第二十九話 『港区民筆坂晴』


 エミネンス=ハーバー、40004号室。

 本来ヒダハレ憩いの場であるはずのその空間は今日、息をすることすら阻まれるほどの重圧に包み込まれていた。


 テーブルを挟み苦悶の表情で相対するのは勿論、細目四白眼のチンピラ少年樋田可成ひだよしなりと、合法ロリの残念美少女筆坂晴ふでさかはれの二人である。

 双方の掌は嫌な汗でべちょべちょになってしまっており、その顔からは全くもって覇気というものを感じとることが出来ない。ただでさえ隈が酷い樋田の方は言わずもがな、普段は快活なはずの晴も最近はずっとこの調子であった。


「いいか、もう一度確認するぞ?」

「……あぁ頼む。いい加減腹は括ったさ」

「もし不手際があったら?」

「介錯を頼みもす……」


 半ば諦めるように吐き捨てられた晴の一言で、二人の間に流れる膠着状態はようやく打ち破られた。

 樋田も覚悟を決めて机の上に積まれた大量の書類を引っ張り出すと、それらを並べて次々と晴に見せつけていく。


「よっしゃあいくぞオラ! まずは日本国籍ッ!」

「Gets!」

「続いて戸籍!」

「取得!」

「パスポート!」

「受け取り完了!」

「個人番号カード!」

「I have it!」

「健康保険証!」

「発行済!」

「そして最後に住民票!」

我有那个ウオヨウナーガ!!」

「シャラアこれでミッションコンプリートだ馬鹿野郎ッ!! はいっ、万歳三唱始めッ!!」

「うおおおおおおおおおおッ、ばんざーい、ばんざーい、ばんばんざーいッ!!」


 先程までの異様に張り詰めた空気はどこへやら。

 まるで四浪の果てに東大に受かった人みたいなノリで、ワイワイと歓声をあげる細目と幼女。彼等は軽快に左右両上下とハイタッチを決めると、続けて左右両と流れるように拳を付き合わせていく。


「……あれからもう一月か。長い闘いだったな、晴」


「あぁ、オマエもよくやってくれたなカセイ。これで無駄に字の小さい書類の山と格闘するクソッタレな毎日ともおさらばだ。なぁ、記念に窓からこれ全部ぶん投げてみないか? きっとメチャクチャスッキリするぞ」


「おっと、テメェのストレス解消に他人を巻き込むのはあんま感心できねぇな。それより人気のないところに持って行って火ィつけようぜ。気に食わねえモンは全部燃やしちまえが俺のモットーだからなッ!!」


 抑圧から解放された反動から軽く変なテンションになりながら、ヒダハレは引き続き馬鹿みたいにゲラゲラと笑いあう。

 樋田が退院してから今日までの凡そ一ヶ月、二人は「晴を就籍させるための手続き」に忙殺されていたのだ。漫画やアニメだとそこらへんはしれっと流されることが多いが、空から降ってきた系ヒロインとの同棲を法的に勝ち取るには中々骨が折れるのである。


「一時はどうなることかと思ったが、やろうと思えば案外上手くいくものだな」

「あぁ、これもみんな俺様の普段の行いが良いおかげだ。きっちり感謝しとけよクソガキ」


 正直複雑なことに定評のある日本のお役所仕事であるし、半年ぐらいは延々と手続きと申請の繰り返しをさせられるかと思っていたのだが――――これが思った以上に早く済ませることが出来た。


 お役人からこっそり聞かされた裏話によると、少し前ならばこれほど早く申請が通ることはまずありえなかったらしい。

 されど何故か最近似たような事案が増えてきているためか「新たなマニュアルを作成し、出来る限り早く申請を通せ」と、どこぞのお偉いさんからお達しが来たのだという。


 一般ピーポーである樋田に御上の考えていることは計りかねるが、とにかくこれで晴がこの東京で人間として生きていくだけの環境を整えることに成功した。 

 未成年後見人の方は役所から紹介された半官半民の慈善団体が引き受けてくれたし、ヒダハレがこれから二人で暮らしていくうえでの展望は非常に明るいものだと言えよう。


「うむうむ、よくやったぞカセイ。これでようやくこちらの話を進められるな☆」


 そう言ってニッコリ笑顔の晴が書類の山から取り出したのは、真ん中に『私立綾媛りょうえん女子学園 編入案内』と書かれた分厚い冊子だ。

 対する樋田も今ばかりは珍しくその凶相を緩めて言う。


「ああそうだな。ぶっちゃけ手続きとかしばらくはしたくねえ気分だが、ちゃっちゃと終わらせちまおう」


 此度わざわざ晴を就籍させた理由は大きく分けて二つある。

 一つはいくら『霊体化』ができるとは言え、彼女の身分がふわふわした状態では色々と面倒なことに巻き込まれそうだと判断したから。

 そしてもう一つは、天界からの追跡をかわすには、彼女を人間社会の中に溶け込ませてしまうのが一番だと考えたからだ。

 そして晴の見た目はご覧の通りの超絶美少女であるし、当然それにふさわしい社会的な所属先を用意する必要がある。具体的に言うならば――――、


「嗚呼、学園よ。それはなんと麗しき響きであることか。職務に追われず、日々の生活にも追われず、ひたすら学問に没頭出来るとは、これほど素晴らしい環境も他にあるまいて〜♪」


 晴のクッソ下手なアカペラをガン無視しつつ、樋田はペラペラと書類に目を通していく。

 法的身分さえ整えてしまえば、あとは意外にトントン拍子で話は進む。特に面倒臭い規約に縛られない私立校であるならば尚更だ。


 それなりに知力の高い晴に見合う学び舎を探したところ、幸い試験さえ受かればすぐに編入出来る素晴らしい女子学園が見つかった。それが件の『私立綾媛女子学園』なのである。

 樋田のような偏差値50代野郎では十浪しても入れなさそうな超名門校だが、受験料も控えめであるし、一度くらい試してみる価値はあるだろう。


「頼むから一発でビシッと決めてくれよ。ビシッとな」

「くははっ案ずるな。御歳百四十五才のロリババアであるこのワタシが、たかが中学生用の試験に落ちるはずないであろうッ!」


 普段はムカつくだけの高笑いも、今ばかりはどこか頼もしく聞こえてくるから不思議である。

 まぁ、コイツならば大丈夫だろう――――そう樋田は根拠も無く安心すると、以後試験当日まで晴の勉強姿勢に口を挟むことはなかった。



 無論、その結果は言わずもがなである。

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