第三十二話 『その少女、唐辛子頭にて』
「ねぇ、ちょっとそこのアンタ」
その少女の背はすらりと高く、そこそこ身長のある
彼女もこの学校の生徒なのか、晴とほとんど変わらない茶色のブレザーと灰色のプリーツスカートを身につけている。
確か例の冊子によると黒ブレザーを用いる中等部に対し、高等部の生徒は茶色のブレザーを着用するのが校則になっているらしい。
しかし、そんな些細なことは正直どうでもいいのだ。
目の前の少女の存在を異質たらしめている最大の要因は、なによりもその常識離れした
――――
紅い。少女の印象はそこに終始する。
まるでガーネットをそのまま目窪に埋め込んだような紅の瞳に、薔薇ですら恥じらいを覚えるであろう鮮やかな赤髪。そのミディアムヘアーは肩の辺りで雑に切り揃えられており、そこからこれまた雑に結ばれた二本のお下げが、うなじのあたりからひょっこり垂らされている。
続けて面構えをよく見てみると、目つきは樋田に勝るとも劣らない切れ長のツリ目で、瞳の方もまるで死んだ魚のようにどんよりとしていた。ついでに目の下には黒い隈が色濃く刻まれており、樋田としては何となく親近感を覚えずにはいられない。
一瞬外人かとも思ったが、顔付きを見る限り普通に日本人のようだ。されどそこに染髪やカラコンをしているような違和感はなく、その髪と瞳の色もまるで先天的なもののように見えてくるから不思議である。
「げっ、ハタノさんッ!? あのっ、そのわたしたち今はお仕事中だからさ……ね?」
またもや「げっ」である。
樋田の背中にこっそり隠れながら、少女を嗜める女教師に威厳は皆無であった。里浦先生のおっかなびっくりな反応を見る限り、恐らくこのハタノなる唐辛子頭は当学における中々の問題児なのだろう。
確かにこんな心身ともにオラつきまくっている女が、真面目に勉学に励むような生徒であるはずがない。
「……ちょっとアンタ、無視してんじゃないわよこのカマキリヒラメがッ」
なんとなくコイツとは合わなそうだなあとか思っていたのが、つい顔に出てしまっていたのだろうか。
赤髪ツリ目は女教師の忠告を当然のように無視すると、樋田のすぐ近くまでズカズカとにじり寄って来る。
残念ながら晴と違ってあまりいい匂いはしない。むしろ心なしか唐辛子臭いまである。
「ねぇ、アンタ名前は……?」
「ああん? 誰だよテメェ」
「うっさいわねッ!! だから、アンタの名前は何かって聞いてんのよッ!!」
「……テメェなぁ、人に名前を聞くときはまz」
「
唐辛子頭はそう苛立たしそうに怒鳴りつけると、まるでそこらのチンピラみたいに樋田の胸倉をガッツリ掴みかかってくる。
まさにその瞬間、少年の頭の中では毛細血管がまとめて五、六本はブチ切れる感覚が生じた。
――――はあ、なんだコイツッ……?
もう我慢の限界であった。
むしろ一度は頑張って耐えたことを褒めてもらいたいくらいである。
かつて「歩く瞬間湯沸かし器」と称されたチンピラ少年が、そんなナメた態度をとられて黙っていられるはずもなく、
「ヴラアアアアアアなんだテメェコノヤロウッ!? いきなり馴れ馴れしく話しかけてきやがってッ!! 二度と小便出来ねえ体にされてえのか、このクソアマがああああああああああああああああああッ!?」
結局普段通りの裏路地テンションでブチ切れてしまうのであった。
樋田はそのまま憎き唐辛子頭に額を押し付けるが、晴に後ろから袖を引かれて少しばかり我に返る。
「オイ、トウキョウイキリインキャゴミムシ」
「学名みたいに言うんじゃねぇッ!! 俺はなこういう――私ツンデレだからどれだけナメた口聞いてもいいんですぅ――みたいな顔してるヤツ見ると無性にブッ殺したくなるんだよッ!!」
「いや、ウザくて面倒臭いツンデレとか、それ最早ただのオマエではないか……っとそれよりもだカセイ。頼むから、もう少し周囲に気を配れる人間になってはくれないか?」
「ああん?」
晴がジト目で指差す方を一瞥し、樋田は即座に嗚呼と納得する――――頑丈な校門の裏にこっそり隠れながら、新米教員
流石の樋田もこれには少しばかり反省せざるを得ない。彼はそのまま出かかった罵詈雑言をなんとか飲み込み直すと、
「……
樋田は犬を追い這うような仕草で少女を煽り返すが、対する唐辛子頭の反応はまたもや意外なものであった。
「嘘っ、本当に……でもそれじゃあ」
樋田可成――――その名を聞いた途端、少女は信じられないとばかりに目を見開く。それはまるでどうせ当たらないと捨てた宝くじが、後から実は一等だったと気付いたときのような表情であった。
しかし彼女はすぐに顔を引き締め直すと、まるでどこか試すような口調でこう続ける。
「本当うっさかヤツやな、そがんでかか声ば出してみっともなか……」
「ああん? テメェにだけは言われたくなかっさ」
赤毛の口から突如飛び出た方言に、樋田もなんとなく合わせて応えてしまう。しかし、それが向こうにとっては何らかしらの決め手になったようであった。
彼女はいきなりその仏頂面を熟れたトマトのごとく真っ赤にし――――と思ったら今度は逆に目を伏せて、どこか幻滅したような低い声で吐き捨てる。
「……時間、とらせて悪かったわね。多分もう二度と会うこともないでしょう」
「はあ、だからいきなりなんなんだよテメェ……?」
唐辛子頭はそれだけ一方的に言い残すと、そのままスタコラと学園の中へと消えて行ってしまう。正に嵐のように現れて嵐のように去っていく少女であった。
そのあとに残されたヘタレヤンキーと天然ロリババアと声がデカイ女教師は、三人揃ってアホみたいに呆然とするしかない。
そのうちの一人である晴はやがて顎に手を当て、可愛らしく小首を傾げてみせると、
「う〜ん……うっさか、そがん? オイ、今のはなんだカセイ。ワタシの知る言語体系にそんなフレーズは存在しないはずなんだが」
「ああ、ありゃ長崎弁だ長崎弁。昔親戚の集まりに向こうの人間がいたから、俺も何となく覚えてんだよ。まあ、あの唐辛子がいきなり方言ぶちかましてきた理由は知んねえけどな」
そうして晴とボソボソ話していると、「いやあ、ウチの生徒が失礼なことしてすみません」と里浦先生が会話に参加してくる。
「高等部二年の
そこでようやく自分が余計なことをペラペラ喋りすぎたことに気付いたのか、里浦先生はしまったとばかりに口元を抑える。
「とっ、ともかくあとのことはこの
「……ああ、はい。そいじゃあ自分はここで。ウチのがそちらに迷惑かけるかもしれませんが、あとのことはよろしくお願いします」
それはもう話を逸らそうとしているのが見え見えの慌てようであった。
そのまま手を振って逃げるように去っていく里浦・筆坂を見送り、樋田はそれとなく近くの物陰に身を隠す。そしてそのままこっそり『霊体化』すると、彼は二人の後をチンタラと追いかけていくのであった。
最後に晴には聞こえないような声量でボソリと呟いて。
『女子校潜入とか胸が熱いな……、ついでに股間も熱くなる』
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