番外編.箱庭に住む人のそれぞれ その1
※一部ひどい描写があります。念のため。
「まず第一に覚えていただきたいのは、ルイの心が陰った時は、必ず声をかける事です」
穏やかな口調と表情で、ルイが家屋へ入って行くのを見ながら精霊は言った。
ドリアード。樹木をそのまま人の形にしたような女性……性格が女性寄りというだけで、性別は明確にはないそうだ。まあ聖樹も女性のような反応をする事が多かったので、あまり不思議だとは思わない。
おとぎ話が目の前で動いているのに、そのくらいの感想しか沸いてこないなんて。色々驚かされたからかなぁ。今も少し、夢心地の気分だ。
「陰るって、ちょっと想像しづらいんだけど……具体的に、どんな感じかな?」
「主に戦争の話をしている時です。ルイが深く考え込んでいる様子を見かけたら、すぐにでも声をかけてください」
私もここに来る時、ダァヴ様から何度も言い含められました。
そう言ったリトジアは籠を覗き込み、良く寝ていますねと目を細めて呟いた。まだおチビ……キースは起きそうにない。
キースは普段こそ能天気に笑うものの、こんなに長時間熟睡する事はなかった。ダンジョンの中では常にモンスターの気配があったし、敏感なこの子は十分に休めなかったんだろう。あの頃は呼びかけたらすぐ起きてたし。
「あまりに沢山の話を聞かされて、今は整理も難しいとは重々承知です。ですが、これだけは決して忘れないで」
「はあ……その、もし、“万が一”があったら何が起こるのかな」
「……どうなるかは、わかりません。ですが何度か、暗い感情に覆い隠された事があるとテクト様は仰っていました。おそらくは、邪法の影響かと」
暗い感情……さっき語られた、鳥肌が立つ邪法の手順を思い出してなるほどと頷いた。たくさんの命を理不尽に奪った末の召喚。恨みは深いだろう。腹の底でグルグルと回るように居座るあの感情が、無実なルイの心を土砂のように埋め尽くしていく想像をして、首を振る。
僕は奪われた者だ。生け贄にされた人達の気持ちも少しはわかる。奴隷生活でずっと鳴りを潜めていたけど、故郷や村の仲間、暮らしを奪われた恨みは、決して忘れられるものじゃない。
でも、ほわほわ笑っているルイが、自分も奪われた立場なのに楽しく生きている恩人が、こんな感情を持て余す様はできれば見たくないなぁ。
もう一度頷くと、リトジアがふふ、と声を漏らした。
「あなたの気持ちには、共感できます。ルイには笑っていてほしい。末永く健やかでいてほしいと」
「聖獣だけじゃなくて、精霊も心を読めるの?」
「いいえ。私はまだ未熟ですので、その領域まで至っていません。ですが、あなたは顔に出過ぎです」
思わず口元を手で覆う。そんなにわかりやすいのかな……そういえばさっきもルイに見破られて、たくさん叱られてしまった。わかりやすかったんだな僕って。
いたたまれなくて頬やら顎やらを摘まんでいると、リトジアの微笑んでいた目が、ついと伏せられた。
「それに、私も通った道ですから」
リトジアは後から箱庭に来たとルイは語っていた。少し口ごもりながら、戦争の被害者だとも。彼女も故郷を奪われたと察するに、十分な言葉だった。
「とある方が、凶行に走ろうとした私を踏みとどまらせてくれた。今はルイが、私に“人生を楽しむ方法”を教えてくれています。私はそれが、嬉しいと思う……あなたもそうなるように、願っていますよ」
「……うん」
実際に村を襲った奴らに会ったら僕はどうなってしまうのか、想像できないけど。治まる事なくグルグルと回り唸る腹を撫でて、考える。出来る事なら、全身を震わせてまで叱りつけ、僕なんかを引き留めてくれたルイを悲しませないようにしたい。
きっと彼女は僕が誰かに手をかけたら、自分の事のように悩むだろうから。半日しか話していないけど、そう思わせるほど素直だったので。
僕はまだ唸る腹を撫で下ろし、そういえば、と声をあげた。
「神様や、神の使い……聖獣や、精霊でも、ルイがどういう状態になってるか、わからないの?」
僕の記憶を覗いたり、テレパスってスキルで言葉もなく会話したり、聖樹を羽ばたきで消してしまったり出来るのに?
リトジアは目を瞬かせ、困ったように微笑んだ。
「そうですね。不思議に思われても仕方ないのですが……精霊や聖獣様は出来る事が人よりたくさんありますが、この世に起こる事象のすべてを解決できるわけではありません」
「そうか……でも確かに、聖樹は色んな事が出来たけど、移動は出来なかったし。そう考えると、得手不得手って誰にでもあるものなんだね」
村の近くに生えてた時は、気軽に枝を伸ばしてきたりしたけど。そういう交流はいつも、こっちが近寄った時だけ行われてた。
視線を聖樹に向けると、答えるようにがさっと揺れる。枝を伸び縮みさせる元気は、まだ戻ってないらしい。その枝が、見て、と言うように幹を指すので、目を凝らしてみると随分高い場所に洞があった。故郷に植わってた頃はなかったものだ。
花畑の方では見慣れた蜜蜂より何倍も大きな魔獣が飛んでる。なるほど、あの洞は蜜蜂のために作ったんだね。優しい君らしい。
ブンブンと揺れる枝に手を振り返していると、リトジアからまた笑い声が聞こえた。彼女は楽しそうに肩を震わせている。
「そんな笑うほど?」
「ふふ、とても。神様や聖獣様を相手にそう言えるあなたは、案外ルイと近しい感性を持っているのかもしれませんね。好ましい人柄だと思います」
「いやいや、そんな事ないよ。僕は、まだ夢を見ている気分なだけで……失礼だったかな」
「いいえ。ですが私は、あなたの良い所をすでに見つけてしまいました。ヒューは聖樹様を喜ばせる事が得意ですね」
がさっと葉っぱがこすれる音がしたので、顔を上げる。風がないのにする音は、聖樹が枝を揺らしている証拠だ。聖樹の囁きと呼び親しんでいた。耳に心地よいので、村ではよく子守唄の代わりに赤子へ聞かせていたっけ。
「あんなにもはしゃいでいらっしゃる聖樹様は、初めて見ました」
少々、悔しく思います。リトジアは明るい笑顔でそう言った。その表情があまりにも晴れ晴れしいので、僕は何て返したらいいかわからなくなって、そうかぁ、とだけ呟く。
ふと、籠の中でキースが寝返りを打った。小さく唸り声を上げている。起きそうだから、声をかけてみようか。
「おきて、おチビ……キース」
「んぅ~? ん、うん……おきりゅ」
眠たげに体を伸ばしてから、キースは大きな目で僕を見上げた。不思議そうに、「きー? きー……」と口の中で自分の名前を転がして、耳が忙しなく動くと。
「おじたん、おはよ!」
太陽のような笑顔を見せてくれた。じわりと胸が温かくなる。
罠を踏んでしまった時は絶望でしかなかったけれど、この子が何事もないように笑ってくれたお陰で、僕はがむしゃらに生き延びようと頑張れた。そして頑張った先で、もう二度とわからなかっただろう名前を取り戻せた。
人生はどこから幸運が転がってくるか、わからないものだなぁ。
リトジアとキースが
ざわざわと、聖樹の囁きが聞こえる。
「ではキースが起きた事ですし、箱庭の案内を始めましょう」
そうして進められるがままに花畑、湧き水、菜園と歩き回る。キースはどれを見てもきゃあきゃあと楽しそうだ。
でもちょっと待ってくれ。僕の勘違いでなければ花畑に、雪解けの後に咲く花と暑い盛りに咲く花が隣あっていたんだけど? 菜園の野菜も一緒に育つはずのないものがあるよね?
「神の
「そ、そっか……思ってたより随分と、その、すごい場所なんだね……」
「花畑は魔獣のミチの仕事場でもありますので、キースが飛び込む前に挨拶に向かいましょう」
僕の腕に捕まっているキースを見て、リトジアが苦笑した。「おはなー!」と叫びながら駆け寄ろうとしたので、咄嗟に抱き上げたんだけど、どうやら正解だったらしい。
ちょうど聖樹の根元にいた魔獣に近寄ると、またキースが興奮して手を伸ばしたので離れないように力を込める。子どもでも獣人だから、手加減を知らないうちに引っ張りでもしたら羽が傷ついてしまうかもしれない。
しかし、キースより大きい昆虫の魔獣か……蜜蜂の顔をこんなに近くで細かい所まで見れるなんて、思わなかったなぁ。
「こちらが蜜蜂の魔獣、ミチです。彼女は人の言葉を話せませんが、意思疎通は可能です。ゆっくりと話しかければ、理解してくれますよ。自己紹介をしてみてください」
「あ、うん。初めまして、僕はヒュー。こっちは、キース。これから、一緒に住む事に、なったよ。よろしく」
「きーは、きー! よろしゅー!」
キースが手を上げて笑うと、ミチは顔周りの花粉を取っていた手を止めた。どこを見ているか判断しづらい真っ黒い艶やかな目が、何故かこっちを見ているような気がしてきた。
しばらくして、ミチが羽を鳴らして飛び上がる。どこかに行くのかと思いきや、何故かこっちを見ながら回るように飛んでいた。これは何か意味があるのかな?
リトジアを見ると、閉じていた目を開けた。
「……ミチは歓迎する。と言っています」
テレパスが出来るんだ。すごいな魔獣って。
「これは8の字飛びと言いまして、肯定など前向きな意味が多い飛び方ですよ」
「なるほど」
飛び方にも意味があるのか……あ、ミチが8の字飛びを止めた。これは次の話を待っている状態、かな? リトジアが大丈夫ですよ、と頷いた。じゃあ本人から聞きたかった事、言ってもいいかな。
「あの、僕は聖樹と、縁のある者で……聖樹の洞は、住み心地、いいかな?」
「……とてもいい、これ以上の巣はない。と言っています」
「うん、そうかぁ。よかった。ミチ、聖樹と仲良くしてくれて、ありがとう」
そう言うと、ミチはまた特徴的な飛び方を始めた。8の字だ。僕の感謝を受け入れてくれたんだろう。ありがたい。
「あと、キースが、花畑に飛び込んだり、花を摘んだりすると思うけど、大目に見てくれないかな?」
「……子どもがする事だ、許す。だそうです。よかったですね」
「うん」
またくるくる回っているミチを見て興奮したキースの背中を、ぽんぽんと叩く。ちょっと僕とお話ししようね。
「キース、ミチがね、花畑で遊んでもいいって」
「おはな? いいの?」
「いいよ。でも、花畑でお仕事してるミチを、引っ張ったりしたら駄目だよ。痛いからね。おじさんと約束しよう」
「ん!」
鼻息を噴き出して、大きく頷くキース。元気があっていいね。
まだ幼いキースが今の言葉をどれだけ理解しているかはわからないけど、しばらくは目を離さないようにしよう。
「次は、私達が暮らす家ですね。では行きましょう」
「キース。ミチにバイバイして」
「ばいばーい!」
ふっくらした腕が振られると、ミチは大きな輪を作るように飛んで、花畑に向かった。彼女なりの挨拶なのかもしれない。
ウッドテラスには扉が2つある。左側のは寝室で、右側はリビングに繋がっているそうだ。綺麗なガラス窓だなぁ。
「中へどうぞ」
ツタが伸びて扉を開けると、ずっと小窓から流れてきた野菜が煮えるいい匂いを全身に浴びて……その中にひっそり混じる草の香り。何だろう、これ。
「ルイ、お家の内覧です」
「はーい! ごめんねー、手が離せなくて。今夕飯作ってるからねぇ」
「ごはん!」
僕の腕から跳び降りたキースは、着地に膝をついたものの、平気そうな顔でテーブルをくぐってキッチンへと回り込んでいった。あの子、こんな高さを跳べたのか。
作業中のルイに話しかけているキースを止めようとして、前に出した足にツタが絡みついてるのに気づいた。止められてる。
「昼食の時は、ほとんど寝てましたが……念のため。ヒュー、あなたは火が苦手ですか?」
小さな声で問われて、一瞬、体が震えた。
「これからキッチンに向かいますが、ルイとテクト様が扱っているのはコンロの火です。あなたはそれに、耐えられますか? ルイは、無理はしないでと言っていました」
そうだ、彼女達は知っている。僕の故郷が、悪意の炎に燃やされ尽くした事を。聖樹を枯らすために、魔法による炎で森や村に火を付けた奴らを。
ぞわ、と背中に何かが駆けた。奴らの、炎と、同じものが。
「
震えの大きくなった足をぎゅうっとツタで絞められて、我に返る。足元からリトジアの視線が、真っすぐ射抜いてきた。
「アレとルイが扱う火は、まったくの別物です」
「え……」
「体を舐めるように這った炎、親しい者が焼かれながら発した絶叫は、記憶にこびりついています。今でも夢に見るほど、恐ろしい」
ですが。
「ルイが使う火は……何と言いましょう。色彩に富んでいます」
「しきさい?」
「ええ。初めてルイの火を見たのは、出会った昼食の時です。人の営みに興味を持った私に、近くは危ないからと、あのカウンターに載せてくれました」
リトジアが差した場所は、僕からちょうどルイ達の手元が見えない一枚板だった。
「パングラタン、というものを作っていました。野菜やソーセージが入った鍋をルイが火にかけた時、思ったのです。温かいなと」
たとえそれが、魔導具を介したものであっても、同じ火である事に変わりはないが。安堵を与える者が扱えば、それはまったく違う意味を持つ。
耐えがたい熱さではなく、温かかったのだと、リトジアはそう言った。
「素敵な昼食でした。火を使って出来上がったものを、美味しそうに頬張る皆さん。そして普通の食事が出来ない私に、色鮮やかな果汁の氷を出してくれた光景が、私の中では一揃いに鮮明な思い出として残っています」
「…………」
「なので私は平気ですが、あなたはあなたの事情がありましょう。無理だけは決してしないで。火が見えない位置からでも、ルイに声をかけてあげてください」
「……うん」
ゆっくりと、カウンターに近寄る。キッチン側の手元が見えてきて、足を止めた。湯気に隠れていたルイの顔が、良く見えるようになる。
体に張り付くキースの頭を撫でながら小さな土鍋の様子を見ているルイは、こっちに気付いてない。この位置からはまだ、火は見えない。
一歩を前に出そうとして、躊躇う。キッチンから漂う熱気に、怖気づいてしまった。
突然、ルイが顔を上げた。肩が震えたけど、気付かれなかったようだ。
「お、ヒューさん。夕飯は昼とは違うものを出しますからね、楽しみにしててください」
にぱっと笑われて、その悪意のない柔らかな顔を見てたら、いつの間にか強張ってた体から力が抜ける。
そのまま足が前に出た。キッチンを覗き込んで、火を見た。ルイのように柔らかい火だ。とろとろと土鍋を温めていた。
「うん……いい匂いがするねぇ」
口をついて出てきた言葉に、でしょう! と返されて、胸中に訪れた郷愁が、どろどろとしたものじゃなくて一陣の風のようで。
楽しみにしてるね、と言って離れると、一瞬テクトと目が合った。
<その思い出は、君にとっていいものなんだね>
きっと僕にだけ届けられた言葉なんだろう。ルイもキースも、リトジアも反応しない。だから心の中で、そうだよ、と呟いた。
昔、家に駆け込んで帰宅した僕を、料理をしながら笑顔で迎え入れてくれた母を思い出したんだ。年頃の女の子を相手に連想するのは失礼だと思ったのに、聖獣には気付かれてしまった。出来れば、叱られた時もほんの少し母を感じていたのも合わせて、内緒にしてほしい。
ただ本当に、夕時の母を無性に思い出させる人だなぁと。悪気なく思えたのは、僕にとっては幸いだった。
リトジアの所に戻って、感じた事を小声で伝えた。
「活力が見える火だったよ」
「それは僥倖。この箱庭に、恐ろしい炎は訪れません。大丈夫。ゆるりと、お休みください」
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