第八十二話 『インドラ討伐作戦』


 ――――うびゃあ、やっぱどう考えても人選おかしくねえですかね……。


 人類王の決定から三日が過ぎ、ところは品川区。具体的に言うならば、人類王勢力によって買い上げられたとある工場の跡地でのことであった。


 辺りには古びた灰色の倉庫がズラリと立ち並び、更にはその隙間を埋めるかの如く、とうの昔に煙を吹くことを止めた煙突群が所狭しと軒を連ねている。

 どこもかしこも埃だらけで、油臭くて、そこらを少し歩くだけで靴の裏がヌチョヌチョする。

 正直、上からの命令がなければ、こんな不愉快な場所からは一秒でも早く立ち去りたい気分であった。


「はぁ、なーしてよりにもよって、こんな最前線も最前線に松下が……この手のことは暴力でしか人の役に立てない野蛮人の仕事なんじゃねえですかね?」


 そして、その工場跡地の中でも唯一開けた広場のような場所に、人型カリフラワーこと松下希子はいた。

 少女は一人ではない。

 彼女の周囲には軽く十名を超える有翼の少女、つまりは松下に直属する『綾媛百羽りょうえんひゃっぱ』の隻翼達がズラリと控えている。

 まあ、人類王に自我を乗っ取られた彼女達と話しても虚しいだけなので、精神的には一人でいるのとさして変わりはないのだが。


 ――――うわぁ、この感じだとやっぱマジでやるんすね……超面倒くせえ、超帰りてえ。これなら筆坂とかいうロリババアの介護してた方が、まだ苦行としてはマシな分類だったんですが。


 事が始まる前から不満タラタラのモジャモジャであるが、彼女を含めた学園の天使達がこの地に召された理由は他でもない。

 先日、魔王クラスの討伐に本気で取り掛かり始めた悲蒼天ひそうてんと後藤機関に引き続き、ようやく我等が人類王もその重い腰を上げたのだ。


 具体的に言おう。人類王は此度その麾下である人類王勢力に対し、品川方面にて数百のダエーワを従える魔王、虚偽神インドラの討伐作戦をお命じになられたのである。


 ……と、かっこよく断言してはみたが、ぶっちゃけ松下は今回の作戦についてほとんど何も知らないに等しい。

 自分の役割については流石に説明されているが、この作戦が一体どのような意味を持つのかと、そういった疑問については綺麗さっぱりスルーされた。


 きっと、いつの時代、どこの国でも、下っ端の一兵卒の扱いなんてこんなもんである。

 まあ上に行けと言われたからには行くしかない。そんなクッソ低いモチベーションで松下は今ここにいるのであった。


 ――――それにしても、すげえ人数ですね。


 しかし、インドラとの戦いに駆り出されたのは、何も松下達だけに非ず。

 学園の制服を見に纏った彼女達十数名を含め、今この場には目測で軽く百を超える一団が集結している。

 無論、彼等はその一人一人が全員、『天骸アストラ』への適性に加え、なんらかの術式を保有する人類王勢力の異能者達である。


 そう、これこそが人類王勢力。

 そもそも人類王勢力とは、松下も属する例の学園のみを指すわけではないのだ。


 人類王は六〇〇〇年の時を生き、遥か古代から世界中にその影響力を及ぼし続け、そして何より彼は人類をより良い方向へと教え導くための教師でもある。

 だから当然、勢力の面々が王に従う理由も千差万別だ。

 ある者は打算的に彼が生み出す莫大な利権の恩恵に預かろうと目論み、またある者は純粋に彼の抱くとある理想を共に成し遂げてみせようと夢に酔う。


 例え元の動機に幾らかの相違はありながらも、人類王に従属する形をとる全ての個人・組織・人間・天使の総称――――それこそが松下も所属する人類王勢力という曖昧な枠組みの正体なのである。


 ――――まぁ、ここぞって戦場に躊躇なく戦力を注ぎ込んでくれんのは正直ありがてえですがね……そんで、例のとやらは一体いつやって来るのやら。


 話を本筋に戻す。

 例え相手がいくら高位のダエーワ率いる数百の大群とはいえ、これだけ異能者の頭数が揃っていれば戦力としては充分であろう。


 しかし、それでもかの人類王は更に一つ保険をかけた。


 戦いにおいて余計な損害を出さないためにはどうするのが最善か? 

 必定、敵方を圧倒的に上回る戦力によって、敵が反撃を行う間もなく撃滅してしまえばいい。


 そんな妄言ともとれる愚策を現実のものとせんがため、かの王はこの戦場にとある秘密兵器を送り込むこととした。

 そう、松下は陶南萩乃の方から聞かされていたのだが、



「失礼する。確認しますが、貴女が松下卿でよろしいでしょうか?」

「むっ」



 暇潰しにスマホで紗織の写真を見てグヘヘとしていた最中、背後から爽やかな声で呼びかけられる。

 松下が心底面倒臭そうに振り返ると、そこにはなんとも見目麗しい一人の青年が立っていた。


 青い髪に、黄金の瞳。最早この時点でまともな人間ではない。


 男は青と金のラインが走った白の着物のようなものを身に纏い、その腰元にはRPGでしかお目にかからないようなバカでかい両手剣が提げられている。

 西洋風と東洋風がごちゃまぜな癖に、妙に一つの形としてまとまっているのが興味深い。敢えて何かに例えるならば、山伏と騎士を足して半分で割ったあとペース状にならした――とでも言うべきだろうか。


 兎にも角にも待ち人来たる。

 松下は先日陶南から聞かされた話を思い出し、彼女から聞いた秘密兵器の容姿と、目の前の男とを頭の中で比較し、


「あぁ、はいはい。私が松下ですけど、貴方が例のルルースク卿で?」

「然り。このヴィレキア=サルテ=ヤーデスクライ=ルルースク。人類王から此度のインドラ討伐作戦に加勢するようにとの命を受け、こちらへと参陣仕った次第であります」


 男は噛みそうなクソ長い名前をペラペラと名乗る。

 青髪に加えて、ヴィレキアだの、ルルースクだの。そのどこの言語形態にも属さない名が示す通り、彼の正体は正真正銘の天使である。


 しかも陶南の話によれば、彼はどっかのロリババアのような量産型の雑魚でも、或いはたかが数十数百年前に天使へと昇華したばかりの半端ものでもない。

 天界における十三の最高指導者の一人であり、泰然王の変に際して粛清された黄道王スプレンディテネス。目の前のルルースク卿はかつてその直属第二位を務めた正真正銘の元卿天使であるというのだ。


 経緯としては主君黄道王の敗死後、泰然王の粛清から逃れようと此方へ堕天してきた彼を、人類王が己の幕下にと迎え入れたのだという。

 今の人類王勢力はそういった反泰然王勢力の敗残兵、或いは残党の一種の受け皿となっているらしいが……まあ、そこらへんのことはあんまちゃんと聞いてない。だって別に興味ないし。


「子細は既に陶南卿から伺っております。私としましても、市井の人々がこのままダエーワの餌食となるのを見逃すわけには参りません。必ずや、我が力をもって皆様の勝利に貢献致しましょう」


 どうやらこちらの予想に反し、このルルースク卿とやらはクソ真面目なタイプのようだ。

 まず松下みたいなクソガキに対しても敬語とか人間が出来過ぎている。どっかのロリババアとか開口一言目が「オイ、凡俗!」だったのに……。


 ――――なーんか、拍子抜けっすね。まあ、いい意味でですけど。松下的にはてっきり筆坂みたいな精神異常者が来やがると思ってたんですが。


 そこで松下はお行儀悪く片手をポケットに突っ込み、もう片方の手を適当にヒラヒラと振ってみせると、


「うっす、ヴィレちゃんよろーす」


「…………はっ、はて。その、ヴィレちゃんとは?」


 しかし、この世界はいつの時代も真面目で良い人ほど損をするように出来ている。


 松下の適当が過ぎる物言いに、ヴィレキア=なんとか=かんとか=ルルースクさんは見事に困惑してくれた。

 そのあまりにも予想通り過ぎる反応に、彼女は吹き出しそうになるのを何とか堪えながら続ける。


「あぁ、すいません。人間界ではこれが一番礼儀正しい呼び方なんすよ」


「……なるほど。これは失礼をした。では、私も卿のことはまつちゃんと呼んだ方が?」


「んー、どっちかと言うとっちゃんすね。タ行変格活用ってヤツすよ(適当」


「知識不足で申し訳ない。天界では南アジア方面の担当であったことに加え、未だこちらに降りてきてから日も浅く……いえ、つい言い訳のようなことを申してしまいました。重ね重ね申し訳ない」


「………………いや、別に良いと思いますよ。その、ちょっとずつ、慣れていけば」


 そこで松下の性格の悪さが珍しく良心に敗北した。

 なんだろう、この人を騙すと心がチクチクする。ヒダカス先輩ならゴミのように扱っても、心が痛まないどころかむしろ清々しいまであるのに。


 うん、多分この人は良い人だ。こういう良い人とは仲良くして囮……ではなく連携したりして、上手く利用する……ではなく協力しあうのがいいだろう。


「はあ、それにしても意外ですね」


 思わず口をついて出てきた一言であった。対するヴィレなんとか卿は口元に手をやりながら小首を傾げると、


「む、意外とは?」


「いえ、やけに従順なんだなあと。天界の元お偉いさんともあろう人が、いくらあの王様の命令とはいえ、こんな使いっ走りみたいなことさせられてムカついたりはしないんですか?」


 しかし、そんな松下の言葉を、青髪の天使は「たはは」と笑い飛ばす。


「ご冗談を。私が泰然王の粛清を逃れられたのも、今こうして亡き主君の仇を討つために戦い続けることが出来るのも、全ては人類王のお陰ですから。かの王には感謝こそすれど不満など持つはずもありません」


 続いてヴィレキア某はガチャリと腰元の剣に手を掛けると、


「それに、相手があのインドラであるならば、この私が出ないわけにはいかないでしょう」


「ん、なんかそのバケモノと因縁でもあるんすか?」


 そう、松下は何気なく問うたつもりであった。



「ええ、実を言いますと私の『対応神格たいおうしんかく』も同じインドラなんですよ」



 だからこそ、青紙の天使の方もまるで世間話でもするような軽い口調をもって答える。

 しかし、彼の口から出てきたその言葉に、松下は思わず息を飲まずにはいられない。


 ――――マジすか……確かに元卿天使とは聞いてましたが、マジモンの神格持ちとか初めて見ましたよ。


 『対応神格』。

 世界の諸神話・伝承には、人間界における天使の活動を、当時の見える人々が自分達なりの発想で解釈したという形のものが多分に含まれる。

 つまりは天界の初期、遥か昔の太古から生き続ける高位の天使には、大抵地上においてその存在を置き換えられた神格というものが存在するのだ。


 それこそが『対応神格』である。

 この『対応神格』が存在するということは、それだけその天使が、人類の記憶に不覚にも深く焼き付いた猛者であることの証明となるのだが……、


 ――――あれ? この人、今インドラって言いました?


 しかし、それを聞いた松下は随分と訝しげであった。

 確かに目の前の元卿天使は自らの『対応神格』をインドラと名乗った。しかし、ゾロアスター教における虚偽神インドラは、それこそ松下達がこれから戦う化け物のことであるはずなのだが――――と、そこで松下は一つのことを思い出す。


「あぁ、なるほど。デーヴァとダエーワの関係ってことですか」


 言うと、ヴィレキア卿は嬉しそうにニッコリと笑った。


「仰る通りです。よくご存知ですね」

「そりゃあ、私も一応人類王勢力の一員ですからね。そもそもこんな業界にいたら、そこらへんのことには嫌でも詳しくなるってもんすよ」


 話は単純だ。

 確かにダエーワとはゾロアスター教における悪魔の総称であるが、このダエーワという言葉はインドのサンスクリットにおいて神を意味するデーヴァなる言葉と由来を同じくする。


 即ち、インドの諸神話において神と崇められている神格が、ゾロアスター教においては逆に悪魔と蔑まれている事例、或いはその逆が両宗教の間には多く存在するのだ。

 一例としては、インド神話における悪神アスラが、ゾロアスター教における至高の善神アフラ=マズダと対応するようにである。


 つまりインドラには、「ゾロアスター教においてダエーワの魔王と認識されるインドラ」と、「インド諸神話において善神と認識されるインドラ」という二つの側面があるのだ。

 仏教経由でインドラを認知している日本人にとっては、むしろ後者の方が馴染み深い形であると言えるに違いない。


「ところで松下卿」


 そんなことをぼんやり思い返していると、ヴィレキア卿がおもむろに何かを尋ねてきた。

 松下が顔を向け直すと、彼は周囲に広がる人類王勢力の面々をグルリと見回し、


「ふと思ったのですが、何故彼等の軍装は統一されていないのですか?」

「ん。ああ、ありゃ派閥の問題ですよ」


 卿天使の質問に松下はあっさりと答えた。

 その派閥という言葉が示すとおり、今この場にいる人類王勢力も、大きく三つの集団によって構成されている。


 勿論、一つは松下希子を筆頭とした『綾媛百羽』の天使達十数名。

 もう一つは腰にサーベルを佩用し、明治期の警官のような黒い洋装を纏う約七十人の男達。

 そして最後に、その背中に人の背丈ほどもある長い銃を背負い、鼻から下を包帯で覆い隠し、頭から老緑の外套を被った三十人ほどの男達である。


「確かに人類王勢力の頂点はあの王様ですが、組織としての中核は特定の血族によって構成されてんすよ。具体的には人類王と密接な関係にあるらしいはたのなる一族と、その秦一族から派生した『表秦おもてはたの』・『裏秦うらはたの』と呼ばれる幾つかの諸分家ですね。そもそもウチの陣営は基本色んな勢力の寄せ集めみたいなもんなんで、中の所属は結構ごちゃごちゃしてるもんなんすよ」


 松下の掻い摘んだような説明に、それでも青髪の天使は納得したように頷く。


「なるほど、外からは一つの人類王勢力に見えても、その実情は千差万別と。して、その『表秦』・『裏秦』とは一体どのような区分なのですか?」


「それこそさっき言った派閥の問題ですよ。諸分家の中でも『表秦』は比較的人類王に協賛的な家で、『裏秦』は人類王からの恩恵を預かるために、仕方なく頭を下げている分家ってところですかね」


 松下の言うとおり、人類王勢力の中核を構成するのは、秦なる一族を中心にした一種の血族集団である。

 然して、今回の討伐軍にも当然彼等は主力として起用されている。前述の警官のような連中の正体は『表秦』に属する島津しまづ家の、そして長銃を背負う奴等の方は『裏秦』に属する川勝かわかつ家お抱えの戦闘員である。


 刀装を用いる島津兵が前衛を務め、狙撃を主体とする川勝兵がこれを援護する。そして、松下達『綾媛百羽』が遊軍として彼等を空から支えるのが、今回組織された討伐軍の陣容であった。


 そんなことを身振り手振り交えながら、掻い摘んで適当に話すと、ヴィレキア卿は関心したようにフンフンと首を縦に振った。


「なるほど。確かにシンプルではありますが、そのぶん隙のない布陣と見受けられます。各家ごとに戦闘スタイルが異なるからこそ、お互いの短所を補い合えるというわけですか」


「うわぁ……なんすかその人を疑うことを知らないお嬢様みたいな発想は。まあ確かに建前はそうでしょうけども、今回大将を任された川勝藤助かわかつふじすけは、随分と金玉の小せえ野郎って聞きますからね。多分この討伐軍が別家との混成軍になったのは、ただ単にテメェの手駒を減らしたくねえってだけの話だと思いますよ」


 そう、松下が憶測だけで会ったこともない人を貶めまくると、真面目なヴィレキア卿はもう苦笑いになるしかない。

 初め戦線に飛ばされると聞いたときは、一体どうなることならと心配していたが、まあなにはともあれ戦力的には何も問題はなさそうである。

 あとはインドラとの戦いにおいて、与えられた役目をしっかり果たせばいい――――と、松下が能天気なことを考えていた正にそのときであった。



「どこからか小便臭い臭いがすると思ったら……オイ、そこの小娘ェッ!! 何故貴様のような子供がここにいるッ!?」

「はぁ?」



 見知らぬ誰かからいきなり高圧的に話しかけられ、松下も半ば切れ気味に振り返る。


 するとそこでは黒い洋装を身に纏い、腰元に軍刀を提げた数人の男――つまりは例の島津家に属する戦闘員が、こちらを酷く不愉快そうに睨みつけていた。

 なかでもその先頭に立つダサいヒゲのおっさんに至っては、一体何が気にくわないのか今にもこちらに掴みかからんばかりである。


 まぁ、確かに自分のような女子中学生には似つかわしくない場所だとは思うが……それでもこれには松下も露骨に溜息をつかずにはいられない。


「ハァ、『綾媛百羽』つっても伝わないですかね?  私達も一応人類王から直接この戦場で戦えと命令された身なんですが……」


「黙れ、子供が知ったような口を聞くなアアッ!! 戦うなどと、たかが小娘風情がよくそこまで大それたことをほざけたものだ。そもそも貴様は女であろう。互いの誇りを賭けた命のやり取りは、それこそ正に男子の本懐ッ!! 貴様のような女が混じっていては、我等の神聖な戦場が穢れることとなる。分かったらケツの青いガキは家で花嫁修行でもしていろッ!!」


「…………ああん?」


 某樋田や某秦からの影響を受けたのか、今日の松下の沸点はかーなり低かった。


 最初から手加減などするつもりは皆無、そこで彼女は即座に天使化した。左肩から突然力強い隻翼が生えると同時、その頭上にはピアノの鍵盤を模した奇妙な天輪がブワリと浮かぶ。

 そのまま松下は未だに怒りを収められないおっさんに向けて、大袈裟にパチンと指を鳴らせてみせた。するとその直後、



「ぬがあああああああああああああああああッ!?」



 ただの指パッチンは音を操る権能によって凶悪極まる衝撃波と化し、ヒゲ親父の体を軽く数メートル単位で吹っ飛ばしたのである。


 水面目掛けて投げた平たい石よろしく、地面の上を跳ねながら転がっていくその間抜けな姿に、銀髪の小悪魔は辛うじて溜飲を下げる。


「はあ、なんなんすか今のテンプレ昭和脳は。つーかこの時代になってもまーだ絶滅していなかったんですね。エアコン使うのは甘えとかイキって、さっさと死に絶えてくれりゃあいいんですけど」


 そのあまりにも当然の出来事に、松下を除く周囲の人々は完全に呆気にとられていた。

 ヒゲ親父の連れ達も初めはただ呆然とその様を眺め、しかしすぐに烈火のごとく怒り始める。


「ひっ、菱刈ひしかり様アアアアアアアアアアアッ!!」

「オイコラ貴様ァッ、一体自分が何をしたのか分かっているのかアアアアアッ!?」


「ははっ、凄いっすねおじさん達。あれ見てまだ突っかかれるとはいい根性してるじゃねえですか。別に良いんすよ。そんなに松下が怖いなら、全員まとめてかかってきやがっても♫」


 そこからはもう酷いものであった。

 松下の安い挑発に、しかしそれで島津兵達の堪忍袋の緒は完全に切れた。

 最早言葉にならない怒号をあげながら松下に迫ろうとする彼等を、不運にも近くに居合わせたヴィレキア卿がなんとか押し止めようとする。


「貴様貴様誰だ貴様ッ!! 我等の前に立ち塞がるな貴様ッ!! その小娘には、ここでキツく仕置を加えてやらねばならんッ!!」

「落ち着き召されよッ!! これより我等はダエーワの魔王と闘うというのに、お味方の内での争いほど虚しいものもありますまいッ!!」

「やーいやーい、ざまーみろ。クソ田舎侍、芋侍。肉体労働でしか金を稼げない低学歴のカス共がー」

「小ッ、娘ええええええええええええええッ!!」

「松下卿も口を謹んで頂きたいッ!!」


 と、松下達のいる一角がちょっとしたカオスと化しつつある、ちょうどそんなときであった。



「静まれいッ!! 一体貴様らはいつまでつまらんことをしているのであるかッ!?」



 突如、頭上から聞き慣れない怒鳴り声が降り注ぎ、一同は揃ってそちらを見上げた。


 この広場において、倉庫の一部を転用して組み立てた簡素な高台。そこに立つ中年男の姿を見るや否や、松下は思わずその男の名を呟いていた。


「……川勝、藤助」


 その男は一六〇センチあるかないかというドチビで、足りない威厳を補うように生やされたカール髭が、逆に酷く滑稽な雰囲気を醸し出している。


 そうこの無能そうな男こそが陶南から話に聞かされていた川勝藤助、惜しくも人類王から今回の討伐軍の総指揮官を任された男なのであった。




 ♢




 『裏秦』のなかでも屈指の名家である川勝家、それもその当主である川勝藤助の言葉はそれなりに重みがあるらしく、怒り狂っていた島津兵達も渋々手を引いてくれた。


 そして、この男がこちらに姿を現したということは、即ちまもなくインドラの討伐作戦が始まるということである。

 いくらこの場にいる戦闘員の多くが精兵といえども、戦いが目前に迫れば兵の中には当然莫大な緊張感が生じる。事実、ドチビが高台の上で改めてマイクを握った頃には、松下達を含めた全ての人員が軍隊よろしく綺麗に整列していた。


 並びは最前列に川勝家、その次に島津家、そして最後に松下達百羽とヴィレ卿という順で、川勝藤助がこの討伐軍の中でどの集団を重視し、どの集団を軽んじているかは火を見るよりも明らかなことであった。

 

 しかし、何はともあれ戦いの舞台は整った。

 百人が息を飲んで見守るなか、総大将はいかにも大袈裟に拳を天に突き上げて見せると、


「我輩こそが、人類王から此度の作戦を任せられた川勝藤助であーるッ!!」


 その一言で松下のウンザリ度はいきなりマックスになった。

 なんかもう、松下的にはこのデカい声出せば良いってノリ自体がそもそも無理である。あと、この時代で一人称我輩とかマジヤバい。


 しかし、そう一人称苗字の女が嘆くのも構わず、胴間声のチビは気持ちよさそうに悠々と演説を続ける。


「今日、諸君等に集まってもらったのは他でもないッ!! この東京にダエーワなる異教の悪魔が出現したこと、そしてその上位種たる魔王が野放しにされている現状は、我輩よりも諸君等の方が詳しいに違いないッ!! 然して、此度人類王はこの窮状から市井の民を救うべく――――」



 しかし、そこで早速川勝の演説はいきなり途切れる。いや、正確には途切れさせられた。

 なんと討伐軍の中にいる島津兵の一人が突然、川勝のすぐ隣目掛けて腰の軍刀を投擲したのである。


 凄まじい勢いでグサリと柱に突き刺さったそれに、それまで随分と威勢の良かった川勝藤助も思わず腰を抜かす。そんなあまりにも滑稽な彼の様子に、島津兵達の中からドッと嘲るような笑い声が上がった。


「薄っぺらい猿山の大将め、この場にいる誰もが知っているようなことをいつまでもペラペラと。貴様の稚拙な自己顕示欲には全く興味がないゆえ、さっさと本題に入っていただきたいのだがッ!?」

「……なんだ今のへっぴり腰は、全く漢として情けないにもほどがあるぞ川勝藤助」

「何が悲しくて我等島津家中のものが『裏秦』風情の指示など聞かねばならんのだッ!! なあ、皆もそう思うであろうッ!?」

「然りッ!! 重荷になるだけの神輿など態々担ぐ必要はなし。たかが異国の妖など、我々島津家中の力のみので充分じゃあッ!!」


 どうやら人類王勢力における派閥の問題は、松下が思っていたよりも余程酷いものであったらしい。


 もしかして先程あっさり島津兵が手を引いたのも、川勝藤助が最も注目されている場で早く彼を侮辱したかったからかもしれない。

 そして、最後の「島津のみで充分」という声が契機となった。彼等は喧しい雄叫びを上げながら、早速自分達だけでインドラの潜伏ポイントへと向かおうとする。


「貴様等、我等の主を愚弄した責任はとってもらうぞッ……!!」


 しかし、当主を侮辱された川勝の人間も勿論黙ってはいない。

 初めは島津兵を怒鳴りつけるだけであった彼等も、やがてその背中に銃を向け始め、今となっては既に銃の引き金に指をかけている始末である。


 あっという間に事態は一触即発。

 しかし、そこから少し離れた場所にある松下は随分と気楽なものであった。


「あー、もしかしたらコレ敵と戦う前に解散になるかもですね」

「いやいや何故そうも他人事なのです。彼等をお止めしなくてもよろしいのですか?」

「いや、別にどうでもいいじゃねえですか。私達は別に行けって言われただけですし。具体的な責任もどうせ全部あのチビ親父の方にいくでしょうよ」


 しかし、当の責任者からしたら、そんなこと堪ったものではない。

 そこでようやく思い出したように立ち上がった川勝藤助は、それこそまるで茹で上がったタコのようにそのハゲ頭を真っ赤にしていた。彼は高台から体を乗り出しながら、真下の島津兵を怒りのままに怒鳴り付けようとする。



「貴様らふざけるなよッ!! この我輩を一体誰だと心得て――――」



 しかし、その声が最後まで聞こえることはなかった。

 川勝藤助の姿が、何故か突如として高台の上から消失する。否、更に上を見上げると確かに彼はそこにいた。



「…………え?」


 

 先程までのお気楽とは打って変わり、松下はゴクリと唾を飲む。

 上空にいる川勝藤助は、禿鷹が死体に群がるが如く、無数の。つまり、どこぞより現れた数十匹の飛行型ダエーワが、一瞬の隙をつき、この討伐軍の総大将を呆気なく攫ったのである。




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