第十八話 『吸魂事件』
死人に口なしという言葉があるが、死体は人が思っているよりもずっとお喋りな奴である。
絞殺された者の首には大抵吉川線がつくものだし、毒を盛られた者の体内にも必ず何かしらの痕跡が残る。
その死が偶然なものであったにしろ、或いは何者かの悪意によって引き起こされたものであったにしろ、死体には死因の解明へとつながる手掛かりが数多く隠されていることが多い。
だがしかし、目の前の少年の亡骸は違った。
確かに肌は土気色で、瞳孔も開きっぱなし。心臓も脈も揃ってダンマリを決め込んでる時点で、彼が既に死亡しているのは自明のことであると言えよう。しかしそのすでに冷たくなった死体には、何故か死の痕跡が一切存在しないのである。
外側に分かりやすい傷が刻まれているわけでも、内側が何かしらの病魔に蝕まれているわけでもない。その異常がないからこそ異常な死体はまるで、
「なるほど、確かに『吸魂事件』とはよく言ったものだな」
人気は少なく、光もろくに差し込まない繁華街の奥地。そんな犯罪の温床となるためだけに存在しているような場所で、筆坂晴は心底忌々しそうに独り言つ。
彼女の背後には全身を真っ二つにされた首無しの亡骸が転がっているが、それは最早済んだことである。
「ワタシの予想通りならば、恐らくこの辺りに……っと」
天使はブツクサと呟きながら、穢れなき少年の亡骸をおもむろに覆す。そしてその頭のてっぺんから爪先まで、体の表と裏の両方を隈なく見回し、
「……やはりな」
彼女が少年の右腕に見つけたのは、『どこか獣の牙を模したようなデザインの赤い紋章』だ。これこそが彼の命を奪った謎の力の正体、即ち
「なるほど、『
そんな晴の苦々しい呟きに応えるかのように、彼女が保有する『
少女の周囲には既に十を遥かに超える電子モニターが展開されており、その中では今も数多の数字やグラフが忙しなく切り替わり続けていた。
死体に残された『
中々骨が折れる作業ではあったが、そんな長ったらしい解析もようやく最終局面だ。進捗状態九七、九八、九九、一〇〇――――そうして彼女は解析の終了と同時にその場へ立ち上がると、傍の電子モニター上に何とも言えない複雑な視線を走らせた。
「まさか堕天使の身分でありながら、天界の置き土産の世話になろうとはな……」
天界の置き土産。それは即ちワスター=ウィル=フォルカート堕天の折、天界が情報共有の一環として全天使に公表した簒奪王の個人データである。
目の前の少年の遺体に残された痕跡と、『
その結果、彼女は遂に奴の異能――――そしてそれによって引き起こされた事件の全容を暴き出すことに成功した。
「ハッ、思っていた以上にエゲツないモノが出て来たな……」
晴の整った顔がやってられないとばかりに歪んだのも仕方がない。
簒奪王が有する権能、即ち奴が天使となると同時に手に入れた固有能力の名は『
オスマン帝国の悪習である皇族の終身幽閉制度を、『未来におけるあらゆる可能性の剥奪』であると解釈し、『他者から
恐らく目の前の少年は『
全ての可能性を奪われるということは、それ即ち虚無へ堕ちることと同義。これからの未来が一切存在しなくなったのだから、彼の命はそのまま死に向かって収束するしかなくなる。
これこそが死因の無い死体を数多く生み出し、この日本中を恐怖に震え上がらせた『吸魂事件』の正体であった。
この手の術式は基本的に術者を殺さない限り、永遠に解除されないのがお決まりだ。やはり簒奪王を確実に仕留めるには、出来るだけ短期決戦に持ち込まなくてはならないだろう。
「前回同様一度でも奴と接触すれば、即座に『
奴の目的自体は未だ見えないが、これである程度の情報は集められた。
最早この場所に用はない。そう言わんばかりに晴は黙って裏路地から出て行こうとし――――去り際にチラリと足下の少年に視線をやった。
「……せめて、最後くらいは安らかに眠ってくれ」
隻翼の天使はぼそりと悲しそうに呟き、両手を合わせて軽く頭を下げる。
晴にとって彼は所詮、顔も名前も知らない赤の他人だ。されど樋田のような天涯孤独の身でもない限り、彼には彼のことを大切に思ってくれる人間が数多くいたに違いない。
少年はその死の瞬間まで、これからも平穏な日常が続くと信じていたのだろう。その周りの人間は今この瞬間も、彼が普通に生きていてくれていると信じているのだろう。
そんな罪のない人々の未来と希望と笑顔を、簒奪王は己のくだらぬ目的の為に食い潰したのだ。
決して、許せるはずがない。その人を人とも思わない悪辣な暴挙を、決して許容出来るはずがない。
「簒奪王ッ……!!」
晴は胸の内より沸き起こる怒りに任せるがまま、爪が食い込むほどに拳を硬く握り締める。そして今度は背後を一切振り返らず、真っ直ぐに裏路地をあとにした。
ワスター=ウィル=フォルカート。例えこの命と引き換えになったとしても、奴だけは必ず地獄に叩き落としてやる。
簒奪王の力が筆坂晴よりも圧倒的に強靭である以上、真っ正面から戦っても勝ち目はない。まずは奴に見つかるよりも先に、こちらが奴の居場所を突き止めることが先決であろう――――と、歩きながらこれからの作戦を組み立てていく晴であったが、そんな彼女の思考は唐突に断ち切られることなった。
「ぐッ……!!」
体の奥から突如湧き起こった激痛に、晴は思わずその場に膝をついてしまう。瞬く間に生暖かい液体が口内を満たし、僅かに開いた唇の隙間からつぅと鮮やかな赤が零れ落ちていく。
「クソッ、一々喚くな。見苦しいぞアロイゼ=シークレンズ」
それなりに無理をしている自覚はあったが、自分で思っていたよりも早く、晴の体は既に限界を迎えつつあった。
いくら本体が攻撃されなければ大丈夫とは言え、短期間のうちに何度も『天使体』を破壊されすぎた。
『
全身に走る激痛を気にする段階はとうに過ぎている。今となっては最早自分が真っ直ぐに歩けていることすら疑わしいものとなっていた。
「我ながら、まぁなんとも馬鹿なことをしたものだな……」
晴は頬に自虐的な笑みを浮かべながら、そう吐き捨てるように言う。
そもそも簒奪王から『
樋田可成から能力の宿る左目を抉りとり、そのまま一人で何処かへと行方をくらます――――それが今彼女が取れる行動の中で、最善の選択であったはずだったのだ。
だがしかし、頭では分かっていても、結局晴はどうしてもその選択をとることが出来なかったのである。
「本当ッ、一体どうしてしまったんだろうな……」
簒奪王に殺されるかもしれない人々を護るため、そして何よりも共に二日間を過ごしたあのヘタレのため、己はこれから命を懸けて簒奪王に立ち向かうのだ。
それはアロイゼ=シークレンズにしてはあまりにも直情的、そして極めて非合理的な「らしくない」決断である。何故自分がそんな偽善に満ちた行動を取ろうとしているのか、その理由は筆坂自身にも全くもってわからなかった。
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