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「それでお母様はどう思われます?」

 翌朝、朝食終わりのお茶に口をつけながら、アデリルは向かいに座る母親に尋ねた。

「そうねえ…」

 王妃でありアデリルの母であるラルマは、既にお茶のカップを下げさせていた。彼女はは傍らに置いた名簿に視線を落として呟く。顔の脇に、娘の葡萄色の髪よりもっと明るく、夕暮れのわずかな一瞬のように鮮やかな赤紫色の髪が滑り落ちた。アデリルの髪色よりももっと珍しい色だ。久しぶりに私的な場所で間近にそれを眺めて、アデリルは考える。

 アデリルは王女として美しいと誉められることに慣れているし、彼女自身も自分の器量についてはまあ悪くないと思っていた。ただ、それは人前に立つ者として恥ずかしくない程度のことで、自分の美貌を鼻にかけるまでには及ばなかった。

 それは母の方が美しいと思っているからだ。

 アデリルはラルマの若い頃によく似ている、と言われる。王室が誇る美しい親子だと。

 けれどそれは事実ではない。同じ年頃だったらきっともっと、母の方が美しく華があったのだろうと思う。それは母に長年付き従う侍女たちから繰り返し聞かされた言葉だ。

 そして宮廷内のあちこちにある母の肖像画がそれを証明していた。三十代も半ばを過ぎた今でも、年相応の落ち着きはあるとは言え、ラルマの容姿はまったく衰えていないし、立ち居振る舞いも美しかった。

 王妃自身は、肖像画なんて二割増しで見栄えよく描かれるものよ、お父様のをご覧なさいな、と笑っていたが、いつでもまんざらでも無さそうだ。それにアデリルの肖像画と比較しても、画家の腕前を差し引いても、本当に母の方が美しかったのだろうと思う。だからアデリルは、自分のことを不美人だと思ったことはないが、美人だと思ったこともない。

「このリストに載ってる方なら、どの方も悪くはないけど」

 赤い線のついた方の書類を指して、ラルマが言った。

 お披露目式が始まってから終わるまで、予定の立て込んでいるアデリルは、母親ととふたりで話せる時間が今日の午前中しかない。最も、ふたりきりと言ってもアデリルの背後にも、ラルマの背後にも、それぞれお付きの女官が立っているけれど。ラルマの腹心の侍女たちは、どんな時でもいつも傍にいる。娘のアデリルもそれに慣れていて、彼女たちの存在はさほど気にならない。ラルマは顔を上げて娘を見た。

「でも、リストがどうというより、アデリルの気に入った方をお招きすれば良いのよ」

 穏やかな微笑みを浮かべて、ラルマが言った。話題はもちろん、明日の最終日にアデリルが指名する相手選びのことだ。アデリルとラルマは親子の愛情は持ち合っているけれど、王妃と跡継ぎの王女としてのよそよそしさも残す関係だった。

 トライサには率直に自分の気持ちを打ち明けられるが、母親相手にはそれをしにくい。

 その代わり、もっと実務的な面から考えると誰が適役なのか、母の意見を聞きたかった。

「本番は今日の昼から夜にかけてだけど、昨日の舞踏会で既に何人かと踊ったでしょう? どなたか気になる方はいなかった?」

「それが…」

 アデリルわずかに口ごもる。母親は当然、式典の前の晩のことなど知る由もない。

 正直、ハイドロに相手をしてもらった最初の最初で、ラントカルドのクレセント王子を見つけてしまって、という説明は、だから心の中だけに留め、

「そこまで気がまわらなくて」と、アデリルは思ったことの最後だけ言った。

「緊張していたのもよくわかるの。でも昨日のあなたはとても美しかったわ。心配することはなくってよ。相手としては、私が見た限りハイドロがいちばん素敵だったけれど」

「ハイドロが来てくれたことは、私もとても感謝してます。でも、ハイドロを指名するわけにも行かないし。せめて明日の朝、お母様の意見を伺えれば良かったのに」

「明日の朝は、何人かお招きしての朝食会ですからね。でもねアデリル、そんなに堅苦しく考えなくても良いのよ。あなたはまだ十七で、婚約するのに早すぎるということはないけど、今すぐ選ぶ必要はないんですからね。これはあくまで、お披露目式にともなう儀礼的なことよ」

「私が指名して、お引き留めして、相手の方は迷惑に思わないでしょうか」

「皆、わかってて参加しているのよ。名誉だと思わなかったとしても、好機だとは思うんじゃないかしらね。だとしてもアデリル、いっそ気にせず結婚相手を家臣から選んだって問題はないのですよ。ただ、チャコールはあなたの親戚だから、あまり勧められないけど」

「お母様まで、噂を信じてらっしゃるの?」

 アデリルは半笑いに溜め息を吐きながら言った。

「今のところ信じてはいないけれど、後々そうなっても構わない、という話よ。結婚相手で政治が有利になるなら、それに越したことはないけれど、それに縛られすぎてあなたが不幸になるなんて悲劇は要らないわ。政略結婚なんて過去の話で、王女の純粋なロマンスの話題を振りまくのも、務めのうちよ」

 アデリルは、一昨日の朝に読み上げられた新聞記事を思いだして苦笑した。

「昨日は宣誓式に舞踏会、今日は正餐会にまた舞踏会、明日は署名式。その上、恋もしなくちゃならないなんて、王女の務めが多くて、目が回りそう」

「別に恋する必要なんてないのよ。恋なら結婚した後にいつでもできるから」

「お母様がそんな態度だから、私が結婚に夢を持てなくなってるんですよ」

 娘の言葉に母親が微笑む。父と母は不仲ではないが、今までも国王である父には公の愛人が、美しい母には秘密の恋人が、これまで何人かいたことをアデリルも知っている。

「情熱だけで続くほど、人生は短くないわ。特に、私たちのような…、いえ、アデリルはもっとそうね。次期女王の立場の者にとってはね。町娘のように結婚に夢を抱くより、公的な結婚生活は誰と続けるか、私的には誰と付き合うかを賢く選んだ方が、幸せになれるわ。ただ、私も母親として、アデリルの夫になる人は、あなたを大切にしてくれる、あなたの気に入る殿方であってほしいと思うけど」

「先輩のお心遣い、痛み入ります。男漁りの殿下と言う噂に恥じないように、明日の最高の招待客を選んで見せますわ」

 アデリルが言って、親子で微笑みあった。それからふと、思いだしたようにラルマが目を上げる。

「伝えて欲しいと言われてたんだけど、今夜の舞踏会はレンデムが最初の相手を務めるわ」

「レンデムが?」

 アデリルは思わず顔を曇らせた。ラルマが気にした様子もなく頷く。

「彼の希望よ。それで順番をちょっと入れ替えたの。本来、適役なのはレンデムでしょう」

「もともとは式典に来ないって聞かされてたんですよ。突然現れて、二日目とは言え私に無断で最初の相手になるなんて、いくら従兄でも図々しいと思いますけど」

「あなたの言うとおりだと思うわ。昨日はハイドロで本当に良かった。彼はすごく立派だったし、いくら身内とは言え三十近いレンデムじゃ、さすがに彼と比べて見劣りするもの」

 その言葉で、アデリルは従兄と踊らずに済むのかと思ったが、話はそれで終わりになった。どうやらアデリルが不満を抱いていても、もう決まったことで覆らないらしい。


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