第百四話『周音と漢華』終 其の四


 二〇一六、年――六、月十二日――十九時、五十六分――二十六秒――――――、


 リプレイが終わる。

 意識が現在の時間軸へと回帰する。


 一瞬の明転の後、樋田ひだの目の前には闇が広がっていた。

 そうだ、夜だ。周囲に炎が広がっているわけではないし、そこらに少女の死体が転がっているわけでもない。

 場所はあの橋の下のまま変わっていないが、確かに自分はあの四月八日から六月二十日へと戻ってきたのだ。


 その事にほんの一瞬だけ安堵する。そう、それは本当にほんの一瞬だけであった。


「……――――畜生がアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 無力、絶望、そして憐憫。

 あまりにも多くの感情が同時に込み上げてきて、しかしそれを言語化して処理することすら出来なかった。

 樋田は傍に転がっている橋の瓦礫を殴りつける。続けてガツンと頭を叩きつけると、額から顎までをつぅと赤い血の跡が伝った。


「これじゃあ助けてなんて、言えるわけねえじゃねえかッ……!!」


 やはり樋田の悪い予想は的中した。

 姉である秦周音はたのあやかを殺した草壁蜂湖を、秦漢華はその手で殺めてしまったのだ。


 そして秦邸を襲ったであろう全殺王ぜんさつおうの依り代、草壁蟻間くさかべありまは草壁蜂湖の実の兄だ。なら、その目的は復讐だろうか。全殺王自体に草壁蟻間の事情は関係ないだろうが、もしかしたら自分の体を貸す代わりに妹の仇を討つように頼みでもしたのかもしれない。


 だが、そんなことよりも今は秦だ。

 状況は最悪だ。秦漢華が生きているかどうかだって未だ分かってはいないのに、仮に彼女を救えたとして、その後どうやってアイツを説得すればいいのだ。

 いくら姉の仇とはいえ、きっと秦は人殺しを悔い、そんな自分を許せないでいるのだろう。アイツはきっとそういう人間だ。付き合いは短いけれども、樋田は確かな自信をもってそう言える。


 だから秦漢華は誰にも助けを求めない。

 全部自分一人で抱え込んで、まるで自らの傷付くことこそが贖罪であるとでも言わんばかりに。そうしてこんなクズの命で誰かが助かるならばと、積極的にその命を捨てようとするのだ。


 それが秦の選んだ答えならば、彼女の気持ちを汲み取ってやるべきか?

 いや、容認できるはずがない。


 自己犠牲は美談か、或いは自業自得か?

 ふざけるな。アイツにそんなことをほざくヤツがいれば、どこの誰だろうとぶっ殺してやる。


 認められるはずがない。受け入れられるはずがない。秦漢華の罪を知って尚、それでも樋田可成は彼女を罰されるべき悪人として切り捨てることが出来なかった。

 何故だろうか、どうして自分はここまで彼女の肩を持つのだろうか。この感情がどのような定義を持つのかは分からない。それでも、アイツが自身の不幸を当然の報いとして受け入れて死ぬような、そんな結末だけは絶対に許容するなと魂が吠えるのだ。


「……ずっと、気付いてやれなくてごめんな」


 後悔に押し潰されそうになる。自分という人間の愚か具合にほとほと愛想が尽きる。

 初めて会ったときから幾らでも機会はあったのだ。もっと早く、少なくともこんな最悪な事態になる前に、何か手は打てたはずなのだ。


 だが、後悔しても今現在は何も変わらない。

 だからこそ、責任を持って未来を変えるのだ。


 アイツがどれだけ自分を責めようが、どれほど自身の無価値を主張しようが、必ず元の日の当たる場所へと連れ戻してやる。そうしてアイツを人殺しの呪縛から解放して、心の底から笑って日々を過ごせるような未来にしてみせる。


 それが目標だ。

 否、絶対に達成せねばならない使命だ。

 方法なんて分からない。具体的な手段なんてそう簡単に見つけられるはずがない。


 だが、見捨てない。絶対に見捨てはしない。

 例え世界の全てがアイツを悪だと糾弾しようが、樋田可成だけは必ず秦漢華の味方であり続ける。

 傲慢だと思うならばそう言え、それでも樋田はそれこそが自分のするべきことだと思うのだから。


「テメェ独りで膝を抱えたまま、何もかも諦めて死んでいくなんざ馬鹿げてやがる。教えてやるよ。正義の味方は善人しか助けられねえが、クソヤロウにはクソ女だって救えるってことをなあッ……!!」


 初めからことの善悪などに興味はない。

 ただ単に樋田自身が気に入るか入らないか、基準はただそれだけなのだ。


 そうしてやらねばならないことが分かると、いつのまにか心は落ち着きを取り戻していた。

 額の血を拭い、少年はポケットから携帯を取り出そうとする。掛ける相手は晴だ。なにはともあれ、アイツに秦の居場所を特定してもらわねば事は始まらない。

 いや、そんな贅沢は言わない。大体の範囲にまで絞り込んでくれれば、後は足と洞察力でどうにかすることも出来る。今すぐ駆け出したくなるのを堪えながら、慎重に連絡帳を開く。

 

 状況は最悪なれど、僅かに光明は見えてきた。

 まさにその瞬間であった。



 ドゴォオオオオオオオオオォオオオオオオオオオッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!! と、近くに雷でも落ちたような爆音が突然耳を劈く。

 いや、違う。別に近くはない。あまりにも音が大きすぎて、だから近くのように感じただけだ。

 音がしたのは北北東。今樋田のいる港区においた、そちらを向いた先にあるのは最近何かと物騒な中央区である。


「――――んだ、今のッ……!!!!」


 東京という街はとかく巨大だ。

 世界最大の大都市圏という横の広がりはもちろんのこと、森のように高層ビルが連なっているのだから縦の広がりもかなりのものがある。

 だからこの街は遠くを見渡すに適した環境にはない。例え同じ都内に爆弾が落とされようと、宇宙人による侵略が始まろうと、その様を肉眼で捉えるのは困難であろう。



「…………………………なんだよ、あれ」



 しかし、遠隔地にいる樋田にもその異変は、いや人類に対する明らかな挑戦とでもいうべき驚異は、確かに彼の視界の中に収まっていた。


 何故か、答えは単純である。

 大都会東京の有する縦の広がりよりも、その驚異の方が更に一回り巨大であるからだ。

 例えるならば全体的に低い街の中で唯一巨大な仙台観音を眺めるような違和感、或いはそれすらも超えた異世界感。少年の視線の先に位置する中央区には、同区最大の聖路加せいるかガーデンすらも上から見下ろす超巨大な何かがいた。


「巨大な、肉の塊……?」


 大気が震える。

 大地が鳴動する。

 空があっという間に、北から逃げようとする鳥の群れによって埋め尽くされる。


 西暦二千十六年六月十二日夜。

 いつのまにか、世界の終わる足音はすぐそこにまで近付いてきていた。



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