<7>


 初日に引き続きうららかな天気の中、今日は中庭に正餐会の用意がされていた。昨日の式典の場と同じだが、打って変わってあちこちに天蓋が立ち並んでいる。

 アデリルは一目でそれとわかる専用の天蓋の下で、居並んだ客人から次々に挨拶を受けていた。覚悟はしていたが、自分の脇にあるテーブルの上の食べ物はおろか、飲み物ですらほとんど口にできないくらい、客の列が途切れない。

 紹介される客の多くは若い青年だ。自己紹介を聞いたあと、ようこそアトレイへ、わたくしの式に出席していただき嬉しく思います、とお決まりの台詞を続ける。その間に、背後に控えているトライサの助けを借りて、青年の名前と彼の出身地の特徴、そしてアトレイ王室との繋がりを必死で思い出すのだ。

 心強いのはアルセンが同じ天蓋の中にいることだった。始まる前の短い会話で、彼もチャコールとイオディンから、クレセント王子のことを聞いているのがわかった。

 次々と入れ替わる青年に愛想笑いを浮かべながら、アデリルはいつ自分の視界の中にクレセントが現れるかと、その姿を探していた。二日前の晩のことを思い出すと、未だに不愉快な気持ちになる。かと言って、この場でクレセントと向かい合った時、アデリルは自分がどうしたいのかよくわからない。彼に向かって正面からあの晩のことを持ち出し、その無礼をなじったら、大切な日の前日に自分が夜遊びしていたことまでばれてしまう。

「アデリル殿下、あそこ」

 列が途切れた一瞬のうちに、アルセンがアデリルの背後に近づき、耳打ちした。

 彼の視線の先を追って、アデリルは一瞬言葉を失う。

 見つけた、クレセントだ。並んだ客の先にいて、まだアデリルからは離れている。けれどそこに立っているということは、間もなく彼は自分に挨拶しに来るつもりなのだ。

 どの面下げて、とアデリルは思ったが、アルセンが戻り別の青年が目の前に立ったため、気持ちとは裏腹に、王女に相応しい態度で目の前の青年を笑顔で見上げた。

 短い会話の中でお世辞を言われたり、夜の舞踏会の相手を申し込まれたりする間も、アデリルは視界の片隅にいるクレセントが近づくのを待っていた。腹の奥を掴まれたように緊張する。そして。

「ラントカルドのクレセントと申します。アデリル殿下、この度はお祝いを。そして招待に預かり光栄です」

 クレセントが目の前に立った。彼は一礼して顔を上げると、完璧な笑顔を向けてそう言った。夢舞台亭の薄暗い店内とは違い、彼は今、明るい日射しの下に正装姿で立っている。青灰色の髪と同じ色の目は、あの晩にはひどく冷たく感じたが、口元の笑みと相まって、優しげな印象だ。その佇まいは身分に相応しく立派だった。

 一昨日自分と会ったことに気づいているのかどうか、彼の態度からはわからない。けれどアデリルは忘れてない。彼のなに喰わぬ顔に、アデリルは腹が立ってきた。

 右手の甲を差し出しながら、アデリルは自分もお得意の、王女に相応しい魅力的な笑顔を向けた。

「遠いところをようこそおいでくださいました。クレセント王子のお噂は、ほんのわずかですが聞き及んでおります。なんでも、夜遊びがお好きだとか。わたくしの式典が退屈でなければいいんですけど」

 アルセンが視線をわずかに動かした。アデリルは気づかないふりをする。

 クレセントは表情こそ変えなかったが、一瞬だけ目が揺れたのを、アデリルは見逃さなかった。やっぱりだ。アデリルは確信する。彼は気づいている。一昨日の晩に会ったのがアデリルだと。

 クレセントは礼儀正しく彼女の手を取ると、口づけする真似をして離してから、

「噂とはねじ曲げられて伝わるものです、殿下。まして、故国から遙か遠く離れたこのアトレイには。私のような田舎者には、美しいアトレイの都も、あなたの麗しい姿も、この式典で見るもの全てが珍しく、刺激的に感じます」

 と、言った。そこには皮肉の響きは一切ない。彼がなにを考え、どう思っているのかアデリルにはわからなかったし、この場ではお互いにこれ以上わからないだろう。

「クレセント様が気に入ってくれて光栄ですわ。どうぞゆっくりとお過ごしくださいませ」

「アデリル殿下、もしお許しいただけるのなら、今夜の舞踏会で、私にあなたの手を取る栄誉を与えてください」

 会話を終わらせようとしたアデリルの言葉を遮るように、クレセントが言った。

 自分と踊りたいと言い出すなんて、アデリルにはわずかに意外だった。だが、クレセントのような重要でないとされている客が王女と近づきになろうと思ったら、この場で申し込みをして約束をこぎ着けないと、その機会は永遠になくなる。

「たくさんの方のお申し出をいただいて、私も光栄です」

 はいともいいえとも言わず、アデリルは目線でクレセントに立ち去るよう促した。

 彼はどこか物足りない表情で、それでも彼女に背を向けた。入れ替わりに次の青年が、アデリルの前に立つ。だが、アデリルは笑顔を浮かべて相槌を打ちながらも、青年の言葉を全然聞いていなかった。

 終わった。クレセントと向かい合った。彼がなにを考えているかわからない。一昨日の晩のことはまだ許せない。でも、とにかくこの場は過ぎたのだ。


「どう思った?」

 アデリルは目の前に座ったアルセンに尋ねる。

「口説き方は二十二点。顔は八十点」

 昼の正餐会から夜の舞踏会までのわずかな合間に、アデリルは例の三人を自分の応接間に呼び集めていた。最も、彼らもなにかしら式典の仕事があって、三人揃う時間は短い。

 そして本来ならお茶の時間だが、フリアナに給仕してもらい、アデリルはひとりだけ堂々と食事している。あまり行儀の良いこととは言えないが、昼間は飲まず食わずだったし、この後も舞踏会が始まれば主役は踊りに忙しい。食事する暇はないだろう。自分のため式典中とはいえ、これが今日の最後の食事だと思うと、食事にも身が入る。

「男ぶりの話じゃなくて、彼の態度よ」

 わかっていてのことだろうが、アデリルが不満げに言うと、アルセンが肩を竦めた。

「あれじゃあ王女の目には留まらないよ。何十人って男と挨拶するんだからね」

「何か言ってた?」

 アルセンの向かいにイオディンと並んで座ったチャコールが、やや身を乗り出して尋ねる。彼はキリエール家の人間としてあの場にいたが、王女の天蓋からは離れていたし、彼らのやりとりは見えていない。イオディンは式典場の外にいた。アデリルは首を振る。

「なにも。悪びれることもなかった」

「だからって、アデリル殿下の方からカマかけたのは良くなかったなあ」

 アルセンが珍しく苦い表情で言った。アデリルはチャコールとイオディンの方を向く。

「ラントカルドの王子は夜遊び好きなんですってね、って言ったのよ。向こうも態度を変えたりしなかったけど、あの人は私が一昨日の晩に夢舞台亭で会った王女役だって、ちゃんと気づいてたと思う」

「その話だが、それは本当にクレセント王子だったのか? 人違いじゃなく? 相手も本当に気づいてたのか?」

 話を聞くばかりでどの場にもいたことのないイオディンが、用心深く彼女に尋ねる。

「向こうも気づいた、っていうのは確かに私が勝手にそう思ってるだけだけど、クレセントなのは間違いないわ。昨日ハイドロも見て驚いてたし」

「おれも昼間、遠目にだけど見たよ。アデリルくらい珍しい髪の色だし、彼だと思う」

「ああ、でも後で踊るかも知れないわ。申し込まれたの」

 その言葉に、三人はいっせいにアデリルに視線を向けた。事情を知るアルセンだけはゆっくりと。

「今晩踊ったら、誤解されかねないよ」

 チャコールがそう言って顔を曇らせる。二日目の今夜、王女と踊る相手は、婿候補としての関係を進める第一歩を許されたと、周りから見なされる。だからチャコールもキリエール家の子息として出席するが、アデリルとは踊らないことになっていた。

「でも、気になるでしょ。このまま知らんぷりして不愉快な相手のままでいるつもりなのか、それとも悪いことをしたと、ひと言でも言うのか」

「確かに、あの場じゃ謝りたくても謝れなかったね。行列の中で堂々とアデリル殿下の夜遊びを告げられても困るし」

「そうね。ただでさえ男好きなのに、夜な夜な宮廷から出歩いてるって噂になるのは、さすがの私も避けたいわ。だって外に出るなんてほんとに久しぶりだったのよ」

「殿下としては、謝ってもらえれば気が済むのか?」

 イオディンの言葉に、アデリルはうーんと考え込む。

「自分でもはっきりわからないけど、とにかく未だにクレセントに腹が立ってるのは本当。私の国で、私の式典に招待されたんだから、その私に嫌な思いをさせたんだから、なんらかの償いをしてほしい」

「アデリル殿下は不遜な物言いも魅力だな、喋る時の表情が、いつも以上に輝いてる」

「アルセン、煽っちゃだめだって」

「わかってる、クレセントがどう思ってようと、ケンカ腰になるようなことはしないって約束する。これは私のお披露目式だもの。ちょっと反応をみるだけにするから」

 チャコールは納得せず、アルセンはどこか面白がっており、イオディンはただ王女に異を唱えないだけ。彼らは三人とも、自分たちの目の届かないところで彼女がこうと決めたなら、それはもう止められないことを知っていた。

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