145.広がる領域、川魚
私は思わずスコップを放り投げ、走り出した。箱庭の端、見えない壁があるところまで行って壁に手を添えつつ、離れないよう内周を駆ける。
ふんおぉおおおおお!! 芝生だから足引っ掛からないけど、幼女の足じゃ半周さえきつ……いやきっついね!? こんな長かったっけ!? めっちゃ走った気がして振り返ったけど、まだ畑くらいだったわ半周もしてない!! 何で!? トーコ背負ってるから? いやトーコは自分で浮いてるから重さほぼないはずぅうううわああああん、体力つけた幼女なめるなぁあああ!!
「ひっ……ま、……はぁっ! うぅ……!!」
数分後、私は芝生の上にぶっ倒れていた。い、息が整わない……ひ、久しぶりに全力疾走したよ……でも、時間かかったけど走り切ってやりましたわ!! 途中から新手の遊びと勘違いしたキースくんが、余裕な顔で並走してたけどね!! マジで、獣人の、体力無尽蔵!!
「ルイ、お水をどうぞ」
「あ、ありっ……ひぃ……!!」
差し出されたコップを受け取り、蔦の補助を受けながら起き上がる。呼吸の合間にこくこくと飲んで、はああ、生き返るー。<リトジアもルイの奇行に慣れてきたね>とか言わないでテクト! 私もそんな気はひしひしと感じてるよ!! 私が突然走り出しても、湧き水汲んで待ってる余裕あるもの!!
っていうか、ほんと、あの、はぁあああー!! すぅうううー!!
「広くなってるね!?」
「あ、僕の勘違いじゃなかったんだ……」
初めて貰った時は学校のグラウンドくらいだったはずなのに! 覚えてるよ、雑談しながらぐるりと大きさを確認するように歩いたよね! あの時より長ぁあく走った気がするんだが!? 幼女の体に慣れてない頃より時間かかるって確実にこれ広くなってるよね!!
<みたいだね。僕も気付かなかった>
「テクト、神様かダァヴ姉さんから何か聞いてない?」
<……神様はうっかり伝え忘れの可能性があるけど、ダァヴは知っててもあえて黙るだろうね>
「聖獣の癖ー!」
いやいいんだけどね、特に危機迫るものじゃないから情報小出しでも何ら問題ないんだけど!
気付いたら住んでる土地の境界線が広がってるとか、怪異現象っていうかご近所トラブルの元では……地元では敷地内から伸びた柿の木の枝が道路に出て危ないとかで、よく注意を受けてるお家があったなぁ。あれは住民が腰曲がったおばあちゃんだったから、なかなか高い位置の枝が切れなかったのが原因だったんだよね。お隣の人が定期的に切ってくれるようになって、問題が解決してたっけ……
あ、今の家ご近所いなかったわ。住居以外のすべてが広大な庭みたいなものだわ。よかったー、ここ箱庭で。ご近所トラブル起こりようがないもんね。
<ものの見事に混乱してる。もう少し深呼吸しようか>
「おっけー了解」
「では今のうちに、聖樹様へ何かご存知でないか聞いてきますね」
「あ、そうだね。聖樹が認識してるものだといいんだけど……」
<管理してる当事者なんだし、わかるんじゃない? キースは……まだ走りたそうだね。僕と走る?>
「はしるー!!」
リトジアとヒューさんが聖樹さんの方に歩いてって、キースくんとテクトは軽い足取りで駆けていった。私はトーコと一緒に、芝生に寝転がる。
緩やかに風が吹いた。どくどくと今だ激しく跳ねる心臓を抑えるように、胸に手を置く。トーコは、顔から垂れてる汗を触手でぬりぬり塗り広げていた。あのね、それ、お母さんが魔法で出した水じゃないのよ。塗られるとちょっと困るっていうか、その、ええい! 楽しそうに歌い始めちゃってからにぃ、目には近付けないでね……!
ひいひい、ふう。呼吸をゆっくり、整えて。鼻やら口やら総動員だ。ひとつ、あ、土の湿った匂いがする。ふたつ、今日芝生ひっくり返したもんなぁ。みっつ、呼吸を繰り返してようやく呼吸が大人しくなって来た。
てかトーコの人肌体温とつるつる感触がめちゃくちゃ気持ちいいな……
「いや普通に考えて切り離された異空間が大きくなるってどうなの? 聖樹さんが慌ててないって事は想定内の現象なんだろうけど」
後なんだご近所トラブルって。自分で自分の思考回路にびっくりですよ。
起き上がって、聖樹さんの所に向かう。リトジアとヒューさんは話を聞き終えたのか、納得いったような、首を傾げてるような、何とも不思議な表情をしていた。
「2人ともどうだったー?」
「はい、聖樹様曰く、余白に聖樹様が根を伸ばした事で出来た土地なのだそうで、問題はないとのことです」
「余白?」
え、何だろ……遠くに見える虚像の山や森の裏側に、チラシの裏みたいに真っ白な空間があるとかそういう感じ?
また思考が飛びかけた私に、ヒューさんがどう説明するかなぁって顔をして、「どう説明するかなぁ」って実際に言った。本当に隠し事が出来ない人だわぁ。癒し。
「聞いたそのままお伝えすれば、わかりやすいかと思います」
「あ、そうだね。えっと……神様が作った箱庭は、今より大きかったらしいんだ。でも聖樹が箱庭を任された時は、保護された後で体調があまり良くなかった。だから想定してた土地をすべて管理するのは難しいだろうって話が出て……いや、ダァヴさんから指摘されたのかな? たぶん、そう言ってた」
「ふむふむ?」
「そうしたら、元気な聖樹なら管理できる大きさの土地なのに、せっかく作った箱庭を縮めてしまうのはもったいないって神様が言い出して」
「ほほう?」
「聖樹が元々守護していた範囲を聞いたら、じゃあそれくらいのサイズはいつでも管理できるように、箱庭を二重? にしておくって」
「にじゅう」
「何て言うか、えーっと、卵の中に卵が入ってる、みたいな感じらしくて。僕もちょっと良くわからなくて、身近なたとえになってしまったんだけど」
「え、二重卵!?」
「そう二重卵。滅多にないけどびっくりするよね。その二重卵の外側の卵が、神様が定めた箱庭の最大空間で、僕らはその中の、卵の中で生活してて」
「卵の中生活」
「聖樹が元気になって根を伸ばすごとに、内側の境界が広がる仕組みだから」
「広がるしくみ」
「その、まだ限界は遠いらしくて……土地、これからも広くなるらしいよ」
「ぴえ」
あまりのショックに、頭の中でコロコロ転がってた鶏卵が割れてヒヨコがぴょこっと誕生した。いや漫画かよ。違うよファンタジーだよ。
「これだから神様は! 善意の! 規模でかい!!」
箱庭貰っただけでお腹いっぱいだったんだが!? なんか意図しない所で膨らんでてパンクしそうな気分!!
<ええまったく。嘆かわしい事ですけれど、神様はあまり人の世に詳しくありませんの。俗世に干渉できない事が災いしたと弁明するべきなのでしょうけど……俺は詳しくないからと箱庭の管理などはすべて聖樹に丸投げ、土地の大きさも出来る分だけやればいいと拡張範囲を作って満足しておられましたわ>
「お陰様で知識あんまりなくても池が出来たので、結果オーライってやつですかねぇ」
暇を見て遊びに来たダァヴ姉さんが、随分と遠い目をして黄昏れていらっしゃる……テクトがぷんぷんと、箱庭の構造何で教えてくれなかったのと聞いたらこの表情だ。お疲れ様です姉さん。今日ご飯食べてく? 食べてくのね、任せて。いっぱいご馳走するね。
神様の株を下げる話だし、あえて黙ってたのもわかるよ。あの頃の神様って正直、テクトからはぶちぶち怒られてたし、うっかりさが露骨だったし、デリカシーないし、私ちょっとドン引きしてたもんね。あれ以上評価下がっちゃったら、さすがの神様も可哀相すぎると思ったのかもしれない……てかそもそも聖樹さんが元気なかったのも内緒にされてたしね! 私は自分で手一杯、これじゃあ話すに話せないわ!!
結果オーライって素晴らしい言葉なー!
「聖樹も、今まで縁遠かった作業が体験できて楽しいって言ってるよ」
<前向きだねぇ>
<……お気遣いありがとうございますわ>
池の傍に置いたベンチに揃って腰掛けて、皆で池をぼんやり眺める。日光が水面に反射してキラキラと綺麗だ。その光を切るように、時折しなやかな魚影がゆらりと進む。
こういうのんびりした過ごし方も悪くないよねぇ。キースくんはヒューさんに、トーコは私に抱っこされてニコニコとご満悦だ。うちの子達が最高可愛い……心のアルバム増やしておきます。
家から見て、手前側と奥側。2つの大きな池は、完成して数日経った。上から見たら、ぶら下げた2つの水風船のような形の池だ。手前側のが養殖の関係で二回りくらい広い。
水源は絞り口にあたる場所に作ってもらった。ちょっと高めの所から、それぞれの池に流れ落ちるように。両方とも水流ができてるようで、水は濁る事無く澄んでいる。
ちょっとした滝のようにしてるのは、気泡を作るためでもある。水が綺麗でも酸欠になったら困るじゃない? 念のための処置だったけど、落ちる水音とか、景観とか、めちゃくちゃ風流になって満足してる。箱庭にミチの羽音やキースくんの歓声以外の環境音が増えたよ。最高です。
池の縁は平らな岩を並べて、わかりやすい境界線を作った。転びやすくなるかもと思ったけど、池ってわからないで足踏みだして落ちる方が危ないからね。危機管理能力を育てるのも大事じゃない? って言われたら激しく納得するしかなかったです、はい。過保護し過ぎはよくない。
そして昨日。この池の様子なら問題ないだろうと、満を持して放流された川魚達は、みんな元気に泳いでいるようだ。今朝ぐるりと見回ったけど、星になった子はいなかったよ。箱庭の水が体に合ったようで何より!
「私も……またこうして、水中の魚を眺められる日が来るとは思っていなかったので、とても心躍ります」
「きー、さかな、しゅき!」
「ひょるる!」
「トーコもお魚大好きだもんねぇ。夕飯は池の魚にしようか?」
炭を出して、串焼き試してみるのもいいかもね。串焼きは生きてた姿そのままを貫くものだから、ちょっぴりショッキングかもしれないけど。食育としてやりたいと思ってたんだ。
川魚の串焼き、美味しいんだよねぇ。自分ちで作らないから、旅行先で出会ったら絶対買う。炭に魚の脂が落ちた匂いすると、吸い寄せられちゃう。
ぷくぷくと膨らんだ皮に浮かぶ塩、炭の香ばしい香り、立てて焼くからこそのふっかふかの身。皮ごとがぶりと頬張れば、口の中でじゅわりと唾液が止まらなくて。鼻に炭の匂いが抜けるともう、次から次へと食べたくなる魅惑の一品。
内臓はお店によってはあったりなかったりするけど、あれは独特の苦味があるからなぁ。私はあんまり得意じゃない。食べれなくはないけど、大人の味感ある。実際、お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも酒の肴にしてたし。
って事は幼女になっちゃった今は、尚更食べれないだろうなぁ。腹開いたやつ多めに準備しようか。テクトは両方食べたがるだろうし。
飯テロ垂れ流し妄想で睨まれそうだったのを慌てて軌道修正し、口元を軽く拭っておく。よし、涎は垂れてない!
<池の魚に餌は与えてまして?>
「はい! 養殖用の餌が売ってたので、試してます!! 個人的に期待大なのは柑橘系の果物が入ってるやつと、オリーブオイル入ってるやつ!」
カタログブックに養殖に必要なもの頼んだら、ずらりと人工飼料並んで興奮するしかなかったよね! 日本産の商品も売ってくれて本当ありがとう、そして養殖の餌まで記憶してた過去の自分にも感謝!!
よく覚えてたのは海水魚の方だったけど、その記憶から引っ張ってきたのか川魚用の餌もあって助かったよね!
「魚の餌にあんな種類があるとは思わなかったなぁ」
<ルイの故郷は食に対する熱量がすごいよ>
「でしょう! ちなみにもっと熱量かけて話すと、川魚は寄生虫を持ってる場合が多いから生食向きじゃないんだよ。基本的には内臓取り除いて加熱処理必須です。あるいは冷凍」
「寄生虫って?」
「下痢やコブやミミズ腫れ、果てには失明や内臓に穴空けたり命の危機までバリエーション豊富な症状を巻き起こす虫。冗談じゃなく死ぬ目にあうよ。主に魚の内臓や卵のとこに住んでるけど、身の方に紛れ込んでる事もあるから加熱や冷凍が必須なんだよね。この処理をすると確実に滅せるから」
<……いや本当に熱量すごいな。よく死ぬ目に遭いながら食べるね>
「美味しいものって人を狂わすからなー。仕方ないよね」
「……今まで食べた川魚、全部焼いててよかった。親にも口酸っぱく言われてたけど、そういう理由だったんだね。ただ美味しく食べるためだと思ってた」
「焼かないと大変だったって誰かが体験したんだろうなぁ。ありがとう先人の知恵。ちなみにここに放流した魚は、寄生虫の元となる貝や虫を食べる事無く成長した養殖魚だし、箱庭に他の生き物はいないから、安心して内臓食べれるよ」
「えっ」
私の言葉に、弾かれたように顔を上げてめっちゃ目を輝かせるヒューさん。ははぁん、さては川魚は頭から尻尾まで丸々いただく派だな? よろしい、今日の夜は串焼きパーティじゃー!
<奥側の池は入浴用ですのね>
「はい! 毎日トーコが水浴びを楽しんでますよ」
養殖用と違って、小さめの池は水位が浅い。皆で水浴びを楽しむ予定だから、あまり深いものはね。そのうち泳ぐ練習を始められたらなって思ってるので、その時は水位のご相談を聖樹さんとしたいなぁ。
ふふ、とダァヴ姉さんが笑う。どしたの?
<神様が丸投げして正解でしたわ。あの方ではこうも発展しませんもの>
「まあ神様って、大味な所ありますもんね」
<ええ本当に。最初は勝手に井戸を掘るだろうって、湧き水も準備してなかったのですから……まったく、困った方ですわ>
<おおっと、初耳だなぁそれ!!>
ちょっと神様の所に行ってくる!! と目を吊り上げたテクトがしゅぱっと消える。久しぶりのテレポートだ。ただ皆、ダァヴ姉さんの訪問で慣れちゃったのか全然びっくりしてない。慣れってすごいね……
テクト、だいぶお怒りだったな。瞬間湯沸かし器もびっくりな沸点。私関連だから、だけど。ふひひ……あ、駄目だにやけちゃう。
「ダァヴ姉さん、もしかしてわざと?」
<あらまあ! 私がそんな、意地の悪い事をすると思いますの?>
「今回ばかりはアリよりのアリだと思ってる。神様に振り回されたもんね」
<ふふふ……内緒ですわよ、ルイ>
「うん。でも神様可哀相だから、串焼きのお土産持ってってあげてね」
<ええ! ありがとうございますわ>
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