第八十三話 『前兆』


 突然の奇襲、そして総大将の喪失。

 そのあまりにも唐突な非常事態を前に、討伐軍の面々は咄嗟に具体的な対応をとることが出来なかった。


 島津兵は上空へと攫われる川勝藤助かわかつふじすけをただ呆然と眺め、真っ先に動きべき川勝兵すらも今は物言わぬ案山子と化してしまっている。


「……藤、助様」


 ようやく彼等の脳に目の前の現実が浸透したとき、救い出すべき川勝藤助は既に空の遥か彼方であった。

 今すぐ行動を起こさねば間に合わない。

 されど、指揮の要たる総大将を失った軍隊が、当然それまで通りの統制を保ち続けられるはずもなく――――、


「藤ッ、藤助様アアアアアアアアアアアアッ!!」


 一人の川勝兵、その慟哭が引き金となった。

 彼の叫び声が戦場に響き渡るや否や、川勝兵の中で一種の狂乱じみた動揺と焦燥とが一気に沸き起こる。


「うっ、撃ち落とせええええええッ!! なんとしてでも藤助様を救出しろォオオオオオッ!!」


 だがしかし、それでも彼等はこれまで人類王勢力として数多の戦場を潜り抜けてきた精鋭中の精鋭である。

 総勢三十名の狙撃兵は、このような状況でも揃った動きで銃口を天に向け、そしてほぼ同時にカチリと引き金を引いた。

 ドドッ!! とタイミングよく射出された一斉射は、頭上の飛行型ダエーワ目掛けて真っ直ぐに殺到していく――――されど、


「一つ、いや二つ……マズイ、このままでは射程圏内から逃げられるッ!!」


 双眼鏡を覗きながら狙撃兵は吠える。

 いくら川勝兵が精鋭といえども、三次元を自由に動き回る的を正確に撃ち抜くのは難しい。

 特に彼等は主君を誤射しないよう射線を少し外側に寄せていたこともあり、戦果は軽く五十はいるダエーワのうち僅か数匹を仕留めるに留まる。


 最早ここからでは川勝藤助の姿など豆粒程度の大きさにしか見えない。

 彼等の狙撃がどこまで届くかは知らないが、確かにこの距離ではもうまともに弾を当てることすら難しいに違いない。

 総指揮官をダエーワの魔の手より救い出せるか否か、そのデッドラインはもうすぐそこまで迫りつつある。


「はあ、転勤早々デスマーチとかマジで勘弁してくださいよ……」


 我ながら運が悪い。そう松下は独り言つ。

 つい先日まで前線とは縁のない後方にいただけに、少女は思わず溜息をつかずにはいられない。


 島津兵に対空戦闘は行えず、川勝兵の狙撃もまた有効打に欠ける。

 だから今この場において冷静を保っていられたのは、空を飛べる松下とヴィレキア卿、それにそもそも動揺するような自我を持ち合わせていない綾媛の隻翼達だけであった。


 モジャモジャはモジャ毛を指に絡ませながら考えを巡らす。


 ――――はあ、ヴィレキア卿はなるたけ動かしたくねえですし、やっぱここは松下が行くのがベストな感じですかねッ……?


 別に松下は川勝藤助自体に思い入れがあるわけではない。

 ただ少女には一つ懸念があった。

 もし今の強襲が偶発的な遭遇戦などではなく、こちらの動きを事前に察知したインドラによる計画的な攻勢であるとしたら? 

 何も突拍子もない妄想ではない。むしろそうとでも考えなければ筋が通らない程に、先程の奇襲はあまりにもタイミングが良すぎる。


 仮にその最悪の予想が現実のものとなり、かつ総大将である川勝藤助がここで不名誉の戦死を遂げれば――――それこそ軍全体の士気は地の底まで落ちてしまうだろう。


 それにここらで手柄の一つでもあげておかないと、先日の裏切りを理由にガチで人類王に粛清されてしまうかもしれない。


「……致し方ありません。ここは私がッ!!」

「ヴィレキア卿は下手に動かねえで下さい。まさか貴方も敵がアイツらだけだなんてクッソ甘いこと考えてるわけじゃねえですよね?」


 今にも翼を広げ飛び立とうとしていたヴィレキア卿であるが、松下の制止を受けて渋々踏み留まる。けれども、卿天使の顔から焦りの色は未だ消えていない。


「しかし、それでは川勝殿がッ――――」

「だーから私が行くんすよ。クソ面倒くせえし、クソやる気ねえですけど、私しか駒がないってんなら使われてやります。なんで、あとのことは卿に任せますよッ!!」


 即座に天使化した彼女はそれだけ言い残すと、その飛行能力と『虚空こくう』の連続発動をもって、ダエーワ達の猛追を開始する。

 最初は雑居ビルの屋上、次は大通りのど真ん中、続いてはとある街路樹の真上……そう何度も何度もテレポートを繰り返し、瞬く間に彼我の距離を詰めた松下は、最後にダエーワ達から少し離れたとある場所へと瞬間移動の狙いを定める。


 ――――松下の記憶が正しければ確かここらにッ……!!


 彼女がフワリと降り立ったのは、天高く聳え立つ高層ビルの屋上。後ろを振り返れば、川勝藤助を抱えたダエーワ達が、こちら目掛けて真っ直ぐ飛んでくる様が眼に映る。


 しかし、松下は単に彼等を追い抜き、ここで待ち伏せをしたかったのではない。そこで彼女は、このビルで使っているであろう巨大な貯水タンクの側に寄ると、


「街で水源見つけるたびに態々その場所覚えて……我ながらめんどくせえ習慣だと思ってましたが、やっぱ地道な努力ってモンは大切ですねッ!!」


 続けて、彼女は貯水タンクに掌底を打ち込むが、当然幼子の細腕ではビクともしない。


 しかし、松下はそこですかさず『我が主は神なりエリヤ』を発動した。

 タンクから生じたパンという微かな音。それは松下の権能によって何百何千倍にも増幅され、苛烈極まるソニックブームとして出力される。


「『踊り狂う音劇波ワルツァーヘルツ』ッ!!」


 然して、高さ四メートルはある貯水タンクの実に半分が、ベコオオオオオオオッ!! と、まるで爆撃でも受けたかのように弾け飛んだ。


「『天骸アストラ』食うんでぶっちゃけあんま使いたくはねぇんですがねッ!!」


 無論、彼女はこのタンクをただ壊したかったのではない。

 目的はタンクの中に含まれる大量の水である。

 彼女はタンクの大穴から吹き出したそれを、ソニックブームでいくつかの水塊に分割し、続いて極大の圧力によって力任せに圧縮すると、

 

 ――――対象との距離差285.365メートル……飛行速度時速95.365キロメートル……射出から直撃まで0.3654秒……予想座標X24563・Y14785・Z6523――修正Z6543……よし、観測完了ッ!!


 異常聴覚を用いた弾道計算の後、仕上げに水塊を覆うソニックブームの檻の表面に、一ミリほどの極小さな逃げ道をワザと開けた。

 そして当然、その穴はこちらへと迫り来るダエーワ達の方へと向けられている。


「『濡れ湿る水劇波ワルツァーヘルツ=イグラシア』ァアアアアアッ!!」


 然して、必殺の刃は放たれた。

 唯一の逃げ場を得た圧縮水塊は、マッハ2の凄まじい速度で穴より射出される。キィィィィンッ!! という甲高い音を響かせながら、空飛ぶダエーワの群れ目掛けて殺到する。


 一見無差別攻撃にも思えるが、この水刃が川勝藤助を巻き込む危険は万に一つもない。松下はその異常聴覚をもって、事前にダエーワのみを正確に屠れる射線を完璧に算出しているのだから。


「よぉし、明察ッ!!」


 松下の計算に誤りはなかった。

 それはまるでダエーワの群れという巨大なケーキに、七本のナイフで同時に切り込みを入れるが如く。マッハ2の水刃はダエーワ達の約半分をごっそりと薙ぎ払う。


 ――――よし、この数ならいけるッ……!!


 遠距離攻撃による漸減作戦は成功した。ならばあとは一足一刀の斬り合いの中で川勝藤助を救出するのみだ。

 そこで松下は再び『虚空』によるテレポートを連続発動し、一気にダエーワの群れへと肉薄すると、


「てりゃああああああああああああああッ!!」


 少女の双剣は唸りを上げ、間近にいたダエーワの首を横一文字に跳ね飛ばした。

 すぐさま悪魔達もこちらを屠りにかかるが、天使はこれを上手くテレポートで回避し、或いはソニックブームで迎撃してやり過ごす。


 だが、流石に無傷というわけにはいかない。

 時折悪魔の牙や爪が引っかかり、少女の体には次々と痛ましい切り傷が刻まれていく。


 ――――痛って、痛い痛い痛い痛いッ!! もうなんで松下がこんなことしなきゃいけないんですかッ!?


 それでも彼女は悪魔の喉を切り裂き、或いは頭部を音圧で弾き飛ばし、まるで人混みの中を掻き分けるように直進し続ける。そしてその先に――――、


 ――――見つけたァッ……!!


 ダエーワの群れの中央付近、そこに松下は遂に川勝藤助の姿を認めた。

 つい先程まで悪魔に集られ続けていたのか、その身体のあちこちには肉を食い千切られたような痛ましい傷が確認出来る。

 しかし、それでもまだその男が死んだと決まったわけではない。


「ギギャアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

「ぜりゃあああああああああああああああッ!!」


 ここが最後の踏ん張りどころ。

 松下はそう言わんばかりに、体を独楽のようにギュルリと回転させ、周囲に迫りつつあったダエーワ共をまとめて斬り飛ばす。

 そのままがむしゃらに前へ向けて手を伸ばすと、なんとかギリギリ川勝藤助の体に触れることが出来た。


「よおおおおおし、回収ッ!!」


 目的は達した。

 最早ここでダエーワの相手をし続ける理由はなし。


 そこで松下は即座に『虚空』を発動させ、川勝藤助ごとダエーワの群れの中より脱出した。あとは続け様にテレポートを繰り返せば、元いた工場跡地はすぐそこである。


「ゼェ……ゼェ……ハァ……」

「ふっ、藤助様ァッ!!」


 瀕死のおっさんをお姫様抱っこで抱えながら、松下はフワリと地面に降り立つ。すると周囲にいた川勝兵達が、随分慌てた様子でゾロゾロと集まってきた。


「ギリ死んじゃいねえですッ!! 適切に処置すればまだ助かりますッ!!」


 自らも重傷であるにも関わらず、松下は力強く言い放つ。はじめ諦めたような暗い表情を浮かべていた川勝兵も、その言葉でハッと我に返った。


「……確かに致命傷では、ないな。これを奇跡と言わずして何と言うか」


 譫言のような声をこぼしながら、一人の中年男が前に進み出てきた。

 恐らく彼は今いる川勝兵の中で最も高い地位にある者なのだろう。男は川勝藤助の生存を改めて確かめると、すぐに他の者達へ具体的な指示を飛ばし始めた。


「藤助様はひとまず後方の野戦病院に預ける……長田は綾媛の陶南卿に事態の報告を、綱原は島津の連中に現状を説明してこいッ!!」


 やはり総大将を失わず済んだことは大きかったのか、それからの川勝家中の動きは至極冷静沈着なものであった。

 当主代行らしき男の言葉に従い、川勝兵はそれぞれの役目に邁進する。彼等が忙しそうに動き回る様を、松下は先程の傷を痛がりながらしばらく眺めていた。


「松下卿」

「あっ、はい?」


 そして、川勝藤助を乗せた車両が工場の外へと消えていったあと、先程の男が松下の元へとやって来た。

 彼は何故か外套を脱いだ。そしてそのまま口元の包帯を解き、それまで隠していた顔を露わにする。そしてあろうことか、自分よりも三十は歳下であろうクソガキに態々頭を下げたのだ。


「礼を申す上げるのが遅れてしまい申し訳ない。松下卿よ。我らの主人川勝藤助の命を救ってくれたこと、川勝家中を代表し、この私が心より感謝を申し上げる」

「…………あっ、はい。松下的にもそちらのお役に立てたなら、何よりです。はい」


 男の真摯な態度に松下は思わず面食らう。

 正直川勝藤助を助けたのは60パーセントぐらい打算だっただけに、こうして真面目に感謝されると少しむず痒い松下であった。

 なので彼女は早速話題を逸らすこととする。


「ですが、まだ油断するのは早いですよ。私が言うまでもないですが、先程のダエーワによる強襲、偶然にしちゃいささかタイミングが良すぎます。別に脅すわけじゃあねえですが、こっちの動きを察知したインドラが――――」



 と、正にその瞬間のことであった。



「なっ、なんだコイツら――まっ、待てガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!???!!!」



 島津兵が立ち並ぶ方から、突如悲壮極まる男の悲鳴が上がる。

 ゾクリと心臓を震わせながら、松下と川勝兵達は半ば反射的にそちらを振り返る。そして、その先に広がる光景に彼等は思わず言葉を失うこととなった。

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