第二十話 『善人と悪人』
「テメェ、まさか……?」
「ガキがそんなモンに手出してんじゃねーッ!! 折角の人生台無しにしてーのかッ!?」
思わぬ人物の登場に目を見開く
苦しそうにうずくまる不良達と、そこらに飛び散る血痕の数々を一瞥し、青年は心の底から不愉快そうに眉をしかめる。
「流石に自業自得……、で片付ける訳にはいかねーねよな」
その曇りの一切ない真っ直ぐな瞳に、どこか意志を感じさせる力強い物言い。そしてまるで狙いすましたようなこのタイミングの良さ。
樋田を悪人に、そして不良達を罪なき被害者に見立ててみれば、色男の華麗な登場は正に正義のヒーローのそれである。
そして、そんな如何にも当てつけがましい展開に、樋田の機嫌が更に悪化したのは正に必然のことであった。
「ひひひっ、ぎゃはははははははははッ!! オイオイオイ、マジかよ……タイミング良すぎるにも程があるじゃねぇか。オラ、喜べゴミども。テメェらクズのために、正義の味方が態々いらっしゃってくださったんだからなアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
樋田は飽きたとばかりに金髪から手を離し、そのままズカズカと色男の元へ詰め寄っていく。口元だけは愉快に釣り上がっているが、その細い目の方は全くもって笑っていない。
「……で、イケメン野郎がこの俺様に一体何の用だよ?」
「何の用もクソもあるか馬鹿野郎。ガキが目の前で足踏み外そうとしてるっつーのに、いい歳した大人が黙って見ていられるわけ――――」
「あぁハイハイ、分かってる分かってる。つまりは今日も飽きずにテメェの独善振りかざしに来てくれたんだろ? ヘハハッ、かっこいいねぇ~。毎日毎日点数稼ぎご苦労さんッ!!」
如何にもチンピラらしく額を押し付けながら、怒りの赴くまま色男を罵る樋田。そうしてその整った顔に、ぺッと痰混じりの唾を吐きかける。
しかし、
「あッ……?」
それだけの侮辱を加えても、青年は全くもっての無反応であった。その厳しい表情は変わらずとも、彼が感情に任せて怒り狂うことはない。
寧ろその顔からは徐々に怒りが消え、代わりにどこか哀れむような表情が浮かび上がっていく。
そして、彼はこう言った。
「オマエ、こんなことして本当に楽しいのか」
「ああん……? んなモンったりめぇだろ。一々つまんねぇこと聞いてくんじゃねぇ」
「嘘をつくのはやめろ。オマエは元々そんな人間じゃねーはずだろ」
「ハァ?」
そのあまりにも脈絡のない言葉に、樋田は何が言いたいとばかりに眉を釣り上げる。しかし、そんな一瞬の動揺は即座に怒りへと切り替わった。
沸き起こる苛立ちに任せるがまま、少年は反射的に色男の胸倉に掴みかかる。
「テメェ、知ったような口きいてんじゃ――――」
「知ってるさ。オマエ、三日前に端っこからチラチラこっち見てたヘタレくんだろ」
「なッ……!!」
そんな思わぬ方向からの指摘に、樋田は思わず喉元まで出かかった罵詈雑言を飲み込んでしまう。
樋田が助けようとすることも出来なかった女の子を、目の前の青年が横から完璧に救ってみせた三日前の夜の出来事。あの日抱いた人間として劣等感、そして後悔と自己嫌悪を忘れるはずもない。
樋田が安全地帯で臆病風に吹かれていたあの情けない姿に、まさかこの男は気付いていたというのだろうか。
「テメェ、なんでそれを……!!」
「なははっ。まー、そこらへんは職業柄多少な」
顔に唾を吐きかけられ、胸倉を乱暴に掴まれながらも、楽しそうにしたり顔を浮かべる色男。しかしその飄々とした薄ら笑いはすぐに消え、ガラリと真剣な表情へと変わっていく。
「確かにあの状況で傍観決め込むことは情けねーことかもしれねー。だがな、例え行動に移せなかったとしても、オマエは確かにあの子を助けようとしてたしてたじゃねーか」
「……だからなんだっつーんだ。その話が今何か関係あんのかよッ!?」
「あるに決まってんだろ。俺はオマエのことなんざ何にも知らねーが、それでもあの日のオマエは確実に善の側に立つ人間の目をしていた。俺にはな、あんな殊勝なツラする野郎が、理由も無くこんなことするとは思えねーんだよ」
「チッ……」
なんとなくソリが合わなそうとは思っていたが、実際に話してみると本当に気に食わない野郎である。晴といい、簒奪王といい、そしてこの色男といい、樋田のことをろくに知りもしない癖に、どうして分かったような口をきくのだろうか。
「……ケッ、別に大した事じゃねぇよ。ただ単に現実知ったってだけだ。テメェみてぇなクズに、正義の味方だなんて務まるわけがねぇ――――そう優しい大人に、社会の厳しさってヤツを教えてもらったんだよ」
かつて樋田を卑劣な狐だと罵った簒奪王の忌々しい言葉が蘇る。あのときは一丁前に吠え返してみせたが、今思い返せば結局はヤツの言う通りになってしまった。
そう、これこそが樋田可成という人間の限界。所詮己は善人に憧れるだけの悪人でしかないのだ。
「……オマエは、本当にそれでいいのかよ」
されど、目の前の青年は正に正真正銘の『選ばれし者』。当たり前の常識のように理想を語り、息をするかの如く己が信念を通す――――そういう人間であった。
「テンメェッ……!!」
そんな色男の何気ない一言に、樋田は冗談抜きで本気の殺意を覚える。
コイツは何もわかっていない。どうせコイツは今まで一度も挫折をしたことがないから、そんな綺麗事をほざくことが出来るのだ。
腹が立つ、堪らなく腹が立つ。たちまちに内臓という内臓がまとめて煮えくりかえり、脳の毛細血管が二、三本まとめてブチ切れる。
「いいわけねぇだろおがアアアアアアッ!!」
そして樋田の頭の中で何とか保たれていた理性が、遂に音を立てて崩壊した。
晴を見殺しにしたあの日からの――――否、樋田可成がこれまで抱えてきた鬱屈の全てが、突如堰を切ったように溢れ出していく。
「……俺だってな、正義の味方ってヤツに、なれるモンならなりてぇよッ。何処かに悲しんでいるヤツがいるなら、その湿っぽいツラをとびっきりの笑顔に変えてやりたい――――そんなもん人間ならあって当然の感情じゃねえかッ!! それで嗚呼俺なんかでも、この世界に生きていてもいいんだって、俺なんかでも必要としてくれる人間がいるんだって、そう思って生きていけりゃ、そりゃあ随分と素晴らしいことだろうよッ!!」
そこまで喚いて一度言葉を切り、
「……だがな、俺には無理なんだよ。目の前の悪を圧倒出来るような暴力も、他人の為に命張れるような根性も俺にはねぇ。今だって俺がここで何してたか分かるか? ……八つ当たりしてたんだよ。テメェのことがあまりにも情けなくて、卑怯なテメェのことが他の誰よりも大嫌いで、そんなウザってぇ気分を晴らすために、俺ァ弱者を虐げて悦にいってたん――――」
「くっだらねぇ、そんなことして何になるんだよッ!!」
しかし、そんな樋田の言葉は、突如色男の怒声によって上書きされる。最早黙って聞いていられない、そう言わんばかりの荒々しい声であった。
「ゴチャゴチャゴチャゴチャ鬱陶しいんだよッ!! 確かに弱いことは罪じゃねー、諦めんのも別にそいつの勝手だろうよ。だがな、テメェが今してんのは、しょうもねえ屁理屈こねくり回してテメェのクズさ加減を正当化してるだけじゃねーかッ!!」
「うるせぇええ、だからどーしたッ!? クソッ、目障りなんだよ。人の目の前で、これ見よがしにキラキラキラキラ輝きやがってッ!! テメェみたいな選ばれし人間に、臆病者の苦しみが理解出来るか、テメェのなりてぇモンになることも出来ない。この俺の気持ちが理解出来るかアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
そうして暴発した樋田の激情は遂に暴力へと転じた。力強く大地を蹴り、疾風怒濤。叫びながら色男へ飛びかかる不良少年の動きは、まるで腹を空かせた獣のように荒々しい。
彼は右手の注射器を点高くに振り上げ、そのまま青年の首元へ向けてこれを振り下ろそうとする。
「……そんなモン、分かるかよッ!!」
しかし対する色男は、手刀でこれを即座に弾き飛ばした。少年の手元からすっぽ抜けた注射器は、ガチャリと音を立てて粉々に砕け散る。
「……どうやら、もう口で言っても分かんねーようだな」
「ゲヒャッ、同感だ。俺もテメェのその小綺麗なツラを殴り飛ばしたくて堪らなくなってきたところだぜッ!!」
樋田と目の前の色男とでは、そもそも精神の根本的な在り方が違う。それは生まれもっての気質か、或いはそれまでの人生の中でお互いが受けてきた影響の差か。
何はともあれ最早言葉の応酬では埒があかない。元よりこの樋田可成、まどろっこしいことは好まない
気に食わない主義主張は、暴力をもって叩き潰すのみである。
「死晒せゴラアァァァァアアアアアアアアッ!!」
そんな樋田の罵声によって、二人の戦いは遂に幕を開けた。
一心不乱に地を蹴りながら、樋田は硬く強く右手を握る。そして突進の勢いのままに、大振りな一撃を色男の顎向けて放った。
しかし、それでも彼の握り拳が『選ばれし者』の急所を捉えることはない。
――――なッ……!?
色男は器用に紙一重でコレを躱すと、そのまま樋田の腕を掴みにかかる。そして突如足元がふわりと宙に浮き上がった次の瞬間、少年の体は鮮やかに大地へと叩きつけられていた。
「グハッ……!?」
背中への衝撃に呼吸が止まりかけ、冗談抜きで視界が一瞬真っ暗になる。
柔道か、或いは合気道か。武術についての細かい知識は無いが、恐らく自分は何かしらの投げ技を食らったのだろう。
「喧嘩殺法にしちゃ出来すぎだが、本職相手にはちと物足りねーな」
「……クソッタレが、女々しい小技使ってんじゃねえよオオオオオオオッ!!」
しかしそれぐらいですぐにへばるような樋田ではない。少年はそのまま飛び起きついでに色男の顔面を蹴りつけるが、またしても両腕の厚いカードに一撃を阻まれる。
そしてその一瞬が、敗北を決定付ける大きな隙となった。
「……大人しくしてろッ!!」
色男はそのまま樋田の足を掴み取り、力強く前に引く。そして思わず前によろけた樋田の鳩尾に向けて、突き刺すような渾身の肘鉄を放った。
「ガハァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
瞬間、体の中心に穴が空いたような衝撃が、一挙に腹から背中を突き抜ける。その内臓を抉るような一撃を前に、樋田は思わず膝を突かずにはいられない。
「……アンタが何を背負って、何に苦しんでるかなんて、俺には皆目見当つきやしねー。だがな、それでも今のアンタだけは間違ってると、俺はハッキリそう言ってやる」
「ゴチャゴチャゴチャゴチャうるっせぇんだよッ!! たまたま才能に恵まれただけのカスが、上から目線で説教垂れやがってッ!!」
湧き起こる吐き気と鈍痛を無理矢理に抑えこみ、樋田は跳ね起きざまに懐のナイフを再び引き抜いた。そしてそのまま色男目掛けて、狂ったように刃を繰り出していく。
その体に蓄積したダメージを考えれば、確かにチンピラ少年の動きは未だ素早く、しつこいまでに力強い。
しかし何度首元めがけて刃を振り抜き、幾度腑めがけて得物を突き出そうとも、色男の身体能力の高さを前に、攻撃の全ては虚しく宙を切る。
考えてみればそれは当然のことであった。
そもそも己のような小悪党が、正義の味方であるこの男に勝つビジョンが全く見えてこない。拳を交えるよりも先に、樋田は精神面でこの男に敗北していたのだ。
「クソッ、クソッ、クソオオオオオッ!!」
そうして延々と激しく体を動かしていれば、スタミナには自信のある樋田でも流石に息が切れてくる。
攻撃は最大の防御とは上手く言ったモノだ。体力が尽き、繰り出される刃の弾幕が薄れていくにつれ、色男は自然に防御から攻撃の姿勢へと移っていく。
「グッ……!!」
初めのジャブは何とか腕で防げたが、そんな悪足掻きは直ぐに打ち破られた。色男の拳は次第に樋田の体を捉え出し、鳩尾と顎を中心に強烈な一撃を何度も叩き込む。
そのあまりの猛攻に、樋田が思わず逃げるように距離をとった次の瞬間であった。
「クソッタレがああああああアアアアアアッ!!」
樋田は青年の顔にナイフを投げつけ、そのまま一気加速に突進する。投げナイフに対応した隙をついて、せめてコイツの顔に一発は食らわせてやろう。そんな薄っぺらい苦し紛れの策であった。
しかし、目の前の選ばれし者は、今回も凡俗の想像のその更に上を行く。
「だからっ、くだらねーって言ってんだろッ……!」
色男は投げナイフをいとも簡単に空中で掴み取ると、そのまま樋田同様こちらへ向けて真っ直ぐに突っ込んでくる。
樋田と色男、瞬く間に埋まる両者の間合い。最早互いの瞳孔が見えるほどの距離しかない。周囲の色と音は全て消し飛び、己の激しい息遣いだけがヤケに大きく聞こえてくる。
侍同士の一騎打ちではないが、この手の勝負は先にビビった方が負けだ。樋田はそう信じて拳を振り上げる。いや、違う。正しくは振り上げたはずだったのだ。
両者の鉄拳が交わるその瞬間、樋田は思わず怯んでしまった。
それは一体何に怯んだのか。もしや色男の放つオーラに気圧されたのか、あるいは己の行いが間違っていることに自分自身で気付いてしまったからか。
兎にも角にも決着は訪れる。少年は微かに乱れた体勢を慌てて整えようとするが、最早激突には間に合わない。
「これで少しは頭冷やしてこい、この大馬鹿野郎がああああああああああああッ!!」
樋田の拳が虚しく宙を切ったその直後、代わりに色男の右ストレートが勢いよく少年の額へ突き刺さる。
細身の体から繰り出されたとはとても思えない凶悪な一撃を前に、少年の体は面白いくらいに宙を舞い、鮮血を撒き散らしながら惨めに大地の上を転がっていく。服越しのコンクリートが皮膚を削り、そのまま傍のビル壁へ頭から叩きつけられる。
「ガッ……、ギッ……」
情けなく大の字になった樋田の視界に映るのは、最早ビルの隙間に輝く鮮やかな星空のみである。彼は既に悲鳴をあげる体力すらもなく、無意識にうわ言を呟くのが精一杯であった。
「ヘハハッ、そりゃ勝てねぇよな……」
かくして一人の小悪党は見事なまでに敗北した。
そもそも三日前の戦いぶりを思い返してみれば、この男に勝つことなど夢のまた夢のお話だったのである。その予想に違わず、樋田は人間性に精神力、そしてお得意の暴力においても、あの色男に完敗してしまった。
それは側から見れば、正に勧善懲悪と呼ぶのに相応しい結末であったと言えるだろう。
だがしかし、不思議と悪い気はしなかった。
これ以上ないまでに惨めで哀れで愚かな目にあったというのに、何故だか悔しさや怒りがこれっぽっちも胸から湧いてこないのである。
「……目が覚めたらココに来い。今はちと入り用だが、テメェが抱えてるモンは俺が全部何とかしてやるよ」
色男はそう言い残して、何か紙切れのようなモノをそれとなく放る。
そのまま迷いなく去っていく青年の後ろ姿を、樋田は意識がなくなるで呆然と眺め続け、やがて眠るように気を失った。
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