は、そんなふたりを眺めることもなく鉄の胃袋へ吸い込まれていく。不本意ながら美紀は、あっけなく男をみやり、電車を見送るほかに選択肢はなかった。


 通学途中だということを忘れていた。

 それでも男は、言葉を繋げる。


「オメェ、死ねば転生してハーレムルートってか? バッキャロ――! だから困るんだよ。オメェみたいな自殺した奴がドコ行くか教えてやろうか?」


 男は目線を外し、電車内部の自動扉へと歩み始める。

 その途中、横切っていく美紀の耳元で、その声は軽蔑の念を込めて呟かれた。


「地獄だ、バカ」


 男は空白になった少女を置いて、カタカタと地面を揺らす騒めき同様に街の一部になろうとしていた―――矢先だ。


 美紀は今までの自身が行おうとしていた未遂事件を棚に上げて―――この男の肩を掴んだ。その剣呑とした眼差まなざしには、軽蔑を含んだオオカミの眼。誇張しすぎたプライドは、少女を人間ならぬ生物いきものへと変貌させるかのように漂い始めた。


「言いがかりは止してくれませんか? この最低男………」


 肩を掴まれたことで、男は止む負えなく止まる。しかし――――男には停止する以上に、から表情が曇り始めた。


 ただ、この場で謝ればいいものの………男はで疑い、そして気づいてしまった。

 彼女が放つ『言葉』には、少女とは反比例するが存在したのだ。


 ブロンドに染めたつやのある長髪ちょうはつとがったまつげから見える力強い眼、針金のような指先から伸びるスレンダーな身体からだは、髪からつま先まで未完熟な少女そのものだが………このサングラスの男からすれば、その事実は信じがたい『嘘』が含まれていた。


「―――ぁ? ん………、ちょっ待って。俺の思考が追い付かないのはなぜか」


 その怪しくも、咀嚼そしゃくでもするような男の目つきに、美紀の気が押される。

 そう、悪寒がしたのだ。

 今まで感じたことのない鬼のような『疑い』の視線が、なにより耐えがたい。



 いや、まさか………美紀は今朝の鏡に写る自身の姿を思い出す。


 そうよ! 雑誌のグラビアにでてくる女性よりは胸は劣るかもしれないけど、某アイドルグループの頂点に立てるぐらいの可愛げと華やかさはあるんだから‼


 それでも、この高校生活が始まって以来、既に幾人もの男たちの告白を断わってきた。この男も………きっとそのチグハグな下男ゲスおとこに違いない!


「どうせ意味わかんないこと言って、私に興味あったんでしょ? でも、ごめんなさい。私はアナタなんて興味ないですから」


 美紀は上から目線にあざけるように、言葉を吐いた。

 それでも、人の好意を断わるというのは気持ちがよい。外見で異性を魅了し、その妄想の自身を糧にクソ男共が自慰行為を行っていると思うと………美紀はちょっとだけ快感を感じる性癖の持ち主であるが、


 男がフラれたショックで、この駅のホームから離れていくのを美紀は今は今かと待ち望んでいた。―――そのはずなのに、なぜか男はなにか可哀そうなモノを見るような目を向けた。


 そのあとだ。

 腐った生物なまものを眺めるような表情へと変貌。男は、わざとらしく唾を飛ばしながら、その根も葉もなさそうな………少女の矛盾を指摘した。


「だぁれが、オメェみたいな『男』を好きになるか? コッチじゃないんでごめん」


〈え………嘘だろ?〉

 美紀は真っ白になる。そして意識が、漂白していく。


 思わず、美紀は自ら自身の胸を揉んでいた。外見から察する通り、ないのは知っている。けれども、一応には、女性を象徴するブラジャーのふんわりとした感触を確認したかった。そして、次にその手は股間こかんに触れていた。


 心の中で、呪術のように外見による自身の正体の認識を試みる。それは、美紀自身が女だと思うためのすべみたいなもんだった…………はずだが、


「有る、無い、じゃねぇよ? 無い、有るだからな?」

 男は美紀の手ぶりを真似て(上:胸、下:股間)、えげつない口角を見せた。


 美紀は、男の眼を観た。「――っふっ」そう、笑いが吹き上げてきた。

 そのあと、ついでに涙が溢れてきた。



 少女にとって―――自身の正体を秘密裏にすることが、みずからのプライドを保持するためには必要不可欠であった。


 にも関わらず―――

 その武装は、ホームという公共の場で、いともあっけなく暴露された。

 だが、そのセリフを聞いたとて、立ち止まる人間はひとりもいない。早朝の通勤時間に、列車の目の前で騒ぎ立てる若者を眺めているほど暇な人間は、おそらく文明が発達した先進国日本には存在しないのは不幸中の幸いというべきか。


 だがそれとは別に、

 不覚にも浴びてしまった羞恥と痛恨の念を、安易に取り除くことができるほど、美紀の自我は画一されてはいなかった。


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