141.幼女、全力疾走する



「揚げ物も、ショーケースも、好評でよかったね」

<そうだね。彼らは打てば爆音で響くタイプだから、教えるこちらが面白くなるから楽しいよ>

「素直じゃないなぁ、テクトは」


 108階の安全地帯に帰ってきた。私達しかいないこの場所は、幼女の声が殊更顕著になって、どこかもの寂しい。私が口を閉ざすと静かになってしまう……いや、背中にくっついてるトーコが、ひょるる、と声を上げた。

 私の肩に触手を当てて、歌うように鳴く彼女は上機嫌だ。静かじゃなかったねぇ、歌が上手な子がいたねぇ。触手に触れて撫でると、また一つ、可愛らしい声がする。


「トーコ、人見知りしなくて偉かったねぇ」

「ひょるる!」

<親が警戒してないからじゃない?>

「そっか、私が身構えてたら何事かと思うもんね」


 子どもはよく見てるもんなぁ。親戚の子が遊びに来た時は、よく大人の真似したままごとなんてしてたっけ。純粋無垢な子ども達の口から保険がどうの、食費がどうの、お小遣いがどうのなんて飛び出た時は目を剥いたっけ。人の家の話だし、何も聞かない事にしたけどね。


「そういえばトーコ、箱庭ではあんなに喜んで浮かんでたのに……今日はずっと私にくっついてたね」


 てっきり、人懐こい子だからふわふわ浮いて皆さんの所にご挨拶に行くかと思ってたんだけど。今日はずっと腕に触手巻き付けて、大人しくしてたなぁ。

 今日は揚げ物したし、汗いっぱいかいたから接触してる所は大丈夫かと思ったけど、クラゲちゃんなら多少湿っても問題ないだろう。人の子だったら汗疹あせもを気にする所だよ……あ、駄目だ私も幼女だった。後で確認しよう。痒いの困るし、悪化したら大変だからね。


「トーコ、外の人との交流は楽しかった?」

「ひょるる!!」

「うんうん。いっぱい撫でて貰ったねぇ。とても満喫したようで、お母さんなによりです!


 頬に顔を押し付けるように、すりすりと体を押し付けられた。ひんやりほっこりで気持ちいい。

 これは喜んでるなぁ。って事は、見知らない人と接して怖気づいてたわけではない。彼女が私にべったりだったのは、他の理由があるわけだ。


「もしかして、揚げ物の熱にやられて、体調不良?」

<それは違うんじゃない? 箱庭で料理してた時は平気そうだったし、嫌だったら離れるでしょ。風呂の時みたいに>

「それもそっか。調理中は何か言ってた?」

<いいや、負の感情はなかったよ。そうだな……こっち見ないから、くっついていようって感じ?>

「尊さで膝が笑いそうなんですが??」

<崩れ落ちても助けないからね>

「厳しい!」


 まあテクトの事だから、口でああは言っても助けてくれるだろう。


「調理中は仕方ないにしても、ご飯食べてる時や、食後も大人しかったじゃん。その時も、私が仕事してたからくっついてたの?」

「ひょるる?」

「うーん……鳴き声と様子で見分けるには、まだ早いか……テクトはどう? 何か聞き取れた?」

<……わからない、飛べない。って言ってるね。体調不良ではなさそう>

「謎だなぁ……」

<まだ初めての外出だもの。情報が少ないよ。箱庭に戻ったらまた飛べるようになるかもしれないし、そのままかもわからない。これから何度も試してみて、それで比較していくしかないさ>

「それもそうだね……おいっしょ」


 壁に鍵を刺して、回す。ガチャリと開けば、ジメジメとした空気を吹き飛ばす清涼感……


「ルイ!!」

「はぁい!?」


 新緑の匂いを吸い込んでいた私の胸に飛び込んできたのは、茶色の体と緑の頭。アジサイのような鮮やかな花飾り。

 リトジアだった。

 彼女はひどく慌てた様子で、私の腕を引っ張った。


「は、はやく! ルイ、早く来てください!」

「どぉっ、ど、ええ!?」


 いや力つよ!? 小柄な体躯に似合わずぐいぐい引っ張るじゃん!? あわわ、転ぶ転ぶ!! 芝生だからあんま痛くないと思うけど背中に赤ちゃん背負ってるから、ちょっと危ないのは良くない!!


「ま、待って! 落ち着いてリトジア、何があったの!?」

「キースが!」


 リトジアが振り返る。その表情は歪み、綺麗な目から涙が零れそうだった。


「キースが、洗剤を、飲んでしまったのです!!」

「それはやばいわ」


 転ぶとか言ってらんない。ごめんねトーコ走るよ!!

 邪魔なリュックを放り投げ、家へと駆ける。ああもう幼女の手足、短い!! もっと早く!! 走れないかな!!

 小さくて元気な子だから、いつか何かしでかすと思ったけど!! まさか、物を壊すんじゃなくて、誤飲しちゃったか!! 物によってはやばい!! 家に何の洗剤置いてたっけ!?

 えっと、歯磨き粉、は無害だった気がする! 食器洗剤? アイテム袋に片付けたはず!! 洗濯洗剤はまだ使った事ない! 後は、後は、何だ、そうだ、水回り系!! 洗面所の手洗い石鹸と、風呂場のシャンプーリンス、ボディーソープ!!

 なら経験した事ある! 落ち着け私、落ち着いて対処しよう!


<ルイ、人の子が泣いてるぞ>


 ぶぅんと羽音を立てて、ミチが先導するように飛ぶ。羨ましいほど早い!! ええい、家が遠いなぁ!!


「泣いてるって事は、ぐったりはしてない!?」

<してない。大きな人が、吐かせてた>

「ヒューさんナイスー!!」


 飲み込んだか、吐いたかで重要度はまるで違う!!

 ようやく家先まで来た! ここまで来たら、キースくんの泣き声めっちゃ聞こえるわ! わんわん泣いてるね喉荒れそう!!

 先に走っていたリトジアが玄関を開けて、ミチが飛び込み私も続く!


「ただいま! キースくんの容体は!?」

「ああ、ルイ、テクト! よかった、もうどうしたらいいのかと」


 口元だけじゃなくて前面びちゃびちゃに濡れたキースくんを抱えて、必死にあやしているヒューさんが、私達を見てホッと顔を緩ませた。


「ほんのついさっきなんだ、舐めてしまったのは」


 ヒューさんとリトジアが言うには、こういう事らしい。

 昼食後のまったりした時間、皆でお茶を飲んでいたはずなのに、キースくんが姿を消し。小さな姿を手分けして探していたら、風呂場から泣き声がして。慌てて入れば両手を泡だらけ、顔はしわくちゃにしたキースくんがいたそうな。

 キースくんが「まずい」「にがい」「いや」「きらい」と断片的に喚いたので、風呂場の泡立つ石鹸、シャンプーかボディーソープを舐めてしまったと気付いた。

 ヒューさんはキースくんを抱えて、キッチンまで走り。コップに水を汲んで、出来る限り何度もうがいをさせた。そしてキースくんが泡のついた手で目元を擦ろうとしたので、リトジアがツタで引っ掴んで手洗いを無理やりさせてしまい、尚更ぎゃんぎゃん泣いちゃって。

 そこでリトジアは私達がそろそろ帰る頃だと思い至り出入り口まで走り、ヒューさんはキースくんをあやしていたと。

 なるほどね!


「2人ともありがと! ナイス処置だよ!」

「え!? で、でも……」

「ちゃんと口の中を洗って、目を擦らせないようにしたんでしょ? 応急処置として最適だもの!」


 口に洗剤が残ったままだと荒れてしまうし、万が一目に入ったら充血や痛みでもっとひどくなってた。


「でも念のため、これからお医者さんを呼ぼう。テクト、通信機出してくれる?」

<わかった。箱庭の扉はまだ開いたままだから、ダンジョン側で通信して来るよ>

「お願いね!」


 先日貰った通信機の子機が役立つー! グロースさん、先見の明がありますわ!


「ヒューさんはそのまま、キースくん抱っこして背中さすってて! リトジアは水と牛乳、両方準備!」

「「は、はい!」」

「私は風呂場を見に行くけど、その前に……キースくん!」

「ふぁっ?」


 ぎゃんぎゃん泣いてたキースくんが、私の顔面ドアップに肩を跳ねさせる。

 かくいう私は、親戚のお姉さんが言ってた事を必死に思い出していた。ええと、こういう時はどう対応するのが正解なんだっけ? 責めたら駄目なんだよね。だから、そう……共感するんだ。


「お風呂場の、まずかったでしょ」

「う、うぇ……うああん!!」

「うん、うん。つらいねぇ。キースくんがつらい目にあったから、皆も悲しそうだよ。お姉ちゃんも悲しい」

「ん……ひっく……あぅう……」

「でも大丈夫だよ。すぐに診てくれる人が来るからね」


 嗚咽が止まらないキースくんの頭を撫でて、風呂場に走る。ええい、幼女の足よ動け!!





 


 








 通信機の連絡を受け取って、グロースさんは10分も経たずに来た。

 ちょうど私達が安全地帯に出て、憩いのスペースを出した途端に現れたもんだからビックリしちゃったよね。

 迅速な対応ありがたいけど、驚きが隠せないですグロースさん。


「呼び出しといて何なんですけど、めっちゃ早くないです?」

<配下の蝙蝠を変身させて置いてきた。どうせ喋らないからバレないし、何かあってもすぐ伝わる>

「そういやグロースさんって吸血鬼でしたもんね」


 今まで出会って初めて、吸血鬼らしい台詞を聞いたかもしれない。

 そう思いながら、グロースさんを絨毯へご案内する。


<何があったの?>

「キースくんがシャンプーを誤飲してしまって。私は居合わせてなかったので、どれくらい飲んだかはわからないんですけど、風呂場には吐き出した跡がありました」


 ヒューさんやリトジアがした応急処置も話して、念のためグロースさんに診てもらえたら助かります。と一言添えた。

 当のキースくんは泣き過ぎて疲れてしまったらしく、今はヒューさんの腕の中でぐずりタイムだ。


<なるほど。口の中見せてくれる?>

「ヒューさん、グロースさんがキースくんの口を診たいって。体勢変えれそう?」

「どう、だろ……キース、キース?」

「やぁ!!」


 全力の拒否だ。頑なにヒューさんの囲いから出る気がない。これは難しそうだなぁ。

 僕がどうにかしようか? とテクトからテレパス来たけど、こういう時はたぶん、普段好きな事で誤魔化しても嫌がると思う。


<じゃあ仕方ない。ちょっと凝視するけど、その間、俺の前に出ないでね>

「凝視、ですか?」

<人の体を透過して診るんだよ……まあ鑑定スキルと似たようなもの。間に入られると診察にならないからね>

「わかりましたここから動かないでっす。ヒューさん、これからじーっと見られるけど、それは鑑定スキル使ってるのと同じだから身構えなくて大丈夫だよ」

「え、人に鑑定って、出来るの?」

「グロースさんは出来るんだって」

「……すごい人だなぁ……」


 いや本当にね。お菓子や日本茶大好きな一面がなかったら、こんな親しみを持って接せられなかったかもしれない。恐れ多いほどフォローの達人&ハイスペック魔族だもん。

 それからほんの数分、グロースさんはじっとキースくんを眺め。すっと目を閉じた。


<胃にほとんどシャンプーは入り込んでないから、胃の洗浄はしない。すぐにゆすいだから口も荒れてないし、異常が出てる部位もない。1時間ほど経過観察をして、体調不良にならなければ大丈夫>

「よかったー!」


 ああ、緊張がほぐれてくぅー!

 テレパスの内容をヒューさんに伝えると、安心したように破顔してキースくんの頭を撫でた。それが嬉しいのか、キースくんのケモ耳がぴるぴる動く。可愛いねぇ。


<水か牛乳飲ませた?>

「嫌がらない限り飲ませました。水より牛乳が多めです」


 今もリトジアが両手にコップ持って待機してくれてる……あ。

 キースくんの事で頭がいっぱいで、すっかり忘れてた! リトジア、隠蔽魔法かけてない!!

 テーブルの隅で固まってるリトジアの前にすっと出る。ごめんー! せめて幼女の壁で耐えてくれー!!


<初めて見る顔だね。精霊なら、テレパスで自己紹介した方がいい?>

<あ……あ、の……>

<すみませんねぇグロースさん! この子はちょっと人見知りが激しいもので! キースくんが心配で出て来たんだけど、ちょっともうこれ以上は荷が重いというか!!>

<なるほど。わかった、それなら挨拶はまた今度で>

<納得の速度が早くてもう私グロースさん拝み倒したい>

<それは勘弁>


 これがコウレンさんやアルファさんだったら……好奇心に身を任せて覗き込みそうだもんなぁ。いや、さすがに嫌がられたらあの2人も大人しくするか。

 

<キースくんは無事だし、リトジアはどうする? あと1時間ここにいるのはつらいだろうし、箱庭に帰る?>

<……い、いいえ! この方は、以前観察した魔族の方です! た、たとえ隠蔽魔法がなくとも、同じ空間にいるくらいは、できましょう! キースも心配ですし!>

<リトジアの成長著しくて涙出そうだわ>

<ささささすがに会話は出来ませんよ!?>

<無理難題出さないから安心してね>


 テレパスでも伝わるこの震えよう。リトジアめっちゃ頑張ってるな……偉い!

 グロースさんに診察料と、呼び出しに応えてくれたお礼のお菓子とお茶を振る舞いながら、時間を過ごす。

 いつの間にかキースくんは眠ってしまい、リトジアはコップをテーブルに置いてヒューさんの影に隠れた。お疲れ様、よく耐えた! 後はゆっくりしてね!!

 その盾にされたヒューさんは、どうにも浮かない顔をしている。うーん、これはあまりよくない表情だなぁ。思いつめてるような感じ。


「考え事してるね、ヒューさん」

「え、あっ……うん」

「どうしたの。私もテクトも相談受付中だし、今なら何と、2000年生きた経験豊富な魔族のお兄さんがお答えしてくれそうだよ」

<菓子分は付き合おう。まあ、通訳してもらう事になるけどね>

<同性の大人の意見、ありがたいです>


 グロースさんが淡いピンクのマカロンをぱくりと口内へ消した。色とりどりのマカロンを贈呈したけど、見事にぺろりと消えるなぁ。

 ヒューさんはしばし迷ってる顔をして、それから話し出した……前より躊躇う時間減ったなぁ。良い事だと、思いたい。


「その……今日は、僕が、目を離してしまったから……こんなことになってしまって……てっきり、責められるものだと」

「えぇ?」


 何で?

 思った事が顔に出たのか、ヒューさんがその、あの、とどもりながら続ける。


「キースの事は、僕が一番見るべきだと、思って……」

「いやだからって、人間限度があるでしょ。四六時中見守るなんて難しいよ」


 そら確かに、少し目を離したら死にかけてしまうような命を預かってるから、怖くなってしまう時もあるけれど。

 毎日キースくんに振り回されてると、全世界のお母さんマジすごいって感動したりするけれど。


「ひと一人に責任押し付ける問題じゃないよこれは。子どもの誤飲はよくある事だってわかってたのに、手の届く場所にシャンプー置いてたのは私だし」

<そうだね。片付けておけばって、僕も忠告しなかったし>

「わっ……わたしもっ!」


 ヒューさんの後ろから、小さな声が主張する。


「私、も……目を、離してしまいました……同罪です」

「うん。つまり誰か1人だけが悪いんじゃないの。大事なのはヒューさんとリトジアの応急処置がよかった事と、これからどうするべきか話し合う事。ですよね、グロースさん」

「…………(こくり)」


 日本茶を飲み干したグロースさんは、テレパスを飛ばしてきた。


<どんなに言い含めようが、実際に体験しなくちゃ理解出来ない事もある。今回の事は苦い経験だったと思って、もう2度としないだろうさ……って伝えて>


 そのままを伝えると、ヒューさんはぐっと口を引き結んで、頭を下げた。


「皆ごめん……何度も、言葉を重ねてくれて、ありがとう」

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