第三十話 『私立綾媛女子学園』
「割とギリギリじゃねぇかッ!!」
「あべちっ!!」
そろそろ春も終わりかという五月の早朝、ところは街路樹とマンションが所狭しと立ち並ぶ高級住宅街の中である。
樋田は試験結果の書かれた紙束を晴から奪い取ると、それを丸めてアホな幼女の頭をスパーキング。対する晴れは即座にこちらを振り返り、樋田の無駄に分厚い胸板をポコポコ殴りつけると、
「うるさいうるさいうるさいッ!! 日本語ネイティヴではない人間に『
「……つーか確かに国語も酷えっちゃ酷えが、それよりまず英語クソすぎだろ英語。なんだよ200満点中68点って、本当よく落ちなかったなオマエ」
「フンッ、
互いにギャーギャーと喚き合いながら、現在樋田と晴の二人は近くのバス停を目指して歩いている最中であった。
上のような紆余曲折はあったものの、なんとか晴が編入試験に合格した『私立
晴は樋田の追求から逃げるように前に出ると、そのまま後ろに手を回してくるりと振り返る。その可憐な様はまるで美しい一輪の花のようで(以下略)。
「ふふーん、そんなつまらんことよりもどうだカセイ。私のこの可愛らしい制服姿はー? ほれほれー、キサマの粗末な肉棒を本能に任せるがままいきり立たせても良いのだぞッ!!」
「けっ、もう家で何回もみせびらかせてきたじゃねぇか。今更どこにも新鮮味ねぇつーの。つーか街中で肉棒とか叫ぶんじゃねえバカ」
「むー、可愛くないヤツめ。どうせ夜になったらワタシの制服姿を思い出しつつ、一人虚しく行為に耽る変態少女主義者のくせに」
「はいはいかわいい超かわいい。筆坂晴さん超かわいい」
樋田は韻を踏んで適当に流すフリをするが、実際このクソ幼女見た目だけは本当に可愛いから困ってしまう。
晴が本日編入する『私立綾媛女子学園』の制服は、黒を基調としたブレザーに灰色のプリーツスカート、そしてワイシャツの胸元に真っ赤なリボンを添えたシンプルなデザインだ。
正直それだけでも充分
別に特別フェチなわけではないが、ただでさえ美少女人間国宝な晴タソが、制服なんて着ちゃったらそれは最早人類の宝でしかない。
正直一緒に二人乗り自転車デートをしてくれるのならば、もう一度
「……これで性格さえまともなら向かうところ敵無しだろうに、なんとも残念な野郎だな」
「ほう、顔も性格も終わっている分際でよくほざいたな。自分のことをフツメンだと思い込んでいる顔面異常者め」
「……テメェにはこれまで色々と罵られてきたが、正直今のが一番傷付いたわ」
そうして最早お馴染みのやりとりを繰り広げていると、ようやく視界の先に目的のバス亭が見えてくる。タイミングのいいことに丁度バスが来たところだったので、二人は駆け足でこれに乗り込んだ。
見たところ中に人はあまり乗っておらず、樋田と晴はそのまま流れるように一番後ろの席へと座る。
そうしてしばらくバスに揺られていると、おもむろに晴の方が口を開いた。
「なあ、カセイ。ところであれから『異能を乗っ取る異能』の調子はどうなんだ?」
異能を乗っ取る異能。
晴の言うそれは、樋田の身に宿る『
ちなみに樋田の右腕に刻まれた『紋章』――即ちこの力で簒奪王より奪い取った『
「いや、待て。『異能を乗っ取る異能』では長ったらしいし、これからは便宜的に『
「オイ、どこから湧いてきたそのド直球厨二ワード」
「今まさにパッと舞い降りきたのだ、パッとな。うむうむ我ながら超絶カッコいい。全く己の多才っぷりが恐ろしくてかなわんぞ」
実のところというと、晴の戸籍を巡って家庭裁判所に通い詰める毎日と並行して、樋田の『統天指標(仮採用)』の実用訓練も日々進めていたのである。
あまり考えたくはないのだが、これから先もあのようなバトル展開に巻き込まれることは容易に想像がつく。折角天から授かった力であるし、いざというとき使いこなせるようにしておきたいと考えるのは当然の帰結であると言えよう。
幸い晴の涙ぐましい努力によって、その発動条件を大まかに掴むことには成功した。流石に完璧とまでは言えないが、自分でもある程度使いこなせるようになった自信はある。
「まあ、ぼちぼちだな。特にあれから変わったことはねえよ」
「むぅ、ぼちぼちではいざという時役に立たんではないか。ほら、ワタシが見てやるからもう一度やってみろ」
「えぇ、今ここでやるんですか……?」
「大して人も乗ってないし別に構わんだろう。どうせ『
お願いTPO弁えてと制止する樋田を無視し、晴は「さて」と一人で勝手に話を進めると、
「天界が紡ぎし、嘘よ、歪みよ、偽りよ。その邪智により穢された万物万象の理を今ここに解き放つがよいッ!! 暴け『
突如
「えっ、ちょっ、なにそれかっこいいの?」
「無論だ。簒奪王に影響されてワタシも自分なりに詠唱とやらを考えてみたのだ。くははっ、どうだ中々にイカしてるだろう?」
「……オマエ本当生きてて楽しそうだな」
樋田の哀れむような冷たい視線を気にも止めず、そのまま晴はウキウキと術式を発動する。
「くははっ、それでは(社会的に)死ぬがよい樋田可成ッ!!」
何やら不穏な事を言い出した少女の目の前に、瞬く間に展開される一枚の電子モニター。彼女がニヤニヤしながらそこに指を走らせると――――その画面上にでっかく「夢精」の二文字が表示される。
その直後、樋田の顔が真っ青になったのは言うまでもない。
「ばばばばばっ、ばっかじゃねぇのテメェッ!! つーかなんでんなことまで知ってやがんだコンチクショウッ!!」
「あんな早朝にこの世の終わりみたいな顔でパンツ洗ってたら誰だって察するわこの間抜けめ。全くいくらワタシと同じ屋根の下で暮らしてるからとはいえ興奮しすぎだろう……興奮しすぎではないだろうかッ!?」
「ほざきやがったなハレカスこの野郎。テメェのそのデレカシーの無さは諸刃の剣だってことを今ここで思い知らせてやらあッ……!!」
樋田は奪い取るように電子モニターに触れると、その表面にジワリと己の『
これこそが樋田の宿す『異能を乗っ取る異能』、晴の称するところによる『
そうして彼が晴のように指を走らせると、「夢精」の二文字は瞬く間に消え失せる。そしてその代わりに電子モニターの画面上に浮かび上がったのは――――「寝小便」の三文字である。
此度は晴の方が顔を青くする場面であった。
「あんぐりはいやぱッー!!」
「げひゃひゃひゃひゃッ、バレてねぇとでも思ってたのかよクソガキがッ!! こっちはな、俺がいねえ隙にテメェがこっそり同じ布団買い直したところまできっちり把握済みだバカ野郎ッ!!」
「ギャーふざけるなクソガキめッ!! この歳になるとその……色々緩くなるのだから仕方がないだろッ!! クソッ、地獄に堕ちろヒダカス。このワタシの清楚なイメージが崩れたら一体オマエはどう責任を取るつもりだッ!!」
「ハッ、なぁにが清楚だこのお下劣クソババアが。俺はテメェが掘った耳糞こっそり床に捨ててることもちゃんと知ってんだぞゴラァッ!!」
ぐぬぬとか言いながら睨み合う夢精ヤンキーと寝小便幼女であったが、やがてこの流れは互いに悲しみしか生まないと気付き、双方あっさりと手を引く。
続いて晴は話を元に戻そうとわざとらしく咳をすると、
「……まぁ確かに見たところ問題はなさそうだな。その感覚を忘れず、いつでも力を引き出せるようにしておけよ」
「了解了解。まあお前が言うほど難しいもんでもねえみたいだけどな。この『
異能の乗っ取りとは言っても何か特別なことをするわけではない。今やったように奪いたい術式に触れ、樋田自身の『
しかし、それにはそれなりに時間をかけて、多量の『
かつて首無し達相手にこの力が発動した理由は、簒奪王との剣戟で樋田の『
そうして彼女に言われたことを思い返していると、ふと少年の頭に一つの疑問が思い浮かんだ。
「つーか割と聞きそびれてたんだが、『
「……ああ、確かに言われればまだきちんと話したことはなかったな。そうだな、本質的な話をすると『
そうして晴は己の言葉を樋田が理解するまで少し待ち、
「そして己の存在自身を術式化し、その特性をもって『
「ああなるほどな、これで大体理解出来たぜ。つまり『
「……勘違いしているようだからもう一つ補足しておくが、あくまで『
「いや流石にそんぐらいは分かってるけどよ……実際に『
そんな樋田のぶっきらぼうな問いに、晴は突然その明るい表情を曇らせると、
「だから特殊な一例をもって全体を語るなこの間抜けめ。ワタシはその……、実は天使の中でも最下層に位置する粗製乱造の『
「……ああなんか不躾なこと聞いちまったな。悪い。まあ要するにお前には釣り合わねえ力だったからこそ、一時的な乗っ取りを通り越して術式の完全な奪取までいっちまったってことか」
「いや、別にオマエが謝るようなことではない。このワタシが乱造品だということは紛れもない事実であるしな。正直腹が立つことこの上ないが、その力はワタシよりもオマエの方を器として相応しいと認めたのだろう。腹が立つことこの上ないがな……、腹が立つことこの上ないがなッ!!」
「大事なこと二回言う奴はよく見るが、三回言う奴は初めて見たわ……」
先程までほぼ途切れることなく喋り続けていたというのに、それきり二人はなんとなく下を向いたまま黙り込んでしまう。
最後の方はなんとか勢いで誤魔化したが、晴のブラックな背景に触れてしまい、なんだか気まずい雰囲気になってしまった。
しばらくはそんな居心地の悪い沈黙が続くのかと思っていたのだが、晴は直ぐに何かを思い出したように顔を上げる。
「あぁ、そういえばオマエに渡すものがあったんだった」
そう言って彼女は突然こないだ樋田が買ってやった学生鞄をごそごそと漁りだすと――――――
「ほれ、ありがたく受け取っておけ」
何とその中から一丁の
――――……はっ? なにしてんのコイツ。
銃の知識が無いどころか一度も実物を見たことがない樋田でも分かる。これは明らかにモデルガンなどではない本物の拳銃だ。
この現代日本でこんなものを持ち歩いていたら、現行犯逮捕からの少年院送りは免れまい。
しかも間が悪いことに、近くに座っているおばさんの一団が、不安そうにこちらをチラチラと見ているではないか。
まずい。これはまずい。死ぬほどまずい。
そこで樋田はなけなしの脳味噌をひねり、苦し紛れの一計を案じてみることとした。
「なんだよオイ。そいつぁもしかして三期の十六話に出てきたAMP-85じゃねーか、完成度高けーなオイッ!!」
「はっ? 何を訳の分からないことを言っているのだカセイ。こんなのどう見ても中国から密輸してきた安物の
「前から手先の器用なヤツだとは思ってたが、ここまで精巧にやるたあ凄えぞ晴ッ!! これで今年の夏コミは最早成功したも同然、こりゃあ勝ったなガハハッ!!」
「いやだからオマエは一体何を言っt」
話合わせろぶっ殺すぞこの野郎――と樋田は小声で晴を牽制しつつ、この実銃をあたかもコスプレの小道具であるかのように印象付けていく。
そんな彼の必死のフォローの甲斐もあり、不審がっていた乗客の間にも徐々に安堵の色が広がっていった。
――――クッソ、人に注目されるなんざ死んでも嫌だっつーのに……。
それでも何とか誤魔化せたと確信してしばし。樋田は崩れ落ちるように椅子に座り直し、そのまま傍らのバカをギロリと睨みつける。
「……本当バカなんじゃねぇのテメェ。どこから手に入れてきたんだよこんなもん」
「フッ、無論山口さんに売ってもらったに決まっているだろう」
「ほーん、いくらで?」
「50万☆」
「明らかにぼったくられてんじゃねぇかッ!! つーかよく人の生活費そんな罪悪感無しに浪費出来んなオマエッ!!」
樋田は晴より拳銃を没収すると、これをおっかなびっくりに手の中で転がしてみる。サイズ自体は意外と小さいのにドシリと重いこの感じ、正に人を殺すための武器って感じがして思わず背筋がゾッとする。
「……大体銃なんてあっても天使相手には通用しねぇだろうが」
「ふっふっふ、確かにそれはそうかもしれぬ。だが、これを見てもオマエはまだそんなことを言っていられるかな?」
晴はそう言うと、樋田が買ってやったlPhone(某ソシャゲに死ぬほど課金しやがったので年齢制限がかかっている)を弄り、その画面上に一枚の写真を表示させる。
肩を寄せて覗き込んでみると、そこに写っていたのは金髪碧眼の幼い少女の姿であった。日常の何気ない笑顔を切り取ったという趣の幸せな一枚で、気になることといえば、その顔付きが晴にやや似ていることぐらいだろうか。
「いや誰だよこの超絶美幼女……チェンジ、お願い出来ますか?」
「シャルスタ=ベイル。ワタシがまだ天界にいた頃の同僚兼友人だ。どうやら彼女も『
そう声を弾ませながら語る晴は、心なしか嬉しそうであった。
確かによく考えてみれば、晴はこの人間界にたった一人で放り出された身だ。そんな身の上でかつての知り合いと再会出来たとなれば、その感動もまたひとしおであろう――――まあ、樋田はそんなお涙頂戴話で誤魔化されるほどちょろい男ではないのだが。
「で、そのシャルなんとかさんがこの銃となんか関係あんのかよ?」
「いやそれが、シャルスタのヤツもワタシ同様、オマエのような物好きに拾われて養われているようでな。加えて、その扶養主がなんでも古来より『
「……ああなるほどな、まあ俺もこの先毎回拾った鉄パイプで戦い続けるのは流石に嫌だな」
「うむ、それに天使は皆基本的に空を飛べるからな。オマエもこれから先、飛び道具が無ければ困ると思って頼んでみたんだが――もしかして迷惑だったか……?」
晴はそうボソリと呟くと、それきりどこか申し訳なさそうに俯いてしまう。いや、百パーセント演技であるのは流石に分かるが、その潤んだ瞳でしょんぼりされれば責める気が失せるのもまた事実であって。
「……はいはい、ありがとさん。でも俺の断りもなしにでかい買い物すんのはマジで勘弁してくれ」
「うむ、了解した。あとついでに件の扶養主のメアドをオマエにも教えておこう。向こうは術式学のプロであるみたいだし、似たような立場としても色々助け合えるのではないか?」
「おぉそりゃどうも、そんじゃちゃっちゃと送ってくれ」
すぐさま晴からメールが送られ、樋田はそこに記載された某さんのアドレスをスマホに登録する。晴と美容院に続き、これで少年のの連絡帳もようやく三人目だ。
そのまま挨拶がてら軽いメールを送ろうとするが、そこで彼はまだその扶養主の名前を聞いてなかったことを思い出す。
「で、向こうの名前は?」
「確か黄色の黄に、文章の文に、賢者の賢。メールでしか聞いてないから読み方は知らん」
「そりゃまた適当だな……、まあ漢字で書いとけば読みなんてどうでもいいか」
樋田がそうして当たり障りの文章を入力していると、丁度炭酸が抜けたような音ともにバスが終点を告げる。
残念ながら公共の交通機関で行けるのはここまでだ。ヒダハレはそそくさとバスから降りると、目の前に広がる東京湾の遥か彼方へ目を凝らす。
視界を埋め尽くす鮮やかな海も、全身を優しく撫でつける爽やかな潮風も、今の二人にとっては完全に意識の外である。噂には何度か聞いたことがあったが、実際に目にするのはこれが初めてであった。
「……実物見るとやっぱ狂ってやがるなこの学園」
「……ああクレイジーにイカれたキチガイ学園だな」
目の前の建造物はドン引きされることに定評がある晴でも思わずドン引きするまでに奇々怪々だ。いっそのこと島と呼びたくなるほどに巨大な学園が、何と埋立地の如く
それこそが今日から晴の通う『私立綾媛学園』のあまりにも常識離れした姿であった。
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