第百二十二話『聖泥の威令』其の三
「――――え、嘘、こんなところで」
そこで業魔王はようやく、本当にようやく気付く。
この戦いは、自らが弱者を一方的に嬲る狩りではなし。
アズが栗鳥を殺し得る存在であるように、栗鳥鈴久もまたアズ=エーゼットを殺し得る存在なのだということを。
「ちょっと待って待って待ってえええッ!! 嘘、六千年も生きてきたのに……そんないきなり、こんなのイヤよッ!!」
アズの悲痛な叫びを無視するように、全身に隈なく纏わり付いていく泥、泥、泥――――翼をセメントのように塗り固められ、アズはそのまま瞬く間に高度を下げていく。
それまでの人を小馬鹿にしたような表情は何処へやら、今や業魔王の顔には明確な恐怖の色が浮かんでいた。
「イヤイヤイヤイヤ、絶対にイヤァッ!! やめて、お願いだからッ!! アタシはまだまだたくさん恋をしたい。そうして、こんなアタシでも愛してくれる運命の人と巡り会いたい……なのに、もう殺されてしまうなんて、ここで全部終わりだなんて、そんなのあんまりですッ!!」
されど、そうほざく業魔王はこれまで一体どれだけの人間を殺め、不幸にしてきたか。直接手を下した数は少なくとも、彼女の行いのせいで命を落とした人々は数知れず。
そんな外道が死にたくないと命を請うて、聞き入れる者が果たしてどれだけいるだろうか。
少なくとも栗鳥鈴久は業魔王を許さなかった。
まるで火山の噴火を彷彿とさせる爆発音と共に、これまでとは比べものにならない勢いで泥が噴き上がる。
いっそ山に例えた方がしっくりくるほどの大質量。やがてそこから四肢が生まれ、頭が生まれ、泥の山は徐々に人間の姿を形作っていく。
身長十メートルを誇る泥の巨人。
その流動的な両手がアズの細い腰を左右から掴み取る。そうしてまるで彼女を包み込むように、止め処なく押し寄せる泥、泥、泥泥泥――――――、
「嗚呼、もし次があるならば、もう一度生きることが許されるならば、どうか誰かアタシのことを愛し――――」
そこで言葉は完全に途切れる。
最早翼はうんともすんども言わず、それどころか指の一本動かすことすら叶わない。鼻が詰まり、耳が詰まり、口が詰まって、目が詰まる。視覚も聴覚も嗅覚も何もなく、全ては闇の中、底の知れない泥の中。やがて業魔王アズ=エーゼットの意識は完全に消え失せた。
♢
「制圧完了」
業魔王の沈黙を確認し、栗鳥は術式を解除する。
途端に地の果てまで延々と泥だけが続く『異界』は消え失せ、周囲の景色も彼(彼女?)がもといた築地本願寺へと回帰する。
仕事を終えた栗鳥の足元には、人一人をちょうど包み込めそうな泥の玉が転がっている。かくしてアズはこの泥玉の中へと封じられた。栗鳥が術式を解除しない限り、彼女は最早体を動かすどころか思考することすら叶わない。
「あぁ、任務は達成した。可及的速やかに回収して欲しい」
携帯電話を取り出し、繋がった先に淡々と二、三言告げる。
相手が十三王である以上、手加減など出来るはずもない。殺してしまうことは勿論、殺されることも覚悟していたが、幸運なことにうまく生け捕りにすることが出来た。
「さて」
一通り連絡を済ませ、栗鳥は簒奪王の方を振り返ろうとする。
「グアアアアアアアアアアアアッ!! オレの体が、壊れて、崩れて、消えていくゥウウウッ!! 痛いのは苦しくて辛いぞォオオオオオッ!!」
唐突に悲惨な、それでいて馬鹿馬鹿しい悲鳴が上がる。
数多の『顔の無い男』を従え、王として優雅にたたずむ簒奪王。その目前で魔王サルワの肉体は半ば崩壊しかけていた。
ペースト状になった肌は瞬く間に崩れ落ち、その下の肉や骨も最早まともに形を保ってはいない。まるで夏場に屋外で放置されたアイスの如く、魔王サルワの肉体はあっという間に溶けて消えてしまった。
「業魔王さえ落とせば、その腹から生まれ落ちたダエーワは全滅する。以前捕らえた堕天使から聞き出した通りだったな」
全殺王アンラ=マンユを除いて、全てのダエーワはアズの腹から生まれ出でたものだ。これで東京に溢れる無数のダエーワは一匹残らず消え失せたに違いない。
あとは全殺王さえ討ち取れればこの戦いは終わる。
人類対ダエーワの異種間絶滅戦争。いっときは最悪の結末として人類滅亡まで囁かれたが、これでようやく光明が見えてきた。
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