第百十五話『絶対悪』其の三
「……はあ、面倒臭えな。どいつも、こいつもよ」
床の上で大の字になりながら草壁は呟く。
それまでの燃えるような怒りとは少し違う、例えるならば宿題をやろうと思った瞬間親から勉強しろと言われ機嫌が悪くなったような口調。怒りの激しさは明らかに弱まっているはずなのに、それがかえって不気味であった。
悪魔はやがて地に手をつき、ゆっくり身を起こす。
それでも立ち上がることは叶わず、床の上に座ったまま不意に口を開いた。
「……なあお前、家でゲームとかはやるのか?」
「……」
なんで今そんなことを聞いてくるのか、全くもって意味が分からない。樋田は相手にする価値なしと黙殺するが、それでも構わず悪魔は続ける。
「まあ、その年代なら多かれ少なかれ絶対やってるよなゲーム。で、なんでやってるんだ? やっぱ、面白いからか?」
そこで、草壁はハァと溜息をつく。
傍らの壁に手を突きながら、その場にゆっくりと立ち上がる。そして、
「俺様にとっての悪業ってのはそういう類のもんなんだよ」
カケラも悪びれずにそう言ってのけた。
悪びれないどころか、ふてくされたような物言いですらあった。
「俺様はな、物を壊したいときに壊して、女を犯したいときに犯して、気に入らねえ人間を傷付けて殺して、そうやって好きに楽しく生きたいだけなんだよ。なのに世の善人様は犯罪だの非人道的だの社会道徳に反してるだのとゴチャゴチャ俺様に文句を垂れてくる。いいよなあ普通のヤツは。普通に好きなことやってても誰にも文句を言われねえんだから。全くもって、ずるいよなあ」
草壁と真っ直ぐ、正面から目が合う。
既に顔面の再生はあらかた終わり、悪魔は元の美形を取り戻してはいる。そのはずなのに、樋田にはどうにもこの男が醜く思えて仕方がなかった。
「だから俺は思ったんだよ。あぁ、この世界は狂ってる。どいつもこいつも頭がおかしいヤツばっかなんだってな。でだ、世界が俺を受けいれないというなら、もう俺がこの間違った世界を変えてやるしかないだろ」
そうして草壁は完全に立ち上がった。
乱れた髪を手櫛で整え、その瞳を理想にキラキラと輝かせ、まるで自分が素晴らしいことをしているような物言いで宣言する。
「だから俺様はこの世界を一度破壊する。法を廃し、国家を壊し、社会を乱し、ありとあらゆる倫理道徳から人類を解放する。誰も彼もが自由に生きれる無秩序をもたらし、絶対悪こそが絶対の自由なのだと世界に証明する。お前ら
樋田は絶句する。
この悪魔は東京に無数のダエーワを解き放ち、罪のない人々を数多く殺した。そして何より秦漢華の家族を殺め、彼女の心に二度と癒えないであろう傷を刻み込んだ。
――――ふざけて、やがるのか……?
その理由がこれだと?
そんなくだらない理由のために、コイツは人を殺したのか?
そんなくだらない理由のために、秦は涙を流したのか?
元々この悪魔に対する怒りは頂点を超えていた。
そこから更に限度を超え、最早怒りという枠組みすら越えつつある。
だから、態々怒鳴ったり罵ったりして怒りを表現する必要はない。
「……勘違い、してんじゃねえよ。俺はハナからテメェに正しさなんざ求めちゃいねえ。俺はなテメェを殺したいんだよ。で、テメェは俺を殺したい。だから殺し合う。それだけだ。馬鹿でもわかるシンプルな話だ」
拳を握る。必ず殺すという覚悟を込めて。
そうやって、全身にくまなくドス黒い殺意を浸透させていく。
「だから安心しろ。今俺を駆り立てているのは、人を正す正義なんかじゃねえ。獣を殺す、衝動だ」
「ハハッ」
そう言われて、草壁は意外にも笑顔を浮かべた。
口を押さえながらクツクツ笑い、やがて耐えきれなくなったのか、まるで道化のように大きく声を張り上げる。
「……お前、分かってるヤツだなあ。クソッ、最高じゃねえか。ついうっかり好きになっちまいそうだ。もっと違う形でお前と会いたかった。お前には、俺様の理解者になって欲しかった」
しかし、そこで草壁は心の底から残念そうに溜息をつく。
再び顔を上げたとき、最早そこに笑顔はない。それどころか人として最低限の繕いすら存在しない。嗚呼やはりコイツは人の皮を被った獣なのだと、そう樋田は確信する。
「でも、ダメなんだろうなあ。お前は、俺様を殺したいんだもんなあ」
樋田は答えない。
答えず、ただ殺意を向け、それを返答とする。
「残念だ。だが、仕方ねえ。結局俺様もお前を殺したいからな。ムカつく野郎だ。やっぱ俺様の気に触るヤツは生きてちゃいけねえな」
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