第九十七話『小さな体に大きな罪』其の一
彼等が来ると聞いてから随分と時の流れが遅くなったような気がする。出来れば早く、いや一秒でも早くいなくなって欲しい。
だってあの人達が近くにいると思うと、今にもこの場を立ち上がってしまいそうになるから。悲劇のヒロイン面で彼等の前に顔を出して、その優しさにすがって、そうやって罪深い自分を甘やかしそうになってしまうから。
どんより雲がかった頭の中で、ぼんやりとそんなことを思い浮かべる。
品川埠頭に広がる倉庫群。先程まで
「……樋田さん達と会わなくて良かったのですか?」
そんなときであった。
突然建造物の陰から、背の高い黒髪の女がニュッと顔を出す――――
「……会えるわけねえじゃねえですか。何ですか、もしかしてあの二人に慰めてもらえとでも言いたいんですか? ありえねえですよ、松下にそんな資格はねえんです。てか仮に隠したところで、あの二人ならすぐバレそうですしね」
「はあ、そうですか」
陶南は何の感動も込めずに言う。
果たして彼女は本当に心の底からどうでもいいと思っているのか、或いはそのような話し方しか出来ないのか、そのどちらが正しいかは分からない。
――――なんなんですかッ、そのまるでなんとも思っていないような反応はッ……!?
だが、そんな陶南だからこそ松下は胸中を吐露出来たのかも知らない。壁に向かって愚痴を独り言つのと同じだ。例え親しい者には話せなくとも、どうでもいい輩にだからこそ気兼ねなく吐ける言葉というものもある。
「陶南先輩」
「なんですか」
「私を殺してください」
「嫌です」
予想通りの即答に舌打ちをする。
この感情が完全なる八つ当たりだと言うのは分かっている。それでも彼女は衝動的にそうならざるをえなかった。
「クソッタレ、何で私を責めないんですかッ!?」
ヒステリックな怒鳴り声と共に、陶南萩乃の胸倉に摑みかかろうとする。しかし、背が足りなかったので仕方なしに腹の辺りの服を掴む。
今の自分の顔が意地悪く歪んでいることに、果たして松下自身は気付いているのだろうか。
「アンタの顔見知り含めて、あんだけ多くの人間が殺されたっていうのに私は……私なんかが一人だけ生き残ったんですよ? 他の人達がこれから先どうなるか理解しておいて、それでも私はあの戦場から逃げ出したんですッ!! そんなクソ女を前にして何で貴方は目くじらの一つも立てねえんですか? 何ですか、バカにしてんですか、哀れんで同情してるつもりなんですか? ふざけんじゃねえ、ムカつくならムカつくとそう言え。殺したいなら殺したいとはっきり正直にそう言えばいいじゃねえですかッ!!」
あぁ、なんと醜い。今喋っているのは自分なのに、まるでこのやり取りを外からもう一人の自分が見ているかのように、ひどく自分自身が醜く思えて仕方がない。
大きな声を出して、殊更に怒った風に振舞って。そうして感情をむき出しにする松下に対し、しかし陶南萩乃はどこまでも冷静であった。彼女は自らに摑みかかる、松下の手を逆に優しく取ると、
「いえ、確かに皆さんが亡くなったのは残念ですが、貴方が生き残ってくれたのは私にとってもとても嬉しいことです。ありがとうございます。本当に、生きてて良かった」
そう聖母のように囁いて、ともすれば松下のことを抱きしめようとすらしてくる。当然松下は弾かれたように反発した。
「なんなんですか、なんで怒らないんですかッ!? 訳が分かりません。今ここには私とあなたしかいねえのに、そんな聖人みてえなポーズをとる必要はどこにもねえでしょうッ!!」
「……怒る、ですか? 私に、あなたへ怒りの感情をぶつけろと……? いえ、何故人の命が助かったというのに怒らなくてはいけないのでしょうか?」
心の底から本気で困惑したように第二位は言う。しかし、そこで彼女はハッと何かに気付いたような顔をすると、
「理解しました。もしや松下さんは私に責めてほしいのでしょうか? 貴方が今抱えている犠牲者への罪悪感を解消するために」
「――――――ッ!?」
まさかの図星に喉の奥から変な声が出る。そしてすぐに松下は血が出るほどの力で両の歯を食い縛る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます