第六十八話 『秦来来』
思えば、こうして普通に学校へ行ける日が続くのも、随分と久しぶりのことであった。
晴と出会った四月のあの日からというもの、あまりにも多くのことが起こりすぎた。
あるときは突然首無しの化物に殺されかけられ、またあるときは簒奪王などという絶対強者との死闘を演じさせられ、挙句の果てには綾媛学園の陰湿な陰謀を打ち砕くために東奔西走のハードスケージュール。
その他にもバトルが終わり次第入院させられるやら、晴を就籍させるための手続きが忙しいやらで、毎日規則正しく高校へ通う暇なんてどこになかったのである。
それでもここ二週間は、久し振りに遅刻も早退も欠席もせずに済む日々を送れていたのだが――――松下の話を聞く限り、それも今日で終わりになりそうであった。
――――ダエーワ、か。正直いまいちピンと来やしねえが、聞いた感じ結構やべえ案件になりそうだな。
先日の一件で思い知った通り、人類王率いる綾媛学園が有する戦力はかなりのものだ。
なんでも樋田達と戦った秦・松下以外にも、綾媛百羽の中には彼女達に匹敵する力を持つ天使がまだ三人もいるらしい。そのほか数百人いる通常の隻翼や彼女達が使役する使い魔を数に含めれば、その様相は最早ちょっとした軍隊に匹敵するほどである。
そして、そんな人類王が態々樋田達に共闘を持ちかけてきたということは、即ちそれだけ此度のダエーワ発生事件が危機的な案件であることを意味するのだろう。
――――まぁ、とにかく話を聞かねえことには何も始まりはしねえか。
そんなことを頭の片隅で考えながら、樋田は自らの通う高校がある五反田本面へと足を伸ばしていく。
目的地までの距離は約一.五キロ。自転車を使う程ではないが、歩くのもそこそこ面倒臭い微妙な距離である――――と、彼はそこでふとちょっとした些事を思い出した。
――――あぁ、そういやあれから全然返信してなかったな。
樋田は通行の邪魔にならないよう一度道の隅に寄り、おもむろにポケットからスマートフォンを取り出す。
そして、ほとんど使っていないメールアプリ?的なモノを起動させ、もう三週間も前から放置していたとあるメールを開いた。
宛先に記された名は黄文賢。
三週間前に晴経由で入手したそのメアドの主は、なんでも泰然王の変に際して人間界へと亡命したシャルスタ=ベイルなる天使を匿っているらしい。
つまり彼(彼女?)は今の樋田と非常に近い立場にあるのだ。
そこで晴にはお互い似た境遇同士コミュニケーションをとるように言われていたのだが、あれからゴタゴタしすぎて一度挨拶文を送ったきりになってしまっていたのである。
――――ふぅん、一人称僕ってこたあ男か。メアド消しちゃお……いや待て、まだワンチャンボクっ娘の可能性もあるな。
そんな妄言はともかく、樋田の挨拶文に対する黄文賢の返信もこれまた随分と型にはまったものであった。
「僕黄文、これからよろしく、一緒に頑張ろうぜ」的なことが、何だかテンプレじみた小難しい言い回しで記されているだけである。
――――まあ、利用価値あるヤツと仲良くしといて損はあるめえ。
晴曰く、この黄文某は先祖代々異能側の世界と関わってきた家系の末裔であるらしく、特に術式に関する知識や技術を豊富に有しているとのことであった。
実際に樋田達の
そうして樋田はスマートフォンをポケットにしまうと、再び高校への道を突き進んでいく。
いつのまにか住宅街のエリアは終わり、周囲は既に昼間から騒がしい繁華街の様相を呈していた。この区域を抜けてしまえば、樋田の通う高校はすぐそこである。
♢
樋田が去年の春から通っているその高校は、まぁ何と言ったらいいか、本当に特に変わったところもない普通の公立高校であった。
生徒の平均偏差値は五十五と六十の間をウロウロし続ける自称進学校。ギャルやチャラ男はある程度いても、俗にヤンキーと呼ばれる人種はほとんどいない。校則は比較的緩く、教師の質は可もなく不可もなし。特に強い部活があるわけでもなく、大抵野球部は都大会の二回戦で負ける。
――――畜生ッ、なんでテメェの通ってる高校相手に、こんな敷居の高い思いしなきゃあならねえんだよ。
そして当然、そんな割と大人しめで真面目な人間が集まる学び舎に、これまでの人生の中で三度も少年院に放り込まれた社会のゴミが馴染めるはずもない。
まず校門を潜った瞬間、近くを歩いていた生徒達の顔が一斉に引きつった。
彼等はそれぞれの連れと何やらヒソヒソ話をすると、そそくさ逃げるように樋田の近くから離れていく。
――――まあ、当然といや当然か。
いくら周りからの扱いが悪いとはいえ、それが自業自得ならば文句を言うのも筋違いだ。
これまで人に迷惑ばかりかけながら生きてきたのだから、その報いを受け続ける覚悟くらいとうの昔に出来ている。
そうして、樋田が校舎の中に足を踏み入れると、再び近くにいた他の生徒達が一斉に移動を始めた。
本来人で混み合っているはずの廊下を、一人モーセ気分で楽々と進み、少年は自分の在籍するクラスの前へと辿り着く。
「……」
案の定である。
つい先程まで扉越しに明るい声が漏れていたというのに、クラスの面々は樋田が入って来ると同時にシュンと口をつぐんだ。
ゴミが空気悪くしてすみません的な気分になりながら、樋田はそのまま自分の席へと向かう。そうして彼がそこにドッカリと座り込むと、そこでようやくクラスメイトたちは控えめながらもお喋りを再開する。
それからはまあ、やることはないし、話し相手もいないしとあって、いつも通りあっという間に時間が過ぎていった。
樋田はひとまずチャイムが鳴るまで机でボーとし、一時間目が始まれば真面目に授業を聞き、休み時間になればまたボーとするのを淡々と四回繰り返す。
気付けば時計の針は十二時半を指し示し、あっという間に昼休みとなった。
結局松下の言う綾媛からの人員というヤツはまだ来ていない。
――――おっせぇな。こんなくだらねえことしてる暇なんてねえてのに。
正直、樋田は苛立っていた。
今もこの東京の各地では、ダエーワなる化け物が市井の暮らしを脅かしているというのに、こうして何も出来ないまま、ただ時間を無駄にしているのが何とももどかしい。
しかし、今は松下の言う人員の到着を待つより他はないと、それぞれ周りのクラスメイトが鞄から弁当を出すなり、購買に向けて席を立つなりするなか、樋田もまたレジ袋片手に教室の外へと出る。
自分が休み時間も教室にいてはクラスメイトに迷惑だろうと、樋田はいつも屋上で昼食を取るのが習慣となっていた。
本来は本校も屋上には立ち入ってはいけない決まりなのだが、そんな最早形骸化した校則をこの半グレ少年が守るはずもない。
そのまま無事屋上へと出た樋田は、気怠そうに近くのコンクリートへと腰掛ける。そして彼が持ってきたビニール袋から、コンビニおにぎりを取り出したところで――――ソイツは突然現れた。
「……ねぇ、ちょっと」
「どわっつッ!?」
背後からいきなり話しかけられ、樋田は思わず前に倒れこみそうになる。
そして、落としかけたおにぎりをなんとかキャッチしながら一瞬硬直。今の声――――正しくはその退廃的な女の声色に、樋田は聞き覚えがあったのだ。
「オイオイ嘘だろ……?」
半ばその嫌な想像を確信しながら振り返る。
すると、やはりそこには彼が思った通りの少女が立っていた。
「フンッ、なによその反応。まるでオバケでも見たような顔しちゃって……」
しかし少女と言っても、その身長はそこらの成人男性と変わらないほどで、体付きも女性にしてはかなりガッシリとしている。
そして、その少女の容姿の中で最も特徴的なのは、何よりもその血や薔薇を連想させる髪と瞳の色であり――――そう、つまりは
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