番外編.夕方の隠れた奔走


※奴隷関係の人達の趣味がえぐいです。

 大分、えぐいです。後半は飛ばした方がいいかもしれません。









 ラースフィッタの街並みが朱色に染まり、ダンジョンから帰還した冒険者達がギルドへの扉を開く。いつもの夕方だ、とグロースは紅茶を飲む。

 グロースはギルド館内の一室から、そんな光景を眺めていた。手元にはティーカップと、クルミやチョコチップが入ったカップケーキ。テーブルには同じような焼き菓子が山積みされている。

 彼は休憩中だった。この後も仕事があるので、英気を養っていたのだ。ここはギルド職員が使用する休憩室。寛ぐためのソファやテーブルが並んでいる……夜勤の者以外はそろそろ終業時間なので、利用している者はグロースしかいないが。

 ふと、視界の端に影が降りた。敷地内には木が数本植えられているのだが、すべてが大きく成長しているため、枝の先がグロースのいる2階まで届く。その枝に鳥の気配が増え、いよいよカップケーキが狙われ始めたなと息を吐いた。残念ながらチョコが入っているものは食べさせられない。諦めてもらうしかなかった。

 木に止まる鳥の群れは、徐々に増えていく。こんなに警戒心なく近づいてくるなんて、街の人だけじゃなくギルドの誰かが餌付けをしているのかもしれない。

 そう思いながら視線を上げれば、窓から覗く木の枝にはたくさんの灰色の鳩が……いや、1羽だけ、茜色に染め上げられた純白が、グロースだけを真っすぐ見ている。真白のいきもの──いや?

 わずかに覚えた違和感を確認する前に、相手側から接触があった。


<もし、もうし。魔族のグロースとお見受けいたします。休憩中に申し訳ありませんけれど、少々お時間をいただけません?>


 突如向けられたテレパスに、少しだけ目を見開く。

 さも知人のように街中で……いや今は室内に1人だが、聖獣に話しかけられた。これで動揺しない奴がいるなら是非とも挙手してほしい。その腕掴んで投げてやるので。

 もう一度、気配を探る。しかしどこをどう調べても、そこらで能天気に毛繕いをしている鳩と同じ無害なものだった。だというのに、魂を鑑定すれば間違いようもなく、純白のみが聖獣のそれである。気配だけで判断は出来ないものなのか、と独り言ちた。

 妖精らしさを取り繕っていたテクトとは違う、巧妙な隠蔽具合だ。おそらく古株の聖獣なのだろう。


<聖獣様が、一介の魔族に何か御用で?>


 魔族の城には定期的に聖獣が来る。神からの言葉を届けに、あるいは魔王や古竜などの古い知り合いと他愛のない会話を楽しむために。その様子を実際に見た事はあるが、鳩ではなかったと記憶している。聖獣は同じ姿を持つ者がいない、それぞれが唯一の存在だ。つまりこの落ち着いた女性の声の主とは、“初めまして”のはず。

 遥かに長く生きているだろう聖獣が、わざわざ初対面の自分に話しかけてきた事に意味がある。グロースはそう判断し、丁寧に返した。そしてこの時の態度は正しかったと、後々頷く事になる。

 グロースの返事に、鳩は笑みを零した。鳩の集団から飛び立ち、窓枠へ止まる。


<ええ、もちろん私とあなたは“初めまして”の関係ですわ。ですので自己紹介を。私はダァヴ。親しみを込めて、姉さんと呼んでもよろしいのですよ>

<……じゃあダァヴ様で>

<あら、残念>


 随分と親しみやすい聖獣だなと思いつつ、用件を、と続きを促した。


<私、ルイの頼みを言付かって参りましたの。お渡ししたいものも、いくつかありますのよ>

<……緊急ですか>

<ええ。ルイの命に関わる事ではありませんが、人の生き死にがかかっていますわ。なるべく急ぐべきだとあの子は判断しました。まずはこちらを>


 ダァヴが羽ばたくと、余っていたテーブルに両手で抱えるほど大きい段ボール箱が置かれていく。それらにグロースが目を瞬かせていると、ダァヴがソファの縁に立つ。


<そして、本題はこちら>


 紅茶セットの隣、グロースの真正面に置かれた淡い色の封筒。ベージュの上に散らばる花々が、どこか送り主の雰囲気を思い出させる。

 グロースは封筒を手に取り、表にある自分の名前を確認して裏返した。表と同じようにいびつな文字で、ルイとつづられている。やはり、テクトが書いたものではなかった。

 ダァヴに勧められて、グロースは手紙を取り出し、視線を落としていく。丁寧に書こうとした努力が見えて、笑んでしまったのはほんの最初だけだった。

 グロースさんへ。困っているので助けてください。その文章から始まった内容に、段々と眉間が険しくなっていく。


<これは……>

<手紙が終わりましたらこちら、詳細をまとめた資料をどうぞ>


 羽ばたく音の後に現れた紙束。どっしりと分厚い層に、思わずため息が漏れた。

 手紙をテーブルに戻し、重たいそれを手に取る。素早くめくりながら目を通していき最後まで読み終わると、グロースは思わず片手で顔を覆った。とんでもない事態に、覆うしかなかった。頭が痛い。

 奴隷制度のルールを掻い潜り人を道具のように使い潰すバカだけじゃなく、その悪事に荷担する奴隷商までいるとは……しかもダンジョンに何度も潜っているというのだから、受付を毎度突破しているという頭の痛い事実もついて回る。冒険者ギルドの管理体制を疑われても仕方のない事態だ。何故受付は異変に気付けなかったのか……疑いたくはないが、共謀者の可能性もある。


<共謀者の有無はわかりませんが、受付をしている方々を選んでいる描写は、記憶の中にはありませんでしたわ。ダンジョンの出入り口を通る時は、見る者に健常者であると認識させる魔導構成が彫られているマントで、体を隠すよう指示されていました。足先から首まですべて覆って。ルイが保護した方は、モンスターから逃げる際に失くしてしまわれたようですけれど>

<受付にも鑑定スキル持ちを派遣しないと駄目な事案……>


 しかも認識阻害を看破できるほどの実力者となれば、憲兵クラスになる。ギルドはモンスターや宝箱の中身など、引き取りに関する素材の良し悪しを鑑定する者はいるが、隠匿されているものを見抜く事は出来ない。

 もちろんグロースは出来るし鑑定スキルも公認ではあるけれど、自分が常に受付にいる事は出来ない。秘書兼護衛という本業があるし、何より、グロース解決するようではからだ。

 となると憲兵組織へ申請し、鑑定士を定期巡回してもらえるようにするのがギルドとしての正しい計らいだろう。ダリルにもそう進言するとして……

 そもそも単純な能力向上ならまだしも、他人の意識に働きかけるような複雑な魔導具は倍以上も値段が跳ね上がる。それを人数分揃えた? 行動がおかし過ぎる。


<実力が伴わない人達をダンジョンに入れたって、深層まで辿り着けるわけじゃない。高値のアイテムを拾える確率は低いし、マント分の利益は見込めないはず……そのバカの狙いは、別にあるんですね>

<ええ……度し難いものでしたが>

<わかりました。直接聞き出します>


 グロースは席を立って、段ボール達と共に残っていた焼き菓子をアイテム袋に入れた。1つだけ手元に残したチョコのカップケーキを大きな口で一飲みし、咀嚼しながら部屋を出る。

 感じる味は少々苦い。折角の美味しいものが、台無しになった。

 関係者全員、ほどほどに全力でぶん殴ろう。グロースはそう決意した。
















 昼間と違って人気ひとけのまばらな市場を、白髪まじりの男が足取り軽く進む。すれ違う人達が笑顔で手を振れば、男も微笑んで振り返す。

 ラースフィッタ支部、冒険者ギルドのギルドマスター、ダリル。本日もグロースを連れて上機嫌に散歩中だ。

 店じまいをしている気の良い店主が、「ようダリルさん。また若者連れてサボってんのか」と声をかけてくる。


「失礼な。僕は仕事大好きだからね、やる事はきちんとやってるよ。ただ、あまり根を詰めるのもよくないだろう? 休憩がてら、気分転換の散歩さ」

「はっはっは! どの口が言いやがる!」


 ダリルがギルドから抜け出して、気の向くままに散歩を始めるのは周知の日課だ。その範囲は街中に及ぶ。行く先々で小気味よく住民と会話をするものだから、誰も彼もがダリルの存在をよく知っているし、顔に少々の圧があるけれど好々爺であると認めていた。

 もちろん、彼が真面目に仕事をこなしてないなどとは誰も思っていない。街で何かトラブルがあれば、それが冒険者関係ならすぐに対策してくれるし、そうでなくても親身に話を聞いてくれる。しかも後日に問題が解決したかどうか、ひょっこりと素知らぬ顔で確認しに来る。そういう事を就任時からやっているのだ。

 ラースフィッタの住人の大半は、飄々とした態度の裏でやるべき事をおこたらないダリルに、親しみを感じている。気安い扱いをしても寛容に、むしろノリよく返してくれると知っている。だからこそ、遠慮なく軽口をたたくのである。


「あ、ダリルさーん! 今日の残りで悪いんだけど、りんごいるかい? 形が悪いってんで除けてたのよね。味は保証するよ!」

「ありがとう。食後のデザートにしようかな」

「2つあるんだから独り占めは駄目よ? グロース君にも分けてあげてね」

「信用ねぇなあ、ダリルさん」

「悲しいねぇ。老人には優しくしておくれ」

「気遣わなきゃいけないような老人がどこにいるって?」

「ははは!」


 好々爺がいると気付いた住民が集まって、一言二言話しては楽しそうに笑う。その様子を、グロースは人の輪から離れて静かに見守っていた。

 情報は己の目で見て確認する性分のダリルに付き合って、護衛は伴をしなければならない。日々の些細な変化を直に感じ取って、街を、ひいては冒険者を守るのが目的だよ。とは茶目っ気たっぷりにウィンクしてきたダリルの言い分である。

 ギルドは国に所属しない組織だ。それはどこの国でも共通し、如何なる理由があっても国家の要請には従わない。ギルドは人の、住民のためにある。権力者には従わない、というのが通説だ。

 ただし、武力を取り扱う冒険者ギルドは少々違う側面を持つ。

 たやすく冒険者戦力を動かせる立場にあるため、支部を置いた街の防衛を密かに担っているのだ。この事は公にはされてないが、ギルド内部では当たり前のものとして捉えられている。

 つまり冒険者ギルドは、国同士の争い事にはまったく参加しないが、街の治安維持には積極的に関わっていく組織なのである。

 なにより、担当する冒険者達が騒動を起こさないという確証もない。ギルド側が市街に目を光らせるのは、力に任せて一般人を襲おうとするバカな輩に対する抑止力でもあった。冒険者も生きてる人なので、間違いはあるだろうが……それが原因で関係のない冒険者への悪感情が集っても困る。

 ダリルはつまり、そのような騒動の被害を未然に、もしくは最小限に抑えるため、毎日見回るように散歩をするのである。ギルド職員部下に任せられる事を、この初老は喜んでやるのだ。

 勝手に出掛けるので部下としては傍迷惑ではある。が、グロースはこのような騒がしい雰囲気が嫌いではないので、連日こっそりギルドを抜け出すダリルを引き留める事は一切しないし、事前に休憩時間を取って栄養補給したりして備えているのだけど。

 それに今日は確かな目的を持ってこの市場を歩いている。ダリルもいつも通りを装っているが、視線は遥か先、市場の切れ目の向かい、豪邸を隠す塀を隙を探すように見つめている。

 ダリルが住民達と楽しそうに話していると、その門扉から人が出てきた。若い男だ。マントで全身を隠していない事から、奴隷でないと見てわかる。

 ごくごく普通の、無害そうな男だ。

 男のどす黒く染まった魂を見抜いたグロースは、ダリルに軽く頷いてから歩き出す。ゆっくりと、男に警戒されないよう自然な動きで。

 グロースと男がすれ違おうとしたその時。それは一瞬の出来事だった。


「はっ?──ぐへっ!?」


 唐突に横へと腕を伸ばしたグロースは、自分を避けて通ろうとした男の胸倉を掴んだ。身構える間も与えず引っ張り、住宅の壁へと容赦なく押し付ける。

 閑散とし始めた市場。遠くから聞こえる挨拶の声。楽しげな談笑。平穏な空気を裂くように、ダァンッ! と大きな音がする。びくりと体を震わせた住人と、笑みを崩さないダリルが揃って音の発信源を注視した。グロースが男を片手で壁に押さえつけている様子に、事情を知らない人々が何事かと目を丸くする。


「どうかしたのかいグロース君」


 突然の暴挙にも見えるグロースの行動に、しかしダリルは呑気に微笑んだ。


「え、なに。何があったの?」

「わかんない。すごい音がして振り返ったら、もうあんなだった」

「グロースを怒らせるような事したのかあいつ? 子どもに髪引っ張られても動じねぇ奴を怒らせるとか何したんだ?」

「誰あの人」

「あそこの豪邸に出入りしてる奴だろ? 挨拶なしに黙って素通りして! ってばあちゃんが怒ってた」

「いやいや、それにしたって暴力はいかんだろ。ダリルさん止めないのかい」

「んー……グロース君ってすごい慧眼の持ち主なんだよねぇ。アイテム見るだけで持ち主がどんな使い方したかわかっちゃうレベルの。前にすれ違っただけで殺人犯捕まえた事もあるし。もしかしたら何かしら引っ掛かったのかもしれないなぁ」

「え、それってただの噂じゃなかったの?」

「マジ? 憲兵並みのスキルじゃん」

「グロース君ってすごかったのねぇ」


 ダリルの呑気さにあてられて世間話のように会話を続ける住人達は、離れていてくれるなら危険もないからさておいて。

 受け身も取れず肺から息を吐き出してむせた男は、ようやく自分が捕まっている事に気付いたらしい。グロースの腕に両手をかけるが、残念ながらびくともしないし、逃がすつもりはそもそもない。

 だから構わず、グロースは男の懐を漁る。上着の裏に重ねられた布の中、つまり内ポケットに入っていた手のひらサイズの工具──ペンチを取り出した。男の目が見開かれ強く暴れ始めるものの、グロースはさらに強く抑え込んだ。

 事態を見守っていた獣人の1人が、呻きながら鼻を抑えた。うぇええ、とつらそうに呻く。


「どうしたんだい、あんた」

「ああ、うわぁ……鼻がいいのってこういう時ほんと嫌……皆もっと離れよう。関わらない方がいい」

「え、臭いで凶悪犯かどうかわかるの?」

「そんなすごい能力ないよ! ただほら、臭いの判別くらいは出来るからさ……あいつのあれ、工具っぽいの。あれから、すごい人数の爪と血の臭いがする」

「すごい人数の、」

「爪と、」

「血……?」


 獣人の言葉の意味を理解した住民達が、ざっと波が引くように揃って後ずさる。何人かに引っ張られて一緒に下がったダリルが、「どうやら僕らの仕事みたいだね。皆は巻き込まれないように家に帰った方がいいよ」と言いながらグロースに近付いていく。


「随分と怖い物を持ち歩いているようだねぇ。危ないから証拠品として回収しておこうか」


 慣れた手つきでダリルが麻袋を広げると、その中へグロースがペンチを落とした。それを手早く包み、若い男が必死な顔をして伸ばす腕を無視しアイテム袋へ突っ込んだ。


「はい、後は一緒に憲兵さんの所へ挨拶に行くだけさ。なぁに、老人のかるーい散歩だ。もちろん、付き合ってくれるね」


 絶対逃がさないからな。

 言外にそう物語るダリルの目に、ひっと男は悲鳴を上げて項垂うなだれた。

















 その豪邸の主人は、昔から生き物を潰す事に快感を覚えるたちだった。

 最初は虫。生活の身近にいた虫は食べ物がわかりやすく、その男にとってお手頃な玩具だった。地面を這っている虫の目の前に好物を落としては、その手が届く直前に脆い命を踏み潰して悦ぶような、歪んだ性癖をしていた。

 犠牲になる生き物は年を増すごとに大きくなっていき、気付けば男は自身の快楽のため、人を弄んだ末に潰す事を覚えた。

 自分が異常者である自覚はある。小さな頃は使用人が顔をひそめていたし、大人になると同じように異常な性癖を持つ仲間が不思議と増えた。何かしら雰囲気を察して擦り寄ってくる奴らを、男はうっそり笑って受け入れた。

 いいじゃないか。楽園を作ろう。俺達がずっと楽しんで暮らせる楽園を。周囲に気付かれないよう高い塀で隠し、外界を遮断した俺達の領域で。永遠に玩具を弄ぼう。幸いにも金はある。邪魔をする奴は金で黙らせて、それでも騒がしいのは捕らえて玩具にしてしまえばいい。どうせそのうち静かになる。

 買収した奴隷商から後腐れない奴隷を買い、いたぶる。そして死に瀕した奴隷達が逃げまどい、這いつくばり、助けてくれと縋ってきたのを蹴り潰すのが、何よりも心躍った。男は最高の趣味を見つけた気分で、仲間に奴隷を振り分けた。それぞれが楽しそうにしているのを見て、ますます充足感を得る。

 一方的に弄ぶだけでは面白くない。男は奴隷達に猶予も与えた。ダンジョンに行かせたり、小間使いをさせたり。その隙間にビクビクとこちらを窺う奴隷達の姿も、大変好ましい。

 そう、ダンジョンの受付の目を掻い潜る緊張感も、ひっそりと楽しみに思っていた。奴隷達がどれだけ帰ってくるか、あるいは逃げ出すか、仲間達と賭け事などもしてみた。どんどん趣味が増えていく。

 このような経緯で、男の住処である豪邸にはたくさんの人が住み着いた。騒がしい市場の傍ではあるが、今まで誰にもバレずにやってこれた。もちろん、これからもそうする。

 そう、するだった。


「あ、……ぅえ?」


 夜空の星が眼前で瞬いて、男はよろめいた。足から力が抜けて、尻餅をつく。

 何が起こったかわからなかった。

 今日も楽しく奴隷をいたぶっていたら、豪邸の中から悲鳴が聞こえ始め、そして気付けば見知らぬ銀糸の男が部屋に入ってきた。

 やけに表情の抜けた小綺麗な顔を痛みで歪ませてやりたいな、と思っていられたのはほんの少しだけ。男の手にある紙に『慈悲をかけてやる。歯を食いしばれ』という文字が書かれているのを視界に入れたあたりで、記憶が吹っ飛んでる。頬が熱い。

 じわじわと痛みが湧いてきて激痛に苛まれ始めると、この綺麗な顔の男の握りしめた右手が見えた。こいつに頬を殴られたのだと理解できる。逃げようと使い物にならない足を動かした時には、周囲を憲兵に囲まれていた。

 何故? この俺が、どうして憲兵なんぞに睨まれている? 善良な一市民を何だと思っているんだこの能無しどもは。

 そう怒鳴りつけてやろうとして、頬の痛みに押し黙る。憲兵達の背後から、白髪のじじいが前に出てきた。


「やあ。気分はどうかな」


 最悪だ。こんな屈辱は、今まで受けた事もない。

 そう言おうとしたが、口は震えるばかりで言葉を吐かない。


「そうだね、いい気分とは言えないだろう。僕もね、この街のギルドを任された者として仕方なく相対しているけれど、君のようなクズの相手はあまり気分が上がらないんだ。出来る事なら素早く済ませてしまいたい」


 あまり手間取ると、皆さんの迷惑になるしね。

 そう付け加えたじじいが、俺の背後に視線を向ける。


「奴隷達に命令しても無駄だよ。もう憲兵さん達の特権で奴隷契約は解除したからね。君らのお仲間もグロース君の力のこもった一発を浴びて伸びてるし、ダンジョンに潜らされていた奴隷達はすべて保護、今は食事を終えてぐっすり睡眠中だ……つまりね、君を助けてくれる奴は、どこにもいないんだ。わかるね」


 わかってたまるか。俺は楽園を生きる。俺だけの楽園を、好きに生きるのだ。俺に指図していい奴など、誰もいない。


「うーん、これは反省していない顔だなぁ。仕方ない、憲兵さん。もう一発お灸をすえるけれど、それは許容範囲だよね?」

「円滑に事が済むなら構いません」

「だそうだ。グロース君、頼むよ」

「…………」


 銀糸の男が俺の前に立つ。また暴力か、ギルドとやらの程度が知れるな。

 豪邸の主のプライドはまだ折れなかった。自分を片手で持ち上げる侵入者に、鼻で笑って見せた。憲兵どもの空気がざわつくが、知った事ではない。

 怒りが突き抜けて冷静になってきた。気分を素早く切り替えられるのは自分の長所だ。となれば作戦を立てねばならない。俺はまだ楽園で生きるのだから。

 さて、憲兵に捕まったとしてどうするべきか。この分では奴隷商の方も抑えられているだろうから、別の方法で牢から出ねばならない。やるなら見張りの買収だ。幸い金は別にとってあるし、懐には宝石も入ってる。後は欲深そうな顔を見抜き、宝石をチラつかせれば……

 そこで、豪邸の主は気付いた。少々長く考えていたはずなのに、銀糸の男から拳が飛んでくる気配がない。

 ふと顔を上げる。小綺麗な顔が、自分を見下ろしていた。表情を一切変えず、目に感情を宿さず、物を見るように、視線を落としている。

 覚えのある表情だった。むしろ馴染みのあるものだ。何故だろうと眉をひそめて、それから、すぐに思い至った。

 だって、そうだ。人の目を介して、

 この表情は、!!


「ッあぁあ!?」


 ふざけるな、俺が、俺が虫と同列!? 止めろ、その目で俺を見るな!! 俺に向けていいのは、羨望と、恐怖だけだ!! 止めろ、やめろぉおお!!

 そう心の内で叫んだのを察したのか、銀糸の男がようやく右腕を振りかぶる。


「や、め……ぎゃあ!!」


 グロースの容赦のない一撃で豪邸の主は吹っ飛び、心と前歯は折れた。


 












「お疲れ様、グロース君。今日は大変だったね」

『いつもの事だ』


 豪邸に潜んでいた性癖クズ野郎どもを一人残らず憲兵に引き渡した後、ダリルとグロースはのんびりとギルドに帰っていた。


「いやあ、グロース君から報告貰った時は驚いたよ。まさかあんな怖い奴がまだ街にいたとはね。あれどこ情報だったんだい?」

『匿名』

「守秘義務か。じゃあ仕方ないねぇ」


 君は口が堅いから、と朗らかに笑うダリル。

 グロースは休憩室から出た後、すぐにダリルへ事の次第を報告した。ルイが関わってる所だけそれとなく誤魔化し、ギルドと憲兵を動かすよう計らった。

 報告が終わった後は、ダリルはギルド内部の洗い出し、グロースはダンジョンへ向かった。被害を受けてる奴隷達の保護を、クズどもの共謀者がいないとも限らないためグロースのみが受け持ったのだ。

 まあ、ダンジョンと言っても浅い層だ。魔族の健脚と気配察知があれば、ほどなく任務は完遂した。ただ奴隷達は、クズどもの油断を誘うためにその段階では外へ出せず、安全地帯にまとめて保護する事になっていたのだが。それから少々、骨が折れた。

 理不尽な恐怖から解放されると教えられても現実を受け入れがたかったのか、怯えた様子でグロースから離れる奴隷達。彼らを落ち着かせる事が一番の難題だった。何ならクズどもの拠点に忍び込んで、一発一発丁寧に殴り倒した方が何倍も簡単だった。

 グロースが喋れず文字を使う事が、奴隷達の困惑を増大させてしまった要因でもあった。彼らの中には文字が読めない者がほとんどで、グロースが掲げる紙の意味を理解する人は少ない。すべての人達に情報が行き渡るまで時間がかかり、大分手間取った。

 しかしここで役立ったのが、ルイの食事である。

 とりあえず腹を満たせて落ち着かせよう、と託された粥と水を配ったのだが、それを怯えながらも一口食べた者が、次々に粥を口にかき込む。その様子を見た周りの者が一口、さらに二口三口。その周りが……と波紋のように食事が始まり、食べ終えた頃には「美味いものをくれた人」と認識されていた。違う、俺は美味いものをたくさん食べる人だ。というツッコミは呑み込んだ。

 忽然と姿を消したヒューの無事を聞いて、奴隷達が素直に喜んでくれたのはルイに必ず伝えよう。後はもう、奴隷達が大人しく保護されてくれればどうでもいい。

 グロース、あきらめの瞬間であった。


「今日は風が強いね……お蔭様で、雨雲はどこかへ流れていったようだけど。いやあ、仕事中に雨はつらいから、助かったねグロース君」

『老体は冷えるとよくない』

「ひどいなあ」


 グロースはダリルの笑みを、その下を探ろうとして、止めた。

 奴隷達への手厚い施しを聞いて、実際にその名残を見て、ダリルは誰からもたらされた情報か察している。この男が気付かないはずがない。

 それでも黙っているという事は、この街を守るきっかけをくれた恩に報いると、態度で示しているのだろう。

 追及されないなら、今はそれでいい。

 グロースは腕を伸ばして、首を曲げた。ごきり、と凝った音がする。


「さあグロース君。帰ったら報告書が待ってるよ。もう少し、頑張ろうじゃないか」

『老体を理由に逃げるのは禁止』

「おや、先手を打たれてしまった」


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