第百二十二話『聖泥の威令』其の四


「簒奪王」


 栗鳥は傍の老紳士に呼び掛ける。

 簒奪王はひどく不機嫌な顔をしていたが、それでも構わずに栗鳥は続ける。


「よくやった。よくぞまあ単身でサルワを抑え切ってくれたものだ。お前がいなければ、きっとここで業魔王を討ち取ることは出来なかっただろう」

「……」


 簒奪王は応えない。

 老紳士はただでさえ恐ろしい顔を更に強張らせ、すぐにプイとそっぽを向いてしまう。


 ――――はあ、なるほど。これは教育のしがいがありそうだな。


 簒奪王とは『黄金の鳥籠』に対するオスマン皇族の怒りと無念が、アフメト二世を主軸に天使として昇華した存在だ。である以上、自らの国を持ちたいだの、世界を統べたいだのといった大言壮語は、つまるところ誰かに認められたいという幼稚な承認欲求に由来する。


 ならば、褒めてやればいい。

 功績に正当な評価を下し、お前にも価値があると存在を肯定してやればいい。

 折角の優秀な駒なのだから、うまく利用してやるための調教は必要不可欠。今はまだプライドが邪魔をしているようだが、そうすれば近いうちに簒奪王はこちらに靡くはずだ。

 

「後始末の引継ぎを済ませ次第、私たちもすぐに全殺王の討伐へと向かう。いい加減終わらせるべきだ。こんな無意味なことは。一秒でも早くな」


 そんな腹黒いことを考えている様子はおくびにも出さず、栗鳥は淡々と告げる。その、まさに次の瞬間であった。


 唐突に、なんの前触れもなく、まるでこの世の終わりと思うような大爆発が生じた。


「なっ――――」


 爆心地は決して近くはないはずなのに、途方もない光と爆音に全ての感覚を埋め尽くされる。続いて押し寄せるは衝撃波。事前に身構えていなければ、問答無用で足が地から離れるほどの斥力であった。


 大爆発の後、断続的な暴風と衝撃波が収まるまでに一体どれだけの時間がかかったか。微かに視界が戻り始めるなか、栗鳥は髪を払い、顔を拭い、爆心地の方へと目を凝らす。

 しかし、ここから爆心地まではかなりの距離がある。

 具体的に何が起きたかなど見て分かるはずもなく。分かるのはこの方角の先で、なにかろくでもないことが起きたということだけだ。


「全殺王か?」


 パッと思いついた可能性を口に出す。

 しかし、かつて天界に三百年籍を置いていた天使は即座にこれを否定する。


「いや、違うな。全殺王の有する権能の中にあのような現象を引き起こせるものはない。そも、悪魔の王であるアンラ=アンユが聖の象徴である火を振るえるはずがないであろう――――」


 しかし、簒奪王の言葉は最早栗鳥の耳に届いてはいない。

 既に彼(彼女?)の意識は新たな異変の方に釘付けになっていたからだ。


「なんだ、アレは……」


 冷静沈着な栗鳥も思わず息を呑む。

 恐らくは爆心地の直上であろう。

 こちら側とあちら側を分かつ高層ビル群、その屋上を超えた更に上空だ。


 そこに『何か』がいた。

 本当に『何か』としか言いようがなかった。

 確実にその姿は視界に写っているはずなのに、それがどんな形であるのか認識出来ない。

 そもそもそこに『何か』があるという認識すら酷く曖昧。にも関わらず、それがどうしようもなく神聖で危険な存在であることだけは否応にも思い知らされる。

 

 世界の深淵を覗いたような、まるで点の世界から線の世界を覗いたような、そんな底知れない悪寒が栗鳥の背中を走る。

 されど――――、


「……この程度で、悲蒼天が折れるとは思うなよ」


 ダエーワを上回る新たな人類の危機の出現。

 しかし、それでも栗鳥は力強く笑ってみせる。


 天界、超常、人類にそんなものは必要ない。

 むしろ天は人を歪める。

 本来存在するはずのない法則が、本来あるべきこの星の秩序を乱す。

 何より、人類の歩みを人類が決められないなど言語道断だ。

 悲蒼天は戦う。全ては森羅万象の支配者たる天界に対し、人間種としての独立と尊厳を取り戻すため。

 そのためならば、たとえ相手が天使だろうが神だろうが関係ない。


 栗鳥は懐から小さな神像、先程アズに投げ付けたのと同じものを取り出す。それを右手にグッと握り込み、新たに出現した人類の敵を果敢にも睨みつけてみせる。


「高い位置から見下しやがって。必ず引き摺り下ろしてやる。アレが天使に由来する存在であるならば、私たちの『聖泥の威令アダムタラブ』に殺せない道理はない」



 ♢



 ところは中央区西部。

 名目上は帝国陸軍の所有地となっている、とある横広の建造物でのことである。


 後藤機関。

 この国を四分する霊的勢力の一角は、大爆発の瞬間ちょうどその建物の中にいた。


 偶々部屋の隅にいた者は、本能的に窓から外を見る。

 各地に展開していた部隊から、ダエーワが突如消え失せたとの報を受け、思わず胸を撫で下ろした直後の更なる危機。まるで寝てる最中に冷水をぶっかけられたような、そんな衝撃がこの場にいる全員の間を走る。


 具体的な被害は分からない。

 しかし、窓の向こう側に広がる光景は正に地獄の顕現であった。

 護るべき帝都が無残にも焼け落ちていく様は、国の防衛を担う彼等に一体どんな感傷を抱かさせたか。


 しかし、それでも後藤機関の面々は冷徹であった。

 例え相手が天使だろうと神だろうと関係ない。この国の安全を脅かすものは、外敵として排除するだけだ。


「北村大尉」


 窓の外を眺めていた一人の軍人。

 彼は振り返り、上座の司令官らしき男の名を呼ぶ。


「あぁ、最早なりふり構ってはいられない。至急、後藤少将に連絡しろ。我等は『陽桜ひよう』をもってあの化け物を撃ち落とす」



 ♢



 人類王勢力、碧軍、悲蒼天、後藤機関。

 この国に根を張る異能者の手によって、全殺王と業魔王は遂に討ち果たされた。ダエーワは残らず死に絶え、侵略の橋頭堡であった東京も人類のもとへと解放された。互いに種の存続をかけた絶滅戦争は、彼等に軍配が上がったのだ。


 しかし、そこに新たな人類の脅威が現れた。

 その正体、目的、共に不明。

 ただ分かるのはその『何か』はとてつもなく危険で、人に仇をなす危険な存在だということだけ。


 だが、負けるわけにはいかない。

 例え相手がどれほど強大であろうとも決して屈しなさい。


 ダエーワとの戦いにすら勝利した今の人類に乗り越えられない苦難などなし。


 全ては人類のため、

 全ては世界の平和のため、

 皆で力を合わせてあの化け物を殺してしまおう。


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