第九十六話『浮き上がる黒点』其の四


「……」


 だから、樋田は立ち止まった。秦を追いかけたい気持ちを無理矢理抑えつけ、半ば渋々背後の少女を振り返る。


「建前ぐらいにはなりましたか?」

「……全部お見通しってわけかよ。賢しい女だ、可愛くねえ」

「いえ、礼には及びません。何事もタイミングというものがありますので、きっと今はそのときではないかと」

「……あぁ、そうだな」


 これでこの話はお終い、そう言わんばかりに陶南はゴホゴホ咳払いをする。


「話を戻しますが、樋田さんと秦さんには改めて全殺王の追跡を依頼します。ダエーワの発生源の特定は引き続き専門の者でに任せますので気にかける必要はありません」


「何か手掛かりはねえのかよ?」


「今のところはなんとも。あるなら今頃こちらの方で組織だって討伐隊を差し向けています」


「じゃあ、俺が見つけたら見つけ次第殺していいんだな」


「許可できません。私としましては学園の方に一報入れ、応援が来るまで待機いただくのが望ましいです。血気にはやって若い命を散らすのは良くありませんから」


 一方的に言い終え、そこで陶南は恭しくペコリと頭を下げる。


「樋田さん、本日は貴重な時間を割いて頂きありがとうございました。それでは此度はこの辺りで。私もこの辺りの後始末をしなくてはなりませんので」


 背後に広がる地獄を一瞥しながら陶南は言う。淡々とした物言い、そして後始末という言い回しに、樋田は態々抱かなくてもいい反感を持ってしまう。


「……感情がねえんじゃなくて、ただ単にクソヤロウなだけじゃねえか。テメェ、アレ見てなんとも思わねえのかよ?」

「はい、悲しいです。ええ、とても。この胸が張り裂けるほどに悲しいです」


 嫌がらせじみた樋田の言葉に、しかし陶南萩乃は意外にも即答した。

 意外な反応に驚く樋田をよそに、彼女は自分の胸元を掻き毟るように鷲掴みにする。


「ヴィレキアさんは危険な依頼も眉一つ動かさずに引き受けてくれる真面目な方でした。川勝勤さんとは以前一度チェスをさせてもらったことがあります。しかし、とても弱くて私がすぐにかってしまいました。菱刈尚弥さんは猫舌でした。私の出したお茶が熱くて飲めず、結局まともに口をつけたのはそれから二十分は経っていました」


 淡々とした口調は相変わらず、それでも言葉が止まらないという具合に彼女は次々と故人の名前を上げていく。


祁答院司けどういんつかささんは一見悪人面ですが、笑うと機嫌の良い猫のような顔になります。山田有一やまだありいちさんは最近娘が冷たいことを悲しんでいました。綱原俊平つなはらとしひらさんは戦うのは苦手なので、早く引退して故郷でゆっくりしたいと言っていました。里田康二さとだこうじさんは趣味がお菓子作りで、たまに試作品を作っては私のところに持ってきてくれました。坂本樹さかもといつきさんは――――」


 矢継ぎ早に紡ぎ続け、しかしそこで陶南はハッとしたように黙り込む。

 あいも変わらずその表情に変化はない。それでもいつのまにか一筋の涙がつうと頬をつたっていた。その退廃的な、まるで風刺画じみた一瞬の美しさに、樋田は不謹慎にも目を奪われる。


「とても悲しいです。何故、彼等は死ななくてはならなかったのでしょうか。人は皆幸せに生きたいと思っているはずです。幸せに生きて、最後は家族に見守られながら安らかに息を引き取りたいはずなのです。きっとみんなそう思っています。みんなそう思っているはずですのに……何故かこの世界はそのように優しく回ってはくれません。何故でしょうか。それが私にはよく分かりません」


 賢ぶった皮肉でもニヒルでもない。まるで本当に心の底からこの世界の構造に疑問を抱いているような物言いであった。

 続けてこちらを向く少女の顔はやはり無表情、本当につい先程涙を流していたのか疑わしくなるほどである。それでも樋田には、あのときその両眼から滴り落ちていたものも嘘偽りだったとはとても思えない。


「確かに悲しいですが、我慢します。今はやらなくてはならないことがたくさんありますので。それが終わったら好きなだけ悲しむことにします」


 一方的に告げ、少女はそのまま背後の地獄へと戻ろうとする。

 意外であった。確かに陶南萩乃の印象は一見冷たく、まるで人としての感情など持ち合わせていないようにすら思える。それでも彼女は確かに一人の人間だった。言い回しは事務的だし、一体何を考えているのか少しも分からない相手ではあるが、少なくとも樋田はそう思った。


「それとあと一つだけ」


 不意に陶南が向こうを向いたまま首だけでこちらを振り返る。樋田が顎で続きを促すと、彼女は最後にこう付け足すのであった。


「今からおよそ四ヶ月ほど前……高校生の少女三人が不審死を遂げた事件を覚えていますか?」


 突拍子のない話題に面食らう。それでも樋田は一応記憶を辿り、思い出した情報を口に出してみる。


「ああ、なんか前あったなそんなの。火災のせいで屍体燃えてたけど、解剖したらどうも燃える前に死んでたのが分かったみてえなヤツ……」


「ええ、その事件です。それであのとき亡くなった三人の犠牲者の名前をそれぞれ覚えていますか?」


「は? んなもん覚えてるわけねーだろ……いや、でも確か一人DQNネームがいたような気が」


吉岡悠よしおかゆう川口美奈かわぐちみな――――そして、草壁蜂湖くさかべほうこ


 草壁。つい先程まで話題にあがっていたその苗字に、樋田は狐につままれたような面持ちになる。


「……まさか」


「えぇ、あの事件で亡くなった草壁蜂湖は、全殺王の依り代である草壁蟻間の実の妹なんです」



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