第百十五話『絶対悪』其の二
そこで樋田は早々に切り札を切った。
ナイフの先から噴き出す火力は絶大。そして炎とはゾロアスター教においてあらゆる不浄を焼き払う善の象徴、つまりは絶対悪アンラ=マンユやその眷族の弱点をつく形となる。
黒蛇は樋田を追い回す過程で密集し、隊列はお手本のような長蛇陣を描いていた。そこに正面から真っ直ぐ炎の洪水が襲い掛かる。まるで黒の太線を上から赤で塗り絵するように、直線的な火炎放射が蛇の大群を丸ごと呑み込み、燃やし尽くす。
再び草壁の攻勢は失敗に終わった。
悪魔にとってもこの結果は予想外なものであっただろう。
「ハッ」
しかし、悪魔の顔に浮かぶは相変わらず余裕の笑みであった。足元で自らの眷族が消し炭にされているにも関わらず、むしろその結果を喜ぶようにせせら笑う。
「クククッ、アハハッ……ただでさえカスみたいな『天骸』しかないくせに、この程度の危機に『破滅の杖』を使うか。で、これからお前はどうするつもりなんだ。なあ、我慢のきかねえ早漏野郎」
当然の反応であった。
『破滅の杖』もまたその絶大な火力と引き換えに、莫大な量の『天骸』を消費する燃費の悪い術式だ。そんな切り札を使わせただけでも上々、しかも被害は一束三文でほぼ無限に召喚出来る黒蛇だけときた。
ただでさえ両者の継戦能力には既に取り返しのつかない差がついていた。それがこれ以上広がるとなれば、本格的にこの戦いは詰みとなる。
「オイ、降りてこいよ」
しかし、少年の心は未だ折れてなどいない。
むしろ毅然と言い放つ。
ただの高校生との一騎討ちを恐れ、決して手の届かない安全地帯に引きこもるクソヤロウを挑発するように。
「馬鹿抜かすなよ。言っただろ。絶対悪であるこの俺様にとって誇りだの正々堂々だのは何の意味もねえ寝言だってな。見下す俺様に見上げるお前。立ち位置としても存在の優劣としても、この構図だけは絶対に変わらないと理解し――――」
「ごちゃごちゃうるせえな、さっさと
そこで少年は右腕の袖を捲る。
そして、その下の肌に刻まれた蛇の紋様、即ち先程全殺王から奪い取った
「はぁッ……?」
瞬間、草壁の顔から表情が消える。
当然であった。
『対立概念提示』。対立する二つの概念を提示し、そのうち対象が悪であると判断した方を自在に操る力。消えろと言うだけで核兵器の超火力すら消滅させ、死ねと言うだけでありとあらゆる生物を即死させる無敵の権能。その反則じみた汎用性と理不尽極まる性能は、術者であるコイツが一番よく知っているのだから。
そんなまさかと思うのとほぼ同時、空飛ぶ悪魔は見えない力によってなす術なく直下に叩きつけられる。つまりは、『破滅の杖』から噴き出す炎の洪水の中へと放り込まれたのだ。
そして、もう一度言おう。
炎とはゾロアスター教において不浄なるものを焼き尽くす善の象徴。にも関わらず、絶対悪であるアンラマンヌをその中に突き落とせば一体どうなるか――――――、
「ッ、ィギゲギャアァエエァアアァアアァアアァアアァアアァアアァアアァアアァアアッッツッ!!!!!!!!!!」
まるでマンドラゴラでも引き抜いたような、品のない悲鳴がホールの中にやかましく響き渡る。
普通の人間と違いダエーワは火で炙られたくらいでは死なない。否、死ぬことが出来ない。全身をくまなく焼き尽くされても、焼かれたそばから肉体の再生が始まる。焼かれては再生し、焼かれては再生し、それを短い時間の中で何度も何度も繰り返す。
その様はまさに阿鼻叫喚。どうせコイツは死後地獄に堕ちるのだから、生きているうちにちょっと体験させてやろうという樋田の粋な計らいであった。
「
癇癪じみた怒鳴り声と共に、再び絶対悪の権能が発動する。
その一言だけで竜の咆哮が如き炎は瞬時に消失する。
「ふざけんじゃねぇぞクソ野郎ォオオオオオオオッ!!!!!」
草壁は吠える。
彼の目線から見れば、それまで炎に覆われていた視界がパッと急に開かれる。悪魔は樋田を見つけて殺すため、辺りを見渡そうとする――――しかし、その必要はなかった。
「なめやがって、許さねえぞおおおおッ!!!! なんの特別性もねえテンプレモブ野郎の分際で、この俺様をッ……!!!!!!」
「よぉ、焼き加減はどうだミディアムレア野郎」
「なッ…………!!」
なぜなら炎が晴れたその瞬間、樋田可成は草壁蟻間のすぐ目の前にいたのだから。
「死にやが――――――グブブ」
草壁は反射的に樋田に掴みかかろうとするが、対する少年は迷うことなく悪魔の右頬に本気のストレートを叩き込んだ。
よろけたところに樋田はすかさずナイフを繰り出す。
左胸に刃を突き立て、そのまま右の脇腹にかけてを一気に切り裂く。
いくら便利な再生能力が有していようと、術式を使えば必ずそれだけ『天骸』を消費する。この隙に少しでもダメージを与えてやろう。果てしない道だが、そうすればコイツは徐々に死に近付いていくはずだ。
「チッ……!!」
しかし、そこで既に瘴気で爛れている皮膚に再び焼けるような痛みが走る。
草壁の纏う穢れが再度樋田に牙を剥いたのだ。業腹だがこれ以上の接近は危険と判断。少年は悪魔の腹を蹴飛ばし、再び距離を取り直す。
また仕切り直しだ。
また殺し切ることが出来なかった。
それでも悪魔の受けたダメージは素人目から見ても深刻であった。
全身がくまなく焼け爛れ、皮膚という皮膚が色も質感もキャラメルみたいになっている。それでも胸の刺し傷を中心にどんどん肉体は再生するが、かつて見た簒奪王の回復速度と比べると明らかに遅い。
「テメェはな、ここで死ぬんだよ」
恐らくは先程の焼死と再生の繰り返しで、樋田の想像以上に『天骸』を浪費してくれたのだろう。はじめコイツと相対したときに感じた身が竦むようなプレッシャーは最早ほとんど感じない。
「テメェみたいな人間がよ、生きてていいはずがねえだろ」
樋田はそこに勝機を見出した。
もう一度コイツの裏をかき、致命傷を加えることが出来れば殺し切れる。そう確信する。
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