第三十三話 『ハレハレハイトフィーバー』


 あんな日本語ガバガバ新米教師に晴を任せるのは正直心配だったのだが、それからの里浦さとうら先生は割とまともに学内を案内してくれた。

 晴はまず彼女に靴箱とトイレの場所を教えられ、そのまま何事もなく待機用の教室を目指していく。


 しかしそこで一波乱あった。


 本日転校生が来るという情報は、恐らく当学の生徒達も事前に聞いていたのだろう。しかも相手は好奇心旺盛な女子中学生達ときたものだ。

 そんなときに普段見慣れない生徒が廊下を歩いていれば、噂好き野次馬気質な女の子達が集まって来るのは当然のことであって。


「あっ、もしかして転校生ってあの子なんじゃないッ!?」

「うわっ顔ちっさッ、背ちっさッ、ついでにお胸も超小っちゃいッ!!」

「きみかわいいね、いくつなの? どこ住み? てかラインやってる?」


「げっ、また来ましたねおしゃべり女子どもッ!! ダメですぅ、ウチの転校生ちゃんはお触り禁止なんですッ!! ささっ、筆坂さん今のうちに廊下の先の教室へッ!!」

「だけど、それじゃ先生がっ……!!」

「……フッ、構やしねぇよ。オレァもうどうせ長くねぇ命だ。ほら、分かったらここは任せてさっさと行っちまうんだZEッ!!」

「……ッ!! ワタシ、先生が無事に帰ってくると信じてますからあああああああッ!!」


『なあ……、この学園にはキチとバカしかいねぇのかよ』

『くははっ、良いではないか。今そこにあるものを常に全力で楽しむことこそが、このクソみたいな世の中を楽しく生きるコツだぞ☆』


 そんなクソみたいな三文芝居の流れに沿うがまま、晴と『霊体化』済みの樋田はそそくさと待機用の教室へと滑り込む。

 どうやらそこは普段物置として使われている様子で、教室の後ろの方では巨大な柱時計や燭台などがまとめて保管されている。

 里浦が戻ってくるまで立って待っているのも疲れるので、二人はひとまず適当にそこらの椅子に腰を下ろすことにした。


『およっ、この椅子めちゃんこフカフカしているな。最近坐骨が痛むからこれは助かるッ!!』

『……なぁ、一応今のお前はJCってことになってんだから、少しぐらいはガキとして振る舞う努力をしやがれ』


 そんな二人のくだらないやりとりはさておき、こうして実際に部屋の中へ入ってみると、改めて当学のレベルの高さを思い知らされる。


 空き教室のくせに部屋のどこにもホコリやチリは見当たらず、床板や壁紙も高品質なものを使っているのが一目でも分かるほどだ。

 ついでに頭上のスピーカーからは心地のよい音楽が流されているし、果てにはどこからかハーブのような良い香りまで漂ってくる始末である。


『ハァ、全く金の無駄遣いにもほどがあるだろ。まあ、これもみなこのアロイゼ=シークレンズをもてなすための代物でもあると考えれば、殊勝な心掛けだと褒めてやっても良いがなッ!! くははははは、はっ――――げっほげほげほッ!!」


 そう言ってなんか勝手に一人でむせ始めるアホ天使ちゃんであった。勿論背中は摩ってやらない。

 やがて彼女はようやく咳が治ると、暇になっちゃったのか教室奥の物品を興味深そうに物色し始めた。鮮やかなステンドグラスを素手でベタベタ触りまくったり、隅に放置されているオルガンで適当に「猫踏んじゃった」を演奏してみたりと、それはもうやりたい放題である。


『……頼むからモノ壊したりしてくれんなよ』

『ハッ、くだらんことをほざくなよクソガキ。このワタシも教養ある者の端くれとして、価値ある品の扱い方ぐらい弁えておるわ』


 晴はそう自信満々に言うが、このクソ幼女が度を越したガサツババアであることは既に自明のことだ。そこらの品々が一体いくらするかも分からない身としては正に戦々恐々の一言である。

 しかし晴はそんな少年の忠告をろくに聞いてもいないのか、よりにもよっていかにも高そうな花瓶をヨイショと持ち上げてみせると、



『あびゃッ』



 フラグ回収とばかりに手を滑らせ、これを見事に取り落としてしまった。

 直後、少年少女の耳をつんざいたのは無論、パリンッ!という明らかな粉砕音である。


 花瓶が割れた。

 花瓶が割れてしまった。

 もう一度言おう。そのいかにも高そうな花瓶が、なんと割れてしまったのである。


 そっからのヒダハレはもうてんやわんやであった。


『ギャアアアアアッ!! なんてこったパンナコッタッ!!』


『っざけんじゃねぇぞ馬鹿野郎ッ!! くだらねぇこと言ってねぇで、とっとと箒もってきやがれッ!!』


『相分かった……って、別にこんなの『燭陰ヂュインの瞳』で直せばそれで済む話ではないかッ!! オラさっさとしろよクソヒラメッ!!』


『先に言えやクソガキッ、もう普通に五秒なんて経っちまったわッ!! 仕方ねぇ。とりあえずはゴミ箱の中にぶち込んで、あとは知らぬ存ぜぬの方向で』


『ぬわっ、空き教室だから普通にゴミ箱がないッ!! ……斯くなる上は全部窓からぶん投げてしまえええええええええええッ!!』


 幸いこの教室は一階だ。

 樋田は窓の外に人がいないのを確かめ次第、晴の指示通り手持ちの破片をまとめて窓からぶちまける。

 そして二人が慌ただしく清掃用具を片付け終わったのと、件の戦場から里浦が戻って来たのはほぼ同時のことだった。


「……待たせてすみません筆坂さ〜ん。ささっ、そろそろホームルームなんでわたしについてきてください……って、なんでそんな疲れた顔してんですか?」


「はぬぁッ!? えーと……実はワタシこう見えて結構人見知りするタイプなんですよ。だから、新しいクラスに馴染めるか不安で……」


「ああそうでしたか。まぁ、初日は仕方ないですよね。しかし、大丈夫モーマンタイメイウェンティーですよ筆坂さん。そこらへんは私が全力でホローしますから、貴方は貴方という個性の花を咲かせてくれればそれで良いのですよッ!!」


 相手が察しの悪いバカで助かったと、二人は思わず胸を撫で下ろす。

 そんな里浦に促されるまま空き教室を出ると、どうやら晴が編入されるクラスはすぐ隣の教室のようであった。

 扉の向こうは今も転校生の噂で持ちきりなのか、態々耳を澄まさなくとも女の子のキャッキャした声が聞こえてくる。


「それでは頃合い見たら呼びますんで、合図したらそろそろ〜と中に入って来てください」

「はい、分かりました」


 そう言って里浦が教室に入っていったのを見届け次第、ヒダハレはこっそりと小窓から中の様子を伺ってみる。

 流石は高偏差値校なだけはあり、朝のチャイムと同時に生徒達は大人しく自分の席へと戻って行く。隣の者とひそひそ話をする者はいても、あたり構わずデカイ声で騒ぎ続ける馬鹿は一人もいない。

 ついでに近頃の女生徒が大好きな「マジ卍」や「ありよりのなし」といった単語も一切聞こえて来ず、彼女達の育ちの良さがなんとなく伺えた。


「はいはいみなさん静かにしてくださいねッ!! 静かで静寂なビークワイエットッ!! さてさて本日はみなさんもお待ちかねの転校生、我らが1-Qのニューフレンズを紹介しちゃいたいと思いますッ!! それでは転校生ちゃんどうぞ、ケセガンガンガンガンガンガンガンガンガーン!!オォーオォ!オォーオォ!」


 いやテメェが一番うるせぇよ――――という樋田の野暮な苦言はさておき、晴は里浦の合図に従い堂々と(樋田はその後ろからこっそり)教室の中に入っていく。


 ――――姿は見えねえと分かってても普通にドキドキすんなコレ……。


 実際に集団の視線に晒されている晴よりも、樋田の方が先にゴクリと生唾を飲みこんでしまう。

 目の前の女の子は黒髪ロング、その後ろは茶髪ショートで、その更に後ろにはちょっと背伸び気味な金髪カールが続く。他にもポニーテールに、ストレートに、ツインテールだろうとなんでもござれなJC天国がそこには広がっていた。

 別に年下などに興味は一切ないが、三十人ほどの十三歳児が一堂に会するその光景は、非常に魅惑的だと言って差し支えない。


 へはっ、みんな可愛いなグヘヘ――――と、キモい笑みを浮かべてるキモ男を白い目で軽蔑しながら、晴は背後の黒板にクソ汚い字でデッカく「筆坂晴」と書いていく。

 続いて彼女は如何にも演技臭い動きでくるりと正面に向き直ると、


「やあ見目麗しき女学生諸君、筆坂晴だ。ここには授業料がタダだと聞いたから編入してきてやった。キサマらのなかにこのワタシの学友として相応しい人間がどれだけいるのかは知らぬが……まっ、ワタシのことは気安く晴様と呼んでもらって構わん。以上ッ!!」


 そんな転校初日からイジメられても文句が言えなさそうなことをほざきだしたのである。

 少女の奇行を半ば主観的な目線で見ていた樋田が、たちまちにテンパりまくったのは態々言うまでもない。


『ななななななっ、なに素に戻ってんだ。黙って大人しく猫かぶってろよこのハゲッ!! テメェみてぇなマジモンの社会不適合者が、こんな素敵JC空間に受け入れてもらえるわけねぇだろうがッ!! 」


『……別にこんぐらいいいではないかメンドくさい。そもそも自分を偽って作った交友関係ほど虚しいものもないだろ。それにオマエみたいなのが普通に学生として受け入れられているならば、ワタシの性格だって充分立派な個性として受け入れられるはず――――』


『受け入れられるわけねぇよッ!! どこにも受け入れられなかったから、こうなっちまったんだよ俺はッ!!』


 異能越しでそんな失礼なことをほざく晴の目の前では、当然クラス中の皆が皆こちらを見つめたまま呆然と固まっていた。

 自分は関係ないどころか姿すら見えてないはずなのに、何故だかこっちまで死にたくなってくる。共感性羞恥で胃がキリキリ痛い。


「オイ、何を黙りこけてるんだキサマら。ほらっ、拍手だ拍手ッ!!」

『いや自分で言うなよ……』


 晴がバンッと机を叩くと、申し訳程度の拍手がパチパチと上がる。樋田がそんな地獄絵図から思わず目を逸らし、先生助けてとばかりに里浦の方へ視線をやってみると、


「……ハイ、じゃあ筆坂さんはそこの空いてる席に座ってねッ!! それ私が昨日一キロ先の教室からもらってきたヤツなんですから、大事に使ってくださいよ本当ッ!!」


 そんな彼女の明るい声に釣られ、クラスの中に僅かながら笑い声が上がる。

 なんか微妙になってしまった教室の雰囲気を、自らが道化になることで払拭しようとする里浦響子さとうらきょうこ。威厳あるべき教師としてはいささかどうかとも思うが、とりあえず司会者としては悪くない対応だろう。

 しかし当の晴はそんな彼女の指示を無視し、何故かその前の席にドスンとカバンを置いて言う。


「オイ、そこはワタシの席だ」

「……え、でもあなたは私の後ろなんじゃ?」

「戯け。キサマのようなデカイ女が前にいては、この筆坂晴が黒板を見れぬでないか。それぐらい気を遣えよ小娘」

「あっ、ごめんね……じゃっ、じゃあ私は後ろ行くから」


 新米教師の努力によって和みかけた雰囲気は、ものの数秒で再び鉛と化した。

 そういえばコイツ最初はこんなやべぇヤツだったなと、樋田は今頃になって思い出す。そもそもあんな傲慢不遜幼女に常識なんて期待してはいけないのだと、納得は出来なくとも諦めて妥協するのが彼女との正しい付き合い方なのである。


「――――さて、これで朝のホームルームはお終いッ!! それじゃあ、あとはみんなで仲良くやってねバイバイッ!!」


 しかし、ここ一ヶ月で悟りの領域に至った樋田とは違い、今日初めて晴と出会ったクラスの面々は「は?なんだコイツ」としかならないに決まっている。

 実際里浦先生は凄まじい早口で朝の連絡を済ませると、そのまま逃げるように教室をあとにしてしまった。

 里浦の敵前逃亡と共に、みんな仲良し一年Q組は不気味なまでにしんと静まり返る。しかも最初の授業が始まるまで、まだ地味に十分もありやがるから本当に救いようがない。


 ――――さて、こっからが地獄だぞ……。


 これは完全な偏見でしかないのだが、女子校と聞くとなんか人間関係が死ぬほど恐ろしいイメージがある。

 はてさてこれより晴が受ける洗礼は陰湿な無視か、あるいは物を隠されたりといった直接的な嫌がらせか。

 どちらしてもきっとろくな扱いはされないだろうなあと、本人を差し置いて戦々恐々とする樋田であったが、そんな彼の悪い予想は此度も見事に外れることとなる。

 そのきっかけは晴の後ろに強制移動させられた例のデカい女生徒であった。


「晴様だっけ、ねぇどっから来たの?」

「普通に東京生まれのヒップホップ育ちだ。悪そうなヤツは大体友達まである」

「おっ晴様マジで可愛いじゃん! ねぇねぇ、インスタのせたいから一緒に写真撮って欲しいんだけど!」

「写真を撮るのも悪くはないが……、まずは私の可憐さを目に焼き付けておくのが先だと思うぞ」

「てか晴様よく見たら碧眼だね。もしかしてハーフだったりするの?」

とやらはよく分からんが、まあワタシは人類の枠には収まりきらない高等生命体だからな。キサマら劣等哺乳類とは生物としての格が違う」

「晴様すっごく可愛い。白くて顔ちっちゃくて本当お人形さんみたい……」

「ふん、聞き飽きた言葉だな。だが悪くない、よしこのワタシに更なる賛辞を呈する許可をやろうッ!!」

「てか晴様声も凛々しくてかっこいいよね! ねぇ、ちょっとなんか口説き文句言ってみてよッ!!」

「――――ヘイ、ビッチ。俺のケツにキスしな」

「「「キャー晴様素敵ッ!! 晴様万歳ッ!!」」」


 そんな調子で次から次へと晴の周りに集まってくる好奇心旺盛なクラスメイトたち。それはもう都会でいきなり顔バレした芸能人がごとく持て囃されぶりで、そのまま一年Q組の教室は上を下への大騒ぎとなっていった。

 そんな晴様フィーバーの渦の外で、細目凶相のチンピラは一人虚しげに頭を抱えずにはいられない。


『……おかしいだろ。中学のときの俺は言動と態度と普段の行い、加えてその他の諸々の要因でチンピラ扱いされて迫害されたっつーのによ』

『いや、それどう考えてもそれオマエの自業自得だろ。まあ、あとは純粋に民度の差か。そりゃあこんな人生勝ち組コース決定してる連中なら、変人の一人や二人くらい日常のスパイスとして受け入れる余裕もあるのだろう』

『……いや、小難しいこと言って誤魔化してるけど、ただ人の善意に甘えてるだけじゃねぇか』


 樋田のそんな苦言とほぼ同時に、キンコンカンコンと一時間目開始のチャイムが鳴る。すると晴の周りにいた生徒達も「またあとで」と言い残し、みなそれぞれの席へと戻っていった。

 何はともあれ仲が良いことは美しきことかな。思わず憎まれ口を叩いてしまった樋田であるが、晴が他人に受け入れもらえそうなのは保護者として素直に嬉しい。


 私立綾媛りょうえん女子学園、入学一日目。

 そのうち初めの一時間はこうして何事もなく終わった。その時間は正に平和そのもので、『天骸アストラ』や術式といった非日常の香りは欠片もしない。

 一度は狂気に陥った晴も元気なようであるし、樋田としてはこのままなにも起こらずにいてくれることを願うばかりである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る