142.獣医と父



 1時間後、キースくんをもう一度診察してグロースさんから問題なしのお言葉を貰った。

 キースくんは寝ているままだけど、その背中を撫でるヒューさんのこわばりが解け、リトジアも胸をなでおろす。ふいー、よかったぁ。

 背中にぺったりくっついていたトーコも、私達の緊張が一気にほぐれたのを感じ取ったのか、ひょる……と控えめに鳴いた。

 グロースさんの視線がトーコに向く。あ、グロースさんに紹介するの忘れてたわ。


「この子はトーコ、クラゲの魔獣ちゃんです」

<無事孵ったようで何より。その子も診ようか?>

「え、魔獣のお医者さんも出来るんです!?」

<長年医者やってると、無茶を頼まれる事もある。こっちは人専門の医者だって言ってるのに、動物や魔獣も診れるだろって押し付けられたり>


 とんでもない無茶ぶりじゃん。え、それって魔族の方から? それとも俗世に紛れてる時の話?


<両方>

「グロースさんそのわがままに丁寧に応えていったの? 全部?」

<さっきみたいに鑑定で見通せば、言葉が通じなくても不調箇所はわかるからね。一方的な診察法ではあるけど>

「だからって獣医も習得しちゃいます?」


 この世の中にどのくらいの生き物がいるかわからないし、人の営みのうちにいる種類も知らないけど、決して少数じゃないだろう。少なくとも馬に乳牛、それに食肉用の動物と、あとヒューさんの故郷では山羊と鶏がいたっていうから、魔獣じゃないだけでこの数だ。

 ここに水陸空の魔獣を足したら。想像しただけで目が回りそう。

 それを人の医者だからってランダムに押し付けられる恐ろしさよ……いや待って? クラゲ相手に躊躇ためらう事なく診ようかって言える人だよ? 長命魔族なグロースさんだよ? もしかしてもしかしなくとも、この世の生き物で診れないものはない、とか言い出すのでは……?

 ちろりと目線で伺えば、グロースさんはいつものようにお茶をすすっている。


<あまりに言われるものだから、断るのが面倒になって……魔獣を観察するのも面白いし。ついでに、だいたい覚えた>

「楽しさ見出しちゃったかー」


 魔族感出ちゃいましたよー。コウレンさんとはっちゃけてた昔を思い出しそうな一面出てますよー。

 いやまあ、ありがたいけどね。診察していただけるのならば。

 トーコの手を取って、胸元に抱き上げる。


「よろしくお願いしまっす」

<素直でよろしい>


 それからはキースくんの時と同じ、じっと見つめられる時間だ。私が見られてるわけじゃないんだけど、イケメンに真正面から凝視されると居心地悪いな……もぞもぞするというか。

 一通り鑑定した結果、トーコの健康状態は良好だそうだ。やったぜ。これからキースくん同様、定期健診をお勧めすると言われたので喜んで診察料とお菓子貢ぎますって即答した。


<ふーん。健康体なんだ>

「テクト?」

聖獣の目線ではわからなかったけど、医者なら原因がわかるかなと思ってね。ほら、今日のトーコの様子だよ>

「ああー」

「……トーコに何か、あったのですか?」


 ヒューさんの背後からリトジアが顔を出す。盾扱いされてるヒューさんもこちらの話を聞きたそうだ。


「ずっと嬉しそうではあったんだけどね。冒険者の人達には可愛がってもらったし。ただ、初めてのダンジョンだったものだから、私も判断がつかなくて」

<話してみて。それから判断する>

「ああえっと……トーコ、ダンジョンだと空中を泳がなかったんですよ」

「それは……一体どうしたのでしょう。あんなにもルイの周りを踊るように泳いでいたのに」

「だよねぇ。箱庭では生まれてすぐくらいから、キースくんのジャンプを避けながら泳いでたのに、ダンジョンに来たらずっと私にくっついてて」

「仕事中も?」

「うん。ずっとぺったり」

<本人も理由がわかってないみたいでね。不思議そうにしてるよ>

「何が原因なんだろう……」

「体調不良ではないと、仰ってましたし……」

「知らない場所を歩き回ったから、実はちょっと怖かったのかなって思ったり……あれ、グロースさん?」


 ふと見たら、グロースさんが頭を抱えてた。私達は揃って首を傾げてしまう。

 何でそんな反応??


<……念のために聞くけど、ルイ以外全員、森クラゲを外で、実際に、見た事がない?>

<ないよ>

「ないです、ね」

「……ありません」


 皆で否定すると、グロースさんはスッと真顔に戻った。


<じゃあ知らなくてもしょうがないか>

「え、外だと常識的な感じの話ですか?」

<常識というか、見たままというか……冒険者には、おかしいって指摘されなかったでしょ>

「そういえば、特に変とも言われなかったです」


 森クラゲが暮らしの身近にいたフランさんとクライヴさんも、色々と教えてくれたけど……空中を泳がないトーコをおかしいとは言わなかったなぁ。


<森クラゲの子どもは、相当魔力が豊富な場所じゃないと単独浮遊は出来ない。だから常に親にくっついて、移動を任せる。ダンジョンでの行動が正常>


 え。


「親にくっついてるのが、正常?」

<動物もそうでしょ。大まかに背中か腹か、場所は分かれるけど>

「浮くのは、ダンジョンじゃ、出来ない?」

<そうだね>


 思わず、聞き返してしまった。私はゆっくりゆっくり振り返り、テクト、ヒューさん、リトジアを見る。

 皆、驚きに目を見開いてた。


「ものを知らなすぎるって、罪だなと思いました」

<聖獣の目って意外と使いどころがなさ過ぎるだろって思った>

「あまりに膨大過ぎるからと、精霊として得た知識を調べないのは逃げだと思いました……」

「普通がわからなくてすみません……」

「ヒューさん、大丈夫、私達みんな、引きこもり。世の常識、ワカラナイ」

「ああっ……ショックのあまりルイが片言に……!」


 いや、どう考えてみても箱庭は常識的じゃないのに、何で思い至らなかったんだろ! 箱庭のやばさが際立ちますね、さすが神様仕様!!

 事情を知らない人の前でボロ出す事態にならなくてよかったよ本当!!


















 さて、キースくんうっかりシャンプー舐めちゃう事件から数日。

 当の本人は今日も元気よく駆け回る……気分ではなかったらしく、ユニット畳に座り込んで私と一緒にご本タイムだ。

 キースくんの動きについていけないの幼女を目の当たりにしたからか、何故か私が保護者担当の時は図鑑気分な事が多い。2歳児に気を遣われる5歳児の運動能力よ……深く考えないでおこう。


「これねぇ、とーだよ」

「ひょる?」

「とー!」

「本当だ、トーコそっくりだねぇ」

「ん!」


 魔獣図鑑を広げて、そこに記載されてる森クラゲを指差すキースくんと。一緒に覗き込んで首を傾げるトーコ。可愛すぎない?? すき、心のシャッター連写しますわ。

 絵本代わりに渡した魔獣図鑑をキースくんはページをめくるだけでなく、その内容までしかりと目を通していたらしい。イラストでトーコに似てる! と自ら気付き、私達だけじゃなくご本人にも見せているのである。すごい! 偉い! 成長著しい!!

 ん? 図鑑があったならトーコの育て方をダァヴ姉さんや冒険者の方々から聞かなくてもよかったのでは、って? それが図鑑には魔獣の属性とか、どれくらい大きくなるかくらいしか書いてないんだよ。あとは見た目がわかりやすい、正面と横と背後からのイラストで埋まってるんだよね。時々、頭頂部と下から目線もある。

 単純に読んでて面白いし、懇切丁寧ではあるけど。私達の現状改善には向かないタイプといいますか……まあ、図鑑の存在を思い出したのはダァヴ姉さんが来た後だったからね。どちらにせよ、あの時姉さんが来てくれて本当に助かった。


<いい勉強になったよ、トーコの騒動は>


 テクトがパンクッションからひょこりと顔を出して、また埋めた。さっきまでキースくんと駆けまわってたもんね、お疲れ様。

 ぺらぺらとページめくり、キースくんが気になる魔獣の目を引く箇所を指差しているのに頷いたり、面白い形だねって言う。そんな穏やかな時間が過ぎていくと、テラスの方から足音が聞えてきた。

 扉を開けて、ヒューさんが入ってくる。途端に、キースくんの表情が明るくなった。


「とうちゃ!!」


 そう呼んで、図鑑を放ってヒューさんの足元へ一目散だ。そしてヒューさんは戸惑いつつも、ちょっと嬉しそうにキースくんの頭を撫でる。

 そう、シャンプ―事件から目を覚ましたキースくんの中で、ヒューさんは“おじたんおじさん”から“とうちゃとうちゃん”に変わったのである。

 テクトにテレパスしてもらったから間違いない。あの日の出来事の何かがキースくんの中の“とうちゃ”像に触れ、イコール、ヒューさんは“とうちゃ”になったのだ。

 それで何か問題があるはずもなく。多少混乱したものの、私達はその変化を徐々に受け入れつつある。

 唯一キースくんの失われた記憶を覗けるテクトに聞いてみても首を振るだけなので、真相は闇の中。キースくんがいいならまあいいか、と思い始めた頃です。

 ヒューさんはたぶん、本当のご両親に申し訳ないって思ってるはずだ。だからああも戸惑いが隠せないし、一瞬手を伸ばすのが遅れたりするんだけども。キースくんから嬉しいぃいって満面の笑みで返されるから、撫で撫でタイム長くなってるのもわかります。

 満更でもなさそうなのがね、逆に良い傾向なんじゃないかなと。


「お疲れ様。雑草またあった?」

「うん。良い土壌だし、まあ、箱庭だからね」


 ヒューさんは菜園での雑草取りをしてもらっていた。今日も生えたか……箱庭産は元気がいいわ。


「とうちゃ、のむ!」

「ん、どうしたの。キース」

「のむ、の!」


 足を掴んで引っ張るキースくんに、クエスチョンマークを浮かべるヒューさん。

 うーん、可愛い構図だけどキースくんがむくれちゃう前に助け船出そう。


「外で動いたらお茶かスポドリって私がよく言ってたから、覚えたらしくて。ヒューさん、外作業してたから飲まないと駄目だと思ってるんだよ」

「え、あ、そっか。教えてくれてありがとうキース。キッチンに行くよ」

「ん!」


 えっへんと胸を張るのいいねぇ。きゃんわいい。顔とろけそう。


<2人がキッチンから戻ってくる前に、その犯罪臭い顔整えておいてね>

<まったく失礼な。幸せ溢れる顔って言って>

<ケイサツにご厄介になるタイプのそれだよ>

<辛辣ー>


 なんて相棒と言い合っていると、カウンターからヒューさんに声を掛けられる。


「ルイとテクトは何がいい?」

「私は麦茶でー」

<僕も麦茶。リトジアはぶどう水だって>

「わかった。準備しておくよ」

「ありがと!」


 私はテーブルを洗浄しておこうかな。テクト、リトジアはすぐ来るの?


<特訓に一区切りついたから、戻るってさ>

<すごい頑張ってるねぇ>


 先日の、箱庭以外の人との強制触れ合いを何とか乗り切ったリトジアは、最近は魔法訓練への熱意が半端ない。

 いや、前々からコツコツ真面目に練習してたし、特にツタ魔法は成果も出てたんだけど。熱意と集中力が増したというか……より力強く、繊細に、素早く! ってスローガンしながらやってるんだよね。

 焦った状態でもキースくんのやわい腕を傷付けず手洗いの補助が出来た時点で、繊細さはだいぶ洗練されてると思うんだよなー。でも本人的にはまだまだらしい。

 リトジアがそうだと言ってるのに、私が否定するのもおかしいしね。彼女の納得がいくまでは見守る所存。でも倒れそうになるまで頑張り始めたら幼女ストップ入れます。


<それでいいさ。どうしても止まらなかったら、僕がこう……一発入れる>

<やめてテクトの腕力でやったらリトジア吹っ飛んじゃう>


 意識も体も、一瞬で彼方だよ。

 シュッと素早く振り上げられた右腕を、そっと納めさせる。

 最近のテクトは私の脳内サブカルチャーの影響か、ちょっと言動が軽くなった気がする。

 決して、決して悪影響じゃないと、神様に弁明したい! お宅の息子さん、ちょっとグレたけど許して!!


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