第七十話 『霊邦四極時代』


 短気で強気で情緒不安定で、口が悪くて目つきが悪くて性格も悪いメンヘラクソ女。

 正直、つい先程まで樋田が秦漢華はたのあやかに抱いていた印象は大体そんな感じであった。


 ――――まあ、別に弁当ぐらいで絆されたつーわけじゃねえんだが。


 しかし、こうして実際に彼女と面向かって話してみると、そんなマイナスイメージは随分と改善されたように感じる。

 確かに未だこの陰気な烈女のことはあまり好きになれない。だが、少なくとも嫌いではなくなったと思う。


 ――――フンッ、ちょっと見ねえ間に随分としおらしくなりやがって……一体どういう風の吹き回しだってんだ。


 この二週間で彼女の心情がどのように変化したかは分からないし、そもそも樋田は秦漢華という少女のことを未だにほとんど知らないままである。

 だが、それでも樋田の予想通り、彼女が自ら進んで学園の陰謀に手を貸すような悪人でないことだけは確かであろう。


 ならば、何故秦漢華は大人しく学園の意向に従っているのだろうか?

 そしてもう一つ、先日秦が樋田に敗北した際、なぜ彼女は自らを殺すように言ってきたのだろうか?


 正直今も秦に聞きたいことはそれこそ山のようにある。だがそれでも樋田は敢えてそれらを問わなかった。

 ふと地上の方を見る。すると、校庭の中を歩く数人の生徒が、野球部のマウンドを荒らさないように道筋を大きく迂回する様が目に映った。


「なぁ、秦」


「……うん、何かしら?」


「いや、ふと思い出したんだけどよ。お前ってこの間、なんだか俺のこと昔から知ってるような口ぶりだったよな?」


「ぶべ」


 樋田は何の気なしに問うたつもりであったが、対する秦の反応はやけに大仰なものであった。

 まるで痛いところでも突かれたと言わんばかりに、そのクールビューティーがグニャリと動揺に歪む。


「……記憶にないわね」


「いや絶対言ってたわ。『まあアンタならそうすると思ったのだけど(裏声)』とか云々ってヤツ。ありゃあ結局どういう意味だったんだ? 正直俺ァテメェのことなんざ欠片も知らねえんだが、もしかして俺たち昔どこかで会ってたり――――」


「……へえ、欠片も知らない、ね」


 続く言葉はゴニョゴニョしすぎて上手く聞き取れなかったが、それが樋田に対する不平不満であることだけは何となく分かる。

 実際彼女はそのままこちらを虚ろな瞳で睨み付けると、


「……別に。それっぽいこと言って、アンタの動揺を誘ったってだけよ」


「嘘臭、じゃあ今の謎の間はなんなんだよ?」


「しつこいわね。覚えてないってんなら、そのまま会ってないってことでいいでしょ。自分で言うのもなんだけど、私そう簡単に忘れられるような見た目だとは思わないのだけど?」


 急に説得力のあることを言われ、樋田はそれ以上秦を追求することが出来なくなる。

 確かにこんな眼も髪も赤い女、それこそ一度会えば死ぬまで忘れることはないだろう。


「つーか、私も私でアンタには聞きたいことがあるのだけど」

「ああん、なんだよ?」

「……えぇと」


 言い出しっぺの癖になんだか言い辛そうであった。

 秦は決まりが悪そうに横髪をちねり、やがて意を決したように言う。


「あのときアンタと一緒にいた羽虫――いや、確か晴とかいったっけ。アンタとあのクソガキって、一体どういう関係なのかしら……? なんかっ、命の恩人とかそういうクソキモいこと言ってたけど」


「ああん? 別に何だっていいだろうが。テメェにゃあ関係ねえだろ――――」


 されど、そこで樋田は「ん?」と言葉を切る。

 見ると、秦が凄まじく恐ろしい顔でこちらを睨みつけていた。

 別にこの女に晴のことを話してやる義理はない。だが、そうするととても面倒臭いことになりそうな予感がしたので、溜息をつきつつも一応応えてやることとした。


「……ほら、何ヶ月か前、泰然王の変ってあっただろ? アイツはあれで天界からこっちに亡命してきた堕天使なんだよ。そんで、他に行く当てもねえっていうから、とりあえずウチに住まわしてやってるってだけだ」


「へぇ……に住んでるってのはそういうこと」


「オイ、言葉に含みもたせるのヤメろ」


「…………ロリコン」


「はあああああああああああああああんッ!?」


 聞き捨てならないことを言われてしまった。

 樋田は半ば反射的に立ち上がると、今にも胸倉を掴みそうな勢いで秦に食ってかかる。


「だっ、誰がロリコンだっつーのッ!? 俺ァ別にあんなチンチクリンに興味なんざねぇわッ!!」


「フンッ、だって事実でしょッ。アンタみたいにムサいオスがあんな小さい子家に連れ込んでるだなんて、これが変態少女愛主義者じゃなかったらなんなのよ? どうせアンタ、あのガキと一緒にお風呂入ったり……挙げ句の果てには同じ布団で寝てたりしてんでしょッ。気持ち悪い、本当に気持ち悪いわ。お願いだから今すぐ死んでくれない?」


「んな訳あるかあッ。よくもまあ妄想だけで人のことそこまで貶せるもんだなテメェは……つーかアイツ見た目が幼女なだけで実際の中身はクソババアだぞ。いくらなんでもそんなのに欲情するほど飢えちゃあいねえての」


「……それって、年齢が見た目通りなら、幼女にも欲情しますって言ってるようなモンよね?」


「ぎ」


 樋田可成は死亡した。

 言葉の綾というか、口は災いの元とというか、もっと考えてから口に出すべきであった。


 折角解消されつつあって気まずい雰囲気が、ここで一気にぶり返してくる。二人は互いに目を合わせているのが辛くなり、すぐさま揃って逃げるようにそっぽを向いてしまう。


「……さて、それじゃあそろそろダエーワの話をしようかしら」

「あぁ、うん。そうだな。そうしよう……まずは大まかに現状をまとめてくれると助かる、な」


 あっコイツ話題逸らしやがった――と思いつつも、余計なことは言わずに先を促す。

 そもそも彼女が樋田の元にやってきた第一の理由はそれであるし、……それにこちらもこちらでこの話題は早く終わりにしたかった。


 秦は仕切り直しと言わんばかりに咳払いをすると、ゆっくり言葉を選びながら説明を始める。


「そうね。まず今のところ、ダエーワの出現地域は大体東京二十三区内に限定されてるわ。まあ正しくは東京各地に配置されたウチの連中が、頑張って二十三区内の外に出ないように抑え込んでるって形なのだけど。正直どこぞから湧いてくるダエーワを発見次第叩いているってだけだから、イタチごっこになってる感は否めないわね」


「……はあん、つまりそこまで切羽詰まってるってわけでもねえんだな。まあ、ハナから殲滅諦めてんなら押されてないってだけでも充分だろ。現状時間はこっちに味方してるみてえだしな。だが、いくら二十三区内つっても結構広いだろ。本当にそんだけの範囲、学園の駒だけでカバー出来てんのかよ?」


「もちろんダエーワの殲滅に動いてるのは私達だけじゃないわ。綾媛学園りょうえんがくえん以外にも人類王の息がかかった勢力は幾つか存在するし……それに、今回は悲想天ひそうてん後藤機関ごとうきかん、あとは何故か碧軍へきぐんも反ダエーワサイドに回ってるみたいだしね」


「おいちょっと待ちやがれ」


 滔々と語る秦であるが、そこに樋田は困ったように割って入る。


「藤四郎相手に専門用語使いまくるのはヤメろや。いきなりヒソーテンだとかヘキグンだとか言われても知らねえつーの」


 実際には二ヶ月前に晴が似たようなことを言っていたような気もするが、とにかく知らないものは知らない。

 そんな樋田の反応に、秦は露骨にうんざりしたような表情を浮かべて言う。


「はぁ、面倒臭いわね……まぁ、いいわ。まずは予備知識として一つ頭に入れておいて欲しいんだけど、今この国における霊的勢力は大体四つ巴の状態にあるのよ。もちろん私たちを含めた人類王勢力もそのうちの一つ。で、残りの三つがさっき言った悲蒼天と後藤機関、そして碧軍という組織なの」


 そこで赤毛は教師ぶって人差し指を立ててみせる。


「まずはじめに、悲蒼天というのは在野の異能者によって構成される反天界武装ゲリラみたいなものね。活動範囲は本朝を飛び出してほぼ東洋全域。流石に細かいことまでは知らないけれど、天界による人間界への干渉を防ぐことは勿論、異能を悪用する堕天使や人間の討伐・回収なんかもやってるらしいわ。まぁ、ここらへんは大体私たちと同じね」


 続いて「で」とチャイナ娘は二本指を立てる。


「次に後藤機関だけど、これは政府が異能絡みの案件に対処するために組織した特務機関の一つよ。まぁ表向きは帝国陸軍の一諜報機関ってことになってるけどね。やってること自体は悲蒼天とほとんど一緒なのだけど、悲蒼天が天界の影響は人間界から残らず排除するって方針をとってる一方、こちらの活動には国内における異能を政府の手によって統制したいって意図が透けて見えるわ」


 政府。

 その意外なワードに、樋田は一瞬驚いたような顔を見せる。


「オイオイ、お上も普通に天使だの『天骸アストラ』だのについて知ってんのかよ」


「そりゃあ『ありとあらゆる可能性を内包する力』なんてものが、利権と結びつかないはずはないしね。そもそも私たちみたいなガキンチョでも知ってるようなことを、雲の上のお偉いさん方が知らないなんてことはないでしょ。それに、こんだけ色々科学では説明出来ないことが起きてるってのに、異能とか知りませんとか言われた方が国民的にはむしろ不安になるわ」


 更に続いて第四位は三本指を立てると、


「で、最後に碧軍なんだけど……まぁ、要するにコイツらは天界のシンパどもよ。天界の天使はそう簡単にこっちまで来れないみたいだから、人間界における天界の活動は大抵この碧軍を通して行われているらしいわ」


「……まあ、ある程度予想はしていたが、人間のくせに天界そっちにつくバカもいるんだな。全くもって救えやしねえ」


「でも自ら進んで強国の傀儡となることで、甘い汁を吸おうとした不義の輩なんて、それこそ人類史を遡れば腐るほどいるじゃない? そう考えると悲蒼天と碧軍は正に正反対の組織だと言えるわね。前者が選ばれなかった人間の為に振るわれる槍だとするならば、後者は選ばれた人間の為だけに振るわれる剣みたいなものなのだから」


 そこで秦は話題の切り替えついでにパンと柏手を打つ。


「で、話をまとめると、先に挙げた三つの反天界勢力が、天界の支援を受ける碧軍とそれぞれ対立しているってのが通常の構造なんだけど……今回のことで気になるのは、何故か四勢力の全てがダエーワの殲滅に動いているっことなのよね」


「つまり、今回の事件を引き起こしたヤツは、その四勢力のいずれにも属していないってことか?」


「うん、そういうこと。あり得る黒幕の正体としては泰然王の変で堕天した高位の天使なんかが考えられるかしら――――まあ、根拠のない憶測を口に出しても視野が狭まるだけね。とにかく一刻でも早くダエーワの発生源を突き止めて、これをどうにかしなくてはならないんだけど……」


「煮え切らねえな。なんか手がかりとはねえのかよ?」


「無いから困ってるんでしょ。まあ、強いて言うなら、他の地域と比べて中央区近辺のダエーワ発生件数がやけに高いってことぐらいかしら。まあ、発生源の特定は現状、松下達感知班と解析班の連中に任せるしかないわ」


 先日樋田が見た限りだと、綾媛学園が有する異能関係の施設はかなり充実していた。

 力を悪用する堕天使などを討伐しなくてはならない関係で、彼等は恐らく術式の感知・解析に関しても非常に秀でた能力を有しているに違いない。


 だからこそ、学園が本気でダエーワの発生源を当たっているにも関わらず、未だなんの手掛かりもないというのは些か気にかかる。

 それだけ今回の黒幕が上手だと言えばそれまでなのであるが。


「なんじゃそりゃ。なら結局俺達ァ何すりゃいいんだよ?」


「発生源が特定出来たら当然殴り込むに行くのだけど、それまでは適時怪しくなった戦線を支援するぐらいかしらね。まぁ、今は特に救援要請も出てないし、有事に備えて待機してるのが――――」「あぁ、そうかい。なら、さっさと行くとするか」


 秦の言葉を遮る形で呟き、樋田は何の気なしに立ち上がる。そのまま黙って校舎に戻ろうとする少年の袖を、後ろから赤毛が慌てて掴み取った。


「ちょっとッ、人の話は最後まで聞きなさいよ。アンタ、一人で勝手にどこへ行くつもりなのかしら?」


「どこに行くかだって? そんなもん知るか。どこにいるか分からねえから、探すんだろ」


 そうして、樋田は如何にも当たり前のことを言うような口調で続ける。


「今もどっかで苦しんでるヤツがいるかもしれねえってのに、こんなところで大人しく待機なんかしてられっかよ。俺ァ一分一秒でも早くこんな茶番は終わりにしてえんだ。なら、俺達もさっさと外で何か手掛かりを探すべきじゃねえのか?」


 対する秦は一瞬意外そうに目を見張り、直後そのへの字に歪んだ口元を僅かに緩ませる。


「……そうね。うん、確かにそうするべきだわ」


「そうかい。うんならとっとと行くぞ」


「あっ、ちょっとだけ待ってくれるかしら」


 そう言って秦は何故か急にブレザーを脱ぎだした。


 ――――いきなり何してんだコイツッ!? バカでしょ、ダメでしょ、いかんでしょッ!!


 例に漏れず邪な想像をする樋田であるが、当然彼が期待したような桃色展開にはならなかった。

 ブレザーを脱ぎワイシャツ姿になった秦は、続いて右腕の袖を肘のあたりまでまくる。すると、その下に現れた彼女の肌には、何か凄まじく複雑な文様――――否、正しくは無数の術式が刻まれていた。


「なにそれ刺青? 剥げば良いの?」


「くだんないこと言ってんじゃないわよ。ほら、アンタって確か人が持っている術式を乗っ取る力があるんでしょ。もしかしたら今回の事件で何かと戦うようなことになるかもしれないし、アンタにいくつか術式をストックさせるように言われたのよ。例に漏れず、あの人類王にね」


 なるほど、合点がいった。

 こちらは先日の一件で簒奪王から奪った『天骸』を使い切った身であるし、ここで新たな戦闘手段を補充出来るとなれば、これほどありがたいことはない。


「人類王の指令ってのが気に食わねえが……まあ、素直に受け取っておくわ。で、具体的にはどんな術式よこしてくれんだよ?」


「結構急な話だったから、簡単に量産出来るメジャーな聖創しかないわよ。今手元にあるのは、『破滅の枝レーヴァテイン』一発、『霊の剣エル=ミラ』二発、『白兵はくへい』と『虚空こくう』と『顕理鏡セケル』が三発ずつ、最後に『盾装不動じゅんそうふどう』と『鎧装不動がいそうふどう』が各五発ずつってとこね。詳しい使い方は道すがら教えてあげるから、今はさっさとこれ受け取っちゃいなさい」


 そう言って、秦は右手を差し出そうとし、


「う」


 直後、何が気に食わないのかスッと腕を引き戻してしまう。

 なんだか手で触れられることすら嫌がられているみたいで、短気な樋田は早くもイライラし始める。ついでに「アレ、俺ってそんなに生理的に無理?」と不安にもなる。


「なんだよ面倒臭えな。さっさと寄越せや。オラッ、こうすりゃいいんだろ」

「ちょっ、ちょっとッ……!!」


 樋田にガッチリと右の掌を掴まれ――即ち握手の形となり――秦は至極嫌そうに身を震わせる。


 そんなことはお構いなしに樋田が『天骸』を流し込むと、今回も問題なく『統天指標メルクマール』の能力は発動した。

 秦の右腕に刻まれた術式の数々はまるで芋虫のように蠢き、そのまま皮膚の上を這うようにして樋田の右腕へと移動していく。そのまま十秒もすれば、完全に譲渡は完了した。


「へははッ、こいつぁすげえや。こんだけたんまりと術式があんなら、俺でもいくらか役に立てるかもしれねえ。あんがとな秦…………あれ秦くん?」


 しかし、当の秦漢華はなんだか様子がおかしい。

 彼女は右手を左手で包み込むように覆い隠しながら、ジトっと上目遣いで見上げてくる。


「……責任、とりなさいよね」


「いや、なんのだよ」


 そこで丁度キンコンカンコンと昼休み終了のチャイムが鳴る。

 秦は結局それから責任?について言及することもなく、二人はそのまま学校の外へと飛び出していった。


 全てはこの街に巣食う異教の魔物から、罪無き人々の命と安全を守るため。

 迷いなく進む半グレ少年の少し後ろを、赤髪赤眼のチャイナ娘がやけにブレた足取りでついていく。



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