第四十四話 『花園に潜む刃』


 そうして学園に蔓延る異能の排除を誓い合い、再び夜が明けたあとの平日火曜日。その日も、隼志紗織はやしさおりは学校にやって来なかった。


 もしや彼女も、これまでの少女達のように『主に召されて』しまったのではないか。

 そんな悪い予想がにわかに現実味を帯びはじめ、松下ははじめこの世の終わりとでも言わんばかりに慌てまくっていたが、やがて隼志からメールでただの風邪なのだと連絡が入り、三人は一斉に肩をなでおろす結果となった。


 今日あった出来事の中で特別なことと言えば精々それぐらいである。その後授業が五限で終わり次第、樋田・晴・松下の三人組はすぐに彼女の寮室へと集合していた。

 状況整理と作戦会議はもう昨日死ぬほどやったので、今日は日が高いうちにさっさと行動を開始してしまいたい。現在進行形で綾媛の生徒達が異能の影響に晒されている現状、いつまでも手をこまねいているわけにはいかないのだから。


 そのあたりの考えは晴も同じだったようで、彼女は部屋に上がり次第、テキパキと残りの二人に指示を出していく。


「――――それで昨日も話した通り、今日ワタシは『顕理鏡セケル』を用いて、出来る限り『叡智の塔』の内部を探ってみようと思っている。そしてカセイにはその間に、件のの方を当たってもらいたい」

「ああ、了解。任せておけ」


 諸々の話し合いが済んだあと、ひとまず本日の方針はそのように決まった。やること自体は先日決めた内容となんら変わりはない。

 そうして樋田が首をコクコク縦に振ると、残された松下は何かを思いついたようにこちらへ向き直る。


「じゃあ、松下はヒダカス先輩の方に着いて行った方が良さげですね」

「うむ、そうだな。例の四人の顔を全員把握しているのはキサマだけだし、キコにはカセイを手伝ってもらえると助かる」


 しかし、そこで晴は釘をさすように人差し指を突きつけると、


「だが、決して無茶はするなよ。向こうにどの程度の実力があるかは知らんが、生徒会の手の者が襲撃を仕掛けてくる可能性も高い。まぁ、いざとなったらそこのカマキリヒラメを盾にしてくれ。そいつの体はそう簡単には死なないように出来ているし、一々罪悪感を抱く必要はないからな」

「分かりました。松下の代わりに先輩が八つ裂きになっても、一切申し訳ないとは思わないようにします」

「いや、少しは思えよ」


 何はともあれこれで各々の役割は決まった。

 然からば、この場所にいつまでも長居をする道理はないだろう。樋田と松下は早速上着を羽織り直すと、足早に学園の方へと繰り出そうとする。


「オイ、キコ。少しいいか」


 しかし、不意に晴に呼び止められ、二人は一斉に背後を振り返る。するとそこでは彼女が例の電子モニターを展開させながら、こちらをチョイチョイと手招きしていた。


「ん、なんですかそれ?」

「いいから動くな。そこでしばらく突っ立っていろ」

「えっ、うーん分かりましたけども……」


 その言葉に黙って従う松下の体に、晴は『顕理鏡セケル』を駆使して何やら霊的な小細工を施していく。そうしてそれからしばらくすると、不意に松下の顔が見たこともない別の少女の顔へと変貌した。


「ほれ、鏡見てみろ」

「えっ、あっはい――――って、うびゃああああ、なんですかこりゃアッ!!」


 言われた通り姿見と向き合った途端、松下はビックリ仰天と思わず尻餅をついてしまう。樋田はそんな彼女の姿を見ながら、納得したように鼻を鳴らした。


「ハッ、なるほど。コイツにも『映像分身ホログラム』を施してやったのか」

「ああ、そうだ。仮にも綾媛の中枢部に喧嘩を売るならば、この学園に籍を置いているキコの顔が割れてしまうのは危ういと思ってな」

「ちょっと。勝手に二人で納得してないで、松下にも説明してくださいよッ!! これちゃんと元に戻るんですよねッ!!」

「あーあー戻る戻る、普通に超戻るから安心しろ。有り体に言えば、デジタルで超リアルなお面を被せたようなものだからな。別に本当に顔が変わってしまったわけではない。ああ、あと声の方も術式が自動変換するように仕込んでおいたぞ☆」

「おお、言われてみれば確かに――――って、正直異能とか半信半疑だったんですが、本当にこんなこと出来るんですね。不思議パワー恐るべしです……」

「まあ、パンピーがいきなりこんなモン見せ付けられりゃあ驚くのも無理はねぇわな」


 晴の気の利いたフォローのおかげもあり、これで準備は万端、後顧の憂いなど微塵もない。

 そうして松下の心が落ち着くのを待ったのち、二人は晴を残して学園の方へと繰り出していく。初夏にしては随分と生温い風の吹く、そんな午後の昼下がりであった。



 ♢



 ヒスカルト=ジュークレイ。

 陶南萩乃すなみはぎの

 執行麗しぎょうれい

 そして、秦漢華はたのあやか


 彼女達四人は松下曰く、この秀才が集まる学園の中でも特に卓越した学力と能力を持ち、他の生徒達から畏怖すらされている支配的な存在であるのだという。

 確かに此度の洗脳事件に学園の中枢部が関わっている以上、彼女らの存在を捨て置くことは出来ないだろう。味方になってくれるのならば早々に協力を仰ぎたいところだし、逆に彼女達が学園側の人間ならば早めに叩いておくに越したことはない。


 それで四人のうちまず誰に接触するかという話になったのだが、とりあえず陶南萩乃はどっからどう見ても学園側の人間なので除外する。

 続いて執行麗とやらは、松下曰く四人の中で一番頭がおかしいらしいのでこれも除外する。

 先週一度会ったことのある唐辛子頭も、同様の理由で却下とのことであった。


 そうしてまず彼等がはじめに狙いを定めたのは、今年初等部から全科目満点で進学したという稀代の天才、中等部一年のヒスカルト=ジュークレイであった。

 彼女は中東イラクからの留学生という異色の経歴を持つ人物なのだが、他の三人と比べると比較的人格がマシであるらしい。


「ヒスカルトが通っているのはあちらのエリアですね……」

「ああ……」


 松下が言うには、天才秀才の集まる当学の中でも特に優秀な頭脳を持つヒスカルトは、晴達と同じ学年でありながら別棟の特進クラスで授業を受けているのだという。

 彼女がいるその棟は、晴達の通う校舎からそれなりに距離がある。そうして二人並びながら目的地へと向かう樋田と松下であったのだが、


 ――――


 もう十分くらいは歩いたというのに、事務的なものを除いて両者の間に会話はほぼない。

 確かによく思い返してみれば、これまで樋田はずっと『霊体化』していたので、松下と話したことなどほとんどないのだ。つまり二人は晴を介した友達の友達みたいな微妙極まりない関係性に過ぎないのである。


 昨日今日知り合ったばかりの人物、それもこんな可愛らしい女の子と二人でいなければならないなど、クソ陰キャの樋田にはハードルが高過ぎてむしろ下を潜るまである。

 そもそも彼女のことを何と呼んだらいいのかも、彼には皆目見当付かないのだ。


「なあ、ちょっといいか……」

「ん、なんですか……?」


 なんかこのまま黙りこくるのも悪いかと思ってつい話しかけてしまったが、樋田の頭の中に何か話題などが思いついていたわけでもない。

 そして彼は気付けば無意識にとあるフレーズを口にしていた。


「お前のさ、好きな食べ物ってなに……?」


 はっ、つまんな。なんだこいつクッソつまんねぇな。いくらテンパってるからって天気の話の次くらいにつまんねぇ話題振っちゃったよこいつ――――と、心の中で自らをなじりまくる樋田に、案の定松下は微妙な表情を浮かべていた。


「えっ、じゃあ、枝豆とかですかね」

「へぇ……そう」


 樋田が決死の覚悟で巻いた会話のタネは、そこで呆気なく枯れ果ててしまった。この間僅か五秒である。

 そのとき樋田可成は自分という人間がどうしようもない劣等生物であることを改めて思い知っていた。なんか最近は晴と話しまくっていたせいで、あれ俺実はコミュ力高いんじゃね? みたいやはりな思い上がりを胸に抱いていたが、そんなものは夢想空想幻想に過ぎないのである。

 そうして目に見えて消沈するカマキリヒラメに、松下は呆れたように溜息をつくと、


「……無理に間持たせようとかしなくても良いですよ。松下は別に沈黙とか苦にならないタイプなんで」

「ンだよお前も同類かよ。なれないことして損したわ。沈黙いいよな。むしろ沈黙じゃない方が苦になるってレベル」

「……うわっ、キッツ。貴方どんだけ寂しい人間なんですか?」

「っせーな、俺は人間関係まで侘び寂びスタイルなんだよ」


 うん。松下がクッソ生意気なのはムカつくが、先程よりはいくらかマシなやりとりが出来た気がする。

 やはり自分は普通にお喋りすることは難しくとも、悪態とか軽口ならいくらでも口に出せる人間なんだなあと樋田は一人自己分析。心なしか舌の滑りもよくなってきたので、頭の隅で考えていた言葉が口からぽろりとまろび出る。


「それにしてもよく馬鹿正直に付いてくるよな、お前」

「どういうことですか?」


 そのバカにしたような言い方に、松下は思わずムスッとする。そこで樋田は悪りぃ悪りぃと手だけで謝るような仕草を見せると、


「言葉の通りの意味だ。普通の人間はなァ、異能なんて訳ワカンねぇモンが本当に実在して、なおかつそれが自分に危害を加えるかもしれないって分かったら、家の中で一人ガクブルするのが精一杯の生き物なんだよ。ダセェからあんま口には出したかねぇが、俺も最初は普通にビビって逃げちまったしな」


「そりゃあ確かに怖くないと言ったら嘘になりますが……、それでもこれは紗織のためですから。松下は彼女のためなら命だって賭けられるつもりです」


「だぁからそれが凄えことだって言ってんだよ。いくら大切な人間のためでも、テメェの方から危険に首突っ込めるヤツなんて中々いやしねぇさ。俺ァそういうヤツのことは心の底からカッコいいと思うし、なんなら心の底から嫉妬するぜ」


 今樋田が口にしている言葉は紛れもない本音である。

 実はこの樋田可成という少年、これでいて松下希子という少女のことを中々に気に入っているのだ。唯一無二の親友を救うため、懸命に尽くすその姿は、かつて樋田が憧れた晴の高潔さにも通じるものもある。

 そんなこんなで卑屈陰険を極める彼にしては珍しく素直に賞賛していたのだが、対する松下は何故か不満そうに眉を顰めていた。

 

「……松下は、そんな大層な人間じゃありませんよ」

「ハッ、なに? もしかして怒ってんのお前?」


 そんな松下の予想外な反応に、樋田は頭にハテナを浮かべて困惑するしかない。

 今の会話で何か地雷を踏み抜いたのかしら。それとも単純に三日目でイライラしてたのかしら。悪いが陰キャ拗らせた童貞に女心のフォローなんて無理だからな――――と、樋田が割と最低なことを考えていた、ちょうどそんなときであった。



「あれ、おかしいですね?」



 樋田を先導する形で前を歩いていた松下が、突如その場に立ち止まる。その表情には焦りの色が色濃く浮かび上がっており、何かマズイことが起きてしまったのは明らかなことであった。


「オイどうした?」

「いえ、その、なんか急に自分が今どこにいるのか分からなくなったというか……」

「ああん? どういうことだよ」


 いまいち要領を得ない松下の返事に、樋田も樋田で周囲を見渡してみる。そう言われてみれば、確かに景色がいきなりガラリと変わったように思えなくもない。

 そして何より、いつの間にか二人の周囲に他の人間は一人もいなくなっていた。


 その瞬間、樋田の背中をゾワリと嫌な予感が走り抜ける。


「……チクショウ、結局晴の言う通りになっちまったな」

「えっ、ちょっと松下にも説明してくださいよッ!!」


 こうなってしまっては最早小細工は無意味だと、樋田は晴にかけられた映像ホログラムを解除する。


 このまるで知らない森の中に突如放り込まれたような不安感。それは先月、少年が簒奪王と港で戦った際に感じた違和感と酷似していた。

 一般人からの干渉を完全に遮断するため、特定の空間を現実世界から切り離し、一種の『異界』として組み替える摩訶不思議な術式。そんな高度なものが発動されたということは、それ即ち異能を宿す者に襲撃されたという事実にほかならない。

 樋田はそこに本能的な危機感を覚え、傍の松下の体をガバリと懐まで引き寄せる。


「やっ、いきなりなにすんですかッ!!」

「敵だ。気ィ引き締めろ」

「てっ、敵ってまさかッ……!?」

「慌てんな。テメェは俺の側から離れなきゃそれでいいんだよ」


 そうして樋田は腰元から黒星ヘイシンを取り出すと、体の全神経を集中させ、どこにいるかも分からない敵の気配を念入りに探っていく。そしてその獣じみた野生の勘に任せるがまま、後方の曲がり角へと銃口を向けた。


 彼が実際に銃を使うのはこれが初めてだったが、発砲までの流れは既に鍛錬で体に叩き込んである。そして、躊躇なく人の体にナイフを突き立てられるような人間が、銃の引き金を引くことに欠片の抵抗を感じるはずもない。


「……オラッ、さっさと出て来やがれ。そこにいんのは分かってんだよッ。まさかそんなクッセェ殺意撒き散らしておいて、この俺様が気付かねえとでも思ってんのかゴラアアアアアアアッ!?」


 そうして樋田は迷いなく引き金を引いた。

 弾弾弾ダンダンダンと続け様に放たれた三発の弾丸は思った場所には飛ばず、そこらの壁や床を傷付けるに留まったが、それでも威嚇射撃としての効果は充分なものであった。



「――――全く、小さな鼠が入り込んだのかと思ったら、とんだ狂犬だったようですね」



 そんな無感情な声を合図に、曲がり角より五人の少女達が次々と姿を現わす。その正体は樋田や晴の予想に違わず、先週飛び降りの生徒を『叡智の塔』へと連れ去ったあの生徒会役員達であった。


「先に問わせてもらいますが、貴方達やはりこの学園の生徒ではありませんね」

「しかも我等の『天骸アストラ』を感知できるとは中々の使い手。『碧軍へきぐん』か、それとも『悲蒼天ひそうてん』か」

「排除」

「貴方達にとって何が目的かは分かりませんが、部外者の侵入を見逃すわけにはいきません」

「抗いたければ抗うがいい。それでも我等が『綾媛百羽りょうえんひゃっぱ』の劔は、必ずや貴様の命を刈り取るだろう」


 その不気味な十の瞳が一斉に二人を射抜いたのを見るに、どうやら彼女達の方も戦闘態勢に入ったようであった。

 五人の少女達の体からは、銀色の『天骸アストラ』が湯水のように溢れ出し、その身を包み込むようにして広がっていく。晴の言ったとおり、やはり彼女達は異能を明確に知識として識る、こちら側の人間であったのだ。そして――――、



「テメェらまさかッ……!?」



 しかし、生徒会役員達の変化はそれだけに留まらなかった。それは樋田はおろか、筆坂晴すらも予想だにしなかった更なる変異――――『天骸アストラ』を纏う五人の少女達の背より、その体よりも巨大なが突如として飛び出したのである。続いて頭上には銀河の如き光輪が浮かび上がっていく。

 晴のように肌や髪の色まで変わることはないが、それは間違いなく少年がかつて目にした『天使化』に他ならぬものであった。


「いくら隻翼とはいえ、天使が五匹たぁ笑えねぇ冗談だッ……!!」


 その神々しい神秘的な姿に、樋田は思わず松下ごと後退る。しかし『異界』として現実世界から切り離されたこの空間に逃げ場などどこにもない。


 五人の天使が体の前に手をかざすと、突如虚空より数多の武具が召喚された。ある者は銀色のロングソードを、またある者はジャベリンやハルバートをその手に構え、真っ直ぐに樋田達の方を見据える。



 五人同時の清らかな口上が、凛と校舎の中に響き渡る。直後、肌が泡立つような緊張感と共に、彼等の戦いの幕は切って落とされることとなった。


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