第六十九話 『チョロインとかいうのが流行ってるが、きっと男子高校生はもっとちょろい』


 ――――オイオイ、まさかお礼参りってわけじゃあねぇよな……。


 樋田は半ば反射的に立ち上がり、いつ戦闘が始まってもいいようにと中腰になる。


 秦漢華。

 綾媛百羽第四位。

 或いは、大天使ウリエルの因子を宿す者。


 かつて樋田達と血で口を濯ぐような激闘を繰り広げた少女が、確かにそこに立っていた。ただそれだけで樋田の手には汗が滲み、胸の鼓動もまた右肩上がりに加速していく。


 樋田達が綾媛学園が共闘関係を結んだ以上、今の彼女が自分の敵でないことは分かる。

 だがそれでも、単純に樋田はこの唐辛子女と関わりたくはなかったのだ。


 先日のことを思い出すと、秦漢華は何故か樋田に対して徹頭徹尾喧嘩腰であった。その理由は分からないが、とにかく向こうがこちらのことを嫌っているのだけは確かだろう。

 樋田も樋田でこの女に良い印象は全く無いし、正直こうして顔を合わせているだけで何だか不愉快な気分になってくる。


 あとは単純に気まずくもあった。


 樋田は先日の一件で、秦もまた松下と同じように好き好んで学園の方針に従っているわけではないと理解しながらも、彼女のことをただの敵として打ち倒してしまった。

 いくら本来の目的を果たすための時間が惜しかったとはいえ、彼女が抱えているであろう何かを見ないことにしてしまったのだ。

 そして何よりも最後に秦漢華が残した「殺せ」という悲痛な叫びが耳にこびりついて離れない。正直今更こうして彼女と再び会ったところで、一体どのような顔をすればいいのだろう。


「……ちょっと、アンタ。黙り込んでないでなんか言いなさいよ」

「ぶばッ!?」


 そんな風にウンウンと考え込んでいると、知らぬ間に秦漢華は樋田のすぐ目の前まで寄って来ていた。

 樋田は思わず咳き込みかけるのを何とか堪え、まずは暗闇の中を手探りで進むような調子で尋ねてみる。


「秦漢華……で合ってたよな」

「……そうよ。大体二週間ぶりね」


 心なしかあちらもあちらで何だか気まずそうであった。

 しかし、その態度も声色も、先日と比べれば幾らかトゲトゲしさが抜けている。

 かつては髪や瞳の情熱的な色彩も相まって、その苛烈さが際立っていた秦であるが、今はどちらかと言うとその退廃的な雰囲気が強調されているような感じであった。


「あのときは、その……まあ、色々と見苦しいところを見せたわね。早いところ忘れてくれると嬉しいわ」


「おっ、おう」


「確かに私たちはついこないだまで敵だったし、アンタが学園のことを信じられないってのも理解出来るわ。でも、私たち人類が天界の侵略に抗うためには、こうして反天界勢力同士で協力し合うことが不可欠だと思うの。だから、アンタもこの共闘関係に関して、納得は出来なくても理解はして欲しいのだけど……」


「おっ、おう……おっ?」


 状況が分からなすぎてオットセイと化す樋田であるが、そこでようやく彼女が言わんとすることをなんとなく悟る。

 今ここに秦漢華が現れたのは決して偶然ではない。

 初めは何でコイツがこんなところにいるのかと驚いたものだが、朝松下から聞かされた話を思い返せば理由に一つ心当たりがある。


「もしかして、綾媛から俺に派遣される人員ってのはお前なのか?」

「そうよ」


 即答であった。

 直後、樋田はまるで頭痛でも起きたかのように後頭部へ手を回す。


 ――――なんでよりにもよってコイツなんだよッ……。


 悪い予感とはどうしてこうも良く当たってしまうのだろう。

 つまり、此度のダエーワ討伐作戦において、樋田はこの唐辛子娘としばらくタッグを組まなくてはならなくなったのだ。


 今こうして少し話してるだけでも大分気まずいというのに、こんな重い空気がずっと続くだなんて心が摩耗し過ぎて大根おろし不可避である。

 なにこの気まずいハラスメント、キマハラなの? って感じであった。


「……まあ、テメェも好きで俺なんかのところに寄越されたわけじゃあるめえし、グチグチ文句垂れてもしょうがねえか。よし、そうと決まりゃあ早速本題だ本題。今回の一件を綺麗さっぱり解決するにゃあ、俺ァ一体何をすりゃあいいんだ?」


「……それもいいけど、時間も時間だしまずはお昼にしない? アンタも今丁度食べるとこだったんでしょ」


「ん。まあ、それもそうか」


「……隣、座るわよ」


 そうして、秦に流されるがままひとまず二人で昼食をとることになった。

 隣の唐辛子頭がどこからともなく巨大な弁当箱を取り出すのを尻目に、樋田は今度こそおにぎりの包みを開こうとする。


 しかし、そこで不意に彼の手が止まった。


 ――――あれっ、これ何気にすげえ状況じゃねえか……?


 何を隠そう。

 今の樋田は同じくらいの歳の女の子と、隣り合わせでお弁当を食べようとしているのである。


 確かに最近はほぼ毎日晴と一緒に食事を取っているが、見た目だけ幼女のクソババアと正真正銘のJKとでは、それこそ得られる青春ポイントというヤツに天と地ほどの差がある。


 そう考えると、今度は先程とは違う理由で手汗が溢れてきた。


 ――――いや、ねぇよ。猿じゃあるめぇし。いくらなんでもコイツ相手に緊張とか見境なさすぎだろッ。


 秦は晴や松下のような美少女ガチ勢と比べると、別にそこまで整った顔立ちをしてはいないし、なにより個人的に好みのタイプというわけでもないのだ。


 こんな性格悪くて、口悪くて、目付き悪いメンヘラ女とかむしろ嫌いまである――――と、言いたいところであるのだが、それでも童貞にこのイベントは少々刺激が強すぎる。


「なによ、急に顔色悪くして。お腹痛いなら正直にそう言いなさいよ」

「テメェは俺の母親かよ……別になんでもねえつーの。うぜぇから話しかけてくんじゃねえ」


 色々と動揺してるのを何とか誤魔化しつつ、樋田はさっさとおにぎりを食べてしまおうとする。

 しかし、そこで秦は唐突に「あっ」と不満気な声をあげると、


「ちょっと何よアンタ。もしかしてお昼そんなので済ますつもり?」


「そんなのとはなんだそんなのとは。セヴンイレヴンは日明食品に並ぶ樋田家のソウルフードだぞ」


「ソウルフードって……もしかしてアンタ四六時中そんなのばっか食べてるのかしら?」


「まぁ、ガキンチョの頃からずっとそうだったからな。一応最近自炊にもちょっとチャレンジしてみたんが、それもヘタクソマズい死ねの大合唱でやる気無くしたわ」


「……」


 正に絶句というヤツであった。

 樋田的には仕方ないだろと文句も言いたい気分であったが、確かにいくらなんでもズボラすぎたかもしれないと少し自省してみる。


「……あのさ」

「ああん?」


 秦の一言で現実に引き戻される。

 見ると、秦は何故か下を向いてプルプル小刻みに震えていた。長い前髪が妨げとなり、今の彼女がどんな顔をしてるかは分からない。


 あれ。もしかして、泣かせちゃった? なんで? 

あっ、死のう……と、樋田が一人でパニクっていると、秦は何かを決したようにキッとこちらを振り返る。


「……そんなものばっか食べてると、そのうち体壊すわよ」

「おっ、おう」

「だからさ。ほら、今日だけでもこっち食べた方がいいと思うのだけど……」


 なにやらやけにしどろもどろになりながら、秦は二つある弁当箱のうちの片方を、控えめに樋田へ押し付けてくる。

 改めて見てみると、彼女の弁当は中々に変わったものであった――――というか何故か中華料理しか入っていない。

 酢豚やエビチリ、焼売といったオカズ類に加え、ちゃんと健康面を考えているのか豆腐混じりの野菜炒めがかなりの量盛ってある。


 あれ、主食がないぞ? とか思っていると、すかさず秦は続けてなんか滅茶苦茶でかい餡饅のようなものを差し出してきた。


 これは確か饅頭とかいう大陸の主食だ。

 パッと見は日本のコンビニで売られてる餡饅と似てるが、こちらの中に具材は入っておらず、ついでにサイズも本朝のものと比べてかなりデカい。


「うわぁ、スゴい本格的ぃ――って、結局テメェの弁当も買ってきた惣菜ばっかじゃねえか」

「これ全部私が作ったんだけど……」

「嘘だろオイッ!?」


 ガラにもなく怒鳴り声以外で声を張ってしまった。

 樋田が驚いたのも無理はない。それだけ秦の弁当に詰められた品々は、ぱっと見売り物だと思うレベルのクオリティであったのである。

 それにまさか、弁当箱に手作りの中華料理を詰めて持ってくる人間がいるだなんて思わないではないか。


「……嘘なんてついてないわ。確かに意外かと思うかもしれないけど、私結構こういうのは得意なのよ」


「いや、別に疑っちゃいねえさ。ただビックリして口が滑っちまったというか……かー、それにしてもマジで本格的だな」


「見た目の感想は求めてないわ。ちゃんと食べて、そしてちゃんと美味しいって言いなさい。ほら、割り箸」


「なんで、俺の分まで匙用意してあんの?」


「………………なんとなくよ。今日はちょっと作りすぎてしまったしね。私一人じゃ食べきれないだろうし、アンタにも手伝わせようと思ったの」


「へぇ、そう。じゃあ早速いただくわ……」


 一見樋田の態度は素っ気ない。

 しかし実際はその逆で、彼は敢えて素っ気ない態度を取ろうとしないと、最早動揺を抑えることが出来なくなっているのである。


 隣で並んでお昼を食べるだけでもあれだけ緊張したというのに、まさかこうして女の子の手作り弁当を食べることになるなんて、なんかもうヤバすぎてヤバいし、どれくらいヤバいかというとマジヤバいって感じであった。

 もしや俺近いうちに死ぬのでは? と、ネガティブな方向に妄想を発展させながらも、樋田はゆっくりと秦の弁当を口に運ぶ。


「……はぁ、なるほどな」


 まずはとエビチリを一口食べたあと、樋田は感慨深そうにそんなことを呟いていた。


 まず結構辛い。

 しかしそんなことはどうでもよく思えるくらい美味かった。

 そしてもう一つ、少年の胸の中に何か形容し難い感情が広がっていく。


「なによそのよく分かんない感想。嫌なら嫌ってハッキリ言えばいいじゃない」

「なわけねぇだろ。別に悪かねえさ。ただ……いや、やっぱなんでもねぇわ」


 思わずつまらないことを喋り出しそうになり、樋田は慌てて口をつぐむ。


 正直に言うと、これまで誰かに作ってもらった食べ物なんて一度も食べたことがなかったから、少し変な感傷に浸ってしまったのだ。

 だが、そんなことを態々口に出すのは気持ち悪いし、そもそも自らの不幸を人に語って、慰めてもらおうとするなどおおよそ男のすることではない。


 そしてそんなくだらないことはさておき、秦の料理の腕がかなりのものだということもあって、樋田は彼女から渡された弁当をあっという間に完食してしまった。


「ごっ、ごちそうさまでした」

「あら、お行儀良いわね。お粗末様でした」

「……なんか悪りぃな。世話になっちまって」

「あっそ、別にお礼なんて要らないのだけど」

「お前さっきと言ってること違くねえか?」


 そう語る樋田はあいも変わらずの仏頂面であるが、いつのまにか彼の言葉からどこか窺うような固さは抜けていた。


 最初あれだけ気まずいだとか、関わりたくないだとか抜かしていたのがまるで嘘のようである。

 別にそれはそれで良いことなのだが、何となく餌付けされたみたいで、そこはかとなく微妙な気分にもなる樋田であった。


 昼休みはまだまだ続く。


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