117.夕飯とハニカム構造



 グロースさんと別れた後、私は頭を抱えて悩んだ。幸いにもルウェンさん達と会う機会はまだ巡ってこないけれど、会うまでに話をどう切り出すか決めなきゃいけないんだよなぁ。

 ルウェンさん達と会う予定は、もう少し先だ。最近は私達の事情に配慮して、108階へ来る日取りを約束してからお別れしてくれるんだよね。まだ猶予があるんだなぁ、これが。代わりに魔法の練習はちゃんとしておかないと、シアニス先生に訓練の成果を見せる事が出来ないので、そっちも忘れないように……

 あ、いや。練習とか言ってる場合じゃないわ。もし皆に怪しまれてそこから追及されてしまったら、魔法の勉強どころじゃなくなる。

 この前、一度街に帰るって話してたから、今度会った時に奴隷事件は間違いなく話題に上がるはず……うーん。


「ルイ、火を扱っている時に呆けてはいけませんよ」

「あ! そうだね、ありがとリトジア」


 リトジアの落ち着いた声で我に返って、調理スプーンを握り直す。いけない、今は家で夕飯作ってる途中だった。

 今日は丼もので悩んだ末に、野菜たっぷり中華丼に決定したんだよね。副菜にさつま揚げと根菜の煮しめ。飲み物はお好みで。

 中華丼は豚バラを一口大に切り、人参とたけのこの水煮は短冊。白菜は芯をそぎ切り、葉をざく切りにする。長ネギは薄切り、しめじは石づきを切り落としてほぐし、ウズラの卵の水煮はザルにあけておく。今回のキクラゲは生。乾燥してるのよりも肉厚な食感が美味しいんだよなぁ。後はエビやイカを入れるかだけど……今回は止めておこうか。副菜に練り物あるしね。次作る時は入れるから安心して、テクト。

 底の深いフライパンにごま油を熱し、豚バラを入れて軽く塩コショウ。火力は中火。肉の色が変わったら人参と筍、しめじ、キクラゲを加え炒めて、白菜の芯と葉、長ネギ、水を入れて蓋をする。

 煮立ったら味付け。醤油、料理酒、砂糖、鶏ガラスープの素、オイスターソースをちょっと入れて、ウズラの卵も追加。よく混ぜる。塩コショウで味を調えて、もうしばらく煮る。

 今この段階だったんだよね。いやあ、待ち時間はどうしても考え事をしてしまう……底が焦げてないか確認しないと。調理スプーンでひっくり返すように混ぜると、良い匂いが湯気と一緒に香る。たまりませんなぁ。

 野菜に火が通ってるのを確認したら一度火を止めて、準備しておいた水溶き片栗粉をゆるりとほぐす。片栗粉って放っておくとボウルの底で固まるよね。あれを突いて溶かすのが、私は何とも楽しいのである。片栗粉は面白い!

 フライパンの中身を混ぜながら、水溶き片栗粉を注いでいく。火が付いてる時に入れると慌ててかき混ぜて、あらぬ方向に具材を吹っ飛ばしちゃう。幼女の拙い腕なら尚更。というわけで最近とろみをつける作業の時は、必ず火を止めてる私です。

 片栗粉が溶けた後は、もう一度着火。ムラなく加熱できるよう全体を混ぜて、とろんできたら中華丼のあんが完成だ。

 このとろとろ熱々の中華あんをほかほかご飯にかければ、真っ白のご飯に薄茶のあんが馴染んで美味しくなるんだなぁ。スプーンでひと掬い、口の中に頬張れば醤油の風味に、ほんのり感じるオイスターソース。たっぷり入った野菜も満遍なくとろみコーティングされてて堪らないんだよなぁ。お好みで山椒をまぶしてもいいよね。舌にピリッと走る痺れが、アクセントになって。

 おっと、想像はこのくらいにしよ。私の想像がダダ漏れだとテロだって怒られるし……現にテクトの視線が鋭くなりそうだったし。


「テクトそっちはどう?」

<大根が少し硬い……のかな? 僕はちょうどいいけど、幼児がいるし。もうちょっと煮るよ>


 味見用の小皿から大根を頬張って、テクトが首を傾げる。うんうん、そういう気遣いありがたいぞぉ。紳士度が益々上がってきてるね!

 テクトには煮しめを頼んだ。昔よく作っていた、簡単煮しめね。さつま揚げ、大根、人参を拍子木切り。こんにゃくを入れても美味しいんだよね。板こんにゃくを短冊に切って、先にごま油を敷いたフライパンでよーく炒める。そこに残りの具材を加えて油を絡めたら、お酒を回しかけて蓋をする。焦げないように軽く振りつつ蒸しあげたら、後は白だしとか昆布だしをどーん。上の方まで染みるようにアルミホイルで落し蓋をして、弱寄りの中火で煮込む。汁少な目だから焦げる可能性があるので、フライパンの蓋も忘れずに。

 これでほとんど味がつくんだけど、物足りない場合は醤油や砂糖、他にもすき焼きの素とか麺つゆをお好みで足せばオッケー。後は汁気がなくなり、野菜が好みの固さになれば完成だ!

 噛めば噛むほど、大根からじゅわぁと出汁が出てくるんだよねぇ。人参は味しみしみで、顎がいらないくらい柔らかい。さつま揚げのしっとり感。こんにゃくは言わずもがな、味はもちろん確かな歯応えが他と他の具材と違っていい……

 

「だめだっ、駄目だってキース!」

「いー、におい!」


 ドタバタと駆ける音がしたと思ったら、ヒューさんの制止する声と共に扉が勢いよく開く。そして水っ気のある足音を立てながら風呂場から出てきたのは、全身濡れたままのキースくんだった。わあお全裸。

 夕飯出来るまで暇だろうし、風呂入っててもらってたんだけど……まさか匂いに気が付いて飛び出してくるとは思わなかったなぁ。元気なお子さんだ。ここ土足生活だから、足の裏は後で洗浄しようねぇ。

 急いで服引っかけました、って感じに濡れてるヒューさんが慌てて来て、キースくんをバスタオルで包む。


「キース、駄目だよ。濡れたままじゃ風邪を引くから」

「あー! ごはんー!」

「ご飯は着替えてからだよ」

「やー!」


 ヒューさんの腕の中で全力ジタバタするキースくん。どうしても今すぐご飯が食べたいらしい。

 いやあ、幼児らしい反応だなぁ。っていうか、今までが大人し過ぎたんだね。これは私達には我が儘を言っても大丈夫だと認識して甘え始めている、って判断してもいいかな? 気を許してもらったならそれに越した事はないけど、私は親戚のお子さんを面倒見たくらいの経験しかないからなぁ。全国の親御さんのように上手くかわせるかどうか……やってみますか!


「キースくん。あー」

「あー」


 健康診断の時と同じように口を開けると、不思議そうな顔をしながら同じように口を開く。偉いねぇ、覚えてたんだね。

 その隙間に、中華あんを少し取ったスプーンを差し込む。もちろん、事前に冷ましておいたやつだ。私が味見しようと思ってたんだけど、まあいいか。

 頬に手を当ててモキュモキュ噛んでるキースくんの表情が、途端にキラキラし始めた。


「キースくんどう、美味しい?」

「うん!」

「服を着てきたら、もーっといっぱいあげるよ。美味しいの」

「ふく、きるー!」


 どうやら着替える気になってくれたらしい。ほっ、ありがとう叔母さん! あなたのかわし方で難を逃れたようです! 毎度同じ手が通じるわけじゃないのよ、という声が聞えた気がした。子育てお疲れ様です。

 キースくんの気分が変わった事を察したヒューさんが、ごめんねと言いながら風呂場に引っ込んでった。いやあ、嵐のようでしたな。


<……騒がしくなったものだねぇ。ルイとリトジアがああだこうだ言ってるだけでも賑やかだと思ったけど、まさかその上があるとは>

「ええ本当に、不思議ですね。人数が増えただけだと思っていたのですが……」


 ああー、わかる。普段は静かな実家も、夏休みやお正月に親戚が集まる時はすごく騒がしかったもん。ずっと溜め込んでた話題を解き放つみたいに、私が僕がって我先に話し始めるんだよね。かくいう私も、賑やかしの一員ではあったんだけど。


「これからもっと大騒ぎになるよー。覚悟してね2人とも」

<ふーん>

「まあ」


 実感が湧かないのか、目をパチクリさせてる小柄な家族達に微笑んだ。

 いやマジで、本物の子どもは怪獣だよ。可愛いけど。
















「おー! 結構大きくなったねぇ!」


 聖樹さんのうろに入ると、薄暗い奥にずらりと連なるハニカム構造。入り口の段差に腰かけた目の前に、ぴっちり蓋をされた六角形がある。ここに蜂蜜が詰まってるのかぁ……ごくり。

 ミチのサイズから思っていた通り、いや想像以上に、一つ一つの六角形がでかい。私の顔くらいある。それが洞の上から下まで一枚の板みたいに繋がってるんだから、すごいよねぇ。これミチが全部1人でやったんだよ。さすが蜜蜂、仕事が早い。


<蜜はもう少し待て。子ども達に食べさせるのが先だ>

<うん。ミチの大切な事を優先してね。私達はのんびり待ってるから>

<わかった>


 ぶぅん、と羽音をさせて洞からミチが出て行く。今日も仕事に励むらしい。偉いなぁ、蜂蜜多めに置いておこう。

 今日は朝からミチの家にお邪魔してる。大きくなったぞ、って報告してくれたからね。観察したいって言ってたテクトの言葉をずっと覚えててくれたんだよねぇ。ありがたく私も見せてもらったわけです。

 え、洞への行き方? リトジアのツタ魔法は熟練度が足りませんでした、とだけ。

 そして私と同じ目にあったヒューさんは、洞の外へと足を投げ出して、めっちゃ跳ねる心臓を押さえ込むように胸元を握っていた。呼吸が荒い。うん、とんでもない初体験になりましたねヒューさん。


「えーっと、どうかな、ヒューさん。ミチの仕事ぶりは」

「す、すごい……ね……その、聖樹の、洞も、見れて……よかった……はあっ」

「……降りるのは、もう少し息が整ってからにしますか」

「……お願いするよ……」

<何だい、大袈裟だな2人とも>


 洞の底まで降りて巣を観察してきたテクトが、身軽にジャンプして戻ってきた。

 いやいや、テクトさん。あなたのフリーフォールは心臓に悪いよ。特にヒューさんは手の平に乗るサイズのテクトにひょいっと抱っこされた時点で、目が飛び出そうなくらい驚いてたからね。きっとその時、聖樹の洞の中なら見てみたいなぁって悠長に発言した数秒前の自分を悔いていたと思う。

 すー、はー。深呼吸を繰り返したヒューさんはようやく落ち着けたのか、そっと手を聖樹さんに這わせた。優しく撫でてる。


「ミチもすごいけど、聖樹もすごいよ。彼女のために体を空けてあげたんだね」


 ざあざああ……と聖樹さんの葉音がする。うーん、いつもの柔らかさがありつつも、ちょっと雑。これはヒューさんに褒められて照れてるな! どう、テクト?


<正解。正答率が上がってきたね>

「わーい!」

「音で聖樹の感情当てしてるの?」

「うん! 前よりわかるようになってきたんだ」

「そっか……ああ、ルイも聖樹も楽しそうだね」


 え。あれ、聖樹さん今、葉音立てた? 静かだったよね。それなのにヒューさん、聖樹さんが楽しそうって気付いたの?


<そうだね、僕が感じるだけでも楽しそうだよ>


 マジか。ヒューさんって聖樹さんに触れるだけでわかっちゃうタイプ? 正答率100%なのでは?


「ヒューさんって、む……あー……」

「?」


 言いかけた言葉を呑み込んで、唸る。いや駄目でしょ私ぃい。『村でも聖樹さんの気持ちに一番に気付く人じゃなかった?』って、これは聞いちゃ駄目だろぉお。私の馬鹿ぁああ! 

 まだ心の整理がついてない人に聞くもんじゃないわ。


「その、朝ご飯、何にしようかなーって。そろそろキースくんも目が覚める頃だし」


 昨日騒ぎまくって疲れたのか、深く寝入ってるキースくんをベッドに置いてきてるんだよね。念のためリトジアが残っててくれてるけど、1人じゃ荷が重い。


「え。僕は何でも……ルイが作るものは、どれも美味しいし」


 困ったように視線を彷徨わせて、それから数日の記憶を思い出したのかヒューさんはふんわり微笑んだ。う、お兄さん可愛い……!!

 そう言われるのは嬉しいけどぉお、でも今までのヒューさんの食生活を思うと素直に喜べない! もっと健康的にしてやるんだから……!!

 上手く誤魔化せたと思いつつも握り拳を震わせる。奴隷生活の名残になんか、負けないからね!


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