154.パジャマパーティ
その日は、キースくんの夜泣きがあった。
まどろむトーコを撫でていたら隣から割れんばかりの泣き声がしてきて、今日も元気だなぁと腰上げた時にはリトジアが扉を開けて飛び出していっていた。めっちゃ早い。初めての夜泣きの時はオロオロしてたのに、この一月で随分とたくましくなったなぁ。胸いっぱいの気分。
同調してひゅるひゅる鳴き始めたトーコを抱き上げて、キッチンへ。今日は男子部屋の方にテクトがいるから、なだめる役は揃ってる。私は顔を拭く濡れタオルを準備しよう。
今日のキースくんは昼間の探索に加え、フェイさん筆頭魔族の方々に遊んでもらったから、箱庭に帰ってすぐ寝落ちちゃったんだよね。洗浄かけてもパジャマに着替えさせても起きなかったから、相当深い眠りだったに違いない。
それでも泣くときゃ泣くので、子どもってすごいよねぇ。どこにそんな体力あるんだろ。おかしいな、私も幼女なんだけど、そんな持久力ないが? あれー?
「ごめんね、2人の邪魔しちゃって」
「構いませんよ……夜泣きは制御できないものだと、理解しています」
閉めるのを忘れたのか、扉が開きっぱなしの男部屋へ入る。ぐずるキースくんの背中をぽんぽんたたきながら、ヒューさんが眉を下げていた。ベッドに腰掛けて子どもを案ずるその姿は、父親そのものだ。
リトジアがその足元からツタを伸ばしてまろいほっぺを沿うように撫でれば、キースくんはそれを掴んで離さない。
「それにいったん休憩しようかなって思ってたから、ちょうどよかったよ」
<タオルか。ありがとう>
「はいよぉ」
人肌温度に調節したタオルを渡す。ヒューさんの肩からテクトが体を伸ばして、キースくんの目元を優しく拭った。ついでとばかりに寝汗も拭き取って、返される。任せろい、これは洗浄して干しとくね。
トーコの触手が私の腕に巻き付いてきた。キースくんを見て羨ましくなったな? よろしい、お母さん渾身のぽんぽんを味わえー。
「ヒューさんやテクトこそ、結構大きな泣き声だったけど耳は大丈夫?」
「うん」
<これくらいはね。慣れてきた。ほら、喉も痛いだろう。水を飲むかい?>
「……ん!」
コップにささったストローを近づければ、素直にぱくりと食いついた。テクトは喉が何度か動くのを見て、ストローを回収する。ふふ、本当に手慣れたなぁ。
「だいぶ落ち着いてきたから、もう大丈夫だと思う。騒がせたね」
「いいえ、ツタは残しておきますね」
「助かるよ」
「おやすみなさーい」
<おやすみ>
退室してキッチンへ。ふきん掛けに洗浄したタオルを干して、コップを出す。冷蔵庫を開けて、ちょっと悩んでからぶどうの果実水を手に取った。
女子部屋に戻ると、リトジアがベッドの上で膝を抱えていた。その表情は曇り気味だ。
「どうしたの?」
「あ……いえ。その、話の途中で今更ですけど……本当にこれは、あなたに相談していいものなのかと、悩んでいたところです」
「えー、私は聞きたいよ。リトジアを助けてくれた猟師さんの話」
リトジアとの約束の夜更かしは、まだ始まったばかりだ。
森の猟師達との生活。成長を見守っていた猟師さんが、リトジアや森の仲間たちの尊厳を守ってくれた事。復讐に走りそうだったリトジアを止めてくれた事。猟師さんのお蔭で、生きてみようと思えた事。
そこまで聞いた所で中断したから、これからが本題だと思うんだよね。
ぶどう水が入ったコップを2つサイドテーブルに置いて、ベッドによじ登る。枕を抱き締めて寝転べば、トーコが隣にしゅるりと収まった。その傘を撫でていれば、少しずつしぼまっていく。この様子ならすぐ眠るだろう。
夜更かしの続きの始まりだ。
私が引く気なしとわかったのか、リトジアが彷徨わせていた視線を合わせてきた。
「で、では、その、ここからがご相談、なのですが……」
ふぅー。と、リトジアは胸を抑えて深呼吸する。
何から話すべきかと零すものだから、あった事から順にしてみては? と提案してみた。
すると彼女は申し訳なさそうに俯いて、肩を落とす。
「夕方までに整理しておこうと思ったのです……」
「はは。魔族の人達が来て、吹っ飛んじゃったかぁ」
「はい……」
「急だったからねぇ。仕方ないよ」
しかも昔会った事がある旅人と再会できるなんてね。お互いに長命だから機会はいつでもありそうだけど、このダンジョン引きこもり暮らしで実現するとは思わないじゃん? どんな確率なんだろね。
「最初からでいいんだよ。昨日、泣いてた理由の最初から。あった事、感じた事、その時に気付いた事。思い出しながらでいいからさ」
このパジャマパーティのために、いつもより時間を繰り上げてベッドインしたんだもの。大人と比べてすぐに寝落ちちゃう幼女だけれど、その寝落ちる予定まで時間は稼げたので。
リトジアの話がどんなに長くなっても、私は全部聞くつもりでここにいるのです。
「……昨日、皆さんが池で水浴びをしているのを見て、ヒューが『村の子ども達思い出す』と言っていました。村での生活は、子は遊び、大人は見守るものだと……」
ひっそりと囁くように、始まった。
「村、ではそういうもの、だと……聞いて、私。わたし、ふと、気付いてしまったのです。猟師達には村があり、帰りを待つ家族がいるのだと。彼らは森でのみ生活しているわけではないと、今更、気付いて」
徐々にリトジアの頬が赤らんできた。昨日見た、可愛らしい、懐かしささえ感じる顔。
「私を助けてくれた恩人が、あの猟師が、村では妻子を持つ身だったのではないかと、思い至り……」
「うん」
「何故、何故、その隣に私はいないのだろうかと夢想し……胸が、ざわめいて、しまって……!」
搾り出すような、かすれた声で。
「おかしいと、私はおかしいのだと、思ったのです……! いえ、おかしいと、思いたくなかった……背反する問いを、ずっと投げかけているのです……!」
その一方で高ぶる感情に合わせて強くなる吐息と。
「あの人の隣にいたかった……! 異形とも取れるこの姿を、あの人が美しいと称したこの姿を、一瞬でも嫌だと……! あの人の隣にいてもおかしくない姿でいたかった……! 彼らが守ってくれたからこそ、昇華された精霊の身を、私が、私自身が、否定して……しまった……!」
一言一句、必死に編んだ言葉を吐いていく彼女は、ああ、こんなにも。
「……水辺の妖精と、親しんでくれた
目尻に浮かぶ涙が、落ちていく。
ああ、こんなにも彼女は。
「綺麗だなぁ……」
「え」
思わず出た声に、リトジアが目を見開く。うーん、びっくりさせちゃったか。
でもなぁ、紛れもなく
きっと、誰かを思って涙する彼女を見て、美しいと言ったんだろう。この小さな体を震わせて、全身で感情をあらわにする彼女が、殊更美しく見えたんだろう。
それ以外にも理由はあるかもしれない。当事者じゃない私には、あてずっぽうするしかないけれど。現状はそうとしか思えないから。
「リトジア、あのね。その気持ちは、おかしくないよ。リトジアの心をすべて理解できるわけじゃないから、断言はしない。でも、おかしくないって思うよ」
「そう、でしょうか……!」
ルイは気遣い屋だから、って言外に聞こえたぞぉ。目線もちょっと鋭いな。ふふ、疑われてるなぁ。
でも違うよ。ちゃんと、経験則から言ってるんだよ。
「だって好きな人に姿を合わせたいって思うのは、普通にあるし」
高校生の頃。隣のクラスの人が好き、部活の先輩が、バイト先の人が……何でもない日常の中で、あの人が好き、この人が好きって囁き合っては盛り上がった。気を引くにはどうするか、好みはどうだろうかって、雑誌やネットで探したり。少しでも彼の目に長く止まれるように、悩んだり。
告白はどうするべきか。手紙、メール、校舎裏、屋上。手段も場所も、頭を捻って考えて。付き合った後は、デートの服は、化粧は、どうしようって。
好きな人の隣に自信を持って立てるようになりたいと。そう願った女の子がいたのだ。
今のリトジアは、恋するあの子にそっくりだった。
懐かしさと共にリトジアを見ると、口を開けて固まっていた。あれ? どしたん?
「リトジア?」
「……す、」
「ん?」
「……すすすすすすすすすすすすすすすすすすすす」
壊れたラジオみたいに一文字だけを落とし続ける。
す?
「す……ああ、好き?」
「ぴっ」
今度は大きく全身で跳ねて、再び固まってしまった。ええええ?
「もしかして私の経験値のなさで疑われてる? 大丈夫。私自身は誰かと付き合った事ないけど(悲しんでないし悔しくもない、絶対だ)、友達の恋は応援してきたからさ。一緒に悩むのは得意だよ!」
<ああいやそれ、トドメ>
「へ?」
急に割り込んできたテクトの声に気を取られたその瞬間。リトジアの顔面から赤がぶわわっと広がり、手足にも朱が走ったかと思うと、髪の毛に当たる葉っぱや花まで一色に染まった。
「こ、い……!?」
引きつったような呟きを残して、リトジアは倒れた……え、倒れた!?
<何で!?>
<ルイが立て続けに未知の言葉をぶつけるからでしょ>
<そうなの!? もしかして恋の自覚なしだったの!?>
<だってリトジアは恋を知らなかったんだ。自分が恩人に恋している事も、わかってなかった>
<え、えええええ! 私てっきり、そういう相談だと思ってたー!>
あんなに
<てっきり……死人に対して恋している事に、どうしたらいいのかって、悩みかと>
<そこまで進めてはいないね>
<一足飛びしすぎてオーバーロードしちゃったか……頭パンクすると倒れちゃうよね、わかる>
そして申し訳ない……もうちょっと様子見ながら話すべきだった。勇み足でしたごめん。
頭冷やしてあげよう、とさっき干したタオルを取りに行き、水を含ませ搾る。そして倒れたリトジアの前髪をかき上げ、額にタオルを載せた。
冷気に気付いたのか、彼女の瞼が震えて上がる。目が合った。
「ごめんねぇ、リトジア。頼られて嬉しくってさ。リトジアの気持ち考えないで、訳知り顔しちゃったよ」
「……ああ、いえ。びっくり、した、だけです……だいじょうぶ」
タオルの接地面を返して、額にもう一度。それが心地いいのか、しばらく目を閉じて私にされるがままになっている。
「私のこれは、恋、なのでしょうか」
「話を聞いて、その時のリトジアの顔を見て、私はそう思った……ごめん。私が決めつけて」
「……いいえ。いいえ」
寝転んだまま、タオルが落ちないように首を振る。そんなリトジアは、赤らんだ顔を隠さなかった。
「いくつか、質問をさせてください」
「うん」
「……精霊の私が恋するのは、おかしいですか?」
「ううん。人も精霊も、心があるならおかしくない。恨みつらみのマイナス面だけが心じゃない。リトジアには、楽しい事を素直に楽しめる、プラス面の心がある。だから、普通の事だよ」
「……私の思考は、猟師達への裏切りになりますか?」
「まさか。精霊も人と同じような事するんだな、驚いた、って思うくらいだよ。だってどんな姿でも、リトジアが精霊なのは変わらないんだから」
「……死者に懸想する私は、変ですか?」
「リトジア。恋は落ちるものでもあるから。気付いたのが今だっただけで、もしかしたら少し話したその瞬間に、恋してたかもしれないじゃない」
はっと、吐息が抜けた。
「リトジアの心の整理が、今ようやく追いついただけ。おかしい事なんて、何もないよ」
「……はい」
「私は前向きでいたいから、応援したいから、こう言うけど。嫌だったら否定していいからね」
「いいえ……いつも、あなたのその言葉に、私は救われています。
リトジアがタオルを掴んで、起き上がる。随分と赤みが引いた、淡く笑みを浮かべる彼女は、最後の質問を投げかけてきた。
「私は、恋を続けてもいいでしょうか? 死者への執着は、即刻切り捨てるべきでしょうか」
「続けていいよ。死者を想う事は、過去を
「それを聞いて、安心しました……ああ、得心がいった」
私のこれは、恋、だったの。
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